【アスアカ総集編 一気見SP vol.86】駆け抜けし赤ヘル魂 山﨑隆造
建築になりたかった。野球部に入ろうか、サッカー部に入ろうか。ちゃんと試験受けて。そういうそれはちょっとちょっとそう。こういう野球選手もいるんですよ。 矛盾が多すぎる。 [音楽] アスリートアカデミア学長の岡崎かおです。え、今回のゲストは、え、広島東洋カープ憧れのそして目標の選手でした山崎竜さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 いや、持ちすぎじゃないですよ。あの、 何が憧れですか? いや、僕はあの、小学校中はプロ野球選手なんの夢じゃなくて、とにかく講演出たいていうのが僕の夢で、あ、そうですか。だからもう小学校高校ぐらいもう親父も夏の甲子園必ず連れて行ってくれてたし。甲子園もかじりついても本当 1試合目から4 試合目まで時間があればかじりついて見てたタイプなんですよ。 へえ。それ中学時代から もうもちろん中学の 小学校ぐらいかな。そう。小学校のもう、 あ、そうなんだね。3 年生ぐらいですかね。だから江川さんが初めて甲子園で北ってやった試合も現地で見てますし。 へえ。 もう毎年親父は連れて行ってくれたんです。そういう関係で相徳高校っていう高校を知ったのも山崎さんのおかげ。おかげというかからだし はい。 で、黒田さんていうピッチャーも覚えてるし うん。 黒田さんと山崎さん覚えてるしで内屋をやってたんで親父に内屋のうまい人だから内川って言でしょ。内川の親父も大分なんですけど内川の親父が高校の時も親父が目についてこのショートはいいからよく見とけでショートの人とこういい選手がいるとあこのショートいいから見とけって親父にずっと言われてて山崎さんショートだったですよね。 そうですね。 だから山崎さん本当見てたんですよ、僕。マジで真剣に。 だからなんでこの人はプロに行ってしねえのかなとはちょっと思ったんですが。 あ、あの高橋義子さんがおられましたよ。 高橋子さん上でしたっけ? うん。あ、2 つ上でね、もうバリバリでもう池の時だからちょうど俺。 広島の出身でしょ? そうですよ。広島市内ですか? はい。この今ここで撮影させてもらってますけど、すぐそこです。 もう徒歩10 分ぐらいのところにで生まれ育ったというかと都 1個じゃないですか?町の真ん中。 ま、広島という都1個。 僕もそうですよ。大分の都会子で大分駅の歩いて 5 分ぐらいとか大分の都会なんですけど、田舎の都会の方がいいんですよ。 何が だって東京出身の人選手ってダサくないですか?東京の それよく言うね。言えるね。 よくそれ東京のプライ級選手って誰がいるのって僕らの時考えたら、ま、かずしげは別ですけど うん。福岡木だ。 え、全然赤抜けてねえじゃんみたいな感じだったですか? ああ、服懐かしい名前が出。 あと清水が清水が足立かなんかかな。なんか 田舎の都会子の方が赤抜けるんですよ。 あ、そうなもんなんですかね。ま、そういうことにしときましょう。 僕も高校の時にまあまあまあまあ長内会ではうまい選手だったんですよ。 内会で当たり前ですけどうん。 で、10球団、19 球団だけドラフトするって挨拶に来てくれたんすよ。 すごい。それは2 球団来なかった。それが広島ですよ。 [音楽] 広島と半球。 この2 球団はスカウトの人来てくれなかったです。 そうなんです。 強かったんですよ。その当時広島半球ってやっぱ強い時代ですね。 そう。ま、ま、強い予というよりもどうなんだろう。そのやっぱりチームの体制ってあるじゃないですか。 うん。 だから内野種が充実してたのかもしれない。ちょっとどうかな。 そうかな。山崎さんよりちょっと下だから。そうか。うん。 そういうことも言えますね。さんがいて。 そうやっぱね。球団の木さんがまだいて 年齢年齢のもちろんね、若いのに若い選手に内足しがいたから。 でも今思えばだからジャイアンツにジャイアンツに行ったから うん。 今があるって思ってるでしょ。やっぱ みんなそうじゃないから俺だってそんなことないよ。 カープ以外のところだったらおそらくどこも行ってないしあなたと違って そんなに数団しか来てなかったしていう 花からカープってなあったんじゃないですか? いや、だからカープ以外だったら行く気はなかったし。 そうでしょ? もちろん。で、で、ま、話もっと戻るけど 風呂にうん。 行けると思ってないから。思ってますよ。 で、行こうと思ってないから一緒なんですよ。 行こうと思ってない。 甲子園行きたいねっていうところがそう 俺のこう絶調というかも その目標 だったのがうん コロっと人生変わったっていう感じです だってその頃って自分がプロに行けるとか行けないとか自分では分からないですもんね。 うんから最近の子は明確にさ、その プロを目指しますとか言うじゃない。 うん。うん。 おましいというか、もうそんな、もう全然そういう息じゃないっていうか、そういう力があると思ったから。 いや、評価がいや、正しいんです。正しい評価ないです。 正しくないじゃない。プロで先行してんだから正しくない。 正しくないですよ。間違ってた。 自分をちゃんと自分過小評価してたんですよ、多分。 ま、僕もそうだったんですけど、甲子園が目標なんで甲子園が終わって はい。3 年生の、ま、8月ですね。 50円出て終わった時に目標がなくなったんですけど、 山崎さんもそこでまうん、 ま、大学社会人プロって3つある時に その時点ではどこを どういう感じだったんですけど、 どこを目指してたってだから、ま、たまたまっていうか甲子園に出れたっていうところからもうガラっとま、人生が変わったわけだけど でも目標は、 ま、打性でというか大学ぐらいまで その 野球やればいいかなと 甲子園を超えたとしたらね。 で、大学までやって、え、ま、普通の社会人も中学ぐらいからその建築家になりたかったというか、図面を書くのが好きで [音楽] へえ。 それがあの木曜だったんですよ。人生かだって言うじゃないですか、図面って。 まあ、そうなのかもしれませ。 難しいでしょ。だって、 まあ、中学ぐらいまではまあまあの成績だったんで。 いや、山さんは抜けて頭がいいっていう話聞いてます。 でもない。だから目標は常にそこだったんですよ。だから相徳を選ぶ前選ぼうかどうかって悩んだし うん。 で、県立工業ってあってそこの建築家をがに元を出してたという あの中学の時はね。うん。うん。 じゃ、小焼酎はでも野球やっぱやられたんでしょ?そういう環境の中。 そうでしょ?うん。でもね。うん。 中学、中学進学するでしょ? 中学 野球部に入ろうか、サッカー部に入ろうか悩った悩んだぐらいですから。 ま、運動神経抜だから何でもできるでしょうけどね。 ま、休儀は得意だったんですよ。で、小学校はだから すぐそこの学校なんですけど、ソフトボールなかったんです。野球がなかったんです。サッカー部に入ってたんですよ。ほんでサッカーをもう一生懸命やってて うん。 で、僕の知り合い同級生のお父さんがそのスポーツ少年団っていうソフトボールチームを作ってくて 2速のわじじゃないけどソフトボール うん。サッカーとソフトボールをやってたんですよ、小学の時にね。 で、で、中学の時にどっちを選ぼうかと。ま、やっぱりさ、野球のが好きだったんだろうなっていうことですよ。うん。 で、野球部に入ったそこからですね、ずっと 中学の野球部ですか? そうです。そうです。うん。 で、ピッチャーですか? ま、ピッチャーと内足と。そうですね。 ま、大体当時はそんな感じ 番う人がピッチャーします。 そう、そんな感じで4 番打つというような感じだったんで。うん。 [音楽] ま、でもうん、中学帰ってからは、ま、1 番でしたけどね。足が早いというところでね、 1番打者でショートでって。 ああ。で、中学時代はうん。 やっぱ有名だったんでしょ?いや、全然。 高校からこうスカウト来たんじゃないですか? 全然。 結構広島の人って広島から大阪に行ったりとか、ま、有名さて結構いるじゃないですか。そうね。 なんかまさにそうかもしれないし、なんかもそうでしょ。出身が張本さんなんかもそうじゃ。だから出身が大阪の高校なんだけど出身が広島の人って何人かいて [音楽] うん。 だからやっぱ広島っていうの元々広島から広島の高校である人もいるけど 野球どころなんですね。昔から。 まあ野球王国というかそういう風には言われてましたね。 まあ高で言えば広っていうのも本当全国的な有名な 高校もあるし。 のですね。うん。じゃ、中学の時は その を声はどこからかかったんすか?高校からこう引っ張りみたいなこっちてないんだ。こういうプロ野球選手もいるんですよ。言うて僕は今日は声を大にして言いたいっていう。 いや、 こういう野球選手もいるんですよ。プロ野球を目指してないのに。 ま、そして中学時代にどこどこに来てくださいって なかった?ちゃんとちゃんと言ってた失礼ですね。 うん。試験受けて いや、ちゃんと受けたよ。 あ、もう元健康の元あの効率は取り下げて うん。うん。 相手私立の相徳高校を選んだと。 健康っていうのは広島工業高。 え、新井強いそね。はい。そうです。 うん。で、1つ目に、あの、小林さんが ちょっと待ってくださいね。山崎さんは最初に僕に甲子園が夢だって言いましたよね。 そうですよ。 そうしたらやっぱり甲子園に行くためには広島の中で甲子園に行く確率が高い高校を選ぶんじゃないですか。普通になんか設計化になりたいとかわけわかんないこと言って。 いい質問ですね。 違う。