93年12月22日、トレード相手だった小野(右)と一緒にロッテ入団発表。中央は八木沢監督

 1億円プレーヤーになって迎えた1993年(平5)は体力の衰えを感じるようになり、5月ごろからスタメンを外れることが多くなった。

 代わってライトに入ったのは羽生田忠克、笘篠誠治、大塚光二らの若手。この年は100試合に出場したが、先発は89試合で、西武6年目で初めて規定打席を割った。打率・239。盗塁も前年の15から4に減り、気力も落ちていたように思う。

 スタメンを外れた試合で、こんなことがあった。ベンチの監督やコーチから一番離れたところで戦況を見つめていたら、あるコーチに「ケン、こっちに来いよ。こっちに来て勉強せえ」と言われ、こう答えた。

 「嫌です」

 すでに38歳。そろそろ指導者になる準備をしとけということだったのだろうが、まだ引退するつもりはない。嫌だから正直に答えたのだが、ちょっとストレートすぎたかもしれない。それから外される試合が増えたような気がする。

 シーズン序盤から首位を走っていたチームは8月、日本ハムにその座を奪われたが、すぐ取り戻した。マジック1から1分けを挟む4連敗と足踏みしながら、4年連続リーグ優勝。日本シリーズの相手は2年連続でヤクルトだった。

 いきなり西武球場で2連敗。第4戦(神宮)で1勝3敗と王手をかけられたが、連勝して3勝3敗に持ち込んだ。僕は第6戦まで2番ライトで先発出場したが、15打数3安打、打率・200。6犠打はあったが、第7戦は出番がなかった。試合は2―4で敗れ、パ・リーグのチーム初の4年連続日本一はならなかった。

 公式戦も日本シリーズも1億円には見合わない成績。日本シリーズ終了4日後の11月5日、清水信人球団代表に所沢市内の割烹(かっぽう)旅館「掬水(きくすい)亭」へ呼ばれ、「来季契約する意思はありません」と通告された。コーチのオファーなどは一切なかった。

 現役をやめるつもりはない。「まだやりたいので、自由契約にしてください」とお願いして、すんなり了承していただいた。西武には6年間在籍してリーグ優勝5回、日本一4回。本当にいい経験をさせてもらった。

 初めてFA制度が導入されたオフ。30歳そこそこだったら手を挙げていたかもしれないが、翌年は39歳になる。僕にとっては制度ができるのがちょっと遅すぎた。

 自由契約にしてもらっても、これという伝手(つて)があったわけじゃない。どこかの新聞が「オファーを待ってます」というような記事を載せてくれて、ありがたかった。

 1カ月ほどしてお話があった。ロッテだ。12月22日に入団発表。中日を戦力外となった小野和幸と一緒だった。小野は6年前のトレードの交換相手。こんな縁があるんだと思った。

 ◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。
 

続きを表示

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball