【報告】髙田さんに喧嘩を売ってしまいました
高子さんに電話してしまったんですね。 思ったのか。もう本当にもう自分もレスに ピーてなんで出ねんだ、この野郎こう言っ ちゃったんですよ。そしたら出ました。 高尾さん。ちょっとこう怒った感じで もしもし。 船木正です。それでは今回の質問です。船 さんは若手の頃から高田さんは憧れの選手 。高田さんはかっこいいなどと高田信彦 さんをリスペクトしてきたように感じます 。共にヒクソングレーシと戦った内側でも 間柄でもある先輩後輩船さんにとって高田 信彦選手はどんな存在でしたか。また被村 戦を体験した後に高田船が実現していたら どんな末になっていたかお聞かせください 。よろしくお願いいたします。という質問 ですね。高田さんです。 と1番最初にですね、あの 高田さんを初めてファンの時見たのが ちょうどタイガーマスクが引退した後で、 え、調べたです。1983年の8月13日 カナダですね。遠征でタイガーマスクの 代打としてアサフリという選手と対戦。 これをテレビ中継したので初めて見ました ね。あの、若手のホープということで、 あの、若手選手をですね、テレビで見るの が初めてでしたので、ま、やっぱりその 感じたのは上野選手とそう体の厚みが違う なとちょっとこう細みでに入門したらあの 自分もいつかこんな感じで と思いましたね。こんな感じでまあ慣れる かどうかわかんないんですけども、こう なりたいと思いました。で、当時のその エピソードで、ま、古田さんが言った、 言ってたと思うんですけども、あの、猪木 さんから、あの、ま、高田さんにその、 今日試合やれと言われて、ちょっとこう 動揺していた高田さんにそのカナダの湖を ずっと見解とけとで、精神統一をしてで、 ずっとそれを見ていったっていう話を古立 さんがあの、や、していたのをすごく 記憶残ってます。 あの、体が細いんですけども、すごくなん か元気がいいなと。で、ま、自分から見 たらその、ま、まだ10代ですから当時 やっぱりその30代とか40代のその選手 たちですね、あの、おじさんみたいな感じ ですよ。おじさんが多かった中で、ま、 自分よりは6つの高田さんがなんかすごく 新鮮でで、憧れの存在という形になりまし たね。で、その以降そのプロレス雑誌とか でもその高田さんの1日密着とかですね、 そういうのがあの特集されて、ま、自分も 入門したらあこんな1日送るのかなとか その若手のエースホープなので 自分も入門したらこんな感じだなっていう その手本ですね。参考書、参考人みたいな 感じでそれであの、あの見てました。で、 ま、そんな、あの、憧れの高田さんなん ですけども、ま、自分がその初めて遭遇し たのが、え、なんとですね、旧UWFの 旗揚げ線ですの夜、1984年の4月11 日。自分がちょうど入門した日ですね。で 、他の選手たちはみんな授業中で、新音 プレス本体は準業中で合宿上には、えー、 ブラックキャットさん、黒猫さんとあと その、え、1ヶ月ぐらいですかね、先輩の 神さんと3人でした。ちょうどですね、 11時くらいですね、なるかならないか だったと思うんですけども、え、UWFの 旗揚げ線から帰ってきました高田さんです ね。びっくりしましたね。ちょうど自分 ちょっともう寝ようとしたところになんか その下の方がこう騒がしくなってましたん で、ま、すぐパッと降りてですね。で、 パッと見てなぜか高田さんが行ったんです ね。で、当時はそのUWFの旗揚げに高田 さんがその出たのを知りませんでしたので 、なんでこんな、なんで今日は高田さんが いるんだと思ってですね、焦ってその挨拶 をしたんですけども、ま、本当にもう ちらっとこうちらっと見ただけで、 あの、なんか変な空気でしたね。なんか あんま、あんまりその相手にされない、ま 、当たり前なんですけども、まだその入門 していつやめるか分からない。その若手 ですから。若手にもなってない。ので、 まあなんかその思ったのとこ違う感覚に なってしまって、ま、これが今思えばです ね、憧れと現実かなという風に思いますね 。で、次の日はその高田さんはUFの従業 に行きました。で、4月の17日の、え、 クラ前ですね、最終戦まで6大会出場して 、で、その2日後ですね、4月の19日、 新日本プロスクラ、クラ前大会にも、あの 、出場してます。で、この時はまだ、え、 自分たちはあの 準業っていうか怪獣に連れて行かれません でしたので、この日行われたその新日正規 軍対新軍5対5ですね。