【西田明央】転機…コロナ罹患でチャンスがふいに/戦力外で告げられた究極の2択…そのとき妻が…|“正捕手・中村悠平に挑み続けた” 西田明央のプロ野球人生(東京ヤクルトスワローズ)
コロナになったっていう、もうそこが1番 の、1番のターニングポイントかなって いうぐらいの ま、現状続けるのか、スコアとして球団に 残るのか、どうするかちょっと考えといて くれと言われ ユニフォームを脱いだ後、プロ野球選手は どのような人生を歩んでいるのか。彼らの プロ野球人生とセカンドキャリアに迫り ます。 プロ野球セカンド。 今回の主人公は プロ野球セカンドではチャンネルをご支援 いただけるスポンサー様を募集しています 。 詳しくは概要欄をご覧の上お問い合わせください。 おはようございます。 おはようございます。 焼木セカと申します。 はい、よろしくお願いします。 願いします。 え、2010年ドラフトの、え、 2011年入団ですかね。で、 2024 年まで、え、東京ヤクルトスワローズに、え、所属していました。 運して向かいたこの 2025 年新たな挑戦というところも結構増えた位じゃないですか? そうですね。本当に自分の、え、体 1 つで、ま、何の縛りもなく、あの、いろんなところで、え、勉強できたっていうのはすごいいい年になったかなと思います。 じゃ、今日はですね、ミシさんのその人生を振り返りながら現在の取り組みっていうところも、 あの、お伺いしていきたいなと思いますので、え、よろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 ご出身ってどちらなんですか? 出身は京都府京都市区出身です。 ご兄弟っていらっしゃったんですか? 兄弟は、え、僕が蝶なんで、え、下に弟が 2人います。 ああ、 みんな野球やってました。小学生の頃から。はい。 小学校1 年生で始めて、ま、本格的にキャッチャーをやり出したのは中学校 1年生から。 ああ、キャッチャーを始めるきっかけとか何かあったんですか? 昔だったので体が大きかったっていうのがうん。 1番の理由なんじゃないかなと思います。 ま、でも小学生の時とかやっぱりあのキャッチャーミットとかファーストミッっていうのやっぱこう普通のグローブと形が違うのでやっぱそこに興味はありましたしやっぱあのキャッチャー道具ってかっこいいなっていうのはあったので まそこにうんそこへの興味はありましたけど プロ野球選手への夢っていうのも結構ちっちゃい時から芽えてたんですか? うーんどうですかね?ま、野球選手にはなれるもんだと思って野球やってたの はい。なんかこうプライ選手なりたいってよりは、ま、野球やってたらなれるだろうぐらいの感じで野球をやってた記憶がありますね。 方向の進学っていうところが 1 個大きな決断だったと思うんですけれども はい。 どちらに進学されましたか? えっと、北海道の小樽にある北高校っていうところに進学しました。 プロになるための1 個の決断というか選択として えっとうん当時はそこまで考えてなかったと思いますね。なんですかね。ま、反抗機なのか、ま、京都から出たいなとか、出てみたいなっていう気持ちがあったのでうん。 うん。ま、その中で、ま、本当に中学校時代たくさんのあの高校からあの、ま、声をかけていただいてたので、ま、どうせ行くなら遠いところの方がいいかなっていう、ま、本当に はい。そんな感じで、ま、あんまり深く考えずに理由決めたって感じ。ああ、ここ決めたって感じですね。 あの、ありがたいことにもう入学してすぐ あの、試合にずっと出させてもらってて うん。ま、そん中で、え、1年の夏準決勝 で対戦したのが北海高校のΚさんあの ジャイアンツ 日本ハムはで活躍されたんと対戦した時に 何これってなって衝撃的でしたね。に スライダーが消えるとかってよく言われる と思うんすけど、ま、本当に初めてうわ、 すっげえ曲がるなみたいな。もうたまたま ポンって当てたのがこうボイーンと跳ねて サードの頭超えてったようなヒットは打っ たんですけどうん。