【アスアカ総集編 一気見SP vol.81】投命を刻む右腕 佐々岡真司

アスリートアカデミア学長の崎おです。え、今回のゲストは広島東洋カープ全監督岡慎二司さんです。 はい、よろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。 いや、もうごぶ沙汰というか、なんていうか、ま、昔の選手はあんまりチームが違うとお話ができなくて そうですね。 はい。もう対戦しながら会話をするぐらいしか実際はい。 なかった。 あ、そうですね。昔は、ま、北府投手 はい。の教えというかうん。このあの 対戦相手の種とは話をするな。 ああ、友達になるな。あ、 ま、挨拶はするんですけど、 やっぱ今みたいに、え、ジャパンで一緒とか、え、キャン、あ、ジトレで一緒とか そういうことはなかったじゃないですか。ですね。 [音楽] で、北さんは、あの、やっぱりそういう相手の打車と仲良くするともうインコースいけなくなるよと。 はあ、は、厳しいとこ攻めれないよと。 友達っていう教えは受けてましたね。 ええ、じゃ、北ベプさんがやっぱ当のそのリーダー的な人でそういう風なことを後輩に言われてたってこと。 うん。そうですね。ま、僕はだからさんにってもらった時に うん。 ま、一緒に食事体飲み行った時にそういう話を、ま、全員に言ったわけじゃないと思うんですけど、ま、でも一緒に食事行った人には、ま、僕若い頃はそういう風な、あ、そうなんだっていう時代でしたね。ま、 大事なことですよね。まあ、そうですね。 やっぱり確かにインコス、ま、本当にギリギリの攻める、ま、当ててはいけないとかそれが甘くなるから、ま、北ぶさんはやっぱりシュートで うん。そうですね。 右バッターに対してね、本当よく攻めて、あの、攻めるピッチャーだったんで うん。 ま、それがやっぱり友達になったらいけ、いけなくなるよと というのを言われてましたね。ああ。 いや、僕ね、あの、僕のチャンネルで何人か野球会の OB の方出ててもらって、その今本当にこのチャンネルがなかったらお話する機会があまりない人がたくさん出ていただいて 本当にありがたいんですが監督を経験された方が、 え、ま、原さんでしょでタオさん、デブ3 人かな。4人佐岡さんなんですが、 あの、僕も、ま、指導者を10 年じゃないつてやらしてもらって、 ま、唯一軍の監督だけやったことないんですが、ものすごい興味があるんです。そこに関しては。まず監督になる時って誰にどういう風に要請されるんですか? だから3 連覇した後、ま、大方監督ですね。で、 ま、その4連覇目指したとこで4 位で終わったわけですね。4位ではい。 で、ま、まだまだ、ま、3 連覇して次の年が4位だったんで、 まだやるであろうって僕も、え、1 軍コチで上がった年コチだったですよね。 はい。ピッチンコーチっと2 軍のコーチやってて、1 軍コチやった中のそのシーズン終わり うん。9 月の割に多分シーズンは終わってその時にコーチが集まってくれと うん。 いきなりですよ。もう俺やめるからっていうのを。 青方監督がはいはいはいはいえっと思ってま、その 日でシーズン終わったんですけどうん。 そうすると誰が監督というのがもうみんなでざわざわざわざわした中でうん。うん。 え、2 [音楽] 日後に面談をするという、え、球団代表からうん。うん。コチを 1人ずつはい。 はい。ま、その中に、ま、誰かがいるんだろうなとか、 ま、僕は首なるかもしれないし、 ま、誰が首なるかわかんないです。何を言われるかわかんないんで。うん。うん。 うん。 ま、みんなざわざわしながら1人ずつ うん。 面談してその時にいきなり言われましたね。全く予想してなかったんで僕は。 それは球団の代表 代表とかジ務ですね。 ジ務あ監督を来年からやれと。 来年から監督を頼むって言われて へえ。全く予想もないとする。 そん時どうなんすかね。真っ白になるんですかね?真っ白っていうかみたいな感じ。 ま、確かにA でびっくりしてますぐ即できない。 うん。 え、家族とも相談しながら、ま、自分のあの心も整理しながら うん。で、1回家に持ち帰りました。 うん。はい。 皆さん大体そうやって言われるな。持ち帰るって絶対俺だったら持ち帰らないからやります。やっぱりそれぐらい重いっていうことなんでしょうね。 [笑い] 例えばコーチをしてくれって言って持ち帰るってあんまりないと思うんですよね。監督はそれだけ重いってことですよね。いや、やっぱり自分監督っていうのは重いましたし。 うん。 自分だけで決めれないなっていうのが うん。 あ、正時間の気持ちであ、本当で調べてたらあの、ま、意外っていや、意外だったんですけど川さんっていう方以来 50何年ぶ、53 年ぶりかな東首出身の監督っていうのはいろしい。 そうなんですよね。だから歴代の先輩方の、 ま、ピッチャー人の中で、ま、大野さんもいて、 大野さん、え、北プさんもいて、 え、ま、そういう方もに上がりながらもなかなか監督なれてない。 うん。 で、ま、初川両平さんがやられた以来っていうのも知ってましたから いや、僕でいいのかなっていうのが うん。正直ありました。うん。うん。 監督っていうのは、ま、成績ももちろんあるしスター性も当然日本の場合はね、必要だけども やっぱりすごい早々とある先輩の中ででも成績見たらすごいじゃないですか。 ま、すごいっすよ、成績。 まあ、そうですね。 うん。本当に体がだって ああ、 あんまり怪我はしないっていうプロ、ま、 18年間の中でうん。 ま、いろんな場所、ま、先発、抑さえ、中月とか色々やりましたけど、 [音楽] ま、やっぱり怪我しなかった分、その分ずっと大きな怪我はなかったですか?手術とかは。 手術とかはないですね。はい。もう、 それこそコチになって膝が痛くなるとか。 うん。 高チになって膝が痛く。いや、僕も膝痛くなります。 現役中やってる人は古傷みたいなが絶対ある程度年取って出るじゃないですか。 そうですね。ま、トレーニングもしないで、ま、体重も増えてくる。 うん。で、2 軍チなる時にノックガンガン打つ。 ま、そのノックでだいぶ負担をかけた。 ああ。で、2軍で4年間構知してて、 で、5年目に1軍になる時にうん。 これマウンドまで行けないなと ああ、歩いてくのが痛くて うん。そんな痛かったんですか? あ、痛かったですね。 だからこれはもうシュートしかないなと思って。ま、 2軍、2軍ではまだ2 軍コチではなんとかごまかしてくんですけど 1軍がやっぱり あのベンチからマンド行くのに、ま、小走りで行かないといけないとか うんうん。 ま、ファンもたくさん見てるテレビもする不サイ工だなって。これはちょっと手術しないといけなって、あのオフにオフというか 1月ですかね。はい。手術して だいぶダイエットとかもしたんすか?じゃあ体重も落としたんすか?じゃ、膝やっぱ負担来るじゃないですか?なかなか落ちなかったんですよね。やっぱり運動しなくなって。 なるほど。 まだ監督になった時に落ちましたね。 それはなんで落ちるんですかね?精神的に、 ま、それもありましたし、ま、ま、コロナ禍ということもあって何にもすることないんで。 うん。とにかくウォーキングしたりとか。 そうか。コ中の時の監督だったんだ。 はい。ドプリさんね、はまったんで。 大変だ。意味で大変でしたね。 そうなんですよね。だから監督する時点は大変なんですけど、このコロナ禍というのがね、本当初めての経験の中。 うん。ああ。だから外に出てはいけない。 うん。 ま、当然外食もダメという時代でうん。うん。 で、外でというのはその散歩。 散歩。うん。はい。朝の3 で遠征行っても朝の散歩。 うん。 ま、結構その散歩ぐらいしか外出れないんですよね。 うん。人が集まるとこダメでしたもんね。 ダメすね。うー。 島根の浜田商業。 はい。浜田市で、浜田商業なんですよ。 あ、出身も浜田市なんですか? 今合併して浜田市になったんですけど、元々は軍中軍という、ま、 町が金町っていう町で、 どういうところなんですか?その町は。 うちの町は本当にちっちゃい町ではい。ま、温泉があったりゴルフ、ま、いろんな山、山というとこで山育んですけど、 すぐ浜出というのは海があるんです。あ、 はい。で、高校も海のそばの 浜田はうん。うん。 で、ま、あの、浜田高校、 浜田高校有名ですよね。 はい。はい。浜田高校は有名で、え、成田さん、 そうですね。和田 和田君でジャパンで交した清水さん。 はい。うん。が浜田高校でたんですよ。 で、僕は浜田勝負ったらそんなに、え、浜勝あんまり野球が強くはなかったんですか? そうですね。強いっていうイメージもなく うん。 う、ま、プロ入ったの僕だけという。 へえ。 で、そうですね。僕だけですね。 じゃ、小さい時から野球始めたのはいくつぐらいから始めたんですか? 野球はえっと、ま、うちの母1人こ1 で育ったんで。あ、1人でなんですか?1 個で。はい。あ、そうなんだ。 で、母親がま、仕事をしてて あ、 だからまあ小あ、5歳の時にうん。 ボールとバットとグラブをうん。 お、もらって、あ、あの、買ってもらって、ま、近所で、ま、 うん。 野球やっててっていうぐらい僕親働てたんで ま、その辺から、ま、近所の子供たちと 野球をする。ま、僕はサッカーというよりも うん。うん。うん。野球っていう そうですね。 はい。サッカーあんまりなかったんで。 なかったですね。うん。 だから5年、ま、5歳のとこから始めて 結局小学校5 年にそういうスポーツ少年団というのがチームができてはい。 そっから、ま、ま、本格的というか うん。うん。 スポーツ少年なんで野球始めました。 へえ。 ええ、ピッチャーはいつから?それもう最初からピッチャーですか? 5年生の時は内野種で うん。6 年生でま、ちょっとピッチャーして うん。 でも中学なったらもうずっと内野種でした。 中学で内野種。はい。 うん。中学はもう普通の高立の中学で はい。あの町の中学のはい。で、 ま、線もあまり高くなかったんですよね。僕自分中学伸びなかったんですよ。 へえ。え、中学で普通男の子伸びるです。 伸びるです。え、今だっ、今1805 でしょ。 大きい方ですよ。プライ級選手で。 ま、そうですね。8 あったら大きい方なんで。 中学の時はそんな大き 小学校まあまあまあまあ後ろから3番目で 中学なったら僕だけ伸びずに前から3 番目ぐらいに168cm ぐらいしかなかったんですかね。へえ。 で、伸びなくてうん。 ま、あの当時足も早かったんで うん。1番サード内足ではい。3 年間内ヤ足です。はい。 じゃあ、あの、高校に、ま、島には浜田高校が 1 番強いんですけど、あとつがありますよね。 今やっぱシ率が強くなったり、 [音楽] え、また改正高校ありますね。 