
89年7月19日、ライトゴロに終わったロッテ・ディアスは一塁ベース近くに座って悔しがる
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野手が送球によって走者をアウトにすると「補殺」が記録される。外野手の通算補殺数で僕は歴代4位。山内一弘さん(大毎=現ロッテなど)175、山本浩二さん(広島)154、堀井数男さん(南海)138に続く135をマークした。
目の前に飛んできたヒットをグラブに収め、すぐ低い軌道で本塁へ返す。滑り込んだ二塁走者は間一髪アウト。あるいはフェンス直撃の打球を素早く処理して中継に返し、走者の進塁を阻止する。ホームランを打つ以上の快感だった。
ライトゴロも面白かった。センターを守っていた中日時代にはなかった楽しみ。センターに秋山幸二がいる西武に移籍してライトを守り、最初に決めたのは1989年7月19日のロッテ戦(西武)だった。
2回、マイク・ディアズの止めたバットに当たった打球がライト前に飛んで来た。ディアズはどこに飛んだか分からず、キョロキョロしている。一塁へ投げてアウト。ヒットを1本損したディアズは悔しがってベンチに戻って大暴れしていた。
日本ハムの広瀬哲朗もあったなあ。おっつけてライト前に打つのが得意な俊足の右バッター。やたらとガッツポーズするからしゃくに障る。いつかやってやろうと狙っていた。
93年9月10日、日本ハム戦(同)の初回。先頭バッターの広瀬は郭泰源の投球を捉え、きれいにライト前へはじき返した。その打球をワンバウンドで捕り、一塁へ矢のような送球。際どいタイミングでアウトにした。ヘッドスライディングした広瀬は滑り込んだままの格好で足をバタバタさせてたっけ。
外野手のシーズン最多補殺のプロ野球記録は平山菊二さん(大洋=現DeNA)の24。日下隆さん(近鉄)が23で続く。いずれも僕が生まれる55年以前の記録だ。
僕の最多記録は歴代3位の21。マークしたのは右肩を脱臼して1カ月以上戦列を離れた89年だった。98試合出場でこの数。ケガをしていなければ、あと3つ4つはいけたはずで、新記録がつくれていたかもしれない。
でも、よく考えてみれば、補殺が多いのは、それだけ走られている、つまり打たれているということ。チームとしては苦戦を強いられている。この89年、西武在籍6年間で唯一優勝を逃した年だった。
基本的には、補殺が少ない方がいい外野手だと思っている。強肩が抑止力となって走らせない。ランナーコーチが止めてくれるのは一番ありがたい。守っているだけで進塁を阻止できるからだ。
理屈はそうなのだが、守っている時は走ってほしい。矛盾するけど、本音としては、やっぱり補殺を増やしたいのだ。走者に次の塁を狙わせるために少し深く守ったり、返球のタイミングを遅らせるフェイクを入れたりもした。
◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。
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