あ、もう全く全然違う なっていうので でもそこであれ が更新園行く ようなピッチャーかみたいな。でもこれ 打たないとうん。無理だなっていう。 初めてそこでうーん。あ、ちゃんとやら ないといけないなって っていううんところにこう気づいて、ま、そん時の僕、ま、甲子試園だったので、 ま、このピッチャーぐらいのを打てるようになったらこうチームとしてあとは、ま、こういうピッチャーがいれば、ま、ま、甲子園には行けるのかなっていうような感覚ではいましたね。 なるほど。その中でじゃ、更新出場っていうのも大きな出来事だったんじゃないですか? そうですね。 うんと本当にまさかこう自分たちの台で、 えー、春と夏連続っていうか、こう、ま、連続で出れるとは思ってなかったので、正直、うん、 2つ上の先輩の時と、え、ま、 1 つの先輩の時の方が戦力的にはすごい整ってたうんていうのがあったので、 2 年生の夏ですかね、決勝で負けた瞬間にあ、やばいな。もう甲園行けへんなと思いましたね。 ああ。 はい。ま、圧倒的にその自分たちの台と下の子たち 1 年生を見た時にあ、無理だなってえたんですよ。ま、でももっと本気でやらないといけないなっていううん。うところに変わりましたね。 ま、僕と一緒にこうヤクる、あ、ヤクルトにこう入団したまた野っていう、ま、エースの子がいて、 で、1 つ下に王野さっていうあのショート守ってた子がいるんですけど、その子は本当中学時代からもすごい有名な子で、ま、その 3人でなんとか すればこう周りがついてきてくれるのかなっていうところ。ま、絶対にこの 3 人を活躍しないと勝てないと思ったんで。 それキャプテンは印さん、 キャプテン僕でした。 監督がそん時、ま、体調があんまり良くなかったりもしたのでほとんど練習に来なかったんですよ。 んで休み時間に職員室に行って今日の練習メニューどうしますかとかっていうお話に行くんですけど、基本的にもう全部お前が決めろっていうような感じだったので、ま、本当に自分がほとんどメニュー決めてやってたような記憶があります。うん。 うん。特にこう冬場の練習ってもほとんどトレーニングが主体になるようなこうチーム環境だったんですよ。で、ま、やっぱりこうトレーニングってしんどいし 嫌ですし、絶対こうサボるやつが絶対出てくるので。 うんとじゃかそのトレーニングをうん、こうやる気を出させるか はい。 何かこう、ま、アトムじゃないですけどう。 例えばウォーミングアップでこう何チームかに分けてサッカーやってみたりとか室内練習上でうん。 で、ま、そこで、ま、ちょっと体もあっためながらこう楽しくやりながらで、ま、それやった後にじゃあトレーニング始めるぞって言ってこう、ま、メリハりをつけるような取り組み方やったりとか、ま、本当に言うこと聞いてくれない同級生ばっかりだったのではい。 だからそこをやっぱね、上級生がちゃんとやられんでると絶対に火級生はついてこないのでうん。ま、火級生を厳しくするっていうのはもう同級生をかにあのちゃんと練習させるかそこばっかり考えてたような気はしますね。入団が決まるまで決まってから初めてスカウトの人がどんな人かっていうの知ったんですよ。 直接お話したことが多分なくて 鳥原さん、 鳥原さんですね。もう実際もうそのスカウト誰が来てるとか全く知らない状態でだからドラフトの当日もどこから声がかかるかとかもう本当にわかんなかったので 情報がほとんどない中でドラフト迎え そうですね。えっと量で見てました。量の食堂で見てましたね。正直ま期待せずにぼっと見てたような記憶ですね。 で、ま、ヤクルトから、え、ドラト 3 位ですかね。はい。うん。もう正直びっくりしましたね。入団後に鳥原使うとみたいなものも海に入ったそうですね。 そうですね。当時多分僕身長が173cm か4cmぐらいしかなかったんですけど、 ま、その時はヤクルトがそのチーム方針と して75cm以上ですかねとないと、ま、 対象に入ってこないっていう話だったので 、あの、ま、勝手に身長書き換えといた よっていう 多分78って書かれたんじゃないかなと 思うんですけど、本当にあるかみたいな 感じでしたね。 