で、高さんは対八 さんです。で、これ前田実は前田さんの 代打で出たみたいです。で、あの、ま、 その試合と、え、あの、現場では見て なかったんですけども、後でそのテレビで 見て、この試合自分大好きで何回も見た 記憶がありますね。青春のエスペランス です。で、え、合同練習が始まりました。 で、ご馳さんも来ました。で、ま、自分ら は、ま、練習生なので、ま、横でこう見 てることが多かったんですけども、高田 さんだけですね、ご馳さんがこう集中して トレーニングをこうバッとこうしてるのを 見て、ああ、いいな、羨ましいなと思った んですけども、ま、その数年後ですね、え 、7年後ですか、22歳の時に藤原組で 今度は自分がご馳さんにこう集中して トレーニングされた時は大変でしたね、 やっぱり。あの、集中してその1人だけ やらすやらこう見られるっていうのは本当 に大変ですので、ま、これも現実とうあれ ですね、あの夢と夢と現実の違いですね。 それからあの高田さんて若手の時の高田 さん、高田さんといえば従業にですね、 サンドバックを持っていって、で、まず その 会場に着くとですね、 こうぶら下げる場所を探して、で、あの、 一番最初行く時は自分で担いでバスに入れ て、そっからはですね、リング屋さんに 預けて、で、にリング屋さんがその、え、 シリーズの間こうずっとも、あの、持って きてくれて、で、そっから取っで、 釣り下げてでキックの練習をしてまた戻す とま、そんな感じですね。それもなんか かっこよくてですね、なんか1人だけ霧り の練習してるな。いいな。で、ちょうど ですね、母王が橋本選手がですね、高田 さんにすごくその気に入られて、なんか その チューターって言うんですね。 アンチュータと似てるのか 中タは一緒にやろうと言ってその中太、 当時中太だったその破壊もですね、こう 一緒にそのサンドバ蹴ってたんでああいい な羨ましいなと思って見てました。で、ま 、そんな、あの、高田さんですね、あの、 あんまりその自分は関係こうされなかった んですけども、え、ついにというか、ある 日のその従業の、ある日の従業のですね、 え、地方だったと思うんですけども、 ちょうど1ヶ月経った頃ですかね、えー、 お昼に早めにその旅館に着いて、で、船 ちょっと飯食いに行こうと。で、近くの 食事、多分和食だったと思うんですけども 、ザルそばと、ザルそばとか 親子丼とかそんな感じだったと思うんです けどね。ま、それを食べながら、ま、自分 のその、ま、その経歴というかですね、ど 、どうして、ま、プロレサになったかとか そういう感じのこと色々こう質問されて、 で、それに答えてですね、やっとその なんかこう視界に入れてくれたかなと名前 も覚えてもらって、そっか、頑張れよって 言われて、で、もっと体重増やさなきゃ だめだよ。で、プロテイン飲んで、で、 チーズとバナナ、チーズとバナナ食ったら 体重増えるからと言って、その後一緒に ですね、そのスーパーマーケットに連れて 行ってもらって、チーズとバナナを買って もらってですね、で、食べるように、ま、 そっから自分もあの食事の後ですね、必ず そのチーズとバナナ食べるようになって、 で、デビュー戦は95kgぐらいですね。 75kmで入ったのが95kmになって、 え、試合した記憶があります。ま、そんな 高田さんなんですけども、1984年の6 月の27日、え、UWFに行ってしまい ました。本来であれば、あの、破壊ですね 、チューターも一緒にこう連れていく予定 だったみたいなんですけども、破壊王は やっぱりその新オプロレスまだデビューも してないんでということで、え、残った みたいです。で、自分も藤原さんからその ライガーさんと2人誘われてたんですけど も、ま、自分も同じですね。やっぱりその 何もそのまだデビューもしてないし、えー 、ま、行ったところでという、ま、全く その練習生ですから、まだその2ヶ月、 入って2ヶ月の練習生なのでどうしようも ないと思ってライガさんが行くんであれば と思って自分も用意してたんですけども、 ま、ライガーさんは山本小鉄さんにその 拾ってもらったということで恩を絶対その 忘れないってことで、ま、新入プロセス とまるで自分もとまったということですね 。ま、高田さん1人でその言ってしまった んですけどね。え、約4月の11日から6 月27ということは約2ヶ月です。本当い ますね。