だからこう交園に行きたいんだけど うん。 でもやっぱり有名建築家というかこう図面を書くというかそういう関係の仕事にもつきたいという 両方 両方を叶えてくれるそうな学校はどこだろうっていうことを考えたんですね。中学の時に。 あ、だから野球が強くなくても、ま、俺人入れや俺の人の力でこぐらい連れていくぞぐらいの感じですか?じゃあ そういう感じじゃないです。だから試はもちろん目標ですよ。 目標だけど泡よば行ければという じゃ健事からは先なんです。 そうそう。だから現実派なんですよ。自分をどう生きていくかプロなんてとんでもない だから間違間違ってましたね。ました。 間違って事になってないです。プロは野球選手なってましたよ。 いやわかんないんですけどね。でもそれぐらいこうま柔不というかで中学 3 年の時にその相徳が夏の大会で決勝まで行ってひ省に負けたんですよ。 うん。しましょうにね。 だから、あ、相徳が強くなってんじゃん。 うん。 これ行ける可能性あるぞというので選んだんですよ。うん。 実は。相徳はその建築の家もあっ はないです。不通です。だからまずは府通行って、ま、商業化もあったんですけど普通へ行って、ま、そこからの後、ま、そっちの方の道に 進めればいいかなと。ま、大学なんで行かなかったんですか?広島。 だから商業だから。あ、あ、 商業高校だった。あ、すいません。いや、そんなそういう意味じゃないですよ。ました。 明確な僕は明確。そういうそれはちょっとちょっとそうそう。それはひどい。いや、それはひどい。 ひどいよ。 だからそこは明確に建築家の方に進みたいで商業じゃないでしょっていうので広島商業は すいませんっていう感じですよ。 ああ。はい。 で、工量高校がありました。 あまりにも練習見に行ったら うん。厳しい。 これはちょっとついていけない。 ごめんなさいっていうとこで却したんですよ。で、たまたま中さうん。うん。 それはもう見学行っただけでも それは厳しいっていうよりも理不尽って意味でしょ。 いや、なんて表現すればいいんですかね。 厳しい練習ついていけるでしょ。だって いやいやいやいやいや。さん 何をした?これまたこんなプロ選手もいるんですよ。体力に全く自信がない。 体力がなかったから 平凡な成績なんす。 で夏が弱かったし じゃあ6 年連続ワシーズン夏に夏休みがあればいいのになって思ったぐらいです。 ちょっとね、矛盾が多すぎる。 ありがとう。 だってあの800 何試合連続してもそうだけど6年連続 100試合130試合正ですよね。 13 試続っていうのは体力ないたら他の選手に失礼ですよ。 野球選手に僕に失礼ですよ。フラフラでしたよ。僕らは もうカツカツのとこでやってたの。 やってないでしょ。近が近にないでしょ。 そ、分かります。カツカツは分かりますけどカツカツでもできるかできないかは大きなんですよ。 いや、ま、そうだけどもギリギリのとこだったんですよ。 それでま、分かりました。に わかその話は後で聞きますけど、工量は厳しすぎて、ま、山崎さん曰く厳しいからやめたと。 そうです。あのはい。進学は工量3 人はちょっとていう感じ。 で、徳はい。うん。 はい。だから相徳入ってもそうやってえっといきなりそのなんて言うんですかね?え、特体性的な扱いを受けたわけでもなんでもます。 [音楽] ちゃんと一般入手みたいな感じでちゃんと合格して入って 最初はもう本当一般的な1年生ですね。 うん。特別 で僕よりもう何人も早くそその黒田とかね。 黒田さんうん。 彼らがもう引っ張られて入った人だからはい。もう良かった。 1 年の時からもう最高に良かったんですよ。それの他うわ、こういう選手がいるんだ。 こ生も結構な人数のそのあの俺よりうまいなとか欲打つなとか 同級生で そういう選手がいたんですよ。だからうやべえなとも思ったです。 うん。うん。 だけどその人たちが怪我をでやめたりとか [音楽] うん。 遊びに走ってやめたりとか ていう感じで でだんだんレギュラーのか自分は真面目だからめたなんかあまり真面目アピールされるとなんか僕ね真面目アピールされたらツッコみ用がなくなるんですよね。 え、 いや、でも当時の僕を知っとる人はもう真面目の真面目、真面目すぎる。もう面白みも全く何もない。本当つまらん男やなと言われとった僕ですよ。 いやいや、それ絶対違います。あの、野球選手って僕もそういうとこあるんですけど本当はお茶らけた気持ちでチらけた人間だけどなんか真面目とか近寄りなオーラを出すんですよ。出してるだけです。そん時は俺に近る。 いや、そうじゃないですよ。自分に自信が持てない。 で、性格も暗い暗いって言われた。ほと若年入れ。若年言われ 暗いっていうのはいらんこと言わないだけですよね。 うん。 ペラペラ喋るのが科目は科目ですね。 この科目って言われるな。 だって考えるんですよ、やっぱり。こう言ったらって 2回も3 回も考えて男は口に出せっていう教育だったから。 あ、あ、やっぱり九州男事ということ。 だからその出そうと思っても飲み込むことって結構多いでしょ。普段の生活の中で。 なんか思いついたことペラペラペラペラすぐ声出すやっているでしょ。 はい。はい。はい。 だから別にそいつらが明るいとは思わないです。 うん。そうか。 口数が多いだけ。やっぱりそれ冷静ですね。 冷静ですよ。僕 ちゃんとね、ウォッチングできるですね。 もうちゃんと僕は商業高校ですから。 そじゃそれほど練習はまあまあだったんですか?レベルにやっぱり厳しかったですよ。あったし。夜遅くまでもうそれこそ体力のあれじゃないけどもう家に帰ったらバタンっていうその連続だったすよ。 それで、ま、装徳の3 年間で体力もついたってジャック、 まあ、そうですね。結構うん。ついていけたっていうところで体力的にも地震はついたんですけどね。 うん。 でもざまあやっぱりプロに入ったらプロで入ったでまた うん。あの、広島は東洋カープですから。 いや、練習厳しい。 昔から言われてたそのあれはもう伝統的なところは 知らなかったんすか? いや、それもちろんその辺はま、知ってたですけども。 で、もやっぱり地元のっていうところで 地元愛はい。地元愛。ま、そうですね。 事例に言えばそうですか。はい。 広島の方ってみんなそう言いますよね。広島の出身の方ってカーブに入りたいみたいな。結構多いですよね。 うん。ま、そうですね。やっぱりその地域性というかね。 うん。 やっぱりカープのその歴史もやっぱり当然ね。あの、全部は知らなくても なんとなく分かってるっていうとこじゃないですか。うん。 やっぱりそうね、市民みんなで育てた、育ててる球団というか、そういう感覚は持ってたんでしょうね、やっぱりね。 うん。で、高校に行って うん。 何年からレギュラんすか?もうでもすぐレギラでしょ? あ、そうですね。1 年の秋からそうじゃない? いや、だからさっき言ったに僕よりうまい人がうまい人がはい。 怪我をしてやめて厳しい練習に入らなくてやめて遊びに走りたい人がやめてでひょこっとこう乗っかっちゃったっていう感じ。 その人たちがもしやめてなかったら相当徳高校って強かったんですか? 強もっと強かったんですよ。だから いや絶対ない。ないない。絶対ない。それはないっすよ。世界一勝ったかもしれないですね。 いやいや、 で優勝するぐらいじゃなかったかもしれない。プロに勝ったかもしれないですね。 どうなんですかね。うん。 いや、1 回社会人と多分やってよかったんだと思うんですけど。やって勝ちましたからね。あれやってよかったですかね?いいです。いいです。もう自行ですから。やって悪 い。自己。いやいや、それもしあれならカットでお願いします。 うん。やっていいんですよ。社会人はいいんですよ。アマチですから。社会やって勝つぐらいだったですよ。 だって社会人のオビートが来て教えてくれましたもん。 ま、そんなにやってないですよ。何社もね、やってはないんだけど。 でも高校生で社会人と試合すること自体が そうあんまりなかったのにちょっと あるあるであの縁があって やったことがあるんですけどね。 う3 年の春でしたっけ優勝したのは。3 年になる時の春ですね。そうそうそう 優勝してはい。そうです。夏は? 夏も行きました。 行って夏はどうだったんですか? 夏はあのサッシーに負けました。長崎海晴さん はい。2回戦目か2試合目だな。 うん。うん。2位負けたんですけど。 うん。 でも本当ね、新チームができるじゃないですか。 2年生の秋ね、だけ選抜にかけての た、 あの天大会が始まるわけじゃないですか。 1番最初に負けたんですよ。 へえ。 で、そっから公式戦ずっと勝ってるんですよ。 じゃあそれから負けてない。で、最後の3 年生の甲子園で察しに長崎戦に負げた。この 2敗しかしてないです。公式戦は。 県大会、中国大会、 甲子園優勝県大会優勝、 中国大会優勝で夏 なんか歯笑いになってきました。 うん。夏もちろん出場かけて優勝誰の力を [音楽] いやいや、それは黒田さんの いやいやいやいや で高校でその甲子園を笑えて察誌に負けてそっからどういうことを考えたんですか? いや、どういうていうか、ま、ドラフトまででしょ。要するに。ま、プロ社会人大学って自分 だからもう大学へ進もうとしてたですね。 だから、あの、甲子園で優勝したから、ちょっと何人かいうか、大学との橋渡しじゃないけどルートを作れっていうことで 6大学を目指せと。 うん。うん。だって枠ありますもんね。 うん。うん。 だからあの、大たっていうあのキャッチャーのね、もうアマチア会でもう有名になった 大竹さんが早稲田行ったわけですよ。