はい。 そこまでしてもチームに必要だっていうスカウトの思いというか。 まあ、そうですね。後から聞いたらやっぱりそれはすごいありがたかったなとは思いましたけど。 はい。ま、入ってみて2 つに中平さんがいたので入るチーム間違えたんじゃないかなと思いましたけど。はい。 もう本当僕隣の部屋だったんで、ま、 しょっちゅこう部屋に行ったり来たりはし てたんですけど、当時なんすかね、 iPad、iPadが出したぐらいそれを つげる、こうコポみたいなのがあって、 そこからiPodさないのに音楽が流れる とか、机の上にペットボトルが置いてある のが勝手に倒れるとかっていうのがあった らしくて、もう寝かけの僕の部屋に入って き で、なんかそんなんがあったとかって言って、あの、同じ部屋で寝てたとかっていうのはありましたけど、 ちょっとじゃあ怖くて来た。 そうですね。はい。今はなんかこう皆さんどう見えてるかわかんないですけども本当にあの可愛いというか、あの子供っぽいところもたくさんあるのでね、今はもう、ま、キャプテンとしてすごい淡々と野球やってるような感じに見えると思いますけど、中身はそんなに変わってないかなと思いますね。 ま、それなりに片つい方だと思って入団し てきたんですけど、ま、一緒にこう練習 中村さんとかとした時に もう間違い間違いなくてもう全然違ったの で方の強さとかていうのがうん。これ やべえなと思って っていうのがま、中村さんに関しては第1 印象すね。は2軍でも僕は1年目の時に 中村さんが3年目で、え、ファームでも、 ま、ほぼほぼ毎試あの出られてましたし、 ま、途中から1軍に行かれて1軍でもこう マスク被ぶったりされてたんでうんと、ま 、この人 を超えないと試合には出れないな。特に年 も近いのでうん。ていうところは、あ、常 にずっとこう感じてましたね。 同じところで勝負しても勝てないのでうん。まずはじゃあバッティングから あの頑張るかっていうところ考えましたね。ま、バッティングの方に関してはこう杉村コチがこういらっしゃってで、ま、本当月突き切りであの T上げてもらって うん。3割3 部ぐらいこうファームでは結果残せるようになったんですけどうん。やっぱその当時はまだ うん。 う、なんて言うんですかね。ま、なんでこうピッチャーにこうサイン出した通り投げれないんだとか うん。そういう気持ちがすごい強くてうん。ま、本当にあの勝手にイライラしてあのベンチのプで あのうん。ま、ランドリーの袋があるあったりしたんでそこに当たったりとか うーそんなね、恥ずかしいこともあったんですけど はい。でも、ま、そういう姿をやっぱこう お小野高生さんバッテリーコーチがこう見 ててそれじゃうとピッチャーはこう信用し てくれないよっていう信頼してくれない よっていうところから始まり、ま、特に なあなんすかその年にファームでこう優勝 したんですよ。Eさリーグ。うん。 だから、ま、どこかになんか、ま、自分もすごい売ってましたし、チーム買ってたので、あー、なんやろ、ま、天狗じゃないですけど、なん、なんで俺が言われなかんねんみたいなところも多分あったと思うんですよ。打たれたりした時に。 ま、そこら辺野さん厳しかったので、ま、あの、打たれてピッチャーの責任するんじゃなくてうん。 じゃあなんで打たれたかっていうその原因を考えようとかじゃどうしたら良かったのかなとかっていうところまであ、ちゃんとこうま、 1 試合ただ試合するだけじゃなくて、ま、予習して実際に試合で試してみてで、ま、その試合で起こったこと反省して、もう 3回やりなさいっていう はい。こう口酸っぱく、ま、本当にあの、そういうことを教えてもらってはい。ま、そこら辺からすごいこう意識が変わってきたかなと思いますね。 だからもう本当積極的に話しかけるようにしましたし、あんまりその会話っていうのがなかったので、 ま、本当にピッチャーがどう思ってるかとか、ま、本当プラ野球でその 1 チームにたくさんのピッチャーがいるので、ま、その人の性格だったりとかうん。 うん。