もっともうちょっとこ長く感じた んですけども本当に2ヶ月、たった2ヶ月 しかいなかったですね。藤原さんもですね 、たった2ヶ月しかいなかったんですけど も、やっぱりその名前を覚えてもらったと か、一緒にスパリングに混ぜてもらっ たっていうことがも嬉しくて、ま、本当に 寂しかったです。この2人がいなくなった ことがですね。で、そこから、えー、約1 年半ですか、 1年2年弱ですね、1986年の1月 UWFが新音業務定型、 再び高田さんと再開することになってです ね。で、見たところ、その、ま、体が 一回り大きくなって帰ってきました。なん か蹴リもすごく強力になってですね。 海外征から帰ってきたそんなイメージです ね。 青春のエスペランサがですね、戦う ジェームズDに変わりました。で、自分も ちょうど18歳にななった頃ですね、あの 、ついに対戦することになりました。で、 IWGPジュニアトーナメントでちょうど 自分がその上の仲間入りしたのきっかけに 、え、トップオブスーパージュニアが開催 されてですね、リーグ戦でシングルで1回 だけやりましたね。まあ、本当に軽くお笑 おおお笑いもですね、こう鼻にこう指入れ たあのキャメルクラッチとかされて、ま、 お笑いも折り混ぜながら軽くこうわれた 感じですね。で、ライガーさんと組んで タックも1回だけありましたね。高田さん と山崎さんで、山崎さんと自分と高田さん と3人で組んで、え、1回1度だけたく 組んだこともあります。まあ、当時はまだ 自分は101819の若手ですからね。 あの、まだまだの印象ですね。本当に遊ば れていた感じです。で、急激にそのなんて 言うんですかね、こう身近になったのが例 の水又の、え、旅海破壊事件ですね。その 後ですね、ちょうどその自分が無藤さんと 2人で坂内さんに、え、旅館の風呂に ぶん投げられて、で、2人でこう笑、笑っ てで、ま、体洗って 自分らの部屋に行って、ま、自分は ちょうど1人部屋だったのか誰かと一緒 だったのかわかんないんですけども、多分 誰かと一緒だったんですかね。うん。 さんから電話がかかってきて、あの、無藤 連れて飲みに行こうて言ったんですね。 そんで、ま、自分があの、武藤さんの ところ行ったら、武藤さんも酔いつれて もう寝てましたので、ま、え、多分一緒の 部屋だったんですかね。一緒の部屋だった のか、ま、隣の部屋だったのか。伊塚選手 連れて飲み行きましたね。松田選手もいた んですかね。ま、伊塚松田多分あの辺と 一緒に行っていや、飯塚選手だけですかね 。わかんないですけども。ま、とにかく 飯塚マ田 あたりをですね、連れてって言って高田 さんがいてで3人でカラオケを歌ってって いう感じですね。で、あの帰ってからまた 東京帰ったらまた飲み行こって言われて ですね。まああの、ま、社交事例じゃない ですけども、ま、違う団体なのではい。し ますって言ったんですけども、まあないな と思ってですね、こう 呑キにこう構えてたら夕方高さんから行け ないではあって六本のどこのいるから綺麗 分かりましたと言って今回はですね、飯塚 松田、松田飯塚連れてきました。3人で 行ったらちょうどですね、前田さんもいて ですね、5人ですね。で、ま、こん時は 、まあ、ちょっとこう嬉しかったのもあっ て、え、舞い上がってですね、3人で ウイスキー15本、15分で3本も開けて しまって途中から記憶ないですね。ので、 ま、最終的に、え、前田さんと高田さんが 自分を、え、新プロスの合宿所まで 送り届けてくれたということで、 朝気が付いたらですね、こう合宿所の大雪 のとこにこう寝てて横にステーキがこう 自分が入っちゃったんですね。ステーキが こう散らってました。 そんな感じでようやくその 本格的に顔を知ってもらってで、運命の 神聖UFの誘いですね。あの、嬉しかった ですね。 なんかちょうど自分が、ま、何回も言って んですけども、自分が 、え、海外決まって、で、それを知った 高田さんが、あの、総別会ちょっと飯 行こうって言って、で、ま、行ったら山崎 さんと2人ですね。多分寿司屋だったと 思うんですけども。 良かったね。高井行けて。はい。 で、でなんだけど俺たちは次のシリーズ から新音と契約しないんだよ。え、そうな んですか。前田さんと一緒にUWFをまた やることになったと。あ、そうなんですか 。すごいですね。 あの、自分もオフとかもしも体たら呼んで ください。 うん。 