で、ま、僕らのゴ野川高校が今岩道水艦高校とか谷茂選手のあ で昨年はちょっと大高校が先方はい。 で、僕らも大に負けて大社が行ったんですけどうん。 基本今私率が強いかなっていう。で、浜田高校もその何回かあ、言ってるんですけど、田君が [音楽] えっと3年の時にベスト8だったかな。 うん。へえ。そうなんだ。 じゃあ佐々岡さんが中学から高校に上がるような時代はやっぱ浜田高校が強い時代なんです。 浜田高校は強かったですね。有名でもあり うん。 え、強いんですけど、ま、僕もそんなに中学校でそこ伸びてないですし うん。え、1 番サードぐらいてその辺目立つ選手はなかったんですよ。 じゃ、声がいくつかの高校からかかったってことはなかった。 かかることはなかったです。 で、もう本当にでも、 え、甲きたい、プロ野球選手になりたいという気持ちはずっとあったんで、高校でも うん。やりたいと。うん。 でもなかなか勉強の風に頭ついていけずにうん。 ま、浜田高校はもう全く僕のこと頑 うん。 取るあれはないっていうのを聞いてたんで うん。うん。うん。 で、浜田商業の監督が、あ、本当に野球したいんなら、ま、ちょっと勉強頑張れっていうぐらいで [音楽] うん。うん。 え、じゃあ取るから、ま、一応試験も受けますけど はい。はい。 なかなか勉強ついてなかったんで、 ま、なんとか商業高校に取ってもらったと。 うん。うん。うん。 浜田商業ではどんな、いつからピッチャーに変わるんですか? それはですね、本当に人数が少ないチームで うん。1 年の春というのは入った入学当時っていうのはなかなか家から通っていうのがバス で帰るのに最終日便とかなんかが6 時とかなんかしかなかったんですよね。 ああ、結構距離があるんですか?家まで。 まあ10ま10kmあるかないか。 20km?20km結構ある。はい。 15kmか20ですね。うん。 で、母親はま、そのとにかく通いなさいと。 通と はい。でも通ったらもう練習できない。 うん。 だから夏まで本当にそういううん、ま、通ってたんでもう 6時になったら自分だけ帰らんないとかも そういうのがすごく辛くて野球もできないしはい。ま、下宿に何人かえ 入ってる子もいたんですけどうん。 だからもう本当にお花園に頼んでお願いだからもう野球するためには うん。 もう高校の近くのもうどっか下宿探して入らしてくれというの。 [音楽] うん。1年の夏休み うん。に言ってやっとそっから うん。うん。 したら普通に練習できるようになる。 ちゃんとできる。はい。はい。 で、その時から新チームになりますよね。 夏そうですね。3年生が抜けて、3 年生が抜けて新チームの時に、 ま、1 年生僕らの部員は12人。12人。 はい。で、先輩の1個の2年生は4 人しかいなかったです。4人。あ、16 人。16人です。 で、そこからとピッチャー経験がほぼいなかったんですよ。 うん。いない。はい。 で、監督が、まあ、1 人ずつピッチングしてみろと。 うん。 夏休みの時ですね。で、ま、僕は、ま、ちょっと小学校 6 時やってましたし、ま、地方は強かったんで。 うん。うん。 で、お、じゃあお前ピッチャーやってみ。 うん。で、内野試験ピッチャーを うん。1年の秋からやり始めて はい。 で、2 年やってからは、ま、ほぼほぼピッチャーをやりながら、 ま、投げない時はファーストかライトは出ることはありましたけどうん。 本格的なは2年生。2年生はい。 うん。そん時はもうだいぶ身長はちょっと高くなりつつあったんですか? それはですね、そっからやっぱりをして、ま、本当に初めてその人の飯というか [音楽] うん。そうですね。 たもうなんか色々ま、そこのおばあちゃんおじいちゃんっていうのが うん。 ま、食べなさい。食べなさいとてもう本当に うん。うん。うん。 いっぱい作ってくれるわけですよ。で、漁子町なんで うん。うん。 そんなに魚とか食べるわなかったんですけど うん。朝も量出て釣ってきた魚の刺身とか ああ、朝からはい。 新鮮刺身食べたりそういうの僕慣れてなかったんですけどやっぱり残しちゃいけないという。 [音楽] うん。あ、そうですね。 気持ちからそういうのも食べて うん。 で、ま、中学校時代からずっと牛乳1L ぐらいずっと飲んでてうん。 で、高校で本当に15cmぐらい15cm うん。一気にという やっぱ魚カルシウムいいんでしょうね。 ま、魚とやっぱり好き嫌いはなかったつもりなんですけど、ま、ある程度うん。 好きなものが家では食べれた な。そうすね。 だけど下に入るといろんなものが出て うん。 え、それを残していけないっていうのがもう自分の心の中にあったんで。 うん。うん。うん。うん。でもたくさん作ってくれるからさん食べて それで体もできてきたっていう高校時代。 そうですね。それでも体も大きくなったと思いますね。 うん。で、3 年生の時に負けるって大高校って言いましたっけ に負けてそうです。ま、まず2年の2年の 秋にうん。ま、選抜にかかるとこで え、準決勝 うん。 で、え、大田高だったんですね。もうそれ勝てば中国大会出る。 中国大会。はい。中国大会出れば選抜の 繋がる。 はい。繋がるっていうとこで延長15回 うん。うん。1対0で負けたんです。1 点取られた。取られ15回表に取られて 取られてうん。1対0 で負けて、ま、選抜は夢を立たれて あ、 じゃあ、え、来年というとこでそのオフに僕足を怪我してギスをしていたんですね。 うん。うん。 で、なかなかその一冬を超える時に練習できなくて うん。ランニングできないですよね。 できないですね。だから1番大事な時に 基礎トレーニングはできなかった中で、ま、春の大会、また 1回戦が大田高校だって うん。 で、ま、ま、世間では再現と延長15 回の再現っていうとこで うん。ま、コールド負けをしたんですね。 コールド負け。はい。 もうめった打ち食らって まだからみんなもうある程度準決勝まで覇気に準決勝でね、あの行ったり負けたけど力ついたというまそういうま、変な心っていうかね、気持ちがあったと思うんですよね。 [音楽] うん。うん。で、監督も1 回式引き締めるためにもっていうとこで多分途中、ま、遠征帰りの [音楽] 負けて帰る時途中下ろされて うん。 10何キか20km ぐらいみんなで走って帰ったりとか。 ああ、昭和な高校やな。ありますね、そういうの。 はい。ま、お酒ともしたりとかはい。タイヤ、ま、そういうトレーニングもだからもう 1回気を引き、あの、引き締めろという うん。 ので本当に途中からみんなで走って帰ってるとかして うん。 ま、夏にもう1 回、え、向けて頑張ろうという気持ちにはなりました。はい。 うん。うん。 で、その夏どなんか社会人チームになんか練習に行ってそれが天気になったっていう話をすると はい。あの社会人のチームにバッテリーで行ってこいと。 うん。え、ま、当時の常市 爪石常市鉄鉄というチームに 社会人チームにはい。ま、練習参加、 練習参加してうん。うん。 え、朝だから、ま、高校2年ですね。え、 2年の夏に行ってですね。はい。 で、本当にスピードが出てなかった うん。自分が2 週間で帰ってきたらみんながびっくりしたぐらい スピードアップしてたんですよね。 うん。見た目で分かるぐらい。 分かったんです。ま、僕も実際、ま、全然変わったなっていう感じで うん。ま、監督までびっくりしてうん。 で、どうやってそういう風になったんだと うん。ただ本当2 週間社会人の練習を行って うん。 どういうきっかけ?うん。 て言われた時に、ま、きっかけというか僕はだからずっと社会人のピッチャーをの人を見ながら一緒にキャッチボールして うん。で、ま、ホーム真似したり うん。 で、こうこうこうだからこうっていうそういう、ま、指導もあったと思うんですけど、ただこのせ、この先輩のというか、この人のちょっとホームを真似しようかなとか うん。 っていうのがちょっと足の上げ方す、足の出し方ちょっとオープン気味だった人がいて うん。その人を真似したんですよね。 うん。 そしたらなんかす自分にピタッとはまったか知らないですけど 急速アップしたという感じ。うん。 オープンっていうのはこうねじらないでこうちょっと前に上げるっていう意味です。 ま、一応げるのはいるんですけど、足を出す時に左足出す時に、ま、 まっすぐクロスというよりもちょっとクロス気味だったんで、それをちょっとあんまり良くはないんですけど、 左足はちょっと1歩の人、あの、足分 うん。開いて、ま、開き気味と 開き気味だけど、ま、こっちはこう開いて残しながら 足は開けて肩残す。 残すっていうイメージで投げたら なんかスムーズに行ったと。 割れたんだろうね。 こう体割れっていうかよく割れができたのかもしれないですね。こう一緒に回ってたのが そうでそこで間が間が作れたというか うん。うん。うん。 それはクロスの時はそうま3 ぐらい投げたのがオープンで12脳が 脳のその間ができたっていう感じがありましたね。 教えられたんじゃなくて見て真似して自分でも覚えた。 の選手のピッチャーの ピッチャーのキャッチボールしたと思うんですよね。 へえ。はい。 で、ずっとその、え、ピッチングとか見て [音楽] はい。自分に自分でこういうホームしてみようかなっていう とこですね。 ええ、ホームをちょっと覚えただけで2 週間で気をつくて上がるんすね。 ああ、急にね。ま、僕もびっくりしたんですけど、ま、周りが帰ってきてピッチング見たら本当にびっくりしてましたね。 自分でもなんか感覚的に分かるんですか?バンってここで、 ま、腕が触れるっていう感覚になりましたね。 今までと違うだなっていうのを自分で分かったんですけど、ま、実際そのキャッチャーが受け受けないと、ま、そのキャバッテリーで行ったんで はい。 あのキャッチャーもちょっと違うぜっていう感じで すなみたいな感じで はい。そうですね。で、ま、3年のうん。 夏は、ま、 その前からもうプロ、あの、ちょっと 140以上出始めたんで、 その春以降からですね。うん。うん。 で、注目というか島根にこういうピッチャーがいるっていうのは多分情報がって はい。 ま、大体どこの球場練習合とかとか行ってもプロ球団のスカウトが大沢親もちょうど見に来られてましたね。そのスカウトか編成とか [音楽] 大沢親日本ハムの時で はい。日本ハムの時ですね。ああ。 で、ちょっと騒がりながら夏の大会を迎えてうん。 ま、面白かったのは浜田高校。 浜田高校 はい。僕らは練習時代なかしてもらえなかったんですよ。 うん。僕らの時代はですね。 という感じですよ。だけど、ま、夏前に、 え、調子はむちゃくちゃいい時に うん。浜田高校の審判が うん。多分セカンドいたんでしょうね。 あの試合が終わって多分浜田高校の監督に ちょっと浜佐君今調子すごいぞとていう情報が行ったと思うんです。 