かつて大谷翔平よりも“天才”と呼ばれた同世代がいた。大谷に「負けた」と言わせた少年。大谷が落選した楽天ジュニアのエース……。天才たちは、30歳になってどうなったのか? 彼らの現在を取材した書籍『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』が発売される。
 その書籍のなかから“消えた東北の天才”を紹介する。あの大谷が落選した楽天ジュニアで中心人物だった男、のちに仙台育英のエースとなる渡辺郁也。彼を追って、仙台を訪ねた。【全2回の2回目/第1回も公開中】

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 渡辺郁也は当時、宮城はおろか東北一の投手だったと表現しても、そう大きく間違ってはいないはずだ。渡辺は小学6年生のとき、楽天ジュニアのメンバーに選ばれている。 

「あのときは県の大会はどうでもよかった。楽天ジュニアに選ばれることが目標だったんです。その年から、東北から集めると言われていたので」

大谷が“落選していた”楽天ジュニア

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 プロ12球団が地元の小学生たちをそれぞれに選抜し、大会を開催するようになったのは2005年からだ。渡辺が選ばれたのは翌年、第2回大会のことだった。楽天ジュニアは1年目、選手選考の対象を宮城県内に限定していたが、2年目からは対象を東北エリアに拡大していた。

 渡辺の身長はその頃、165センチぐらいだったという。小学生にしてはかなり大きい方だが、楽天ジュニアに入ると175センチ近い選手もいた。そのことにはびっくりしたものの、同学年の選手のプレーを見て驚いたことはなかったという。

「すごいやつがいっぱいいるなぐらいの感じでしたね」

 口では「すごい」と言っているが、まったくそうは思っていない口ぶりだった。

 同年12月に行われたNPB12球団ジュニアトーナメントで渡辺はエースとして初戦と決勝に登板し、チームを優勝に導いている。

 楽天ジュニアの中の身長が175センチくらいあった選手とは、渡辺とバッテリーを組んだ捕手の田中吏のことである。

「郁也のボールは12チームの中でもダントツだったと思いますよ。小学生では、あれは打てない。130キロくらい出てたと思うんですよ。しかも、めちゃめちゃ伸びてくる。球速よりも3、4キロくらい速く感じるということはよくあるけど、郁也の場合、7、8キロくらい速い感覚があった。僕も対戦したことあるんですけど、当てることはできても前に飛ぶイメージを描けなかった。そんなのは郁也だけでしたね」

 12球団トーナメントは軟式ボールで行われるため、メンバーの大半が学童野球の選手たちだった。硬式野球出身の選手も少ないながらいたが、そのとき水沢パイレーツでプレーしていた大谷翔平は選ばれていない。

 大谷はNumber1000号『〈二刀流の未来地図〉大谷翔平「絶対世界一に、と歩むが勝ち」』という記事の中で、このときのことについて触れている。

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