ま、こう、ピンチになった時にこうどんな、どういうこう心理除去になるとか やっぱそういうところまでちゃんと把握しないとダメなんだなっていううん、ところにはすごい気づかされましたね。 ま、例えば押されたあれなんですか? やっぱこう打たれた時って聞きに行くと やっぱりちょっとあれなので、ま、押さえ た時に今のどんな球すかみたいなこう会話 したりとかうーん。ま、え、試合選抜 ピッチャーが終わって交代してベンチで こういる時に、ま、隣に行って、ま、 ちょっと話聞いたりとかうん。ていうのは うん。するようにしましたね。で、ま、僕 の意見、あそこなんでまっすぐだったん ですかとかうん。僕、僕こっちの方がいい と思ったんですけど、どうすかねとかって いうような、ま、話をしてうん。やってた と思いますね。ま、基本的に僕はこう、ま 、当手優先、う、打車優先、ま、状況優先 のリード、ま、こういう3つがあるんです けどうん。基本的にはもう当初優先のあの リードを心がけるようにはしてたので、ま 、実際ピッチャーがサイン出すのはこっち ですけど、ま、ピッチャーがこう気持ち よく投げてもらうのが1番だと思うので、 う、ま、ここで何が投げたいのかなとか。 うん。 ま、この人の得意で本当ピンチになった時に、あ、もうスライダーしか投げたくないっていうピッチャーの人もいたのでなるほど。 はい。ま、でもそこをね、あの、こう、ま 、絆をこうね、ぐっと、あの、引き寄せる わけじゃないですけど、あの、ま、そこも コントロールしてあげながら投げたい時に は、あ、ま、それを投げさせてあげて、で もここだけはちゃんと、あの、この球 欲しいですっていうような、あ、ところも やっぱこうサインだけじゃなくて、あ、ま 、日頃の会話から、ま、そういうこういう の、こういうの場面どんな感じでしたとか っていうところを、ま、話すように、ま、 心がて、ま、やってましたね。 そういうリードの仕方ってのは中村平さんとの差別化みたいなこともそういうのもでそこでできてるのかなと思う感じ。 うん。ま、それが1 番ですね。ま、その当時の中村さんってどっちかっていうとこうデータとか相手のバッターを優先して相手の弱点をつくっていうような、え、感じだったのでうん。 なんかそことこう違う出さないとそもそも 試合に使ってもらえないなっていうう ところをま、その当時のバッテリーコーチ とかにもうん、どうしたら試合出れます かってなって、ま、じゃあここと違うつけ てみたらいいんじゃないっていうところ からうん。ま、考えたっていうかうん。 やり始めたのも、ま、大きな1つの、ま、 試合に出れ出した要因かなと思いますね。 大変ですね。社会人として大人として絶対 に似合ってはいけないことだと思うんです けどゲームでしたね。はい。本当に11時 20分アップ開始だったんですかね。起き たのが40分だったので。 それ神宮しです。え、東京ですね。はい。 基本的にはあの早く球場に行ってたいタイプだったので、 ま、本当あの映像も見ないといけなかったですし、その当時は、え、野村勝典さんがバッテリーコチだったので、ま、一緒にこうある程度このこの時間ねって言ってこう映像を見て今日どうするかっていうのを話し合っていくんですけど、多分その時に来てなかったんでだ、多分マネージャーとかいろんな人電話かけて来てくださってたんですけど本当に携帯充電し忘れて あ、 だからアラームも鳴らなくてあ あ。 で、僕は起きた時携帯がまずあのついてなかったんでまさか寝坊してると思わなくてで電池あ、充電さして着いたのが 11時40分だったので そしたらもう100件以上着信履歴があり それは東京道行くまでの道中は ま本当に後ろから突っ込んでくれへんかなとね。 今思ったら、あの、そんなわけないのにと 思いますけど、もうそん時はもう 慌ててるんで。 あ、でもやっぱりそういう時に普段はこう監督基本的にはこうバッティング練習の時は足山練手のバッティングゲージの後ろにいらっしゃるんですけど、 そん時はこうセンターの方に あのいらっしゃってまついてすぐすいませんでしたつって謝りに行って、ま、そん時はこうね、あのもうもう行けっていうような感じであの中子さんは全然喋ってくれへん。 