あの、ドラフトを蹴って。 うん。あ、結果的にはね。 結果的には。はい。うん。 で、僕が立教へ行けという 立教ご指示がありまして かっこいいじゃない。長嶋さんの後輩だ。 はい。で、行こうとしたんですけどもね。 で、ま、でも行けないだろうなというので、行けない時は中央大学へという 行けないじゃないんですか?行ける。 いやいや、だって勉強しなさいってものすごく資料がどんどん送られてくるわけですよ。 まあ、 こんな勉強してわ、俺無理だわって思いながら設計士になろうと思ってたぐらいだ。そんな簡単でしょ。そうですけどそこがま、ま、そこがまあ僕の弱いとこですかね。 [音楽] 3年間野球にこう傾いたから。 うん。うん。 まあそうですね。ま、でも、ま、ドラフト 2だったら中央大学 うん。中央大学。 あ、中央大学悪いみたいじゃないですか。 いやいや、中央大学いい学校じゃないですか。 あの、安倍監督のじゃないですか。もしかしたら僕の後輩だったかもしれないっていう。 ま、でもそん時は僕はもう プロなんかとんでもないだろうしね。で、高木豊がし [音楽] ああ、中央大学。ああ、高木豊さん。 うん。同級生でね、 ま、どうなってたかわかんないですけどね。 ま、本当でも試園で優勝したことで僕の野球人生そして、ま、今 [音楽] うん。 のこのね、自分がいるという、ま、不思議な思いです。 うん。 うん。だからど、どう考えても性格もプロ向きじゃないし、 体力もないし、 本当ないんだ。本当ないんだ。笑で言わないんだ。じゃ、 僕らどうするんですか? もう必死者だ。ま、今日も行かないかあんのかい毎日連続 聞いてないですよ。僕 だから最近の選手って野球楽しもうとか楽しめましたとか言うじゃない。 うん。 特にプロになってから楽しもうなんて思ったことないし、もろ生活じゃないですか?性格がかかってるっていう。 そういう思い物をしよって、 もしそして体力がないから さらに背負って野球やってたんですよ。 それ分かりますけど。分かりましたよ。僕もま、みんなそうですけど。で、今の選手の方がじゃ体力があるんすかね。そういった意味では。 どうなんですか? だって今の方が試合数も多くなってるじゃないですか。ゲームが多かったりとか。 うん。ま、確かにね。夏も暑いしね。昔の暑さとはま、言われるでしょ。言わ。いやいや、昔はより今のが暑いって言われるけど、 昔の方が外に出る機会が多かったのか、昔の方が俺の中で暑かったなと思うんですよね。 ああ、なるほど。 今36°の時に外出ないじゃないですか。 いや、わかんないけどでも昔も暑かったですよ。 ま、確かに暑かったですよ。 で、水飲むの時代でしょ。だってま 確かに確かに確かに死ぬかと思いました。本当時は そうね。ドーム球場も ドムなんかないですよ。トム うん。なかったしね。もう天然島でしょ?夏 特にそう。広島ナっていうね。風がピタっとやんで もう虫暑いしって。ま、名古屋も暑かったね。 [音楽] 大学に行こうとしてました。はい。 え、でもスカウトの方はあの頃はま、プロポ届けないんで 大学に行くって言われても強行使名があった時代ですよね。 はい。 で、でもちらほらスカウトの方は来てますよね。ま、 349段ぐらいですかね。 はい。だったと記憶しておりますが うん。 でも、ま、プロに行けるかどうかわかんないで僕なりの目標がある、ま、大学ぐらいまでは、ま、秋はや、やりた、できたりしたいな。 [音楽] というぐらいな感じで うん。ま、でも実際ドラフトの日というか うん。 ま、ドラフト迎えるわけじゃないですか。うん。 ただやっぱり当時のドラフトの完全ウェイバー方式ね。 そうですね。あれが僕にとっては うん。幸運だったわけですよ。ああ。 やっぱりカープは黒田投手を欲しかったわけですよ。 うん。 で、カープが完全ウェバー方式の11 番目だったんですよ。あ、強かったから。 で、7、7番目かぐらいが日本ハムで うん。 黒田を示したわけですよ。1位で示しあ。 で、カープがじゃあ誰にするって僕をま、ま、外れ 1位みたいな感じですよ。 外れ1位じゃないですよ。 だって黒田が欲しいんだから本当は。 本音は言うとうん。うん。 だけど完全ウェバー方式で11 番目だったっていうところが僕運が良かったというとこですよ。 あの山さんものすごい失礼なこと言ったら申し訳ないですけど うん。うん。 僕本当知らないんすけど何も調べてないんですけど山崎さんってもしかしたらものすごくいいとこのお坊っちゃんですか? 話してることがガツガツ感がないんですよ。 だからこういう野球選手がいる。本当いない。本当そう。野球らしくないんですよ。 みんなやっぱねどっかにガツガツ感があってあのだま言葉悪いけどこう誰かをこうケ散らしてくるのがプライク選手だっていうイメージなんですよね。実際そうしなくと それはやっぱり自分に自信がないからこういう喋り方になるんですよ。 いやもしかしたら 僕に自分自身嫌いですもん。 いやいあなた自分自身好きでしょ。 いやないですよ。好きも嫌いもないじゃないですか。自分。 いや自分自分を好きでしょ。 いや、でもね、 俺自分大嫌なんだ。だってこの性格、この、このなんていうか、弱々しいところ 大嫌いなんですよ。自分のボンボンでしょ。 違う違う違う。僕鉄書の うん。社長でしょ。違う、違う。小さな鍛冶屋さん昔で言う 鍛冶屋のが親父だとお袋がことんかチとんかちやって うん。 あといいっていうね。うん。を専門で作ってた うん。社長の息子でしょ。 社長じゃ、ま、社長や社2 人じゃないですか。夫婦でやっとそのちっちゃなあの 家自宅 うん。工場 え、で、しかしまあの大会社じゃないにしても貧しくはないです。絶対。 いや、そんなことないす。もうあの実は、ま、親父はちょっと色々あって うん。 カープに指名されたんだけど、あの本当に悩んでたんですよ。そのプロへ行くかどうか。 うん。 加速会議でっていうか。 たらそれでちょっとあのスポーツ新聞に うん。契約金を釣り上げるために うん。 その伸ばしてるんだと返事をっていう記事をか書かれたんですよ。 そう。うん。うん。 実際に本当に悩んでた。もう進学した方がええか。お前プロ行ったら大変だろうというようなが 会話の流れの中でちょっと返事が遅れてたのを 釣り上げるためにってで言って書かれてうん。 うん。親父がもう激怒ですよ。 うん。ま、そうですね。 もう職人片着の親父ですから、もうクソ真面目な。 うん。ね。 で、もうイカさんと言い出して、 どうせカーブ悪いわけじゃないですよね。 いや、で、俺は借金、いや、借金してても うん。 お前を大学に生かすっていうぐらいだから ああ、 裕福ではなかった。いこと言いたかったんですよ、僕。ま、たまたまその成行きを言ったけど。 うん。うん。うん。 ただ後々その某スポーツのその記者が謝りに来たりとかいうのもあったんだけど。あ、 [音楽] いや、でも 名前覚えてるな、まだ。まあ、いいんだけど。 なんか、なんか言葉の橋に余裕を感じるんすよね。 いや、余裕なんか僕の辞書に余裕なんていうものはないっす。カツカツギリギリんとこで今までずっとやってるんです。本当ですよ。 これ 自分嫌いっていうことは自己評価がやっぱ厳しいんですよね。もっといい、もっといい人間、もっと強い人間でありたいみたいな。もうものすごい。 あ、だから自分が嫌いだからこうなりたいとかなんでなれないんだとかというのはある。 弱いとか体力もこの辺のレベルじゃなくてこの辺のレベルで考えてもっとこういう風に考えてるから いやそんなことはない欲張りじゃないっす。 でも、ま、右曲あって はい。プロには入るわけですよね。 そうですね。はい。入りました。 ま、お父さん怒ったけどなんとか、ま、なんとか、ま、僕もちょっと勝負させてくれというような、ま、やり取りで うん。うん。 なんとか、え、親父も納得してくれてっていう感じで、ま、気つけました。入団にね。はい。 うん。1 年目はやっぱソートプロのこう高校から入るとそうだったですけど大変じゃなかったですか? そうですよ。 やっぱ多分ご一緒だとは思うんだけど、やっぱプロと高校生ましてアマチよりも高校生の差は感じましたね。やっぱりドラフト 1位だというので 最初一軍のキャンプに連れててもらったわけですよ。 一軍いたんすかいきなり。いきなり。 うん。 もう当時のもうカープでた優勝してその流れの選手ばっかりじゃないですか。 うん。うん。シトよ子さんでしょ。 まだ高さんはまだこう出始めた頃です。 あ、そうなんすか。で、僕50昭和52年 50年に優勝して で、僕は52 年あれなんだけどおだから高橋さんはうん。優勝直後にこう目が出てきたっていうイメージだと思うんですよ。 うん。うん。 うん。だからそのいわゆる18 歳から見ると30ぐらいの今の30 歳と違うじゃないですか。昔の30 歳って。あ、全然違いますよ。大ベテラ こ司さん、木さん、水谷さん、三村さん、もうバリバリ出たわけですよ。水沼さん 怖そうでその通り。 なんか怖いというイメージか 本当に怖いっていうよりは怖そうでしょ。 あ、怖そう。そこに混ぜていただくと うん。 話もできない。そしてみたいな感じでしょって。 そう、そう。 だからそれだし、ま、実際にローテーションとか入ってバッティングしても前緊張もあるし、飛ばないし、 もうとんでもないとこ入ったわと。 小ばさん監督ですよね。そうです。へえ。 もうこれは3 年持てばいいかなっていうのがもうその時のま、直感というか うん。第1印象というかうん。ですよね。 