そんなことできないですよね。普通 それ聞いた高さ。うん。それなんだけど船 にも来てもらいてんだよ。て言われてえ、 俺も行かない。俺も行くんだと思ってです ね。なんかそん時も本当にあの 、ま、新プロレスは本当にまだその若手 だったのでもう、ま、他にみんな武藤さん とかもいるし、ま、自分1人ぐらいいなく なっただけでは大丈夫だろうとこうそんな 軽い考えですね。ので、ま、高尾さんに 分かりました。行きますなんですけども、 すいません。あの、 海外ともう契約しちゃったんですよ。って 言ったら高さがうん、いいよ。海外行って きて。あの、なかなか海外、海外征とか 長く行けることないからちゃんとやってき た方がいいよと言われて、で、だったら 帰ってきたらすぐ合流しますということで 、ま、この瞬間も決まってしまったんです ね。 本当にでも嬉しかったです。自分の力が 必要なんだと言われたことが本当に嬉しく て。で、当時はやっぱりその高田さんも なんかその、ま、あの、ま、前田さんと もう1回やるっていうことですごく なんかき気持ち規迫があったというか、 やる気満々な感じで、で、ちょうどその 海外で自分が送られてきた雑誌を見ても やっぱりその充実をしてるようなですね、 感じで前田さんとの戦いとかあと バックラウンドさんとの戦いとかすごく なんかあ、高田さんの1段階、その ジュニア、ジュニアヘビーから1段階、 またその上がったなという風に思ってたん ですけども、1年後ちょうど、ま、海外 衛生から帰って、で、ま、猪木さん、手前 さんとの階談があって、ま、自分が合流、 UFに無事合流したんですけども、なんと なくその高田さんの元気がその自分海外 行く前よりも元気がないなっていう感じが なんとなくしてですね。で、同場にもその 来ない日もありました。あの、 トレーニングジム行ったりとか、あと ボクシングのジム行ったりとかですね。で 、ま、なんかちょっとこうどうしたん だろうなと 思ってたんですけども、ま、その中、あ、 新聖ユダレブで初対決ですね。 ヨガアリーナです。 高さんにちょうど練習で一緒になったんで 、高さん次の試合なんですけどもコップ 使っていいですか?コップですね。いいよ 。何でもやってって言われましたんで、ま 、20歳超えてから、ま、海外も行って 初めての対戦ですね。ま、そん時にその 国法にこだわらなくてはいけなかったのは ちょっと残念なんですけども、 1989年の8月13日、UF横浜 アリーナ大会ですね。気合入れました。え 、初めて生まれて初めてパーマもかけまし た。ま、くげなんですけども、くげなん ですけども、パーマかけてもっとこう グリングにして挑みました。 ま、あの、疑惑のダウンとかもあったん ですけども、あの、ま、少しは成長したか なと思ったんですけども、実際にはですね 、まだ高田さんには余裕がありましたので 、えー、まだまだ追いついてはなかったと 思いますね。で、その後にちょうど骨折を してしまって腕ですね、7ヶ月欠場です。 で、その間もですね、なんとなく、ま、外 から見てても高田さんちょっとパッとし なくてですね、やる気ないのかな。ま、 自分が入る前はの1年はやっぱり高田さん 、前田さんとか山崎さんって バックグラウンドさんとかと戦ってですね 、 ま、あの、さっきも言ったんですけども、 雑誌でしか見てないんですけども、新 プロスのジュニア、ジュニアの高田のから そのUFの1台上になった。体も大きくし てましたね。エビの宝信彦になったような 感じだったんですけども、ま、自分が入っ てからは、ま、前田さんがエースという ことでこうな、なんとなくこう2番手に 手していたんですかね。あとはその 当時後の奥様ですね、向きさんとこう 付き合うことになって、ま、それはすごく 嬉しそうでした。あとちょうどその居酒屋 もですね、経し始めてですね、ま、自分は ちょうどその居酒屋の近くに住んでいまし たのでほぼですね、一時期ほぼ毎晩毎晩 ですね、高田さんの居酒屋で晩御飯を食べ てました。で、大確か 1500円か2000円か、ま、 3000円は取られてないですね。 2000円以上は取られてないの。確か 1500円2000で毎晩お任せをですね 、お腹いっぱい作ってもらもらっていまし た。で、たまに高田さんもこう居酒屋に来 てですね、ま、オーナーですから、ま、 向か井さんがいないから今日は暇だとか ですね、言ってましたね。で、ま、そんな 中迎えた第2戦です。 