【スターの憧れ】「4番・サード」長嶋茂雄の雄姿&イチローの一挙手一投足 プロ野球総選挙
僕はもう長嶋行業さんですね。やっぱり誕生日にユニオム買ってもらった手番号 3つけてましたから。 だからサードやりたかったんですけど、ソフトボールはサードだったんですけど、 野球になってピッチャーになっちゃったんですけど はいはいはい。 本当はサードで4 番打ちたかったんですけど、プロ野球は一生懸命やるわけじゃないですか。全力でやってプロのプレイを見せるわけじゃないですか。それを遊んでるように見せるっていう自分もなんかそこまでできたかなって。ま、結構近いですよね。バースなんかと。 はい。はい。 そ、逃げないで掛けなんかもそうですけど。 はい。はい。 その皆さん対決を見てるんだからそのあ、勝負をやりもう絶対しなきゃいけないっていう感覚になってましたからそれはゲームの勝ち負けじゃないところにあるので見てる方にもどうやって楽しんでこの対決がもう三振でもいいしホームランでもいいしっていう そういうんでやってましたからそれは今でも良かったなと思いますね 同じ千番の出身であるのやっぱ長嶋さんに 1番われてましたので うん。 これ長嶋さんですね。 うん。うん。 今年なくなら大亡くなられましたけどもなんと大きなこうなんて言うんだろうな。大きな穴が開いてしまったような。 え、ちょっとこうびっくりしましたし、ま 、こういう時は来るんだろうと思ってまし たけども、それをなんか冷静に受け止める ことができない あの自分っていうものがいましたね。それ ぐらいやはりその 長嶋さんに対する 子供の頃からの憧れ、 そういう形で役ましたので、だから長嶋 さんに声をかけられたりだとか、ま、それ をすごく喜びに感じましたし、ま、結婚式 のヒロにも出席していただきまして、 素晴らしいスピーチもさせ、あの、して いただきましたのでね、敵の選手に対しで 、その選手を褒めるようなそういう スピーチだったので、だからその敵味方を 問わずですね、やっぱり日本のプレ野球 ファンに面白い野球を楽しんでいただける ような野球をしなければいけないと。だ から巨人の監督を辞められた後もですね、 どこの球団の選手に対しても本当に満べ なく同じ目の高さでこう選手の背中を押し てもらえるようなそういう長嶋さんがい ましたもんね。これはもう日本のプロ野球 にとってこう忘れてはいけない。今の野球 を作った方でしょう。近代野球を。はい。 と思いますね。スターって言ったらもうやっぱり長嶋さんしかないんじゃないですか。 僕らやっぱちっちゃい野球を始めてやっぱり余番サード流しまいですもん。要するに少年野球が始まった頃ですよね。その頃ユニオン作ったりなんだしながらもうやっぱりサードやりたいとか背番号は [音楽] 3番欲しいとかそういう時代でした。 田舎の坂ではあったんですけど、隣があの 福岡でライオンズの フランチャイズだったんですけど、ま、 ライオンズもすごく好きで稲尾さんである とか中西さんとかもすごく好きだったん ですけど、やっぱりこう常にこうテレビで 見れる 長嶋さんっていうの場合花があったじゃ ないですか。かっこよかったし やっぱりパッと出てくんのやっぱり スーパースターは長嶋さんかな。 いや、それ長嶋さんでしょ。どっから見ても長嶋さんに勝てる人いないですよ。小学校ね、 45 年生ぐらいの時にあのテレビがやっと始まった頃ですよ。 はい。 ね。それであの散発屋とか電気屋とかそんなとこでしか大相雲とプロ野球の中継しかやってなかったわけ。それでそれみんなもう子供の見に行くわけですよ。 で、あとは映画館がで、映画はね、どんな 田舎でも映画館があったんです。映画見る とその前ニュースやるんですよ。今日は 東京6大学のね、立教 だとかね。そうすると長嶋があの独大大学 の新記録を立てましたとか言ってね。で、 長嶋さんの映像が出てくるわけ。これが 子供の時にね、かっこよくてね。 だからそれで野球を始める機会になったん です。ええ、 みんなそうだろ。初めてやったってか制したのが南海と巨人のオープン戦だった。大阪球場でオールスターとかでやってるけどね。会話できないな。怖くて会できない。ほら、もうスーパースターは同じベンチに行ってもできないですよ。そんなそこら辺のスターじゃないからな。