ま、ただま、ま、逆に言うと うん。 3 年間死に者ぐでやろうっていうのに、ま、転換はうまくできたんだろうけど。 うん。でも1 年目から一軍の試合出てますよね。 出てないす。1 年目はもう丸きし出てないす。2 年目ですか?はい。2年目にうん。1 回だけダイソで出て うん。 牽制タッチアウトでその1回切り2年目 行こうと思ってて なんか人間っぽくていいじゃないですか。 そうです。もう絶対したろうと思って。 うん。やっぱあるんじゃないですか、熱い気持ちが。 あ、そ、そこではですね、足だけ、足だけは自信あったんですね。 あ、 自信というものがあってはい。足脚力だけは自信あったですね。 いや、そうでしょ。 うん。あの、高橋さんよりも早いというイメージがあったんで。 高橋さん実際早いでしょ。多分この秒数は早かったと思います。 高橋さんあんまり実際自分でも言ってたけど俺はそんな足本当は早くねえんだよ。 早く見せるみたいなこと言ってましたけどね。うん。 だから、ま、走るスタイも違うんですよね。全然ガッとこ走るのが高橋さんで、俺シしシャしシャしシっと走るのが、 ま、いわゆる原惑と名付けてもらってもいい感じですね。スマートに ま、まあ、そんな感じですかね。 できる味を感じないという。 はい。そういうことです。 そんな感じ。山崎さん、本ん当そんな感じだ。 そんな感じではあ、無駄な動きをしない。 あっと思ったら早かった。早く到達するっていう感じですかね。 何年目にじゃあ一軍にちゃんと定着した。 えっと、3年目の夏です。 早いっすね。3 年目の夏ですに定着以下か、ま、そこからその 2 軍に落ちたことはないす。3 年目の夏でずっと1軍。はい。じゃ、4 年目からレギュラーですか? いや、ところがうん。 なるかならないか、ま、まあ、当然ね、出たり出なかったりしますよね。一軍に定着はできたけどうん。 スタメンで出たり控えだったりっていうちょっとずつ増えてったんだけど うん。 で、もうそろそろっていう時に大怪我したんですよ。 膝を膝をぶつけてはい。あの外国人が うん。 外野の外国人がまだ決まってないじゃあだ誰だって木下さんと僕が器用なこの 2 人が野で争ったわけですよというのがオープン戦でもまだ争ってたんです。 ショートですよね。 抜擢されたのがなぜか内市の木下さん俺 ま、どちらかが外野をやれていう そうの1つのポジションを うん。うん。うん。 争ま結果的に争うというか いう結果になったわけですよ。そのキャンプからオープン戦うん 怪我したのが3月8 日ですから戦の最初頃もまだそういう感じで結果的にはその外国人来たんですけどね。 ガードナーっていうの。ガードナー。 はい。で、僕ガイヤで、 そう、あの、熊本藤崎第球場で フェンスにぶつかってもうコンクリートのいうとこでプロ野球もやってたわけですよ。 やってました。やってました。 はい。で、そのはい。僕のちょっと前にあの阪神の佐野さんですかね。フェンスにぶつかって大怪我してるんですけど。 うん。 そう僕の怪我が、ま、ちょっときっかけになって、そのラワーの義務化っていうのが 進んだという覚えてます、その話は はい。そういうことなんですよね。ま、でも考えたらそうですよね。あのプロがましてやプロが ホム球場 でもそうだったんじゃないですか。昔その頃ってそうでもないですか? ホーム球場はラバーはありましたよ。今のクッション性は全然違うけどあったとは思いますけど。 そうですね。うん。整備されてなかったですね。 山崎さん僕ね、セカンドってイメージがあるんですよ。 ああ、そう。最初はデビューはセカンドです。で、怪我した後も うん。セカンドで出てたんです。 そう。山崎さんは最初よ子さんがショートで山崎さんがセカンドのレギュラーっていうイメージがずっとあってて うん。 で、つの間にかなんかガイア野行ったんですよね。センター。 そう。 だからそれはこの怪我の、ま、高衣装で負担がかかって うん。 あの、痛みを抱えながらやってたんで うん。 でもやっぱり最終的にはっていうところでガイアに行こうとにでも走りは 走りはそんなに衰えなかったです。 そうです。スピードは落ちなかったですね。うん。 うん。 で、センターに行ってからスイッチにしたんすか? いや、スイッチにしたのは2 年目のオフから2年目。 そんな早く買ったかな?はい。そうです。 2年目のオフです。うん。 で、ま、いきなり3年目ですよね。3 年目はまあ2軍、2 軍スタートだったんだけど、だから1 軍に上がるのが夏ですけど、それまで3割 5分たんです。サが割りコブすごいじゃ。 すぐすぐ結果が出たんですよ。 それをまあ高さんがお前は天才じゃて言ってくれるんですけど。 うん。言ってますね。天才だって。 天才あんまり苦労せずに 結果が出始めた。 天才なんですよ、やっぱり。 いやいやいや、そんなことはないす。そんなことはないです。そ、これは自分の口からは絶対言わないです。今と言われたという話ですからね。 謙虚でしょ。 いや、全然もう全然謙虚じゃない。 [笑い] うん。 ま、スイッチは、ま、ある意味なんて言うんですかね、物にしたっていうのは早かったですよ。 うん。 で、大きな怪我をして復帰してもすぐ小ばさんが一軍でずっと使ってくれてって言って歴の道がこうトントンと行ったような感じですかね。 [音楽] で、正田はその後ですか? その後です。はい。 正田はあれ社人から入ってるんですよね。 し田ともこの前ちょっと縁があって話してこう会を一緒にやったんですけど はい。はい。だから僕がセカンドでずっと うん。活躍してたらしてましたね。 お前ドラフトにかかったかどうかわかんないねって本人も うん。 山崎さんがバリバリでセカンドやってたら僕カープに入れてないかもしれませんっていうね。 ま、そういうあるじゃないですか。 あります。あります。あります。というかうん。 巡り合わせというか、 そういう感じなんですよね。うん。 だから僕のその怪我をこう考慮してま、でガイ野が一角が空いたというところでガイ野出場が増えたっていう流れですよ。 長嶋とかはどうだったんすか? その後ですよ。だから その後か。長島と同級生だけ。 いや、でもね、彼はね、うん。 デビ早かったです。そうです。 僕同級生なんですけど、長嶋っていう選手が 1 番先に一軍に、ま、香川も行きましたけどうん。 1 番先にその試合に出てたような記憶があるんです。 そうですね。だから当然同級生だから3 つ違いでしょ。 だから俺の4 年目ぐらいに入ってきて、もうすぐ東表した。で、一軍に上がるあれも早かったですよ。 うん。 本当ね、まめはマめた、ま、長島は本当すごかったですよ。 あの、低い構えでね。 で、高楽園でバッティング練習始めたらジャイアンツの選手がわーっとみんな見に来てくとあれなんかものすごい印象に残ったんですよ。 へえ。それぐらいあの彼のった あのうん。インパクトは強かったし。 ま、七島ライトですか?じゃあ山崎さんがセンター。 いや、いや、最初センターで出たんだけど、そっからすぐライトになったんですよ。 あ、山崎さん。 うん。あの、浩司さんがレフトに回って。 そうですね。 そう、そう、そう。で、俺はセンター行ってさんがレフト行ってはい。でもセンターは短いよ。 あ、そうなんですか。すぐまがあの長嶋が うん。投角を表してきたんで、 その頃背番号1番に変わりました。 いや、ちょっと何年か過ぎてましてですね。もう 23。23って最初23から1 番になって、え、なった、 何年目ぐらいですかね。ま、でも、ま、もうなく 1番そうですよね。 はけさせてもらったんですけどね。 大さんか。 そう、そう。大さんのすぐ後のはないんですけどね。 あ、そうなんですか。はい。あの、1 人噛んでるんですけど。 うん。 大久保っていうピッチャーが入ってきてドラ 1でドラ1でその そいつが1番2 年かぐらいつけてたかな。2年か3年 でスイッチ3 人連続でスイッチ行ったいのは、ま、歴史上はあれが初でしょうね。初だし、もう 2度とないでしょうね。うん。 うん。スイチヒーターが流行ってた時期で 小ばさんですか? ま、小ばさんです。小ばさんの神で うん。でも俺も右1 本じゃもう絶対この世界では生きていけないと思ったからもう 2つエンジで うん。やったら思いのか 簡単にできた。 う、笑いすぎ。うん。高井さんに怒られる。 いや、高井さん正田は苦労したらしいですよ。 が一番苦労したのはすごい 左で構えるとボールがこう来た時に避けられないって言ってました。 [音楽] 出るんですよ。 それは僕も一緒やったです。 あ、そうですか。 はい。もうこっちたらどうやって避けるんやって手が出るようなイメージやったです。 ああ、 それはうん。ほとんど経験者はみんなそう言うんじゃないですかね。 うん。だからジャンは松本さんが 松本さんね、松 あの当時あの都合で流行ったんですよ。本当屋敷とかね、 パリフ言ったら松永とかね。 流行ったとかいまし。はい。 あの同世代でものすごくこのスイッチヒッターで そういえば家もあまりいないすね。 ない。スイッチヒッターはいないっす。 僕らの時最後小方かこちがそうだったかな。小方が小方っていう外いたんすよね。 ああまい。 彼がスイッチだったかなと。確かにないすね。うん。 で1983 年にダリスさんはリコリンな。何か変わったってことですか? いや、僕はそんなに変えてないんですね。 うん。変えてない。 はい。何を変えるんですか? いや、例えばですよ。簡単には構えを変えるとかいわゆる高く構えたら低く構えとかなんかちょっとずつはこうアレンジしていくじゃないですか。 