終わったなと思ったんですけど、ま、あたとこう周りの目もありますし、ま、特にバットインゲージの裏でこうやって謝ってたりすると記者がこう来て、あの何があったんですかとか聞かれると思ったから、あの、ガ野でてくれたっていう。あ、 はい。 なるほど。 はい。ていうのをこう聞いて、あ、すごいやっぱこう気遣いのできるこう周りの見れてる人ってやっぱすげえなって。 そうですね。その試合ってのは はい。 あれですか?それスタメンを予定されてた? そうなんですよ。スタメンって言われてん。だから多分その時の先発ピッチは縦山さんだったんですけど、縦山さんもそのつもりで多分球場にいらっしゃってたと思うんですけど はい。あの、もう本当1番立山さんに すごい目をかけたなっていう で、ま、本当に、ま、それもあってだと 思うんすけど、もう本当4回までに多分7 点か8点ぐらいされて、もうベンチ、ま、 スタメンの予定だったんですけど、ま、 もちろん遅刻して外れてベンチですごい もうなんか申し訳ない気持ちになってたん ですよね。まあ、でもやっぱあの、そん時 に今中さん、ま、天差が離れたっていうの でお前行けって言ってくれて、うん。もう でもそこでこう引きずっててもあのしょう がないのでもう出してもらえたんでなんと かやるしかないと思ってもう本当ガムシに なった記憶はありますね。 うーん。まあ、2020年にまあ、あ、 70何試合ぐらい多分出させてもらって、 で、まあ、2021 年も行けるなと思って、で、開幕 3連敗して、え、 4戦目の横浜スタジアムすかね。はい。 そこで初めて2021 年こうスタメンで出てうん。その試合買ったんですよ。 まあ、2021 年初勝利っていう形で、ま、みんなでこう盛り上がって、そしたら明日も行けるな、試合出れるなって思ってた時に、あと、ま、本当コロナに ああ、 なったっていう、あの、もう本当にもうそこが 1番のあの、なんすかね、もう 1番のターニングポイントかな っていうぐらいのもう本当全く症状も何も なかったんですけどうん。 ま、その前毎試合とかその試合終わりに検査してで、次の日もう試合出るつもりで球場に行ったんですけど、その検査結果が出るのが、ま、昼の 12時頃あ だから12 時なるまでちょっとそれ前にはもう横浜スタジアムついてたんですけど車で待機しててみんなは で連絡が来てコロナ妖精だったって言われてはあってなって本当にやもうわけがわからない し、 ま、無少だった。 そうです。無場ですし、ま、そん時はね、外出もできなかったですし。いや、もう本当にあそこからすね。 で、ま、チームがこういい状況になってう、ま、なかなか上に上がっても出る機会がなくて、だから何日間ぐらいかな、 10 日ぐらい品スのなんとかとっていうところに隔離されて、本当兵書教書になりかけましたね。でも窓も開かないんで 部屋から出ちゃいけない。 部屋から出ちゃいけない。でも本当やばいなっていう。 もう本当あそこちょっとパニパニックに なりましたね。あ、やばい。外出たいけど 1階に降りたらもっとき みたいなあの入り口に貼られててもう外に ちょっとでも出ることができないとかって いうような状況だったのでまだ当時は もう本当に それが1番普通やったっすね。 ちょっとトレーニングができなかった期間があると思うんで はい。 ちょっとこう調整して戻してまた同じように 1 軍上っていう風にはならなかったんですか? えっと、ま、ちょっと調整して上がったんですけど、ま、なかなかやっぱりこう結果が出ず、ま、 2 軍に落ちてファームであの試合してる時に、ま、ベースに起する時にちょっと足を滑らして勢いよくベースに右足ついてしまったんですよ。 それなんかすごい膝に違和感があって、 あのなんだろうな。でもなんかすごい強い 痛みじゃないのでなんか変な感じっていう ようなあ、まあ、ま、ちょっと痛、痛みも あるし、痛み止め飲みながらやってとかで 、ま、ちょっとでもおかしいな。検査行っ てでも出ないで、それヶ月続けてでも おかしい。 