急に浜の監督から うん。 うちの監督にちょ練習試合で申し込みがあったと。あ、うん。あうん。の前にちょっと 1回やっとこうと。はい。ちょ、佐と。 ああ、はあ。はあ。 へえ。 で、そういうの初めてだったというのを後から聞いたりうん。うん。 で、ま、うちの監督ももうちょっとこうなってるんで、そんなやうん。 やりませんとか言って、今までやったらどうやらしてください。立場からもうやらないよ。 [音楽] 当時高校生で140km ってなかなか出なかったですね。 そうですね。プロでも早い人でも140 ちょっとぐらいの感じだったじゃないですか。当時の ま、当時140 出ればもうもうプロいけるとか いや、もうそうそうそうそういう、 え、時代が、ま、今も150出ないとね。 あ、 プロないぐらいの時代になってますけど、僕らの時代も 150出たら、あ、140 出たら、おっと、早いな。150 なんかいないですよ。誰もね、プロでもいいなかった。 140。へえ。 それで本番はどうだったんですか?夏の予選は 本番は予選はだから1回戦31で買って 買ってえ、今の海正高校 まにえ、あの頃は松江日台とかいう [音楽] うん。で、2年連続その松日台にあたって うん。 え、ま、1回戦勝って2 回戦が優勝候補だったんですかね。 うん。大田高校が、ま、高校 と平田高校っていうのが東西の優勝候補が うん。当たっていった。 で、大田が負けて平田が上がってきたんですよ。 あ、負けたんだ。うん。 それの平田ともう優勝やって僕はカ封したんですよ。 ああ。はい。 おっという感じになりましたし で次の2 幕高校だったですかね。そこも3対1 ぐらいで勝ってで準決勝 で準決勝の時に準決勝決勝あ、1 試合目が増田東ゴ野川なんです。 野川はい。 で、その前ゴの川にはすごく相性悪くて うん。え、練習は負けてたんですよ。 うん。で、増田東が勝ったんですよ。 うん。うん。うん。 で、増田東にはうちが相性むっちゃ良くて 勝てるあれが気持ちになるわけですよ。あ、 え、これ大に勝ったら甲子園行けるぜっていう気持ちが [音楽] こ間違えちゃったです。 先を見ちゃった。まだ今日があるのに。 はい。そう。1 試合目でマ東が勝った瞬間に むちゃくちゃ欲が 出てその2試合目に コッパ打たれました。大に 大に打たれた。それなんで打たれたんですか?調子はだって変わんなかったでしょ? ちょっと疲れてましたね。もう処理でずっと投げ抜ってきたんで。うん。うん。あ、うん。 ま、弾自体もちょっとやっぱり落ちてましたし。 うん。だからビッグイニング3点4 点って取られたんですよね。うん。6 回までに。なるほど。はい。 高校、ま、野球が終わりますよね。 で、ま、プロのスカも見に来てたわけでしょ。 で、当然その、ま、プロ、社会人、ま、大学と 3つで大きく3つあるじゃないですか。 そこはどういう風に自分では思ってたんですか?当時 はい。僕はその試合終わった瞬間に うん。 あ、これでもう野球人生終わりだなと うん。思ったのもうん。 ま、それで今度うん、下宿から あとまた家に帰る。うん。帰る で。家から帰るで、母親もそれを待ってる で。うん。 母親も1人なんでうん。 え、ま、僕が母親を面倒見ないといけないなと ずっと思ってたし こんな辛い思い野球で辛いかったんで うん。ま、練習もきつい辛い。 うん。もういいかと。 野球やめようってことですか?はい。 ああ、もうだからもう え、だってプロのスカウト見に来て。 はい。見に来てましたけど。うん。 う、ま、プロも行きたい。子供の時からの夢っていうのもありましたけど、あ、うん。 これで母親の面を見ないといけないなと。 まだ早いでしょ。だって高校生ね。 そう大人になってもうお母さんがおばあちゃんになって今ぐらいなったら分かるけど。母親は多分そばにいて欲しいっていうのがあったと思うんですよ。 うん。うん。あう。 だから僕あの終わって家帰った時に うん。え、もう野球やめるから うん。え、地元就職して うん。あんたの面倒見るよと。 うん。すごい て言いましたね。すごいね。 はい。それがちょっと夏休みは うん。 ちょっと遊ぼうと思って初めての夏休みちょうだいみたいな話。いや、いや、本当に 本気でそう思ってた。 あ、本気で思ましたね。 へえ。それはどこでこう変わるんですか? で、2学期が始まって、2期始まって、 え、ま、ドラフトまでにうん。 ま、スカウトの方が来られますよね。 来ましたよね。 ま、僕とあんまり接触あまりできないんで。 うん。うん。うん。 うちの監督とかが名刺とか言わ で後からその名刺をこれが来たでとか。 うん。おお、カープだとかうん。 安心だとかうん。うん。うん。 うわーとか言いながら名刺を見ながら うん。うん。うん。 で、どうするんやって言うから僕はもうもうやめてあのなんですかね。プロパンガス屋があったんですよ、近くに。 はい。 このガス屋に入るとかあってはガス屋就職します。 ちょっとこう視野が狭かったんで中で座ったからね。山の中で座ったから。 浜田市のもに近い ガです。 飛びますと。ま、色々それでもスカウトずっと来られてたんで。 ね。ある、ま、阪神のスカウトですかね。 うん。その時、ま、ちょっと挨拶、挨拶は 多分されたと思うんで、なんでやめるんだと。 うん。ま、ここでこうこうなんですって。 うん。うん。バカて。バカて お前みたいなね、こんないもの持ってるのがもったいないと。 うん。うん。もう1 回考えなしいいと思いますよって言われて うん。うん。 ま、そうかと思って、もう1回家帰って うん。うん。あ、僕の夢は何だったんだと うん。 目標はっていうのを、ま、甲子園、当然、講支援ながら、そして小さい時から、え、作分にプロ野球選手なる [音楽] うん。っていうのずっと書き続けて 来たことを思い出してうん。うん。 ま、ハ田も相談して うん。 野球続けていいかと。うん。 でも、でもあなたは絶対にそのプロとかっていう性格、プロ向きの性格じゃないし うん。 ま、母親山を本当いて欲しいから反対をずっとしてたんですね。 うん。うん。 で、ま、それでも僕はずっと言い続けながら社会人の監督も うん。何休間うん。だった。 ああ、何チームかうん。 来られるようになって、ま、当時の監督と高校の監督と色々話しながらじゃプロか社会人ねだったらどうやというとこで社会人も 3つぐらいだったんですけど最終的に NTT だけを絞ってたんですね。広島っていうとこで 1番近いんで。 あ、なるほどね。あ、もう東京とか遠いのチームを来てたってことです。 はい。 じゃあ、中国地方のその新日鉄のチームとか、 え、川崎政鉄とか、 川崎成鉄水島とかね。 そうですね。あ、 で、ま、広島ったら、ま、当時電車から NGT ちょうど変わる時期だったんですね。 うん。うん。大企業じゃないですか? そうなんですよ。 そのガス屋さんも大きいでしょうけど、 NTT、NTTたらね、本当に なかなか普通に入れないです。勉強が入れないと 入れないですけど、ま、色々家族会議 親戚なおじさんとか色混ぜながら うん。うん。 じゃあ、ま、プロは今は僕は、まあ、無理だと。 うん。 ま、当時も、え、島根県ではナンバーワン言われても [音楽] うん。ま、初詮島根県なんでうん。うん。 で、やっぱり将来性を置かれた高でのドラフトで うん。ま、あっても5位とかうん。 そうですね。6 位とかっていうう評価だったんですよ。 うん。うん。僕は桑田滝原世代で 桑田原と同じですか?同じです。ああ、 で、あれをの2人を甲子支援で見てるんで うん。 全くレベル違うし 一緒のとこで入ってプロで戦えるわけないなという自分のうん。うん。 え、気持ちもあったんで うん。 今は無理だと思ってやるんなら社会人だなと。 うん。で、NTT の監督マネージャーも家まで来られて うん。 え、今というか、ま、話しながら決めて欲しいと。 うん。即決しろと。 ああ。 プロ行くのかというか、ま、うちに来てくれていうで、うちに来るのをもう 約束してくれとかで うん。うん。え、ま、そん時は母親と うん。 ま、おじさん家族3 人ぐらいたんでちょっと別行って うん。 どうするのやという話から うん。 じゃ、今もうプロ無理だからじゃあND 決めるというのを即結しました。 即結したんだ。 ああ、自分で決断したんだ。 決断しましたね。 ああ、結構意思が強いんですね、その頃から。あの、冷静に分析もしてるし、自分のことを。 はい。ま、自分でうん。ま、普通であればね、プロ夢だったんで、もう うん。 気持ちはファしながら行きます。言ったら、ま、 5位か6時にかかってたんで うん。うん。うん。うん。 だけどまだ無理。自分の力は無理だなっていうことでうん。 社会人行くとでもドラフトの前にやっぱりあ、全スカウトにはもう絶対行きません。 行きません。やって はい。断った中でうん。 ま、その中でも 当日というのはふわふわしてましたね。授業中に ドラフト会議があったんで。うんうん。なるほど。 で放送で、え、ま、3 年何組の佐田佐岡中君、え、事務所来てくださいっていうコーナー、あの、アナウンサー流れるんで うん。うん。えと思ってうん。 かかったのかなというぐらい ドキッとする時もあったんですけどう ん。今かかってない。今ちょっとまだ見とけと うん。て言われたのを思い出しますね。 うん。そん時でもあのプロのスカウトの方はもうご断り入れてるから使命はなかったってことですか? ないと思うんですけどもしかしたらか あのかけるとこもある 当時はあの脂肪あの死亡届けとかの時代ないですもんね。ないんですよ。 はい。 でも僕は高校からプロ入っても大変だったんですけども、社会人でもやっぱレベルが相当高いじゃないですか。 はい。なんか1 年目から出たんすか?社会人では。NDT 中国では何試合か投げたぐらいでうん。 で、やっぱりまだ体ができてなかったというとこで ちょっとそこで故障とかも 色々発生してうん。うん。 そこ力でもなく3 年目に都市出たんですよ。3年目。NTT とかいうあの企業だったら大卒の人が多いんでしょ、社会人。 そうですね。高卒は僕ともう1人2 人だけ。 もう相当年の上のもうおじさんみたい。 23ぐらいの人ばっかりでしょ。で、18 歳の時に 回りの上の人がいて30歳ですよ。うん。 30歳いますよね。社会人。 そ、もう本当におっちゃんと野球やってるなって感じなんですけど、ま、プロ入ったら 30 歳でまだ若いんですけど、社会人の僕の 18歳の時の30 歳って言ったら本当におっちゃんと一緒にうん。 違いますよね。 はい。一緒にやるぐらいの、ま、怖い先輩もましたし うん。うん。うん。 本当にあのNTT で、ま、すごく鍛えられたというか、本当に、ま、野球人である前に社会人であるというぐらいの 厳しさを知られた監督でもあったんで うん。 ま、それはそれ僕本当プラスになりましたし うん。 で、なかなかもう練習もすごかったですね。 ああ、社会人はね。はい。 だから当時は午前中仕事して昼からもう練習行けるんですよ。 うん。 で、昼からずっと、ま、夜までとかやって、ま、帰って 10 時頃帰って選択とかなんかいろんなことしながらうん。次の朝 6時勝とか でこっちここの今のリーが立ってる とこがあの職場だったんですね。あそこありましたね。うん。 だからそういう生活がずっと続いて うん。 ま、冬のトレーニングとか言ったらスクワット 1000回すですよ。スクワット1000 回。はい。うん。 なかなかですね。いや、でも社会人の練習は厳しいっていうのは噂には聞いてたけど厳しかったんですね。 はい。だから3 年目にちょっとあの年故障して うん。 投げれない時期があってで高卒3 年目でプロ入れるんですけど うん。 うん。うちの監督はお前はまだあのこの会社に貢献してないから 出さないと。うん。 ま、ここで本当にまた指名拒否というかも、ま、そこまでかかる予定もなかったんで で、4年目には もう本当にプロ行きたいなという気持ちがすごくあったんで、もう肩が痛いだろうがなんだろうが関係なく うん。うん。 駐車打ってまで投げたりとかして、 へえ。 もう痛いと言わずにもうこのこの4 年目で絶対プロ行かないとっていうぐらい気持ちでやりましたね。 [音楽] もう社会人に入った時はもうやっぱり明確にプロっていうのがもうあったんですね。 ちゃね。そ、 ま、プロもありましたしもっていうのが 万が一、え、行けなくても このNTT 残れるなという、そういう甘い気持ちがありました。 [音楽] 都市対抗はいつ出たんすか?何年目に出た? 1年目から出たんすか?だから、えっと、 4年目が4年目もうバリバリ僕が、 え、ジャパン選ばれたりなんかしてバリバリの時で もう行けるもんだと思ってうん。 トントンと決勝まで行ってうん。 で、決勝は違う人が投げたんですけど、 それで負けたんですよ。負けてはい。 で、第2代表でこの僕が第2代表 はい。で、時に投げたんですけど3対1 かなんか金さ負けたと思うんですよね。 負けた。はい。 で、負けてうわっと思ったんですけど、あ、多分補強あるなと思いながら、 あ、2 チームしか出れないんですか?中国。ああ、そうか。じゃあ LINE代表も逃したんだ。 ああ、今度補強だ。じゃあ、 ま、補強があるだろうなと思った。 当然、ま、第一代表のうん。 え、三菱から補強してもらって うん。え、として行って で、いきなり優勝NTT 東京だったんです。NTT東京はい。 うん。と三菱市うん。ま、僕NTT なんですけど、ま、広島市のユニホムですね。 はい。三菱のユニフォームで、ま、本社とやると。 なるほど。 ま、その間が与田さんだったんですよ。 あ、中日の。あは。 はい。 その前に、え、夏の大会前、あの、年太大前にジャパンに一緒に選ばれてたんですよ。 うん。うん。うん。うん。 で、また与田さんの球もすごま田さんが 150ぐらい出てましたね。当時 よさんは早かった。 はい。確かに早かったです。うん。 で、それ対決してうん。21 で僕は勝ったんですよ。 勝った。はい。ああ、 ツラン。あ、田さんがラン 打た。僕はソロ歌。その、で、21で うん。勝った。はい。 あの、都市太鼓の金属バットで 東京ドームでなかなか投資にならないですけど。 うん。ならないですね。あ、当時金属だ。 金属です。ああ、 そのツーラ打ったのも僕の先輩で うん。NTTの先輩なんすよ。 補強で言ってた。じゃ、NTTの2 人を活躍してNTTの本社をやっけた。 ま、でも都市は都市ですもんね。 広島、 広島&代表会社じゃないですもんね。だって NTTだって東京、東京、 東京大表ですからね。会社じゃないですもんね。 あくまでまでもでも本社からお前らあの広島帰ったらあの席がないぞとか [笑い] 机がないぞて言われた。 まあでも冗談でしょうけど、ま、言いたくもなりますよね。多分ね。 そうですね。ま、 あの当時ってNTTって13 チームぐらいたんですよ。 そんなにあったんだ。今2 つぐらいですね。2 と以外しかないですもんね。 で、大体毎年10チーム前後が出て としたいんですね。この当時は。10 チームも出てた。出てましたね。はい。 で、その年にもうやっぱプロに入るドラフトにかかるわけですよ。 それやっぱり、ま、ずっとジャパン人も選ましたし、その都市対抗でそのやっぱりうん。 ピッチングが評価されてうん。 一気にま、ど、え、ドラフト1 位候補に歩にね。 はい。で、ま、当時の野茂、 あ、野茂のか。 塩崎。 のも塩崎与田さん僕っていうま、一応4番 みんな社会人やっぱすごい人みんな社会人ですね。 そうでも社会人社会人のオルジャ番って言ったらみんなドラフトですよ多分 だから大体ジャ番ですもんね。 そうですね。ま、4人があ、ドラ、 ドラ1候補になってうん。 でもみんな本当にドラ位じゃない? そうです。で、ボが89行ったんですよ。 あ、89だ。はい。おお。 で、田さんが中日単独 で塩崎が西武単独。単独 で僕がカープ単独に カーブ単独 まだ後は全部飲むだ他のチームは 89が行ってきましたね。へえ。 カープも当時は飲に行く予定だったらしいす。 おお。 はい。行って外れたら佐岡を取ろうと はれ1位でうん。 で、ま、僕も逆名制度はなかったんですけどそのドラフト前に [音楽] うん。 ま、広島以外から出たくないかったで。 ま、母親が近いというとかでカープ、もうカープも好きでしたし うん。うん。うん。 え、カープ以外なら会社残りますと うん。いう宣言をして一応、 ええ、一応 はい。しない。あの、逆名制度ないんですけど、そういうの言って うん。ま、そういう人いますよね。何人かね。そう。 他はかかって言ってましたけどね。 でも、ま、できれば広島がいいですもんね。 はい。広島に それ言うのは自由だから言ってもいいですよね。 はい。それ当日になんかいろんな情報戦があるじゃないですか。 ありますね。ありますよと。 で、他の球団が佐岡行くとかいうなんか情報あの入ったということで うん。当日に多分僕単独で 広島がも行ってる場合じゃないと じゃないですかね。多分それ後来ましたね。はい。 あ、それ自分が流してたじゃないですか。 情報他のチーム自分流してないです。 どんなチームだったんですか?当時誰が監督ですか?広島は 山本浩司一さんです。 ああ、浩司さんの最初の師さ、浩司さんの 2 年最初の1目、1回目の2年目。ああ、 2年目でうん。え、ま、東首 うん。ま、北ペプさんがいて、 北ペプさん、 大野さんがいて、川口さんがいて、 長さん、長、金الي一さん、金さん、 川端さん、川端さん、津田さん、津田さん はい。 白、あ、白さん、ちょ、僕と入れ替出てますね。 ああ、結構ですね。 いや、本当ピッチあの広島は投王国だったですもん。その頃ピッチャー強くて野種はこう足が早くて起動力でみたいな強もうでも強い時代ですよね。 強い時そうですね。だからピッチャーのそのそういう当初の中にそれなかなか一軍上がれないじゃないのっていうぐらいの枠だったし うん。練習がむちゃ厳しいよと うん。 というのをま報道人からあの方から聞いてまでも僕カプ好きなんで うん。うん。 え、ていうとこで、ま、本当にキャンプ行った時ですね。 うん。 ちょっと自信をなくしたというか うん。 ま、ブルペン入る時もそのベテラン、あの、そのクラスの人とは別なクラスであのピッチングするわけじゃないですか。ま、 1.5 分ぐらいの、ま、僕らの同世代とか、 ま、北藤さんもいたりとかはい。 え、本当に1 軍に上がれない、上がったり、あ、2 軍に行ったりするピッチャーと一緒にピッチングした時に うん。この球を投げて うん。 あ、一軍に上がれないのっていうピッチャーがぐるぐるったわけですよ。 ああ、いますよね。それは で、え、これで1 軍上が上がれないんだというぐらい本当にちょっとショック受けたというか うん。このキャンプでですね。うん。 ちょっとやばいなっていうのが最初のキャンプでしたね。 うん。 でも社会人でオールジャパンに選ばれてドラフト 1 位で入ってもう休速もっと上がってるでしょ。この時 はい。140後半ですね。ま、 それでもそう思ったんですか? はい。思いましたね。みんなそのぐらいのボール投げるし、あの変化球の切れもいいですし うん。で、なぜというのがまず 最初が最初がああ、これちょっと 自信をなくしたというかやっていけないかもしれないっていう気持ちになりましたの。 そんなことないでしょ。 で、オープン戦はでも、ま、成績を残して開幕から一軍でしょ。 そうですね。オープン戦である程度 で6番目として6番目のはい。5番目か6 番目のローテーション入ったというか、だから 5試合目か6 試合目投げたと思うんですけどうん。 最初の1試目が太陽戦。 太陽戦。うん。で、ま、10 点取ってもらったんで多分うん。うん。 そのまま水イスとカ東はしましたけど 初登板、初登板、初、初勝利だったですよね。 そうですね。はい。 もうなかなかないですよね。全部揃うっていう。 ま、監督がなかなかできないですもんね。普通に考えて。 はい。だから、ま、10 点取ってもらったんで、その、ま、あの、ま、 130とか投げてますけどうん。 関したというのが うん。でもやっぱりそれって1 勝目ってすごいやっぱ自信になるもんなんですか? いや、やっぱりそうですね。あの、ま、プロスタート切れたのにその白星からっていうのはやっぱり大きかったですね。精神的。 最高のスタートですもんね。 そう。最高でしたね。 関頭勝利ってなかなかだって 関東勝利するのってなかなかですよ。なかなかみんなかかるでしょ、時間が。それがしょっぱなくるわけだから。 そうですよね。うん。 ま、今ね、今ならそういう感闘あんまりないと思いますけどね。 ないですね。 はい。1年目13勝ですよ。途中から うん。リリーフもあったんですよ。 そうか。そ時ってリリーフと両方やってたんだ。はい。で、あの、津田さんが うん。 あの、それもジャイアンツ戦じゃないですか? ジャイアンツ戦にうん。 原さんにうん。逆転が打たれたかなんかで うん。市民球場ですよ。民球場はい。 逆転ホームランが逆転中で負け投資になって、それが うん。何月ですかね?5 月ぐらいですかね。 うん。 で、そん時に初めて多分あの、ちょっと体調悪いと うん。 ちょっとずっとなんかキャンプ中から頭痛いってずっとやってたんですよ。 うん。うん。うん。 で、体調悪いとかって、ま、やっぱ自分の力で発揮できてないっていうのもあって うん。うん。うん。 