ああ、ほぼ変えてないすね。僕は 変わってねえな。確かに。まさん変わってない。 僕は変わってないっすね。 意外と高いとこ構えてませんですか? はい。高いとこに構えて、ま、短くと、ま、人に半握りから短く持ってっていう感じです。 で、同じスイッチタでも高橋さんは当時の高橋さんはコ そうダウンセから切り場 うん 僕はレベルもう最初からレベルだったすね あんまり言われなかったすねコチ誰ですかコチ教え 大本和吉さん言われなかったですか? 言われなかった天才だからです。 高橋さん普通だったら高橋さんが成功するから同じように うん。 ゴロ打て、ゴロ打てから始まったわけですから、高橋さんも。 うん。うん。 もうライナーフライいらない。うん。 ゴロをとにかく打てっていうのでこういうスイングだったんですけどね。 うん。うん。うん。 でも高橋さんはそこから変身ていうか変化をあれしたのは山内さんが 山内さんあの東の山内さんっていうのが、 え、キャンプで臨時で来られた時からガラっとあったんですね。 ああ、 高橋さんも山崎さんもそうですけど高橋さんも結構ホームランっていうイメージ僕あるんですよね。 はい。はい。 だからそれはだからその山内さんの指導をいからじゃないですか。うん。あ、 レベルスイングになったんですよ。 山内さんも山崎さんにはあまり言わなかったですか? 言わなかったけれどでも僕も山内さんの影響はかなり受けてます。このバットバットを仕事させるっていうんですかね。 うん。 このしならせるっていうんですかね。ああいう打ち方をうん。 あの習ったっていうのはものすごくためになったっすね。うん。うん。 うん。山内さんもジャイアンツのコ知されてる時があって、僕も教えてもらったんですけどは うん。 その時の僕では、ま、もちろん聞くんですけど、なかなかそれができなかったですね。 ああ。ま、難しいっていうか、 ま、確かに簡単にやるんですよね、山内さんは本当に。それて山にゃ右でも左でもできました。山内さんのって。 いや、まずは左で左でできました。はい。 左であ、この感覚かないので逆に僕はそれを右に 天才だ。こうま 僕ら山内さんって右だからああいう打ち方ができて左のはちょっと感覚違うんじゃないかなってなんとなく僕とか駒田思ってたんですよね。 あだ原さんとかはこう右だから はい。山内さんにはものすごく原さんも ああ影響を受けたと思うんですけど 僕は中西さんの方がなんとなく分かりやすかったです。 ああ、中西さんね。うん。 うん。うん。あ、そうなんだ。まあまあ、僕は中さんに直接指導していただいたことないんでわかります。 右でも左でもできるんだ。 いや、でも僕はどっちかというとそうなんですね。左での感覚を右に行かせて、ま、最後は晩年はどっちかてたら右で起用の方が多かったっていうような流れなんですね。 うん。3年連続3割 すごいです。 ま、若い時にいきなりしたんで。 うん。 そのそうですね。当時3 割は当たり前って言われましたけどでもそうはとんやが下ろさないじゃないけど体力の長さなんすよ。そこなんすよ。体力がね、年を 1 年取るごとにですね。3 割は当たり前じゃないすよ。 はい。 割て言われたいて僕が言ってたんじゃないです。 3 割の当たり前て俺が言うわけないじゃん。 いや、それだから天才だからあなたは3 割言うて当たり前だって言われてたんでしょ。 いやいや、し塚さんは言われてたでしょ。例えば。 いや、ま、それだから、だからそう高いデベルの話ですよ。し野さんに割だったら大変ですよ。大事件ですよ。 これ1991年はあの津田がね、 病気した年なんですよ、実は。 あ、でも多分結局優勝したとこ。 ま、結局そうなんですけどね。 で、ま、たまたま僕が選手会長使ってた時でうん。 で、あの、津田がいきなりね、ダブルストッパー的なところでオ野さんと この2枚で行くっていうようなとこで 津田がかけたというか、ああいうタをしたっていうところで、 そのチーム力がものすごくこのアップした うん。年ですよ。やっぱ気持ちが1 つ。うん。うん。うん。 やっぱ津田愛されキャラがああいう状況になったんでね。 うん。うん。 ま、一言そうの年だったですよ。 うん。 で、ま、えっと、達川さんの声かけかな。選手集ま見ようよって。で、ま、選手会収だからうん。 選手だけのミーティングをして、当時宝塚ホテルっていうとこともあってたんですけど、 あ、阪神戦で行った時にあの津田のために優勝を優勝連れてやるよっていうのでまた一眼にもなれたっていう はい。年でもあったですね。 うん。 だから非常に髪がかって当時はだからえっとドラゴンズがと争ってたんですよ。 うん。 で、ドラゴンズとの直接対決で3 連勝してそっからガーンと あの謎 であのそこであの一気に優勝できたんですけどね。 うん。うん。 なんか最初の頃はその津さんの行名も選手の中で山崎さんしか知らされてなかったって。 あ、そうですね。 それは仲良かったんですか?そ 仲良かったのと選手会長としてすぐ見舞連れててもってもらった。 山本浩子さんとあ、 病院のあの非常怪談裏裏からこそっと行って うん。ていうのではい。 で、もう観光例ですけどね、当然で当時はもう事項だからあれですけど、ま、 えっと、脳腫瘍じゃなくて、 え、水晶っていうので出したわけです。 うん。脳腫瘍なんですね。 本当脳腫瘍だったんですよ。 で、ちょっとこう、非常にそれ、あの、場所もあまり良くないとこだったんですよ。手術したんだけど、全部取りきれないとこだったんですね。あ、 ていうちょっとこう 不運もちょっと重なっていうことだったんですけどね。 うん。 その手術の日なんかもみんなでお守りをみんなに配って渡されてこれもまた阪神戦だったけど手術の日を思い出しますね。うん。 [音楽] うん。 ま、無事手術は終わったってよかったよかったっていうあれだったんですけど、あと聞いたらその全部取り切れなかったっていうとこで まだまだ続くっていう 流れだったんですけどね。 僕も津さんがそのあれつ頃かな?九州に行ってて九州の昔の今ないと思いますけど沿に東京ホテルっていうのがあったんです。そこにジャズ止まってたんですよ。平和台で試合してたと思うんですね。まだ福岡もできてなくて。 はい。その時に あのもう覚えてるんですけど喫茶店で駒田と一緒にお茶を飲んでてそこにスポーツ新聞があったんですよ。 そのスポース新聞を見て初めて、ま、一面だったですけど、松田さんのその病気の音が書かれてて、もう 2 人で本当に落ち込んだ記憶が今でもあるんですよ。 ああ。あ、ショックだったね。そ、それまで野球選手が今日本当に昨日昨までやってた 選手がうん。 頭の、ま、怪我はたくさんあるけど病気ってそんなにないじゃないですか。しかも脳の病気ってなかったから。 そうですよね。 すごいショックだったこと中の特集っていうかね。うん。 だってずっとキャンプも乾燥して オープン戦もやってで 開幕迎えてって。 あれ多分ジャイアンツ戦だよね。打たれたの多分。 原さんが打ったらしいです。原さんが決勝逆。 そう。彼がに打たれてであの時そうね。 あの、それまでに俺仲良かったからオープン戦の時にずっと頭が痛いんです、痛いんですってんですよ。 で、風が治らんな、治らんなっていう状況でうん。うん。 で、その原さんに打たれました。で、やっぱりもう体がやっぱりもう悲鳴を上げてたと思うんですよ。自分からあの、当時池屋投資高知にもう自信なくなりました。 ま、焼きやめますじゃないけど いうのとそこで泣きながら訴えたというあれがあって でその夜に病院行ったらいいことだったんですよ。あの流れ。 うん。相当無理して相当だった。 ものすごいショックでだったんだったと思うんですよ。本人無理して うん。 体が自分思うように多分ならなかったんだと思うんですよ。力が入らなかったというか。 でもボール自体はそんなに見てて変わらなかったってことは相当頑張ったんです。 まあそうですね。彼もう 普通だったら投げれない状況でしょ。 うん。本当頑張り屋さんですよ、基本的に。うん。うん。 ま、彼の残したね、あの、弱気や最大の敵っていうのがね、ものすごくこう、 え、表に出てあれですけど、本当に持ってたすもんね、彼。 へえ。遠征先にもどこにも持っててた。 ほお。あ、 あれを本当大事にあれを在優の目という感じ でも自分で戦いながらその気持ちを強く持って あの9 回のストッパーやってたんでしょうね。 そうですよね。本当もう全力投球ですよ。本当そのまんま。 いやいや本当に僕よく野球やめてから今までここ対戦した中で誰が 1 番早かったっていう質問よく受けるんですけどもう僕の答え 1 つの津田さんなんですよ。1番早かったの まっすぐとホークしかないんですけど はい。 津田さん以外に考えられないんですよ。誰も早かったって。山崎さん誰か うん。誰ですか?1番早かったの? 僕はやっぱり江川さんか小松達夫かな? あ、やっぱその辺だというこの2 人ぐらいですね。ま、質は違うんだけど同じさでも、 ま、ピュンとズドーンというピュンが江川さんなら ズドーンと来んのが小松達っていう感じですかね。 うん。そうなんだ。やっぱり 映江さんももちろん同じチームだから対戦ないし、小松さんもちょっと万年だったと思うんですよね。僕は一軍に行った頃って。 はい。はい。 だから多分確かにその綺麗なボールだったイメージあるんですよ。スパンみたいな。 だけどうん。 やっぱ津田さんの方が早かったと思います。ダーみたいな。 はい。はい。はい。