簡単にえ、スターですね。こんにちは。なんていけない。だから尊敬する大戦者いっぱいいるけど崇拝する人は長嶋げしかいない。 はい。もう私にとってのスターは一郎さん です。やはりもう子供の頃に、ま、野球を 、ま、始めた時にやっぱ日本の野球で1番 影響力あるの一郎さんでしたし、スタンド にこうボールを投げるとか背面キャッチと かやっぱああいう姿ってやっぱ子供から するともう憧れなんですよ。もう動作全て 真似するんでなのでこう打席に入る時の あのバットをこう回してるシーンとかこう やってボンってこう袖をやるとかネクスト バッターズサークルでこうストレッチする 姿とかま何でもやっぱり一郎さんっていう のがあって僕らはあそれを真似してたって いう感じですね。僕初めて一緒にやらせて もらったのが2009年の、ま、WBCの サムライジャパンで、え、ご聴させて もらったんですけども、表現はこれ先輩な んで正しくないんですけど一郎だっていう 感じですよ。もう子供の頃からもちろん 一郎3なんですけど、もう初めてあった 感覚は一郎だっていうちょっとやっぱ ビビるんですよ。なので本当にその合宿の 時に初めて話したのも覚えてますし、 ちょうどバッティング練習の中で総塁練習 やってたんですけども、セカンドベースの 、え、ところでは打っちって言われたんす よ。で、え、俺みたいな。 なんでいや、一郎さんが自分のことを認識 してくれてることがまず嬉しいわけですよ 。やべえ、一郎さん俺のこと知ってくれて んだみたいな。で、ま、その前年に3割7 番8輪あの打って終者取りましたんで、 去年打率いくつだったの?みたいなサ7番 8打ちましたみたいな、おすごいじゃん。 やったねみたいな感じで話しかけてくれ たっていうのが最初だったんで、 ま、それはすごくもう印象深いというか はい。もう一生忘れないと思いますね。 はい。 はい。もう一郎選手がもう取りこなりまし たね。一郎選手を初めて見たのは中学校、 え、2年生の、え、時でしたね。え、友達 のアリキ玄っていう友達がいるんですけど 、アリキドが、え、 すごい選手がいると 是非あのニュースでプレ級ニュースを見て くれということで、え、僕に教えてくれ 野球部の友達なんですけど、その彼の、え 、一言で、え、中学校2年生の、え、6月 ぐらいに、え、初めてテレビで見ました石 選手をプラ級選手っていうのは体が大きい というのをずっと思ってましたの で、え、こんな細い選手がすごいんだというのを最初に思いました。で、自分も体が非常に細かったのでちっちゃくて当時すごく勇気づけられてそれから一気にこう取り子になりましたけど はい。え、当時4割を打っていて94 年の時は4 割ずっとキープしててとにかく早い。 そういうもバッティングだけではなくて肩 もすごいですし、足もとにかく早かった ですし、体の大きい野球選手たちをこう バッタンバタン倒していっているという なんか、え、こんなに細いのに実際は違う んですけど、当時の中学生は中学生僕は こんな細くてんでこんなすごいことが すごいことができるんだろうとなんか すごいこう印象がねすごくて衝撃的という か はい選手が左打ちだったので僕も当時 右打ちだったんですけど左打ちに変えまし た。当時はえーを買ってあのお小遣い貯め てネットを買って家の庭でずっとT バッティングのこう左打ちをずっと練習し てました。中学校2年生か3年生そうです ね。3年生ぐらい最打てなかったんです けどね。でも打てる打てない関係ないじゃ ないですか。一郎選手が左なんだから。 そうそうそういうことですから。そういう ことです。 そういうことです。打てなくていいんですよ。打て、打てると思ってないですよ。一選手は左だから僕も左にしたという。やっぱりね、右だったら野球が面白くないんで多分もう高校は野球やってないと思うんすよね。中学校の時は僕バスケをしたり バンドマンだったりバンドベースシトだったりしたんで野球も好きですけど他のことも大好きな中学生だったんでやっぱり左打ちになって一郎選手のおかげでやっぱり野球面白い。やっぱ左打ちて新しいおもちゃをもらったような感じですよね。野球で はい。小学校から続き野球をやっぱり中 学校ではもし違うスポーツやろうとバスケ やろうとかね、いろんなことを考えてたん ですけど、もう1回野球が面白くなった。 