検査しても出ないみたいなのが続いてで、ま、そのオフにあの膝専門の病院にあの見に行ったんですけどそしたらもう半月版損傷だって言われてすぐ手術必要って言われて でもそれ言われたのが本当12 月末とかだったのでうん。で手術するってなったらい最短でいつできるんですか? 2月2日ですかね? うわあ。 あ、でもまあ我慢してやるよりも、ま、もうちょっと先のこと考えたらうん、手術した方がいいなっていうので手術すること決めて、みんながキャンプインしてる時僕東京の病院で過ごしてたんですよ。はい。 晩年っていうのはその半月版の影響っていうのもちょっと大きかった。うん。そうですね。まずそっからやっぱこう 1試合出てもすぐ水が溜まるので膝に。 あ、ああ。 はい。多分2月2 日に、えっと、手術して復帰したのがファームの 1打席だけですけど、5月5 日とかに多分復帰したんですけど うー、やっぱキャッチャーやるともう膝がパンパンに張れる。 うん。だからその分のトレーニングもしないといけないですし。 はい。 うん。 うん。でもそっからやっぱりちょっとなんかこうい違和感みたいなのがこうあっていう感じすかね。 ま、特に去年のシーズンとかは 24試合出てましたけど、 怪我も復調されてよし、これからだっていうそういう感、僕はそういうつもりでは言いましたし、ま、なかなかね、ま、あの、スタメで出るっていうのもなかったですし、まあね、代打でなかなかこう結果出すっていうのも、ま、本当難しいので、あの、ま、結果出せなかったので、ま、しょうがないなと思 ってはいるんですけどうん。ま、でもまだやれると思ってましたし。ま、それでの、ま、戦力外だったのでま、まあどうしようかなっていうような感じにはなりましたけどね。 その戦力外のお話っていうのも結構突然のだったんですか? 突然来ましたね。 ま、基本的にはファームの試合が 9月30、9 月末で終わるので、ま、その最終戦が終わった後にあとそのファームにいる選手は、えっと、ま、電話かかってくるなり、ま、その球団の人に呼ばれて、 明日球団行ってくれって言われるんですけど、ま、そのタイミングでは言われなかったので、 うんと、ま、まだできるのかなと思って はい。え、思ってたんですけど、本当その 2日後に蒼木さんの引退試合をあの見に はい。はい。 あの神宮球場に行ってうー。 その時に編成の方に ちょっと 明後日話しようかって言われてあと思って 、ま、このタイミング何なんやろう。でも ま、そのタイミングで呼ばれることてなっ たら、ま、ほぼほぼ戦力ぐらいしかないの で もなんでこんなタイミングなんやろうなっ ていううん。ところがまず思いましたね。 で、その球団の方に呼ばれてそこではどう いうこと言われたんですか?はい。うー、 ま、キャッチャーを取る予定でいると。 うーん 。だから、ま、そうなったら、えっと、 ま、僕があの、その戦力構想から外れる からっていうので、ま、現続けるのか。 うー、 ま、そん時はスコアラーかな。スコアラー として球団に残るのか。 どうするかちょっと考えといてくれて言わ れて、いや、もうそん時はいや、もう元気 続けますやめますような感じで、ま、その 場の話は終わったんですけど。そうですね 。その後、ま、もう1回じゃ、もう1回 じゃあ考えたら サイトくれて言われて はい。えっと、もうその、もう 2 日後ぐらいですかねにもうすぐいいや、現役続けますっていう話ではい。 あ、どこだったっけな。クラブハウスか。 ジグのクラブハウスで、え、 GM と編成の方と一緒に話して、じゃあ気持ち変わらんかって言われて、あ、じゃあその公式にあのリリースするわって言って、 トライアウトを受験してその活路を見出したってこと? いや、正直、ま、本当に必要とされてるんであればあのそのリースが出た、ま、 1週間ぐらいに まあ、多分、ま、話があるっていうのも、ま、色々こう初詮方に聞いてたので はい。 で、まあ、1 週間ぐらい経ってもオファーがなかったので、ああ、じゃあもうオファーないんだなっていうので、ま、ほぼほぼもう野球はやめるつもりでいたんですよ。 