1990年8月13日、1年後ですね、 UWF横浜アリーナ大会。ま、今回は、ま 、骨折をしてコをやめて代わりに牧シを ですね、始めました。で、やっぱりその 高尾さんはそのなぜかこの当時すごくこう 体を大きく大きく増量して多分100km 超えてましたね。ので、あのいつもより 動きがですね、遅いと思いました。ただ ローキックがですね、それまでよりも異常 に重かったです。途中1発そのローキック 入れられてあまりにも痛いのですね。靴 あのレガースを直すふりをしてタイムを 取った記憶もあります。本当にあの鉄の棒 でこうバーっとこうスを叩かれたような そんな衝撃ですね。ま、そっからはその膝 、膝曲げて蹴リに気をつけて、ま、習得し たばっかりのそのボクシングテクニックを その手を広げてですね、小定で、ま、試し たんですけども、なんとなくその高田さん は顔面攻撃が苦手なんじゃないかなと。で 、最終、ま、自分の膝切りで高田さんの 目尻が切れて、で、TKOをですね、あの 、3度目のシングル、シングルでようやく 、ま、憧れの先輩に、ま、TKOなんです けども、初、初昇龍ということで、でも やっぱりその慶ギは勝つんだったらKO ギブアップで、ま、勝ちたいですよね。 ただ、あの、この日ですね、あの、ま、 UWFに入って、ま、1年と3ヶ月ですか 。で、途中7ヶ月こう結していましたので 、この日は本当に1番嬉しい日になりまし た。なんかそのやっとこうUWFの主役の 中の1人にこう慣れたようなそんな気分に なってですね、本当に嬉しい日でしたので 、ま、ま、それくらいですね、やっぱり その自分にとって高さんは憧れの先輩だっ たということで、で、試合後、あの、高尾 さんに、ま、あの、怪我をしてしまったん で、その電話してですね、切ってしまって すいませんでした。いや、いいよ。格闘 っぽくて良かったじゃんですね。結構あの さっぱりと返してくれたのであのほっとし ましたね。で、その後ですね、その勢いで 、え、9月13日愛知県大会で藤さんに 敬勝ち。そして10月の25日、大阪大会 で前田さんと2度目の対戦ですね。16分 59秒片めで破れたんですけども、ま、 自身UWFでのベストバウトだと思って ます。で、やっとその、ま、UWFの1に なれたなと思った瞬間ですね、ま、その、 ま、前田さんがその言った、そのフロント が横量をしてるって言ったことで、前田 さんが出場停止処分ですね。で、最終1 試合だけ残ってました。12月1日長野県 松本大会です。伝説ですね。で、まさんは 出場停止で、高田さんと山崎さんも舞さん が出ないんだったらボイコートすると。ま 、どうしようですね。そんな時にですね、 長野のプロモーターで高橋さんというその UFの役員もやってた方がいたんですけど も、高橋さんが電話が来てですね、から 電話が来て、あの弁護士にお話聞いてみ ましょうと。で、フロントと前さんのが どちらがその違う、間違ったこと言ってん のか、ちょっとお話番第3者としての弁護 士を入れてちょお話を聞いてみましょうと いったところ、 え、自分とですね、え、宮さんと鈴木の3 人で長野に行きました。なん、新幹線で 行ったんですかね。なんか全然この 辺記憶ないんですけども、パッと飛んで、 ま、結構長い時間だと思うんですけどね。 長野までパでもパッと飛んでもうすぐ長野 についてんです。自分の今頭の中では何を 考えてたのか。 で、え、高橋さんと4人ですね、その弁護 士さんと話をして、それ聞いたら前田さん が言ってることが、あの、有利ですという 答えが返ってきますので、東京に帰って、 ま、これもやっぱり新幹線乗ったんですか ね。記憶ないですね。でも夜になってた 記憶あります。で、すぐに高田さん、高田 さんの元にですね、宮さんと鈴木と3人で 行きました。で、高さんの、え、 マンションに行って 1回しか行ってないんでだ、だ結構 あんまり大きいマンションじゃなかった気 がしますね。今思えばですけども。で、高 さんのとこに行ってみんなで話をしてです ね、松本大会前井さん呼びたいですって 言ったら高さんいい話だねとか言ってくれ てですね、すごく嬉しそうにで4人で前田 さんの元に行って前田さん松本大会に来て くださいと。で、前田さんはお分かった。 普通な感じでなんかそのあんまりこう嬉し そうにもなかったんでどうだったんですか ね。本当は嬉しかったけど、嬉しさを我慢 してたのかわかんないですけど、なんか こうぶっキラボな感じでお、多かっただけ でですね。