だからそうね、今で言うその 質がやっぱりちょっと違うね。同じ同じ 150 でも普通がやっぱりバッターボックスだってそうですね。 感覚が違うじゃないですかね。その辺で。 うん。 うん。津田のあれはいわゆる今で言う回転数とか綺麗なポシムだったのかなという感じですかね。 で、引退は93年 はい。ですね。はい。その1991 年優勝して引退は自分で決めたんです。 はい。うーん。 うん。もうすにやりたいっていうのは本音の中で、 ま、やっぱりその また同じ繰り返しになるんですけど、体力の衰えは感じ始めたんで 30 過ぎていうので35 歳にやり切って、ま、やめたんですけど実は前の年にね、球団代表からはね うん。申告申告を受けたんですよ。へえ。 1年前に。はい。今だらコチに コーチコーチにさせてあげるよと。 来年もう1 年やったらわからんよというような言い方をされて だけど僕もま、まだ生活かかってまだ34 歳でその時34 です。いや、もう1 年やらせてくださいっていうのでもう1 年伸びたっていう感じですかね。 だからうん。1991 年に優勝して次の年にそういうやめないかということを ま、その時はもう自分で納得してやめ、 ま、あの、次の年はね、次の年、 もうはいはい。1 年伸ばし、伸ばしたというか うん。ま、体力的にも そう、体力的にも落ちたってもやっぱり感覚的なもの あるじゃないですか。捉えたつもりが捉え なくなったとか走れ俺なんか走足でこう一 軍に上がれたあれだから足がもうガクよね 。30過ぎてそれがんだんだんだん こう全く走れなくなったん で本当はね40ぐらいまでできればね35 だったら今は長いですもんね。そうですね 。今40で山崎さんでもこう一番感じるの が打席に立った構えが背筋が本当にビシン と伸びてる っていうか全く丸みがない。丸まってないというかいい意味ですよ。 伸ばして伸びてるってイメージがあるんですね。僕もそれ意識してたんですけどはい。 意識はなかったですか? 背骨をでも今カードがあるんですけどあるじゃないですか。昔の現役の時なんか丸まってるやつもあるんだけどな。印象が違うじゃないですか。 これ なんかでも自分でもね、こうやって逆に言うと 構えでしょ。構えでしょ。うん。 ま、丸くなったら調子悪かったはずです。 そうですよ。絶対そうですよ。 こにこうなった時が うん。調子悪い時です。 その時のカードかもしれないです。 そうです。悪い時のカードですね。 いや、本ん当に。いや、これ本当なんですよ。あの、あるじゃないですか。チェックポイントとして自分が悪くなった時は ていうね。うん。 それはやっぱり意識意識してっていうか、こうやってたから うん。絶対そうです いうのはありました。確か 一郎がね、向こう行ってちょっと悪い時はもうこうだったですね。 うん。うん。やっぱ背筋は大変ですね。 ま、やっぱり大丈夫ね。やっぱり [音楽] 引退事の最後の打席で チームバッティングをしたおかしな話があるんですけど。 なんでそんな情報があったんすか? いや、それ結果的にそうなっただけでそんなことないでしょ。自体じゃの最後の打席ですよ。 もう唯一自分勝手にやっていい打席ですよ。 プロの選手がチームのことを考えずこまでも貫くのはプロ八明選手じゃないんすか? いや、勝敗もある中で最後あの田村阪神で あの抑えしてた左の たね。左の だったんですよ。で、右打席ですよ。 ノーアウト2塁だったと思うんですよ。 うん。 で、ほんま金さ金差のゲームだったと思うんですよ。俺はもう新塁だしかないっしょって右打ちして、ま、結果的三振ですよ。 三振だけど最後まで こうつけて はい。追っつけたす。最後の打席は はい。思い出しました。それで当時のま、エースというかピッチャーの北藤が 藤いましたでしょ? いました。いいました。北藤 山崎さん感動しましたて言うてくれたんですよ。なんでやてた。 うん。 引退試合で最後の試合なのに最後まで自分らしさを貫いたもう僕は涙が出ましたよって言ってくれたんですよ。 ああ。 でも僕にとってはだから格好つけるともうなんとなく僕の野球感だから うん。うん。 はい。もうよく言えばまあ犠牲精神というか [音楽] うん。ね。うん。 いうところですよ。僕の生き方はそれでしたね。 うん。 最後まで貫いたということです。はい。 なるほど。いい話すぎたから勝った。 [音楽] それから、ま、コチ、2軍監督、1 軍の守備コチとか今度指導者の方になりますけど、 これがね、はい。 あってるそうな気がする。指導者 あってなかったんですね。これが意外にというか、意外と言ったら、ま、僕 そのなんかこういやいや、合ってます。 表現してるんですけど いや、合ってなかったですね。 なんか本質がなんか悪いところの本質がというかなんか出ちゃったんですね。 天才だからじゃないですか? いや、それもあったかもしれないです。あまり勉強してなかったかもしれない。 いやいや、勉強じゃなくてこう天才の人が指導者になった時に陥りがちなことって自分は簡単にできるじゃないですか。 だからできないことが信じられないみたいなことを言う人が時々いますね。 はい。はい。はい。はい。ま、それは言葉にはしなかったけど うん。 そういう感覚がな んでこんなことをできねえのって うん。あったかもしれないです。だから えっと指導者になる時に散々言われましたよ。 うん。 できないで当たり前。まあそうすね。 目線を下げろよって。はい。分かりました。言てまいいい格好じゃないけど うん。うん。 そのそれを返事して取り組み始めたんだけどやっぱり今崎さんに言うようになんでこんなこともできねえんだよ。 お前プロ一応プロだろとかいう うん。 ような感覚が僕のどこかにこうあってずっと うん。 やっぱり最終的には、あ、俺指導者じゃないよねって、ま、 長く時間かかったんだけど、自分から事表を出したという 流れになるんですけど。なるほど。うん。 だから申し訳ないんだけど、ずっと携わった連中にはもう本当申し訳ない。俺がこうよ、そう。このね、その冷蔵庫かけて食材は決まってるわけじゃないですか。 その中でもこい、こいつだっていうのを、ま、ひ々気じゃないけど うん。こう目がそっちばっかりに行って 後の人たちに絵の配慮は っていうのが僕はできなかったなて。これは指導者としてま、そこそこなんですよ。 うん。プロだからっていう思いが 当たり前だと思それ差別になって区別じゃないですか。ただの やっぱ全員だともレギュラーになるわけじゃないから。 ま、もちろんです。 見れば分かるじゃないですか。これは一軍のレギュラーになるなって。これは一軍には行くなって、これはいけないなって。なんとなく分かる。なんとなくていうか分かりますよね。プロの目から。 はい。 だから、だからそういう風に俺の目は狂ってないじゃないけど、 そういうのでずっとやってて理不尽なその対応の仕方をした連中もいるということですよ。 理不人じゃないですよ。それ実力ですから ですかね。でももうやっぱりこう指導者の中でやっぱりこう、ま、まべなくいうのはないでしょうけど うん。うん。 やっぱりそのっていうものもやっぱり人としての教育っていうところも 責任の中にあったんじゃないかなっていう反省はやっぱりあるんですよ。 僕もそれで思い出しましたけど僕も多分そういう目で多分見たと思います。 ま、ある程度一軍でそこそこやった人が2 軍の選手見た時にみんな思うことだと思うんです。 それはで僕最初に2 軍のコーチになった時に 原監督の時たんですけども 原監督に言われたのがいいかって こんなこともできねえのかってお前は思ったらもうユニフォームを脱ぎ出なさいって言われたんですね。 だその言葉は1 番最初にコーチになった時にお会いした時言われて はい。思ってましたよ。 それでも思いっていうのがあるじゃないですか。 気持ちっていうのはでも、ま、口に出さないようにこんなこともできねえのかだけは口に出したらやめろって言われてますから。 それださんが言ったということ。 原さんが原か、原かとか一軍の監督で そうやって言われました。ああ。 だから、ま、そこだけは気をつけて、ま、僕はでも山崎さん 2軍の自分自身が2軍に時代が5 年間ぐらいあったんで2 軍のこともよくわかるし自分が はい。 高校出て1819 の頃に比べりゃこいつらは相当うめえなって思う目があったんで、 あまりそういう なんていうか違和違和感はなかったですね。自分 20 歳の時こいつより全然下手だったなって本当に思ってたんでそれは 2 軍の経験がある人とない人はやっぱ違うのかなと思います。ま、山崎さんは 2 軍の経験はちょっと終わりでしょうけどやっぱ一軍でも高いとこに行きすぎたんですね。多分ね、 一軍のコチしか合ってないですよ。 一軍の監督しか合ってない。 いやいやい、そんなこと。監督の器じゃないんで僕は。 いやいや。 まあでも本当うん。選手との関わり方っていうのは反省が多いですよ。 でも僕も2軍のコーチとか2 軍監督の時にいいか10人選手の中で1 人だけ一軍に上げれば立派だよって言われて あまそ人われそれも実際り ねあの現実の話としては当たり前のそれじゃなくて実力しかないから あると思うんです でもそんな中丸とかは丸が山崎さんに ま育てもらったというか一軍の選手にちゃんとしてもらったのは山崎さんのおかげって 言うてるんですから言ってます いやいや言ってます 言うだけじゃなくてなんか連絡していやそうじゃなくて連絡してこ いやいやでもそういうその言葉は有名なこと 俺のから連絡してるんだよなどっちかと言ってそれは嬉しいことですね いやいやでもねあいつの活躍っていうのは本当嬉しいですよ うんうん はいあの2軍時代にねうん あの色々とやり取りしましたしねうんそこまでなってくれたんで本当嬉しいっすからまでやっぱすごい選手になると思ってまし [音楽] あそこまでまあだから正直言っていいすか? いや、正直に言ってください。