ま、でも、ま、何かあってもいいようにっていうので、ま、つどうなるかわからへんからって言って、坂口さんとかが、ま、練習だけちゃんとやっとけよっていうので、ま、練習だけはあの、 10月1 ぱまでは登壇の施設いよっていう話だったので、 ま、使わせてもらって、ま、その時にあれですよね、あの、縦山さんから 電話で、縦山さんも、え、今年から丸ハンで監督されるってい いう、ま、そこで、ま、どう、どうする みたいな、どう、もしあれだったら全然 コーチとしてあの、来てくれてもいいして ようなこう話もしてくれてうーん、考え ます。 で、トライアウトもどうするのとか言って、で、ま、その時の解説が縦山さんだったのでトライアウトが、 ま、映像にも残るし、 あの、ま、キャッチャーとしてなんかこうあ、なんか影響一生懸命頑張ってる姿をこう見てもらう、いろんな人を見てもらうために受けたら、 受けたらどうて、ま、それはあの、 ま、西、西って呼ばれてるんですけど、ま、西のあの考えもあると思うけどっていうような感じで言ってくれ あ、じゃあ受けてみようかなっていうので、あ、もう本当に 1 週間ぐらい前に決めたんですよ。受けますって。 あの、練習とかはやっぱ 高橋刑事とか付き合ってくれてたんすよ。 あの早い見てたらだからもうトライアウトのピッチャーそんなにあの大したことなくてあだからまだ行けるなとかって思いながら焼き合ってましたけどまあまあまそこでちゃんとこう切りをつけられたのでま良かったかなと思いますね。 そのトライアウトっていうのはやっぱりご家族にもその姿を最後とか見てもらいたいって思いもあったんですか? うーん。 うん。ま、僕はあんまり思ってなかったんですけど、ま、子供が 4 歳やったのかなので、ま、なんかこう見てくれて、なんか感じてくれたらいいなと思って、あの、受けましたけど、 者さんは打席に入る時に はい。 パパパって大きな そうですよね。聞こえてましたね。なんか相手ピッチャーに申し訳ないなと思って。 はい。 球団に残るかやめるか、ま、そこにもすごい悩んだので、ま、トラウトは、まあ、いい、ま、ちょ、ま、プレイヤーとしての、ま、ふん切りはつけたような場所でしたね。 はい。ま、ちょっと遡りますけど、 10月末までにその球団から こう話をあ、返答欲しいって言われてて はい。 ま、家族もいるのでうん。 うん。ま、僕の中では、ま、ほぼほぼ球団にお世話になろうかなっていううー。気持ちが固まってて で、そ、ま、それをこう妻に伝えたんですけどはい。 うんとほんまにそれってやりたいのみたいな一言があって、あの、ま、野球が武器っていうことには変わりないと思うんですけどうん。 でもなんかそれ以外の可能性もあるんじゃ ないのってこう言われた時に そっかてこうふとこうなんか考えさせられ ていいよぐらいやりたいことやったらいい やんそう感じ で言くたんでもうほぼほぼあのお世話に なろうかなと思かけ てたんですけどはい奥さん一言 そうですねもう思い切ってまいかってなっ ま、まず、えっと、あ、母校の北海道の北高校の、ま、監督が、ま、声かけてくださって、ま、去年まであの、北高校の OB で上村さんていう方があ、ま、あの、外部知っといで、あの、いらっしゃってたんですけど、ま、その上村さんがヤクルトのスカウトにならので、ま、その枠が開いた と母行のためにちょっと力貸してくれない かっていうことで、ま、あの、月に2回 ぐらいあの、また関東に遠征きたりとかっ ていうタイミングで、あの、母の指導 に、あの、まずは行かせてもらうことに なりましたね。ま、それだけじゃなかなか ね、生活もできないので、その次には、 えっと、やめてからこう知り合った方がい て、で、その方がやっぱその、ま、僕も 怪我してたっていうこともあり、その体の ケア用品、金膜リリースの作る会社の方を 、あの、ご紹介いただいて、で、僕も実際 にこうやってみて、あ、これすごくいいな 、やっぱこうセルフケアアっていうのが すごい大事ですし、このケア用品いいなっ ていう ので、ま、それを中海業じゃないですけど、あの、そのアスリートとか、ま、高校大学にあのご紹介して というような、あ、仕事もやったりとか、え、ま、これも本当にいろんな方の、あ、のお力と本とご縁があって、 あ、野球のスクールっていうのを、え、今こう神宮の、 え、バッティングレン、あ、バッティングセンターを借りしてあの開 開催することがあできるようになったのが 6月からですね。 