そうやってその最後のUWF 松本大会につがりました。で、なんとか その選手だけでその繋がったUWFなん ですけども、その翌年ですね、1月7日 前田三卓での会議でUWFが解散。この時 もですね、自分があのと高田さん エレベーターの中で前さん高さん前さん やらないって言ったらあ、ま、あの前さん 前さん抜きで自分らやって で後で前さん帰ってきてもらいましょう よって言ったら高さん前さんがやらないっ て言ったら無理だってこうですね言って それでこままわあの若手でだけでそのや るっていうことになったんですけどもま藤 さんからも誘いがあったので、ま、自分と 鈴木とは藤原さんの方に行って残りの選手 がそのUWFインターになると で2つに別れた時にあの宮さんがですね、 あの高田さんを連れてきたんですね。多分 その時高さんは宮さんから話は大体の話を 聞いてたと思うんですけども、あんまり こうどうなっているのか分かっていなかっ たと思いますね。で、ま、自分らは藤原 さんのとこに行きますってこうなった時に 、ま、高さすごくさっぱりしているので、 分かった、頑張るよとこう言ってくれたん ですけども、心の中ではなんで一緒にやら れないのっていう風にこう思っていたと 思います。 えー、藤組とUWインターに分かれました 。で、その後はですね、えー、数ヶ月後、 なぜか、これなぜかなんですね、本当に あの、なんで自分が酔っ払っていったかも 分からないしで、なん、なんで酔っ払って 高田さんの家に電話をしたのかも分から ないんです。なぜか、ま、気になってたの か、ちょっとこっちが1段落したので 向こうが気になったのか。多分そうだと 思うんですけど、とに酔っ払ってかなり 酔っ払った時に 高田さんに電話してしまったんですね。 あの前田さんじゃなくて 高田さんの家に電話してそしたら留守伝 です。ま、当たり前ですよね。出ないです ね。ただ酔っ払ってますのでもう本当に あのしつこく何回も何回も電話して船です 。もうまた電話します。バチ、また電話し て船です。また電話します。バチって。 それを何回も何回もやってるうちに だんだんその多分いると思ったんでしょう ね。いて、ま、いるそう使ってるのかなと 思ったのがもう本当にもう自分もま、胃を 消してですね、それにピーってなんで出ね んだ、この野郎ってこう言っちゃったん ですよ。そしたら出ました。高尾さん。 ちょっとこう怒った感じでもしもし。 あ、高さんいたんだと思ってすいません。 あの、どうしても話がしたくてで、こう、 ま、謝ってですね、 会おうかということになって数日後、六本 木で中華料理屋さんで会うことになりまし た。夕方からあったんですけども、まずは あの先日は本当にあの失礼な言葉あを出し て本当すいませんでしたって言ったんです けど、たさん維でいいんだよ。本当に さっぱりしてて、そういうことは本当に なんかこう全然こうこうなんかこう ぐジぐじこう言ってこない感じなのでただ 自分はやっぱり先輩に対することでは なかったので本当にすいませんでしたと 謝って で、え、2人でビールを飲みながらですね 、まあ今の現状をですね、語り合って ただあのこう高田さんの 方 方式というか戦法だと思うんですけども、 あれ なんだて言うんですね。はい。さっきあの 一期しました。嘘見てないよて言われるん でまた注文して飲むんですね。 最乾杯 でこう飲んでちょっとするとあれ飲んだ? はい。さっき飲みました。一緒に飲みまし た。え、見てないよ。で、こうどんどん どんどんこう飲ん飲んですね。1個こう 酔ってくるんですね。そんな感じでですね 。あの、ま、ま、言うインターは大変だ けど、ま、自由で頑張っていくよとですね 、こう高田さんが言ったのを聞いてなんか その自分らだけこうなんかその、ま、楽な 方っていうかですね、資金力のある方に こう走ってしまって申し訳ないなとその時 こう思ってしまったんです。思ってしまい ました。で、結構飲んだところにその高さ がじゃあ次の次行こうかってなってま、 六本木の前にも行ったことのあるスナック に行ってですね、行くと ちょうど安城さんがいてもしかしたらあの 話してたのかもしれないですね。今から 船きと会うよみたいな感じで安城さんも そっちにもう待機してるとか後で合流する かもしれないと他にも覚えてないんです けど何人か選手いたんですかね安城さんが いたっていうことだけ覚えてます。