
89年8月2日のダイエー戦で右肩を脱臼し、タンカで運ばれる
1989年(平元)の西武は開幕から大きく出遅れ、6月末には首位オリックスに最大11ゲーム差をつけられた。
6月に来日したオレステス・デストラーデが起爆剤となり、そこから浮上。その差を7ゲームとして迎えた8月2日のダイエー(現ソフトバンク)戦(西武)だった。
4回に投ゴロ失で出塁。清原和博の一、二塁間への打球をよけようとしてジャンプし、バランスを失った。不細工に転倒。右肩から落ちてしまう。
担架で運び出され、所沢市の防衛医大病院で「右肩鎖関節脱臼で全治6週間」と診断された。新聞には「今季絶望」と書かれたが、痛みさえ取れればやってもいいと言われている。リハビリに励んだ。
つきっきりでサポートしてくれたのが2軍の佐藤圭司トレーナーだった。痛みがそこそこ取れてきたらダンベルを使ってのウエートトレーニング。軽いものから始めてだんだん負荷をかけていく。「さとちん」は本当によくやってくれた。
おかげで9月14日、日本ハム戦(西武)に43日で復帰。打順は7番、肩の負担を考慮してもらいレフトに入った。少し慣らしてから定位置の2番ライトに戻った。
チームはオリックス、近鉄の優勝争いに割って入り、三つ巴の展開に持ち込んだ。そして迎えた10月11日からの近鉄2連戦(西武)。11日が雨で中止となり、12日がダブルヘッダーになった。
この時点で首位は西武。1ゲーム差の2位が近鉄、ゲーム差なしの3位がオリックスという順だった。西武が連勝し、オリックスがロッテとのダブルヘッダー(川崎)に1試合でも負けるか引き分けたら西武の優勝が決まる。
決戦の一日。第1試合、西武は秋山幸二の右越え適時三塁打などで序盤4点をリードしながら逆転負けを喫する。
流れを変えたのはラルフ・ブライアントだ。4回、郭泰源から右翼席上段へソロ。西武が1点を追加して迎えた6回にはまたも泰源からライトへ同点の満塁弾を放った。
さらに8回、代わった渡辺久信からライトへ特大の勝ち越し弾。それまで打ったことのない内角高めの速球を完璧に捉えた。チーム全得点を叩き出したブライアント一人にやられて5―6。1本目と3本目は追うこともできない特大弾だった。
その脅威は20分置いた第2試合も続いた。初回敬遠四球を挟んで、2―2の3回に高山郁夫からバックスクリーン左へ4打数連続ホームラン。これで近鉄打線に火が付き、4―14で連敗を喫した。
胴上げどころか、すっかり形勢逆転。2日後の14日、近鉄の優勝が決まった。2位はオリックス。西武は首位に0・5ゲーム差の3位に終わった。
◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。
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