はい。 一般の方たちも参加できる? そうですね。 基本的には小学校、え、小学生、中学生、ま、あの、特にあの、神宮、あの、南式野球場っていうのは大人の方も、あの、たくさん草野球、あの、野球されてますんで、そういう場所をこうお借りして、あの、そうやってスクールをできるっていうのは、ま、本当にあの、人に恵まれてるなと思ってうん。 ま、本当ありがたいことに、あの、今もその自分ができるこう予約枠っていうところも、ま、ほぼあの埋まるようなはい。形で あの、やらせてもらってるので本当にそこはすごく感謝してますね。 ま、僕もこう引退してすぐにやっぱ何か 始めないと、ま、僕ぐらいのこう実績と 致名度やっぱこうね、なかなか1年とか 開けてしまうとうん、難しいなっていうの はあったので、ま、自分のまま体が動く うちにこう始めたいなていうのは思ってた ので、まずはこう1人で始めて、で、ま、 来年以降はこれから今のこのスクールを 大きくしていけたらいいなっていうのは、 ま、来年以降の、ま、目標にははい。 今んとなってますね。 野球スクールとその金膜リースの商品って話ありまして、それを興味があるなっていう方はどういう経路でこの申し込んだりとかできるんですか? えっと僕のホームページを来ていただければ、ま、お問い合わせのフォームもありますので、もう気軽にあのご連絡いただければはい。 西者さんの野球人生教えていただいてありがとうございました。 ありがとうございました。 今後の西者さんのセカンドキャリアしております。 はい。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。ありがとうございました。 ありがとうございました。
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★過去に取材した一部の方々★
●黒羽根利規さん
●石川雄洋さん
●古木克明さん
●内竜也さん
●須田幸太さん
●小池正晃さん
●齋藤俊介さん
●砂田毅樹さん
⚾️今回の主人公⚾️
西田明央(にしだあきひさ)|東京ヤクルトスワローズ
1992年生まれ
北海道・北照高校から2010年ドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。3年目に1軍初出場を果たし、通算310試合に出場。
正捕手・中村悠平の控え捕手としてだけでなく代打としてもチームを支えた。2024年に戦力外通告を受けて現役引退を表明。
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【西田さん出演のYouTube】
●【 西田明央選手カメラ】大迫力!日本一&胴上げの瞬間を西田選手の目線でお届け!(東京ヤクルトスワローズ公式様)
●第一話 現役を引退した元ヤクルトの西田さんが登場!(デーブ大久保チャンネル様)
●元ヤクルトの西田明央さんがゲストで登場‼【Part1】(かっ飛BASE!BALL CHANNEL様)
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■トークテーマ一覧
00:00 ダイジェスト&オープニング
02:08 言うことを聞かない仲間たちを甲子園に
10:34 山田哲人の心霊体験
11:36 挑み続けた中村悠平の壁
17:52 スタメン試合で前代未聞の大遅刻
21:25 コロナ罹患で運命激変…負の連鎖
27:22 突然の戦力外…告げられた2択
32:57 妻の助言と歩み出したセカンドキャリア
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