で、 みんなでその永遠にカラオケをこう順番で こう歌うと で、ちょっとそのノりにですね、あの、ま 、ついていけない自分がいたと。で、その 時になんかやっぱり一緒に頑張ってる仲間 と一緒に頑張れなかった元仲間というその 壁がですね、あるなとあの現実を受け入れ ました。 で、そこからはですね、やっぱりその自分 の方からやっぱりこう気になりますので、 やっぱりあの雑誌見たりとかして、で、 ゆンタの試合ですね、観客として見に行き ました。あの北尾線、それからバービック 戦、あとはその横浜確か山崎さんとの試合 ですね。その3つはあの見に行った記憶が あります。で、多分か原選手にあの チケットをですね、その頼んでそれで行っ た、行ってたと思いますね。 で、その時はもうあの高田さんは戦う GMズディ員から今度は最強になってまし たね。 で、さっきのか原なんですけど、柿原が あの欠場してる時は、ま、一緒に呼んで ですね、公園でトレーニングしたりとかで 、田村選手とも連絡を取って、あ、当時の そのユインターのどこですがね、結構横浜 の方だったと思うんです。合宿所に、 合宿所にあの、行ったこともありました。 で、か金原選手がまだ練習生でした ので、ま、自分の方はですね、ま、別れた んですけども、その結構やっぱりインター の選手たち、ま、一緒にやってた選手なの で気にはなっていましたね。 共にヒクソグレーシと戦った間柄でもある 先輩後輩ということで、ま、 戦につがるんですけども、えー、安城さん がですね、そのヒクソンさんにやられたと 、あの情報入ってきてもなんで言ったん だろうと、これ絶対次高さんが狙われるん じゃないかなと 思ったんですよね。ま、触ってしまったの が、ま、自然の流れですね。1997年 10月11日プライド1で高田さん対 ヒクソンググレシですねの試合があると ああやるんだななんかなんかすごくすごく なんかそのうん なんと言えあらあせないというかですね その一緒にいた選手があのヒクソンとやる んだとでもそこに行けないっていうその 現実もあってみんな多分思ったと思うん ですけどね。ま、UWF対グレーシって そういうその感覚で、ま、自分はまあ すごく複雑なあの感じで受け取りました。 で、やっぱり見たいのでペーパービュー。 で、あの1番思ったのはその知っている 高田さんとその最強と言われるさんですね 。戦うことにてどれだけ強いんだろうと 安城さんも倒されたっていうのを聞いて どれだけヒクソンっていう人強いんだろう と思ってですね見てたんですけども結果は え4分47秒逆十字時でヒクソンさんの 価値ですね。うーん すごくまだそのなマークがこう簡単にやら れてしまった姿を見て全く高田さんらしく ないなっていう感じでうん。なんかあん だけ強いローキック持ってんのにキックし てもその平然としてたしとか色々考えまし たね。 で、え、1998年10月11日プライド 4です。で、ヒクソンさんと高田さんの 再戦、ま、しっかりとトレーニングを積ん での再戦なので、今回は、あ、対策を立て ただけあって勝つんじゃないかなという シーンもありましたね。膝切りして下に 行ってで上になってま、ヒクソンさんが ガードを取って お勝つかなってこう一緒思ったんですけど も崩れませんでしたねえ。9分30秒 逆十時でヒクソンさんの勝値。ま、この 瞬間ですね。前にも言ったんですけども、 ま、次は自分に来るとなぜかそう思いまし たね。前田さんに行かないで自分に来ると 。 で、自分がやると思いました。で、すぐ 準備としてですね、12月、この年の12 月19日からパンクラ町を開催開始で翌年 の99年4月18日、え、9月18日です ね、み参戦、3戦だけそのバリトゥードを 得てその次の年ですね、2000年5月の 26日コロシアム2000で、え、低ソ村 線が実現したということです。 ま、本当にあの、高野さんが2回負けた 敗北がきっかけだったと思います。 あの、やっぱり安城さんが手を出してで、 高田さんが試合をして、ま、それ、その 流れがなかったらもしかして自分の方まで 回ってこなかったと思いますね。なんと なくですけども、え、引孫戦を経験した後 に高田船が実現していたら、どんな結末に なっていたかですね、わかんないですけど ね。はどこのリングでいるかも、え、 わかんないですし、プライド何なのかも わかんないんですけども、え、高田さんは 1962年の4月、それで自分は1969 年の3月7歳年の差があります。