1978年11月21日、プロ野球ドラフト会議の前日に江川卓が巨人と入団契約を交わしたことで、大騒動に発展した通称「空白の一日」。野球界のみならず世間をも巻き込んだドラフト史上最大の事件は、やがて“異例の結末”を迎えることになる。当時を知る関係者が重い口を開いた。(全2回の2回目/前編へ)
結局、1978年11月22日のドラフト会議は巨人のボイコットによって11球団で開催された。江川卓は阪神、ロッテ、南海、近鉄から1位指名を受け、抽選により阪神が交渉権を獲得。巨人は「12球団揃ってないドラフトは無効だ。リーグを離脱し、新リーグを発足する」などと怪気炎をあげて強気の姿勢を見せた。もはや振り上げた拳を下ろせなくなっていたのだ。
ドラフトから約1カ月後の12月21日、金子鋭コミッショナーは「ドラフト会議により江川の交渉権は阪神にある」と裁定を下す。しかし翌日の22日に緊急実行委員会を開き、事態の収束をはかるため「巨人はすぐさま江川との契約を白紙に。江川は阪神との交渉を開始し、キャンプまでに巨人へトレードする形での解決を望む」と“強い要望”を提示する。野球協約第142条「トレードを前提とした新人選手との契約はできない」を反故にしてまでの超法規的措置による阪神と巨人のトレード。ここでも日本ハム球団社長の三原脩は「協約破りだ」と徹底抗戦した。
結局、金子コミッショナーの要望通り江川は巨人との契約を白紙にし、阪神と交渉することになる。ここから大きく風向きが変わっていった。
トレードを前提にした交渉にもかかわらず、阪神側は一切トレードの話を持ち出さない。江川はトレードの確約がない以上、契約することはできない。ここまで騒ぎが大きくなった以上、もはやレールから降りることもできない。八方ふさがりの江川は阪神との交渉で二度三度と決裂する。
当時、阪神の主力選手だった田淵幸一や掛布雅之は、江川が阪神と交渉していることについてどう思っていたのか。それぞれに尋ねてみたことがあったが、両者とも「そもそも政治家が介入している話だし、現場の俺たちはよくわからない」の一点張り。「ただ感触としては、江川が阪神に来ることはないんだろうなと思っていた」という。

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