で、ま、病院行かれて、 ま、そこで一応抹勝になるじゃないですか。あの、ストッパーがいなくなったわけですよ。 ストッパー。はい。はい。はい。 で、僕そこまで順調に勝ちしてこう行ってたんですけど うん。うん。ある時、その浩司さんが 監督がま、おさえしろと今日からうん。 今さ、でも考えられない当時ってそういうのがありましたよね。なんかなん、 10勝、10成分みたいなはい。だから だから5月の終わりからうん。 けお作用しろって言って僕まだ1 年目ですよ。うん。5月からちょまだ1 ヶ月ちょっとしか経ってそうですね。5 月の割だったと思うんですよね。うん。 で、え、僕でいいのかなっていうのがまず うん。そういう気持ちと でも言われたらはいしかない。 まあそうですね。嫌はないす。 はい。はい。だからはい。 分かりましたと言って、 え、リーフになりました。そっから リリーフっていうか、ま、今のうクローザーでしょ。抑えだから はい。9回。でもその当時は9 回だけじゃないんですよ。 そう、その当時。そうだな。下手した7 回から投げてましたね。7回3 イニング投げたりな普通だったですよね。 もうイニングたのが当たり前で うん。3 イニングも投げたことありますし。 うん。 で、いきなりが北プさんの後だったんですよ。神宮で。 ああ、北ペプさんの後。 はい。勝ち投書の権利を持ってた。 うわ、ま、来た。さんも200 勝何所かって ああ、1 番プレッシャー上がる中のそれも1 点再生だったら21か10 か言ったと思うんですけど。 それが最初のクロ。はい。クロで あ、もうこれだけは緊張しない。今でも覚えてますけどね。 ああ。ま、なんとか勝って勝って で、それが一斉ですね。 ま、自分だけのことだったら、まだしも人のそう記録みたいなものがこう絡んでくると はい。 ま、嫌い嫌っちゅうか大変ですよね。 いや、本当ね。うん。 ま、そういう最初にいきなりセーブあげたからまだいるんですけど、 本当にもう怖いです。 でも1 年目に変わったじゃないですか、途中から。で、 2年目からまた先発戻るんですか? はい。だから 両方いや、1年目5月終わりからって9 月にまた先発したんですよ。 うん。先発戻る。はい。で、その5ヶ月間 うん。 4ヶ月間ぐらいうん。うん。 あの、リして最後9月はうん。 ま、新人王というのもあって ああ、はあ。新人ありますよね。 で、ま、来年のためにっていう感じで、また 9月の最後何者いか先発をして うん。 で、新人王っていうと、ま、与田さんがちょっと衝撃されてるんで、もう 150kmよってぐらいで うん。あの当時の150 出ることないピッチャーがやっぱ150 連発。そして30セーブ上げたと。うん。 うん。 だから、ま、新人はもうほぼよさんだろうなって言いながらも、ま、僕も 13勝、ま、17セブしてるんで。13 章、17セーブ。はい。ま、30 西部に筆匹敵しますよね。 まあ、そうですね。だから、ま、インパクトがちょっとさんのありすぎて うん。で、でも、ま、最後まで、え、 うん。 真事を取れという感じで、ま、最後1 体で完封した時も うん。うん。 加藤弘さんの引退事なんですよ。 うん。うん。うん。大量の はい。で、1 体例で行ってたんで、だから普通は、ま、ま、打ってくださいじゃないですけど、ある程度 うん。 ま、力抜くわけなく、ま、真ん中投げて、 え、ていう、 ま、紹介でもありましたけど うん。うん。もう新人だし勝ちたいに、 ま、点差もね、1体でうん。 で、加藤さん、ま、入った瞬間にもう救助もあの、すごく完成湧くしそれが逆に僕も力が入って もうビュンビュンものすごい弾行って [音楽] 三振ですよ。真っすぐ 空気読めよとか言われた。 そういう感じでも後から加藤さんにすごく言われたんですけど。 いや、空気読めないですよ。1対0 だもんね。そうなん5対0 ぐらいだったらちょっと1 本ぐらい打たしてもいい。また1 年目なんでもう本当無が夢中して投げるしかないんで。そういう歌とかなんとかいう頭全くなかったんで。うん。うん。うん。うん。 ま、そこ、ま、カ封して1体例で13種 うん。 ま、これでどうかっていうぐらいだったんですけど うん。 ま、新人は全然も標はこんな感じでしたね。 へえ。中自体も成績は良かったんすか?じゃあ 巨人がぶっちぎり優勝なんすよ。 ああ、そうそう。巨人がぶち切り勝った。はい。 はい。20何ゲームかで2 位がでは3位かが多分中日だったんか。 うん。それでも中日が行ったんだ。 全然優関係なく優勝してればね、そんなあるかもしれない。 ちょっとありますよね。そういうのはね。 もう9月の10日ぐらいでも多分10 何時に優勝されて巨人が9 月のもう頭に買った。あんの時88 勝ぐらいしたんだよね。130試合性で。 はい。そうなんです。ああ、 でもそっからたらもう今CS とかないんで、 もう消化ゲームじゃないですか? 消化ゲームですね。 あ、そっか。そういうことか。 で、1年目の9月また先発もって2年目、 3年目はもうずっと先発。 そうですね。この2年目からは先発で うん。ま、91 年でも、え、カープが優勝するわけですけどうん。うん。 [音楽] うーん。ま、これはもう途中からお前の中 4 日でとか、ま、お前中心マスドっていうのはうん。うん。 え、オールスター系から うん。うん。言われましたね。へえ。17 章。そうですね。すごいな。17章で中4 日が13試合ぐらいだったんですかね。中 4日。はい。 で、ま、ここで入れるぞっていう時には先発して中 3日でリリーフして うん。で、中3日で先発してとかうん。 むちゃくちゃあったです。今絶対考えない。 全ないですね。 だからもう中日がオールスターまでに多分 7 ゲームぐらい開いてたんですよ。1位と。 うん。うん。 [音楽] でもオールスタからそう、え、勝負だということで僕も中も回ったりそういうスクランブルでリフしてま田先発とかで名古屋の天皇山これ 3連勝しかない時に3 連勝してひしっくり返したりとか うん。うん。うん。うん。うん。もうその 9月というのは本当に劇的だ。はい。 うん。だって130試合であん多分24 人になりましたからね。僕242人ぐ 130試合って規定投球回数130 でいいんですよね。あ、試合室でいいんですよね。 はい。そうです。そうです。え、200、 240ですね。じゃ、倍近く。はい。 じゃ、もう給料なんかこんな上がるでしょ。こんな、 え、こんな 持って帰れないぐらい上がる。車のトランプに詰めない。 車のトランプ。ちょ、すいません。軽トラに乗り換えてきますぐらいの給料上がるでしょ? いや、今だったらね。 すごいな。いや、もう奥なんかは軽いですよ。何億かが問題ですよね。 [音楽] でも3年間ずっと2 桁買ってきてその特に2年目17 勝して優勝してはい。で、4 年目にちょっと政治がガタっと落ちるじゃないですか。あの見てると そうですね。 で、あれ何かあったんですか? 怪我。 うん。いや、怪我じゃなくて、ま、3 年目に本当に、ま、17 章した次年も、ま、体そう、そこまで動いてないなっていう感じはしてたんですよね。 疲れは絶対ありますよね。 はい。で、ま、それでも12 勝したわけですよ。うん。うん。 あ、調子悪くても、あ、こういうピッチングすれば 12勝、10 勝はできるんだっていう、ま、僕のそういう悪いとこが出たと思うんですよ。その 4 年目は。うんうん。悪いっていうか、ま、自分では掴んでるつもりですよね。うん。 はい。知ったら4 年目になると本当に今まで思ってたスライダーがそんなに曲がらないとかまっすぐもちょっといや、ちょっと自分真っすぐじゃないなとか うん。ていう、 ま、不安がありながら入ったと思うんですよ。 で、うん。 そのシーズンもいいピッチングして1対 0、2対1とかで負け こともあったりうんうん かと思えば初回にボンと点取られて ノックアウトうん で1/3 で市民球場で5 点取られて負けたわけですよ うん ノックアウトですみんなからま村健二郎さんがあもうこれ以上悪くない これ以上 は落ちないからもう次大丈夫だ。次だってあの 1 なるなるからって言って子園に乗り込んだらこのだったんですよ。で はい。うん。1/3 が続いてもうちょっと立ち直りないなっていう。 うん。うん。ことアウト取れないってこと? 取れなかったんですよ。ホームランとかもう本当 5点3打たれてえ。 それって何なのかな?日が悪かったのかな? 日が悪い時もあったんですよ。 で、それでまた次は1対0しても1対0 負けるたら勝がつかないと時もあった。 で、さんがもうこれで大丈夫だ。もう次は勝てるぞ。いいピンできるぞって言ったらまた、え、ノックアウトとかそういう繰り返しの長 ながらもう僕は1 回ちょっとリフレッシュというか うん。 もう気持ち的にもう投げるのが怖いし うん。もうお払いしたい気分ね。 はい。申してちょっとあの2 軍に行きたいですということをコーチも言ったことあるんですけど 行かしてもらえなかったんですよ。 うん。うん。 だからこそその17 杯ってのがつくわけであって投げてもあ、負ける。 でも182人ぐらい投げてんですよ。 へえ。その調子17 杯することもある意味すごいことですよね。 そうなんですよ。普通あれはもう投げさないのでファーも落ちるんですけど。 うん。うん。 落としてもらえずもう投げろという。 うん。 でも逆に考えたらその怪我とか故障じゃなくてそれぐらいそこまですごい成績を残したピッチャーが大 17 するって。ま、もちろん勝ち負けは先ほど言われたようにこう打線との絡みもあると思うんですよね。 だけどなんでそんなに急に何かあったのかなと思ったらやっぱ疲れも溜まってて まあそうですね。あ、 ちょっと落ちるとやっぱピッチャっていかれますもんね。 うん。 だから急速にして、ま、ホームの崩れからやっぱり う、同じスピードでもホームちょっと崩したら うん。バッタからそう感じない。 うん。 速さがちょっとあ、お早くないな。でもつもの 145km多い じゃないのと思ってもやっぱり ちょっとなんかタイミング取りやすいなっていうこともあるじゃないですか。 ありますね。はい。 だからそういうこともあったりでやっぱり変化球の切れっていうのが 1番じゃないですかね。ああ、 僕1 年目にね、今はもうスライダーという意味で多分あったと思うんですけど、 [音楽] そのスライダーの切れがも全くなかったと思うんですよ。うん。 シュートスライダーですか?基本は スライダー。 あの、当時はスライダーですね。 スライダーですか?でもね、カーブ投げたでしょ? そ、途中からカーブというのが 俺ね、カーブが嫌だったの。 はい。 さと対戦して、もちろんスライダーとかもうものすごいいいコントロールできれもあるんだけど、 あの、カーブがすごいな、なんて言い方した。