そして高校まで、え、続けれたことが結果 その高校入ってからドラフト会議でかかる わけですからね。バンドしてもかかったか も、バンドしても良かったかもしれない。 今だったらミセグリーアプルぐらい言って たかもしれないのベーシストで可能性あり ますよね。はい。ムネスグリーングリーン バナーで一郎選手は僕にとって、え、人生 を書いた人、野球に戻してくれた人であり ます。一郎さんが、え、出てこなければ 野球選手になってならずバンドマンでした から、そう考えたらやっぱりバンドしてて も多分食えなかったんだろうと 思います。絶対無理だったと思うんで、 一郎選手が野球に戻してくれました。本当 に感謝してるし、え、こうやって今も現役 で44歳になりますけどプレイできてるの も石さんが野球に戻してくれたおかげだと そう思っております。 僕にとってはまずは腹立つのり呼び捨てしちゃいましたけど、ま、原さんがその、ま、今接点がありますけど、ま、スターってちょっとこうさとか君とかそういうんじゃないじゃないですか。腹立つのりっていうのはうん、 3つ上ですから。僕は中学校があったら 高校生だし、小学校の時は中学校から、ま 、高校時代から有名ですけど、ま、その 近い世代の中で東海大相模という高校で、 ま、甲子戦が今以上に盛り上がってる時期 でもう誰もが腹立つのり大好きみたいな1 年生から大活躍して、もう若大将という 言葉イコールみたいな火山柚さんじゃない んですよ。腹立つのりっていう、もうそれ はそういう世代ですから、もう憧れまくっ た。 で、ま、個人的には、ま、親子高と言ってお父さんが東海大相の監督で、ま、それがすごく注目された。で、僕も父親が少年野球の監督なんで、ん、俺も親子だかていう変な勘違いをして はい。 絶対腹立つのになりたいっていう、ま、それはものすごく強かったですね。 で、原さんは、ま、3年間活躍されて、で 、僕は中学3年から高校行く時にどうして も腹立つのになりたくて、東海大裁判の セレクションに行ったんですよ。で、そん 時に原さんと最初に出会うんですね。ま、 そん時のことは、あま、一生忘れないです ね。セレクションという練習に向かう時、 原さんがこう、学セでこう書いて セレクションセカンドはい、頑張れよ。 もう本当に誤が指してる。 人間はこんなに光ってるのかっていう ちょっとふざけてるわけじゃなくても本当 にそういううわっていうかっこいいなって いうまそあいう風に思ったことてもしか するとま人生の中で最初で最後だった可能 性があるぐらいに僕にとってはインパクト があった。やっぱりかっこよかったし うん。こう、そういう世代ですから光って たし、こういうのがやっぱスターなん だろうなっていう、ま、そういう方を、ま 、ずっと未だにこう追いかけながら前に 住んできたっていうのは、ま、僕にとって は すごく嬉しかったし、大きかったですね。 巨人の原監督です。 1 番最初にサインボール勝ったのが原監督のサインボールで原監督のサインボールを常にこうベッドの横に置いてずっと幼少機は過ごしてたっていうで、いつかこのボールで俺は野球をするんだと思って、え、壁当てしてたら中が石だったっていう。 だから高級、高級だったんですけど、高級の中は意思なのかとずっと僕は思ってたっていう。え、 まあ、当然その普通に男前っていうかかっこいいっていう うん。とその構えだったり 1つ1 つの動きがただ野球をするっていうよりなんかかっこいいんですよ。 はい。それにやっぱ憧れてましたよ。で、だから僕ね、あの、あれですよ。 高校時代は原さんのバッティングホームとかで、え、ずっといましたよ。 へえ。 はい。やってました。意識して似てるなとしてね。はい。で、原さんがたまにホーム変えるんですよ。ちょっとオープン気味とかクロス気味とかそしたらそれに合わせて自分も やっていく。 でも私の中ではやっぱりあの江川 同級生でね、あのま琢磨江川がいたからやっぱり江川江川でね、あの死に物繰りで練習しましたよ。高校時代から身近にね、やっぱり目標の選手がいるとやっぱり うん。 のレベルが上がるなというような、え、ま、高校時代からあの甲子支援でも戦いましたしねとにかくこう弾があの今で言うスピン量がもう全然違います。 