正直な人なんでしょ?嘘言わない人って有名ですか? うん。正直ここまでなったのはちょっとこうこは上がるけどそれ以上に伸びたですね。 一軍選手一のレラぐらいまでにはなるとこ ワンダスーパーの政治を出すと までもそこはみんな思わないですよね。 そうですね。うん。 あ、本当にね。あ、そこまではと思ったですね。 うん。確かに高校から入ってきて うん。 あの、しっかり触れるし、安心もそこそも早かったし、ただ、ま、スローイングに関してはちょっと入った当時はもう悩んでて肘も痛めるしっていうような感じだったんですけどね。 うん。 で、引っ張ることしかできなかったですよ。 うん。うん。 でもまあね、さっきの岡崎さんじゃないけど自分が入った時と比べたら おお、しっかり触れるなっていう選手だったんでうん。 うん。 やっぱり目をつけたというかでも引っ張ることしかできないっていうのも若い時引っ張ることができるっていうのはやっぱりしっかり振れるってこと。そういうこと。僕ら反対しかてなかった。 僕もそうです。引っ張りきれなかったからはい。そういうところで自分と比われた時にうん違うなっていう思った選手の 1人ですよ。 あと誰かいます?印象に残って指導者の時に もう1杯いますけど有名ところで言うと島 あ、島 島がピッチャーからはい。 赤ゴジラと言われたあの島 ゴはい。 彼が、え、ピッチャーを対になって安になるっていう時にマンツーマンで最終的に引き出したのは内田さんなんですけどね。 うん。 うん。島を使おういうので、あの、もう月きりで教えていただいたっていう 走りの部分では僕はもうマンツーマンで色々もうトリカを連れてったり、 一般普通のその選手とは別に引っ張ってこうだよ、こうだよっていうのはありましね。走りを。 あと今の新井監督もなんかもそうですね。 ああ、 彼も一軍からちょっと下ろされた時期があって うん。で、 U球場で、え、ロングティでこ代よこよで、あの山内式の このね、しナリっていうのを教えたつもりなんですけど うん。うん。 それを彼は未だに覚えとるんですよ。 それ、あの、広島に帰ってきた時なんかも うん。うん。 あの、ロング Tませんとか言ってで、すぐ送り出したらすぐホームラン打ったんですよ。 へえ。嬉しくて電話するんすよ、僕も。 良かったじゃないかて、このまま頑張れよっていう、そういう思い出ね。で、ま、彼には、 ま、あの、一軍の守備総理コ知もやったんで、彼と今でコーチやってる東で、あの、三館には泣されました。 あ、この2 人合わせて作ぐらいするチームだったんですよ。 でも癒しでも若いうちに出ましたよね。レ そこ無理やりこのいう言い方失礼だけど、彼らも頑張ってレギュラー取ったわけじゃないですか。 うん。 ああ、もう出始めてものすごくもう目つって目つって 毎試合毎試合特手して 試合に出さしたっていう思い出があってだ彼が新井監督が阪神に行ってゴールデングラブ取ったんですよ。ファーストだけど。 うん。 で、その時に彼電話かけてきてくれて うん。うん。 僕も知らん。ちょっと知らんぷりじゃないけど久しぶりじゃないか。 なんだよお前って言ったらやゴールデングラブをいただきましてって 山崎さんにお迷惑を散々かけたんでまず報告しなきゃいけないと思いましたやっぱりああいう人間性がね あ素晴らしいやっぱり素晴らしいでしょ 素晴らしいですよね 山崎さんもだってゴールデングラブ4回3 回でここは4回ですかねはい勢いで 今考えましたね回俺何回だったかなって考えました僕 1回1回ってわかる44回どこでですか? え、どこで、ま、ガイアです。 あ、ガイアですか?内ア取ってないですか?あ、 内アはね、最後エラー多くて取れなかったです、晩年。それこそ 1991 年。候補に上がったと思うんだけど、ちょっとエラーが多かったな。 平島球場 硬くて怖かったもんだってさ思って。 あ、いや、確かにアレンとか、 あのグランドは硬かったですよ。 硬いとこ硬いとこと柔らかいとことね、結構ありましたね。 はい。で、広島行くと思い出す。もう僕6 番とか7番打ってる頃2 階の大体表ですよ。打席行くのが はい。ね。で、1 回の裏によ子さん、山崎さん、翔田がもうみんなこう掘るんです。あそこ。 そう、そう、そう。掘りまくってました。はい。 もう打席立つともうこんな感じなんすよって言っちゃ。なんであんな炎てよしさんに言ってたんだけどあか足が固まんねえんだと言って。 カープどうすか?今年は。去年ちょっと悔しい思い。 しもまあまご存知の通りというかやっぱり得点力ですよね。長大力得点力っていうとこからも最高最大のテーマですよね。 うん。やっぱピッチャー人はやはり揃ってると思うし、また新しい目も出てきてると思うんでね。いや、やりくりっていうのは、ま、できるのかなと。 [音楽] だからやっぱりまずは外国人の働きっていうところで、ま、 1人今かけてますよね。うん。うん。 モンテロがちょっと故障でっていうのと、ま、秋山がね、離脱っていうとこあるんですけどもう、 ま、そ、その辺で若い目が出るか出ないかというところもあるんだけどまずは うん。 外国人そして得点力がアップするかどうかでしょうね。 [音楽] うん。でも若選手にはチャンスですもんね。ね。 そうです。そう思ってほしいですよね。 うん。 ま、そういうところで、ま、末とか、あ、田村とか、ま、今二のね、今 大怪我しましたけど、そのうん。あの、根性というか、今根性というのは、まあ、死護でしょうけども。 いや、守護です。 ま、でも本当あの、あれには感動しましたね。ま、昭和の人間としてはね。 いやいや、やっぱり気合いと根性ですよ。本当に。 気合と根性があってからの いや、やっぱり気合と根性反ないです。 うん。 言ってもらいた大谷商演に気合と根性ですよ。今日はって言ってもらいたいんです。 やっぱそこは絶対外せないじゃないですか。 ま、確か 山崎さん優しいこと言ってるけど気合いと根性だけは誰も上げないじゃないですか。 まあ確かに大しくても1対1 の勝負とかね。ま、勝負ですからね。 勝つか負けるかしかないんで。 はい。うん。 ていうのは、ま、基本的にはあるよねっていう感じですね。 うん。 僕だけかもしんないけど、野球会は監督は 60代がいいと思ってんですよ。ああ。 で、50代ぐらいがコーチとか40 代ぐらいコーチでやっぱ兄貴気分って言われてる監督ってま、いいんでしょうけどやっぱりこう監督はおじいちゃんみたいな人にいてほしいんですよ。どうしても。監督然味はあるしうん。監督あるし。 あ、それは40 代で監督する人は立派だと思うけど うん。 うん。なんかね、やっぱ人生経験が20 年ぐらい足りないなと思うんですよ。なんか、 ま、それも一あると思いますけど、ま、僕はそこに適合しないというのは自分で分かります。自分の分析できるんで。いや、背伸びなんですよ。監督なんちゅうのが。 へえ。僕にとっては やっぱりなるべく人がならなきゃいけないですよ。 うん。そういう意味じゃ監督ってすごいなって。逆に彼は教え子語だけど。 うん。 ま、彼の滝に渡る経験、失敗がものを言ってるな。ただ優しいね。今風で言うとね、 岡崎さんから言うと多分 響しさがいたけど、そこも変えようとはですけど、 もっともっと言うと新井監督が多分今40 代後半か50ぐらいだと思うけど1 回やめてそうです。もう1 回やってもらいたいです。2回。 うん。ま、確かにそれはできる年齢でもあるし。 そう。だから40 代でやめて一上がりじゃなくて原さん、原さんも 2回3 回やったのかな。だけどやっぱ2回うん。 やって1 回目より悪く絶対にならないですよ、監督って。多分 ああ、監督に限らず。はい。 やっぱりやもうちょっとこうやりたかったなとか、あん時若かったなみたいな考えがあって 2回目って絶対に1 回目の反省の上に立ってるから。 ま、経験がもうの言うからね。 そう。そういう意味で40代でやった人は 60代でもう1回やってもらいたいし、 あの、そういう意味で言ってるんです、僕は。 もう全て整ってるとは言いませんよ。だからね。うん。だって、え、指導経験ないまま監督をね、さ、されたとされてるという。そう。そう思ったらすごいんですよ。うん。 [音楽] はい。あの、彼の、ま、性格とか考え方とか、コミ力とかっていうのをやっぱ生かしてね。 うん。うん。 だって去年も優勝するところまでね、行ったわけだし、その前も 2位に押し上げてるしね、チーム実際。 うん。 やっぱり反省、その前の年の反省を生かして生かしてっていうことをやってるのも確かなんですよ。 うん。ただその厳しさ っていうところがちょっとお 周りからするとうん。OBからすると うん。物足たれなさっていうところも当然 ちょっとこう愛反するとかありますよね。厳しさとその優しさみたいな両といけない。 うん。そうですね。このバランスというか共は難しいですよね。 うん。そうすね。 でもやっぱそれができた時にただ監督も力も当然あるけどやっぱり選手が戦力ないと今戦えない時代になってるじゃないですか。 そうですね。うん。はい。 でもリーグって今年まになったら1位と6 位出るけど差がだいぶ縮まってるように思うんですよ。 はい。セリーグの各チームて、 あ、それは僕も思いますね。