邪魔なボールで。 あ、そうなんで、 あのカうん。 あの左バッターで右ピッチャーのカーブが嫌ってなんか意外な感じするけど、あと西村っていうピッチャーがえっと、彼のカーブも嫌だった。 だ、西村さんのカーブと佐子さんのカーブはもうなんか独特なんすよね。バーンって上に上がって昔言うドロップみたいなでかいなんか こう落ちるだけじゃなくて1 回上がって上からこう落ちてくるような そうですね。だからバッターが1 回こう上向いてしまうんですよね。 いや、空振りするんすもん。 あってカーブではい。 当てるのには結構自信あったんだけど、あの子カーブで空振り上がるのか首がって上に はい。はい。 それは僕あの調子いい時はやっぱりバッターがお上がってる。 ほんで自分でパーンって打ったと思ってもうボテボテって壊すところがあ 本当邪魔なボールです。 あれ途中からですか? ま、ドローンとしたカーブあったんですけどやっぱりスライダーずっと投げてたんで うん。うん。 で、リリーフになってからやっぱりスライダーだけだとってもう 1回カーブを磨いたというか。 うん。ああ、リリーフになってから ああ、 ま、投げてたは投げてましたけど、そんなにあの、 ま、パワーじゃないですけど、ドローンとしたカーブだなのが 1回浮くような感じになったのは うん。途中からだと思います。 じゃ、まっすぐカーブスライダー、ほんで最後シュート。これ 4種類ぐらいですか? フォークもちょろたまに投げてましたけど。 ああ。 で、シュートも結局覚えたのは99 年ぐらい、98年ぐらいからですね。 じゃ、98 年ってもう俺引退してるからシュートなかったんだ。俺対戦した時入ってくるボールだけだったんだ。 そうですね。スライダーカーブですね。 うん。で、1999年に15勝13 カ東じゃ考えられないですよね。13カ東 はノヒノーすごい年ですね。99年。 これでまた これは何を掴んだんですか?そこは。 ここで、え、ま、98年にうん。 ま、達川さんに変わって 監督がうん。 で、ま、僕もちょっとうん、落ち気味なリリーフしたり先発したりっていう うん。 う、時期があって、そんなに成績収まってなく、 ちょっともう加工気味の時に、ま、嫁が うん。ま、このままだったら終わるよと。 うん。ということで、なんかうん。 [音楽] トレーニング工事をつけようと うん。奥さんがはい。え、 ていうの、ま、どっか探してきて うん。 そういうとあって、ま、と、今からトレーニングをまた変えないといけない。 もう体も変え、もう32 以下さんなってたんで、体を買いながらトレーニング方法も変いても、もうその人の 単独、あ、個人契約をしてウェトを取り組んだりとか、え、ま、ウェトだけじゃなくとやっぱり関節を動かすトレーニングとか、 ま、いろんなことをして、 で、その人まず入れたのは 短く150kmを目指すのと うん。 長くて 145 まででもバッタから打ちにくいホームをしたりとか うん。ま、ホームの改造もしました。そ、 ああ、絶対そっちだね。バッターから見ると多分 はい。同じ150 でも打ちやすいホームと、ま、140 ちょっとでも打ちづらいホームっていうのがあるわけじゃないですか。 うん。土地悪いコチだね。バッターから見ると分かってらっしゃるね。 そうですね。そういう、ま、それでそういうトレーニングもしながら うん。え、98年から迎えて [音楽] 達さんが多分その浩司さんが監督になった時に うん。 え、ま、いいから汗が出るぐらい練習したという名言を残したんですけど イ汗が出る。 多分そういう言われたと思うんですけど、それを監督なってもうみんなにそういうのやらすんだっていう。 うん。 だから、ま、大下ヘッドも一緒に帰ってこれ。 あ、大下さんもこ知ではい。 あ、ダブルだ。 98年の秋からもう無宮休 うん。キャンプはもう練習 無休はい。うん。 で、ま、どこ行っても練習する。移動しても練習 で日に5時 入ってもライターつけて練習でキャンプ。うんうん。うん。 で、地方球場行くじゃないですか。 もう休み当然なくて で練習する場所なかったらどっか公園を借りてそこで走ったり うん。 え、時には、え、香川行って うん。 球場の横にあの自転車のリンクがあるじゃないですか。 うん。競輪の競輪のはい。はい。 それを借りて練習とか え、あの中を走る走るとか もうとにくどこ行っても練習するともう休みなく で秋のキャンプ3週間ぶっ通しで えアップがですよ3時間とかうん アップはアップじゃないよね。 メインメインメインだね、それで午前中も走りっぱなし。 ああ、なるほど。 でもその3週間で8km痩せて、 ま、そうでしょうね。休みないんだもんね。 はい。はい。で、ま、投げ込みもそん時も 300 球というの何回もしてかもうもう1 回その鍛えられたというま うん。ま、体重持ちたのもいいんですけど うん。 でも秋のキャンプ終わってこの体重で2月 1日に来いっていううん。 オフの間。 それそ無理だ。ずっとずっとその練習しなきゃいけない。 あ、それきついじゃないですか。みんなもきつい。でもお前はちょっと 8くやばいぞって言って 体重系を 監督コチの前で測計されるわけですよ。 最終日に。うん。最終日に。はい。で 8km安のやばいんで。うん。うん。 もうなんかこう後ろ隠していてと [音楽] 重さをなんか重さかなんか入れて 分からない。分からないように余るきして体重権をまず乗って うん。うん。 ま、プラスでちょっとプラスというか そりそうだよね。ちょっと多めに出しかない。 多めに出しとかないとその2月1 日は無理だなっていうのが、ま、そういう時もありましたし 厳しかったんだやっぱり。いや、あの 9899年の 練習はきつかったですね。ま、でもそのおかげで僕と体の綺麗が戻ったりして復活したのがその 99年のうん。99年はい。13 間なんか普通普通今はもちろんないし 当時でもないでしょ。そんなに はい。 斎藤はでも結構監闘してた20 勝した時は結構監闘したけど はい。でも15 勝である程多賞争いに行けるのかなと思ったら [音楽] うん。化けモがましたね。その当時 どれ?99化けモがいました。 化け物?セリーグにはい。 え、新人で え、ちょっと待って。ちょっと考えさせ上原。 はい。あ、上原か。 あ、上原ぐらいしか思いつかつか。上原はでも 20勝した。あの1 年目に新人で20勝したんですよ。 そう、そう。はい。うん。 ま、上原の話、え、しましたけど うん。も、せっかく15 勝復活するのに、そ争にもならず うん。 お前が全部もうずっと勝ち続けるんで うん。ま、本当20勝で新事も取ります。 あ、でもしかも20勝5 杯ぐらいじゃなかった。そうですね。 多分負けてもないです、あんまり。 うん。96年日米野球。 あ、95 年に飲がメジャ行ったんだっけ?95 年じゃなくそうですね。早め95 年ぐらい僕はやめる前の年ぐらいに行って、その年、その次に日米野球で野が帰ってくるんです。 はい。 そん時に日本代表に、ま、日本チームで出て はい。はい。 メジャーの早々とあるバッターから結構三振取ったりとかいいピッチングをして リリーフだったんですかね。96 年というのは。うん。うん。 で、日米ジャパン選ばれてだ後ろで12 投げるというとこであのバリーボンズが うん。バリボン、 バリバリのバリーボンズがいて、ま、僕のカーブもバリバリだったんで うん。で、カーブで3球三振。 カーブ打てなかったらバリバン。じゃあ俺がカーブ打てなくてもいいんだ。俺が打てなくても当たり前だ。 それも落さって本当切れがあったんで追い込んだらもうカーボ投げたらワンマンするカルしてたんですよ。 うん。うん。うん。うん。ま、その後2 年後にまた同じ日米があってバリーボンズ対戦になるんですけど、もうバリーボーンズがその僕のカーブ というのはすごく覚えてて 参したのもよっぽど悔しかったと思うんですよね。 で、キャッチャー古田さんにうん。 うん。去年かあの2 年前にやられたカーブ佐岡の うん。今年は打つんだとうん。 て言ってたみたいで本当にカーブ打たれました。 うん。ホームランを。へえ。 はい。狙われて打たれました。 狙ってさ、投げてこいた。ま、でも最初はもう全く消えたんだろうね、そのカブはね。 そうでしょね。全くってなかって、 よくバッター消えたって言い方するんだけど。 はい。ああ、だけど、まあ96 年もその時の、ま、僕の名前も上がり で松井でも西武の松井うん。うん。松井和 はい。うん。 え、があのメジャーからそこ注目浴びて うん。メジャーに行く気なかったの? 僕はね。そう、あの、あ、新聞報道とか うん。 え、やっぱり3 年なぼで欲しいとかっていうのを聞いたこ見たことはありますけど うん。 ま、直接まで来なかったんですけど、 ま、そういう 行くのっていうぐらい言われたんですよ。でも僕本当あの当時かメジャーメジャーに興味なくて うん。 え、ま、だって外国人に弱いんですよ。 外国人に弱い。はい。打たれるんですよ。 へえ。で、日本でま、2 人いるじゃないですか。大体打順に外国人が、 あ、2人ね、います。 で、その、そういう外国人結構打たれるっていうか、あんまり好きじゃないんで。 うん。うん。メジャー行ったら9 に相手出ないんで。 ま、まずそこが でもって次の年まだ行きづらでもFA はもあったよね。 ありますけどまだまだ制度はあった。 まだFAのうん。10 年出してなかった。あ、10年か。 あん時てかポスティングとかにもあった。 ポスティングなんかないすよ。ないす。 もうまず野が行ってから次一次郎が行くまでも何年かあるでしょ。 うん。 だからなかなかあの頃はメジャーっていうのは現実的ではなかったですよね。 まあそうですよね。だから野はま、思い切って、ま、球団が許してくれたんだと思いますけど。うん。うん。 ま、だからじゃあ目じゃ行きますって言っても多分行かしてもらってない。 うん。とは思いますね。 でも自分ではもう外国人に、え、がちょっと苦手意識があってメジャ行ったらみんな外国人だし、しかも広島から出たくない人が はい。アメリカ行けないですよね。 ま、ま、まあ最終的なそこです。 でもお母さん喜んだでしょ。なんやかんや行って小さな時からね、苦労して育てて いや、喜んでなかったですね。 え、喜ばない?はい。でも 何を喜ばないんですか? 喜でしょう。プロででも、ま、1 試合も本当に命が縮むわとか あ、それは心配だから。 はい。心配症であって うん。 で、とにかく、ま、社会人の時もそうですけど、ま、離れたら うん。うん。1日1回寝る前でいいから うん。電話ちょうだいと。 へえ。 元気の一言でいいからとか。 うん。うん。うん。うん。 ま、それを約束に、ま、実はあの、広島来て うん。