で、 2000年の時点で高田さんが31歳、 違う。高田さんが38歳です。 2000年だとすればですね、高さんが 38歳、ホイスグレーシとあとボブ ちゃんちん選手とかと試合していた時期 ですね。で、自分が31歳なので31歳対 38歳ちょっとチャンスあるかなと 思います。ローキックに気をつけて、強力 なローキックに気をつけて高田さんの ストックいなであろう 感じですね。顔面攻撃で 後のその田村選手の試合のような感じで やればもしかしたらもしかするんじゃない かなと。 やっぱりその一勝で、ま、無藤さん前の 無藤さんではないんですけども、ま、一勝 で1度だけでもですね、やっぱちゃんと 勝ってみたいです。 それ以降、それ以降ですね、その高田さん が引っ た以降ですか、やる前ですか?あの 4回会いました。 スカパーの対談でちょうどそのパンクラス と高田道場が定型をしている頃ですかね。 スカパーの対談で1回。こん時はちょっと 釈してましたね。 それから、あ、次がですね、線の後です。 2回目の低損線の前なのか後なのか。1回 なんかの雑誌ですね。 対談してます。で、こん時はあの1回目の ヒ村とやる時は 船がやってるみたいにちゃんと食事を変え て絞ったんだよってですね。いんなもして くれましたね。そっから飛んで飛んで、え 、2019年だいぶ飛びますね。10月の 12日、え、来人の大阪大会ですね。ここ であの自分がそのお客さんとしてその来人 を見に行って、ま、そん時にちょうどその 高田さんもいらしてですね。え、で、え、 終わって、え、坂木原社長に挨拶に行った 時に高田さんも出てきて、船久しぶりと 言って握手して、で、写真を撮った感じ ですね。で、最後があ、2022年 3年後ですね。10月の14日、ああ、 猪木さんの早期で会いました。自分の ちょうど隣の席で あの、ま、喋る人、まと反対隣が佐々木 賢介さんだったんですけども、あんまり その賢介さんはこういう場所でこう ベラベラこう喋るような感じに見受けられ なかったので、ま、自分は高さんと ちょこちょこと話をして、で、高さんの方 からもあの写真ね、俺が1番好きだった 猪木さんの写真だよ。柚木さんが タイガジットシさんにまじをかけてる写真 を見てですね。で、赤い太郎がこうみんな に配られましたんで、ま、自分ももらって で、高さんに高さんタオルですて渡したら これ俺が井さんにいつも渡してたんだよっ てこう言って言ってましたね。すごく嬉し そうでした。 え、船さんにとって高田選手はどんな存在 でしたか?ま、あの、憧れです。ま、入門 する前、ま、新プロスの若手のエースとし て入門してからは、あ、超えるべき存在 ですね。ま、新日本プロス入門からずっと その追いかけていた先輩ですので、 あの本当に明るくてですね、さっぱりして で、常になんとなくなんですけども、常に ですね、過去を捨ててその先をこう今を ですね、 歩いていく人なので、ま、最近というか、 あの業界とかですね、その今まで別れて人 とあんまりその関係を持たないのも高田 さんらしいなと自分は思ってます。ま、今 を生きるですね、高田さん、え、色々と ありがとうございました。 以上です。今回は高田さんと総合格闘で 対戦はてなでした。ご視聴ありがとう ございます。 [音楽]
【動画ネタリクエスト受付中】https://spm-japan.info/boshu ←船木誠勝のYouTubeで取り上げてほしいテーマをお寄せ下さい。
Q. 船木さんは、若手の頃から【高田さんは憧れの選手】【高田さんは格好いい】等と【高田延彦さん】をリスペクトしてきた様に感じます。共に【ヒクソン・グレイシー】と闘った間柄でもある【先輩・後輩】船木さんにとって【高田延彦選手】はどんな存在でしたか?又ヒクソン戦を経験した後に【高田vs船木】が実現していたら、どんな結末になっていたか?お聞かせください!宜しくお願い致します。
(NEWS)サムライファミリーch、始まりました! https://www.youtube.com/@samuraifamilych/videos
サトウキビから生まれたお酢『よろん島きび醋』→ https://spm-japan.info/kibisu
#髙田延彦 #高田延彦 #UWF

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