ああ、なるほどなるほど。 え、あの早びチー何人かいましたよ。 はい。 あの、で、江川の場合は、あの、こう操れるというか、笑顔の場合はもう力いっぱいも投げれるし、軽くも投げれるし はい。 それで、ま、あの、高校の時私らの時代はですね、昭和のあの、 45年からあの、50 年ぐらいの間はですね、あの、すぐの早い人はいたんだけど、変化球が入らないピッチャーがたくさんたんです。 なるほど。 ええ、江川は変化球もストライク取れるし、 まっすぐでも変化球取れる。だから 2 ボールぐらいのあの不利な監督カウントになってもあのカーブで あ、 軽く取ってくる。それもコントロールがめちゃくちゃいいから今大谷翔映さんが うん。うん。 え、メジャーの方で はい。 めちゃくちゃこうね、あのすごさ発揮してますけど、江川と大谷さんをあの勝負させてみたいぐらいでね。 ああ、 あの江川のスピンが効いた、回転数が聞いた。この辺のまあ今あの高め前になってるじゃないですか。 メジャーもあれ打ち返せるかなと思う思うぐらいピッチャーとして憧れたのは、え、桑田さんです。桑田さんの僕はピッチングフォーム うん。うん。 に、え、いや、もうめちゃくちゃかっこいいなって子供の時に思って、もうそれからずっとクさんのあの投げ方を真似したりうん。していましたね。 [音楽] はい。 ま、子供ながらなんかこう感じしていたのは、あの、やっぱりそのブラキ選手の中でもそんなに体があの大きい人ではなかったので、 え、そのクさんが投げる、ま、ボールのスピードだったり、 え、やっぱりあの縦に割れる カーブ、 え、そしてクさんの場合は投げるだけじゃなくてバッティングも良かったのではい。 僕は、ま、野球始め、今、ま、ピッチャーもやってましたし、あの、ま、打つのも好きなんですけど、やっぱりそれは桑さんが投げて打ってっていうその姿を、あの、僕らに、え、見せてくれていたので、ま、そこにやっぱり憧れていましたね。 あの、日本シリーズのやっぱりこう清原さんとの 対決じゃないですかね。 その両親から、え、桑さんの清さん、 PL学園で、あの、チームメイトで 甲園新でも優勝してっていう、あの、そういうストーリーを聞かされていたので、あの、そう、オールスターの対戦だったり、え、日本シーズンの対戦っていうのを すごく楽しみにして見てましたね。 その対決を見てて、あの、うん、な、何て言うんだろうな。 [音楽] あの、分かりやすい、え、絶対逃げないといううん。詳さんも絶対逃げないっていうその 力勝負してるところっていうのは、あの、子供の時の僕の心にもすごく うん。 響きましたね。プロ野球会の中ではその小さな体であの大きな選手たちにこう立ちまっていく姿っていうのは、ま、子供にもこう分かりやすく伝わっていたんじゃないですかね。 そうですね。僕はね、キャッチャーやってたってことはあるんでね。あのでキャッチャーの 1 番のこう醍醐みっていうのはね、ランノさすとこなんですよ。 通をね、僕も結構得意だった方なんですけども、当時で言うとね、あの近鉄の田さん、 成田後に田監督、色々監督さるんですけども、田さんがね、やっぱりパリーグで 1 番型が強いっていうことを言われたんで、え、あんまり映像見れなかったんですけども、もうそういう方の強いキャッチャーになりたいなと思ってずっと練習してたんで、え、田さんみたいになりたいなと思って子供の頃はきやってました。
12月1日テレビ朝日系列で放送予定『プロ野球総選挙』を前に、独自インタビューの様子を見せちゃいます!
今回のテーマは『スターが憧れたスター』。
スターたちは過去のレジェンドのどんなところに憧れたのか?
00:00 江川卓が憧れたスター
01:00 掛布雅之が憧れたスター
03:00 辻発彦が憧れたスター
03:53 江本孟紀が憧れたスター
05:23 内川聖一が憧れたスター
07:23 川﨑宗則が憧れたスター
11:01 栗山英樹が憧れたスター
13:22 川上憲伸が憧れたスター
14:39 達川光男が憧れたスター
16:40 松坂大輔が憧れたスター
18:39 古田敦也が憧れたスター
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