ど、突出して ない、 ここはっていうのはない。強いとこもないし弱いとこもないですよ。だぶまってる。 だからバランス、ま、ま、有事というかね、いろんなあるじゃないですか。調子を落とす選手が増えるとか、ま、故障者ですよね。 いうところがあるなしでまた全然変わってくるっていうだ。 開幕なんて巨人は3連勝と3 連敗したけどその後はグル3連勝したり DNAだって3連勝して3 連敗カーブだってそうですね。 そうだから今ま今日現在としてまもう団子に近いような 1から6位まで2 ゲームの中さんの中であるっていうので非常にこう やりくりも大変だけど面白い 面白いですね シーズンにはなるんかなって予想が難しいどが面白いですよ。だから見てる方は まそうかもしれないですね。うん。 今解説ですか?あ あ、だからローカルのこちらの 時的とルーしながら またそこをちょっと変えてください。それそれちょっと間違った。その 性を楽しんでいとんでもないです。とんでもないです。ま、あのこちのローカルの解説を円合ってやきに渡りやらせていただいておりますけどですか? [音楽] いえいえ。まあまあそういうことですね。ま、ゴルフはま、ポツポツ そう。ま、ゆ的とあと1 年ぐらい過ごしてまた現場に帰ってください。 いや、ありがとうございます。 今日は呼びただきました。ありがとうございます。 原さんと一緒ですか? うん。原と一緒。そう。3つ違いね。3 つ先輩です。 うん。だから俺甲子園でそうね。ひりんコやったなとやった。ひ りんりことやりました。やった。うん。 えっと3回戦目か。 え、でも僕1 春の春の先発で末だったら入れ違いか。そっか。ひりン行か。ひ輪りン行。 ああ、3回戦目にやったね。 あ、そうなんすか。確か3 回戦だったと思うんです。 ま、僕も甲子園にとにかく出たかったなんで子供の時は。 そう、一緒一緒。それ だからもうかじりついて見てましたよ。ま、原さんの時代ではあったけど、あの中学の時は。 そうね。原さんもう うん。原さんがまあ有名だった。さん有名すぎるですよね。あの同級生とは思いませんですんで。 ああ、 世のあったら立つタつと言うわけど心なくてた原さん言うて [笑い] 今あのずっと監督時代も挨拶行くじゃん。挨拶って。 キャンプとかもくじゃ。 ま、そんな、ま、いいんすか?取ってなくていいんですか?ま、えいよね。 いや、もう取ってますよ。嘘でしょ? 取ってます。取ってます。 いつからあ、言ってくださいよ。それ もうマイクつけた瞬間取ってますよ。 あ、そうなんだ。 でも同級生そんなあるんすかね。 そうね。だから今何年、何年会って ありますね。 色々あるでしょ。で、33 年会も実はあったんですよ。昭和33年 多いでしょ。だって33年。そうね。 だから高木豊とか大石大次郎とかあと辻初彦とか 辻さんかうん。さん、あの久保久保 阪神今ジャイアンツそうそうそう。 あれも長いね。本当にあれも同級生なか多いですよね。あのその年代によって多い年と少ない年ってあるじゃないですか。あれ何なんすかね。 そう。ただね23 年でもう終わっちまいました。 なんだあ、あの原さんが うん。 あえて原さんと言いますが、原さんが、ま、北気にみたいな感じで 作ろうよっていうな感じで うん。うん。うん。箱根に集まってうん。 やったんだけど多分2回かくか3 回でぼしったかな。ま、スポンサーの関係もあったんかもしれないけど色々と。 うん。ま、でも全国から集まるってなかなか難しいですよね。近い人はいいけれども そうはい。 やっぱりこう飛行で来るような人ってなかなか続かないじゃないですか。 ま、確かに。ああ。 ま、どうしても関東県内で県内で [音楽] であるでしょ。だから僕らが広島から行かなきゃいけないっていうのもあったけど、ま、でも続いてたら続いてたでまた面白い感じはあったかもしれない。 でもいいじゃないですか。36 年間なんか花からないですよ。 マジ? はい。僕らのね、やっぱりトップは牛島香川の時代なんですね。ま、目の島が石島田のバッテリーで春夏連覇した年ではあるんですが うん。スターはやっぱり牛島。 ああ、なるほど。ああ。波の時代。 あ、そうか。そうか。あの2人ね。 ま、同級生結構村とかいるんですけど うん。花から36年間ないですね。 そうか。 でもね、本当何年会っていうのの始まりの方だとは思うんですよ。 広島多かったんですよ。なんかで [音楽] 長富とかでしょ? 長富でしょ?正田でしょ?で、 でしょ?長嶋。 ああ、ま、ま、豆ね。はいはいはいはい。秋吉ね、 安倍っていうからの はいはいはいはい。 あ、今あの球団でどんどん偉くなられて安が同期っていうか女年の小川 はいはいはい。じゃあ西也さんは1 個上なんです。 誰かが補になれば良かったんじゃないですか? いや、あのね北記人っていうのはやっぱその年代で 申し訳ないけどやっぱ1 番力のあるやつが行かないと ああということはやっぱり牛島牛あるですよね。牛島あ発信すればね。 そう、僕らが言ったってはみたいな感じじゃないですか?牛内牛島とかま、小川あたりが言ってくれたら集まるんですけどね。 [音楽] それなかったんね。 じゃあ行きましょうか。 じゃあ行きますか。はい。 [音楽]
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◆山﨑隆造さんプロフィール
選手歴
崇徳高等学校
広島東洋カープ 1977 – 1993
監督・コーチ歴
広島東洋カープ 1994 – 2011
◆アスアカ総集編★一気見SP
【アスアカ総集編 一気見SP vol.50】天翔ける甲子園の一番星 荒木大輔
【アスアカ総集編 一気見SP vol.51】頭脳派戦士の回顧録 仁志敏久
【アスアカ総集編 一気見SP vol.52】バルセロナオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト 岩崎恭子
【アスアカ総集編 一気見SP vol.53】曲者Winding Road 元木大介
【アスアカ総集編 一気見SP vol.54】正捕手魂ド根性 村田真一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.55】吠える!悪太郎 堀内恒夫
【アスアカ総集編 一気見SP vol.56】魁!!スイッチヒッター 柴田勲
【アスアカ総集編 一気見SP vol.57】猛々しき野良犬の咆哮 愛甲猛
【アスアカ総集編 一気見SP vol.58】横浜高校伝説 安西健二
【アスアカ総集編 一気見SP vol.59】歌い踊る正捕手の嘶き 里崎智也
【アスアカ総集編 一気見SP vol.60】下町マコちゃん 益子直美
【アスアカ総集編 一気見SP vol.61】闘う紳士が歩んだ激動の野球人生 田尾安志
【アスアカ総集編 一気見SP vol.62】実直なるミスターロッテが語る魂の打撃理論 初芝清
【アスアカ総集編 一気見SP vol.63】黄昏アイアン・ホーク 下柳剛
【アスアカ総集編 一気見SP vol.64】球界のリアルジャイアン 山﨑武司
【アスアカ総集編 一気見SP vol.65】なぜ彼は代打の神様と呼ばれたのか? 桧山進次郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.66】若虎四天王回顧録 藤田平
【アスアカ総集編 一気見SP vol.67】巨人軍在籍30年プロ用具係の流儀 大野和哉
【アスアカ総集編 一気見SP vol.68】巨人軍フロントの全てを知り抜く影番 香坂英典
【アスアカ総集編 一気見SP vol.69】五輪体操競技メダリスト 池谷幸雄
【アスアカ総集編 一気見SP vol.70】浪花の打撃系捕手 西山秀二
【アスアカ総集編 一気見SP vol.71】走れ七色の変化球 大野豊
【アスアカ総集編 一気見SP vol.72】絶叫の向こう側 松木安太郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.73】一休さんの真・捕手論 中尾孝義
【アスアカ総集編 一気見SP vol.74】規格外の超絶アスリート 大田泰示
【アスアカ総集編 一気見SP vol.75】誇り高き鉄人ロック 大野均
【アスアカ総集編 一気見SP vol.76】黄金の強肩伝説 伊東勤
【アスアカ総集編 一気見SP vol.77】不屈の昇竜巧打者 谷沢健一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.78】KUNOICHI完全制覇 大嶋あやの
【アスアカ総集編 一気見SP vol.79】サイドスローの虎戦士 川尻哲郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.80】ノックアウト・ダイナマイト 内山高志
【アスアカ総集編 一気見SP vol.81】投命を刻む右腕 佐々岡真司
【アスアカ総集編 一気見SP vol.82】越境する智刃 二宮清純
【アスアカ総集編 一気見SP vol.83】8000m峰全14座登頂 渡邊直子
【アスアカ総集編 一気見SP vol.84】魅せる野武士の流儀 広瀬哲朗
【アスアカ総集編 一気見SP vol.85】Mr.ショウアップナイター 松本秀夫
【アスアカ総集編 一気見SP vol.86】駆け抜けし赤ヘル魂 山﨑隆造
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