社会人に入って 大好きなんだ。可愛くてしょうがないんだ。 ま、1人子でもあったし。え、 [音楽] ま、上の兄がんですけど多分小さい時なくなってんです。それで僕は生まれてるんで。 あ、そういうこともあるよね。 だから本当に母親が元気な本当に毎日 うん。一言364 日というかどっかあの家以外は うん。うん。電話してましたね。 へえ。NTT なんでテレオンカードいっぱいもらっは。 だからあの当時携帯もないんで どか公衆電話とか どっかの電話でとかま テオンカードだけいっぱいあったんででも 365 日電話をするっていうのも優しいんですね。 ま、それ約束した中で いや、これ約束しても俺は絶対できねえな。それ 3日ぐらいはするかもしんないけど なかなかですよ、それは。 あ、だからどこ行ってもしないといけないっていうもう頭あるんで、もうどっかで電話探してとか。 いや、でもやっぱそういうこう意味でも継続力やっぱあるんだね。 まあまあ、そやり始めたらずっとやるっていうのありますね。 いや、それがやっぱ1 番やっぱ成績残す人が、 ま、プロ野球選手でもそれがある人がやっぱりそのプロの中でもいい成績を多分残すんだろうと思う。 うん。で、2007年に引退、 引退。それは何ですか?もうやっぱり体力と気力の限界ですか?やっ そうですね。 やっぱりもう成績の頃くなったし、やっぱり自分のボール投げれなかったんで、もう本当にその前ぐらいかちょっと苦しい思いをしながら ま、いつう、ま、やめるとか、ま、僕おそらく球団からもやめようということを言われなかったと思うんですよ。もう自分の うん。まあ、そこまで行くとね。はい。 うん。 で、ある人からは、ま、2009 年に松田スタジアムができるっていうのが うん。うん。 あったんで、お前絶対やめるって言うなと。 うん。お前 2、あの松田スタジアムで投げるまで頑張頑張れと。 うん。っていうのをもう2007 年に言われてたんですけどうん。 でもこの成績でとかもうちょっとそこまで持つ体力ないなとかことの葛藤しながらこの 2007 に入ってて。なかなか勝てない。2 勝ぐらいしかしてないんですけど うん。うん。え、東京ドームですよ。 うん。 え、大野さんもジャン戦 高橋吉中にあのバックスリーン東京道も打たれて引退受した 大野さん。大野さんがうん。うん。 で、僕もその2007年に7 月の終わりだったと思うんですけど、東京ドームで うん。岡原ガッツガうん。 今監督、安倍慎之助監督 うん。 に日本たれで最後は二 インスラを普通あれをファルとか空振り取りたいボールはバックス持ってかれたんですよ。 うん。で、この3 発を打たれた時にあ、もう終わりだなという うん。うん。 自分では思って、ま、帰ってホテルで、 え、家族に電話して、 ま、嫁に電話して、ま、嫁もそろそろなんかそういう予感はしてたんですけど、 ま、子供上の子長男はまだ野球したばっかりで 野球すごいもうやっとなんか分かるような時で、ま、僕はやめるって言ったらもう大泣きしてやめないでとかっていうのを思い出しますね。の子は女の子なんでそこまで分かってないんですけど。うんうん。うん。 うん。 ま、その上の子のやめないでっていうのがすごくずっと今でも残ってますけど うん。うん。ま、それが1番 もうでピッチングコーチに明日をもう落として、ま、ピッチンコ僕の下だったんで小林コチがですね。 うん。 もう若い選手をあげたり、もうちょ2 軍に落としてくれっていうのはその時にホテルでいましたね。 うーん。 うん。もうやっぱりそれぐらい成績を逃したプロの選手が一旦自分でやめるって決めたら周りはま、やめるなとは言っても なかなかそこでもう1 回ってできないですよね。もう逆に そうですね。もう気持ちがやっぱりついていかなかったですね。 うー。で、やめ、引退されてちょっとこう解説生活をして 何年間かブランクあってまたカーブの2 軍投資として戻るわけですよね。 そうですね。うん。 え、ま、やめて。うん。すぐ解説したの。 解説をしてうん。 で、途中野村健二郎さんが、え、監督に就任した時に [音楽] うん。もしかして校あるかなという うん。あったんですけど、ま、大野さん うん。うん。うん。大野さん はい。がコーチになられるってことで、ま、野村さんから今回ちょっと大野さんとやるから。 うん。 ま、もうちょっと待っとってくれっていうことを言われたような気はします。 うん。うん。で、7 年間、ま、うん。7年間はい。 野村さんの時は僕入らずに7 年間、え、爆ネトから見て うん。うん。で、大方、あ、監督になった [音楽] うん。時に、ま、球団に呼ばれて うん。 コーチやってくれと。 ま、当然一軍だと思ったんですよ。う ん。うん。うん。 あ、一軍のコーチだなと思ったら2 軍に行ってくれ。2 軍でやってくれて若をとにかく育ってくれ ていうこと言われて、あ、二軍かと思いながらも、あ、ま、うん。 二 軍を経験したこと僕はあんまりなかった。 ああ、そうか。現ですよ。で、ま、調子が悪くてちょっと落ちるって言ってもほぼ 2軍で投げたことがなかったんですよ。 うん。うん。うん。 で、ま、本当に、ま、変なしでし、2 軍のそういとこの練習とかいろんな気持ちもあないんですけど、ま、でもそれ経験した方がいいなと。 うん。うん。 思って日2軍チ引き受けてうん。だから2 軍のコーチの、あ、2 軍の遠征のホテル行ったことなかったんで うん。 うん。自分と運ってこういうこと違うんだよぐらいとか。 それはね、違いますよね。それもわざとの部分もあるだろうけどね。そのお金がないとか経費の問題じゃなくてやっぱりそこ差別化っていうかはい。 ちょっと区別をつけないといけないとこあるよね。 [音楽] そうですね。あの当、あの当時はもうあれですかね。でも 2軍の選手は自分で任務を持っていくとか 持ってきましたよ。僕らも僕は2 軍の選手最初18 入った時なんかそれは厳しかったですと。 そうですよね。今、今なんか2軍でも1 人部屋みたいなホテルが当てわれるでしょ。 今全部1人部す。そうでしょ?2軍でも 僕らもう5 人とかです。キャンプなんかはい。キャンプなんか 4人、5 人は当たり前になりましたし。うん。 だかもうどんなにちっちゃなもう2 畳ぐらいのスペースでいいから室が欲しかったですよ。 でもそれは一軍に行ってから池を悔しかったなみたいな時代ですもんね。 そうですね。 だからそれを僕はやったあのないんですよ。だから でもコーチはそんなことないでしょ。 あ、日本のコーチはま、グリーンでも行きますし。 [音楽] うん。うん。テ、ある程広いとかでもウエスタンリーグって結構なんて言うの?名古屋行ったり、大阪行ったり福岡行ったり移動 2 軍でも大変ですよね。イースタンリーグそうでもないですよ。あの大体こう車で行ける 範囲にあるんで狭いんでね。 はい。もう大変でしょ。移動が もうそれは慣れてます。もう一軍もう選手の時軍もっとひどいもひどい。もっとすごいですもんね。 東京まできます。東京。あ、そうですね。 だから全然そういうのはくならなかったですね。 いや、でもそれは本当思った。東京のチームって 3 チームヤクルトと横浜とあるから遠征が基本的に半分ぐらいじゃないですか。 はい。だけど あの広島とか名古屋とか大阪のチームってホーム以外全部遠征ですもんね。 そうですね。 そうやって考えたら結構大変だなっていう風に思ってました。 ま、それも慣れなんで僕らそうそう思わないんですけど やっぱりの が広島来たじゃないですか。 はい。はい。ま、ちょうどが3 年広島いてうん。 やっぱりこの移動試合とか もう移動するのがし、あの、きつかったっていうのは言ってましたね。 絶対。そうだ。 ずっと巨人にいたんではい。 うん。慣れ慣れっちゃう慣れ。 ま、慣れは慣れですね。まだセリーグなら 新幹線で行けてうん。 もうホテルも近いじゃないですか。うん。 もうパリーグはまだやっぱり パリグも昨いな。福岡から札幌まであるもんね。 あるんしとか ああ、西部 芝とかっていうのはまた乗り換えかなんかいろんなしないといけないでしょ。ああいうのがバリのが絶対しんどいなと思いますね。 ああ、確かにそうやな。あと監督時代に森下。森下僕の後輩なんですか知ってますか?大分。 [音楽] はい。大はそうですね。 はい。栗林。栗林は名城台からトヨタかな。 そのピッチャーを2人ドラフト1 位で監督の時に あれやっぱドラフトの指名は監督の権限結構あるんでしょ?ジャンツも。 結構ありますよ。最終的に。 あ、僕初めて、ま、その1年目の時にCS の間ですかね。うん。そうですね。 で、ま、シーズン中にそのリストの ビデオをパソコンに入れてもらって、 ま、カープ箱の中からっていうので、 全部やっぱり見たんです。見るんですよね。 100人ぐらい。 で、一応チェックをして、ま、カーブのうん、 リストの中のピッチあった、こう、A ランクとかこうない方がいいとか色々一応メモって うん。 え、ドラフト会議の時にはなんかオーナーからこと言われたら うん。 なんでこれがいいんやとか、これどうやとかって聞かれてもいいように答えなきゃ ある程度ずっと見てて で1 年目の時はえ、監督1 年目だから好きな行っていいよと1 位で誰って言われ誰やって言われて僕は森下が欲しいです。 うん。な んでやといでもう何もかも揃ってますし野球選手とあのピッチングホームと うん。 ま、バッティングもいい。趣味もいい。 うん。顔もいい。うん。高校もいい。こ、 そうですね。 それでで、え、森下僕は行きたいです。 うん。 で、ま、あの監督の森さんならも行けと。 うん。 でも多分オーナーは佐々木老記だったんじゃないか。 ああ、佐々木老記の時か。あ、 はい。 だ、多分球団は老期じゃないかなと思ったんですけど、ま、僕の意見を通してもらって うん。うん。うん。森下鳥にうん。 で、ま、森下もやっぱり評価高いんで うん。ま、どこが来るかなとか うん。DNA も西政部もとかいろんなやっぱり候補上がっての中で うん。じゃあ早めに公表しようとか言って うん。 前の日に、え、ま、会議の後に森下で行きますっていうのを公表したわけですよ。 うん。うん。うん。 で、あとはどういう、あ、他の球団がどう思うかっていうだけで、ま、当日を迎えて [音楽] うん。 ま、当然森下行ってで、DNAが1 番怖かったんでうん。で、DNA って瞬間に森り来たとこです。 で、とも森りカっと思ったら森って終わったんですよ。森ケとっ、あ、 ああ、あ、ショートの子。はい。 ああ。あ、森と思って 森で終わった。森 でも森ケトもいい選手になりますね。去年からね。 うん。てきました。うん。うん。 [音楽] で、ま、単独で取れたってのが大きかったですね。うん。 [音楽] ちょっと繰り返林もやっぱりピッチャーの中心になってるしってまあ今そうでもなんか以前は FA でこう出る選手が何人かいたじゃないですか。 はい。 川口さんとか江藤かな。ま、2 人ともジャに多分来たんだろうけどでも佐岡監督の時は誰も出なかった。 それはやっぱり人望だったり、ま、出たい人もいたけど、 その 説得したとかいう話が伝わってきてるんですけど、あの、 FA になって出るような選手を、ま、引き止めつなど言い方悪いけど お話をされるわけでしょう。 はい。そうですね。うん。 だからそのシーズン中は全く外食とかコミュニケーションあれなかった うん。うん。3年間なんでうん。 オフになるとうん。 まあ、3人までは ご飯連れてっていいという。うん。12 月あったんですよ。 うん。コロナでね、コロナの時期で。うん。 だからそん時に僕とその先週3人 だから一軍にその時によった一軍30 人ぐらいいるんですけど、ま、外国人やったら 20何人ですかね。うん。 マネージャーに売ってちょ連れていくわと。 うん。もうそういう時しかない。 話すこともなく食事することなかったんでオフの間にま、話しようと。 うん。うん。 で、毎年その3 人ずつご飯食べ連れてきましたけど、いろんな、ま、 焼き鳥もあれば、焼肉もあればフグもあるよとかて、ま、それを 分けるのも大変だったんですけど、 フグがいいな、俺は。 はい。フグは大体ベタンクラス。フグはベランクラスで若い選手は焼き鳥 中堅はま、焼肉で、ま、3 つに分けてうん。 行ったんですけど、そん時ちゃんとクリと うん。大セラがクリセラうん。うん。 が、ま、FA、FA で、これ、ま、一緒にご飯食べて、 ああ、 ま、説得じゃないですけど、ま、僕の気持ちを伝え、ま、来年また一緒にやって欲しいっていうのを うん。うん。 これは鉄板焼きを連れてたんですよ。 ああ、ちょっといいとこ。はい。うん。 鉄板焼きをね。はい。 ちょっといしたら大が他もあの広島残って うん。 え、残るつもりでいますということをパッて言ってくれたわけですよ。 へえ。で、クリも僕も残りたいですし うん。今ちょっとあの嫁と うん。 嫁がちょっと権限持ってるとか言って 嫁と交渉中ですけど ま残りたいです。うん。 よし、じゃあじゃ乾杯しようかとか言って うんうんうん。 ちょ、シャンパン持ってきてって言ったらシャンパンなかったんです。 の店には近くのあのあの呼クラブが買ってく 買ってきてあの同じ系列の店なんで ああんでシャンパンをんで乾杯そこで ああ来年頑張ろうと ああて言って乾杯をして うん でそのままうちの家連れ来たわけですよ2 人うんうんで家にはい 家に監督が家に呼んでくれるって特別ですよねあ あま結構家で飲んだするんですけどまそこでまた飲みながらちょくりがトイレ電話行った時の好きにうんうんうんう うん。大地にその時も来年開幕な うん。ということも伝ああ もですね。 で、1 年目の時はその大3 年連続開幕したんですけど うん。1 年目の時ももう大腸も開幕と決めてたんで うん。 これこれはクリスマスだと思ってクリスマスプレゼントにしようと ああ クリスマスの日に伝えようと思った。 ああ、なんかそういうの大事にするように見えないんだけど結構ね、こだわるんですよ。 こだわるんですね。はい。結構しの割に おしゃれな感じしますね。なんか 商業高校ですからね。数字が好きなんで。 そうか。商業計算高いよね。商業高校ね。時々俺は計算間違う時あるけど商業高校だから。 そうですね。だから それで球団にじゃ今大地どこにおるかなって言ったら うん。その新婚旅行だった。 新婚旅行 いやハワイに行ってますか?うん。で、 LINE、LINE をちょっと教えてもらって。うん。12月 24日のだから25日になる12時に LINEをうと思って ほう。クリスマス。 あ、ハワイ時間に合わして。 そう、そう。それでハワ時間に合わすのに計算をして計算得意なんで。 あ、消業高校だからね、俺たち。うん。 はい。多分日本時間の25日の夜7 時だったと思うんですけど。 ああ。ああ。あ、は。そこに文章を書いて うん。 え、今新旅行中であれだろうけど、来年開幕頼むなと。 うん。 今あ、頼むなってその7 時に言ったんですよ。ま、ちょうど24、 25日になってるから。うん。じゃ、1 時間後にうん。 あ、ちょ、夜中なんでしたけどうん。 LINE 帰ってきてありがとうございます。びっくりしました。 へえ。 ええ、今はゆっくりさせてくださいて。 そう。今新婚旅ど行だからね。邪魔をしないでください。 やっぱそうやって監督と選手ってこう時には距離を近く、時には遠く遠くっていうのはおかしいけどある程度距離取らないといけないじゃないですか。なんかこうあいつだけ可愛がってるみたいなとこがあるから その不公平みたいなものを見せちゃいけない部分があるじゃないですか。 選手と監督っていうだから距離感すごい難しいですよね。 難しいですね。はい。 ま、難しいですし、その時その2 月からコロナになって、またこ接触できなくなって 最悪やな。ま、最悪って言い方どうかわかんないけど監督になって 2月。そう、2月からコロナ。3 月ですね。キャンプ終わってから うん。コロナですね。3 月に帰ってきてからもう1 回解散しましたからね。 開幕だってあれ遅れたんすよね。 はい。で、 キャンプやってた。そうですね。だから3 月に休みかもうみんな一緒になるなと。 ああ、そうだった。 はい。だからね、もうなんすこともできないマスク越しでしょ。 うん。 で、起動力もそのだ、周りから僕はいつも笑ってないとか笑まってないとかじゃなくてやっぱ喋れないし、ま、マスクで隠れてるしとか。 うん。うん。うん。うん。 そう。いつも笑ってる場合じゃないですよね。コロナで。 はい。で、3 月はもう全く行動、あの、制限されて途中から練習できるのも 4パに分かれてうん。うん。 ピッチャーのAB、ヤシのCDとか4 パに分かれて連勝1時間ずつ。うん。 で、監督コーチもAについたらB、CD のチームは見れないだから。 ああ、 もうA半が9時から10 時したらすぐ帰れと 帰る。で、10時過水から11時までがB でうんうん。うん。帰れ。だから 接触しちゃいけない。いけない。 大変だったですね。 何だったんすかね。でもあの時代は本当 あの時代何だったんすかね。いや、本当何だったのかな。 [音楽] あとカープ、カープのことを最後に聞きたいんですが、去年はも 9 月ぐらいまであれ周だったのがトップにて 9月に1ヶ月間で、 え、20 パ近くしたね。バタバタバタとした。20 で最終的に あの首囲からビグ4位まで落ちたのかな。 はい。あれはやっぱ投資力ですか? ピッチャー最終的な投手力うんだと思うんですけど。 うん。 ま、ピッチャーも本当にずっと頑張ってて うん。ま、新井監督もその前の年、 え、2 位に終わったんですけど、優勝できそうで、え、 8月ぐらいから故障者が出てきて、 え、ま、力は今から、え、優勝向けての [音楽] うん。 ギアを入れるっていうことで入れなかった。うん。うん。 だからこそ去年というのはその前の年の反省を踏まえてしっかりと体力温存じゃないですけど、 ま、伝統も控えながらで [音楽] 積極的給を使いながらとか もうある程度監督の考えた通りに うん。行ってて8 月終わりに周囲に立ってて うん。じゃあ9 月に今からギア上げて最終コーナー回ろうかっていう うん。っ ていうのは多分計算通り行ったと思うんですよ。 そこまでね。はい。うん。 うん。ま、でも蓋を開けてみればもう9月 に今までそんなに連も投げさせない ピッチャーがとか玉かずも投げさせてない イニングもしっかり抑えながら来て9月に なるとまあ5日もありえろ考えてギアを 入れるとこでやっぱりあのその前の試合で 打線が点が取ってくれないうんでも1点2 点で勝てたうんそれを勝て さん積み重ねがやっぱりピッチャーで今日もバッター打ってくれないから 1点取られたら2 点取られたらっていう気持ちで投げるわけですよ。 だからその1009から110 級投げてる間にま抜くわけじゃないですけど、そういうことができない。もう全部マックスいかないといけない。 100 球だっ、ま、見えないその疲れっていうのが うん。あ、そうでしょね。9 月から出てきて、ま、つものボールじゃなかったりうん。 いや、ずっと10 勝ま、パッと勝ってた。その森下、え、どこ田、ま、大空なんかはね、本当に 1点台後半でうん。 え、それがまた打たれる。クも勝てない。その 4本柱がやっぱりうん。 え、本当に今の抑えたのが打たれる。もう 3点4 点取られたらもう打性もその奮発する力ないんで、そういう連敗が始まったというとこなんですかね。 うん。ま、こう悪いのが重なってしまったんですね。 そうですね。はい。 今からギア上げるっていう時に監督は本当に上げれると思ったのがもう選手がそこまでついてなかったかなという。 うん。 ま、いいこと言われるんですけど、そういうあのやっぱりその疲労とか ま、今のこの厚さ ああ、そうね。広島の暑さと 広島の暑さあのナがあるしね。 はい。ま、やっぱりドームでやってるのとやっぱり夏のあ、暑い時やってるとか ドームにしたらいいのに ね。あのやばい。 はい。どう務 開閉したらいいと思の時ね、そういうことも色々言ったんですけど、 年までいいじゃないですか。球場はすごく 完全に導しちゃうと人工芝になるよね。天然芝であの開閉にしたらもう最強だと思う。 今年はじゃあどうすか?その去年のまた反省を生かして、 ま、当然新井監督以下やってると思いますが、色々マネジメントしながらやると思うんですよね。 うん。 で、夏対策とかもね、いろんなことやりながらだから うん。 う、ま、練習方法も変えたりするとは言ってましたけど、ま、それが本当にいいのか悪いのかよくわからないですけど、 ま、その当然選手もその、 あの、食いやすってのはみんな知ってるんで うん。だからこの9 月になったらまた力発揮できるようなマネジメントを多監督がやってくれると思いますし うん。 ま、ピッチャー自体も、え、森下が今年開幕投して、え、引っ張ってくれる、 [音楽] 中心になってやる。ま、そこにとこ田とオセラリアがいて、え、ま、クが抜けたんですけど、やっぱり若い選手の競争っていうのはね、今あ、すごくうん。充実してるというか、ま、去年監督が変化の年 うん。え、今年は変わるんだという、そう いうのはやっぱり若い選手を使いながら、 え、育成しながら勝つチーム作ると いううん。 ことだと思うんで、ま、みんなね、本当にあの、ピッチャーも野シもう、やっぱ試合に出れなかったらレギュラー取られるとか、 ま、今年なんか特に二股がね、 あの、レギュラー取りとこまで来て、え、ここに自宅じゃないんですけど、パンとでも次の日出ないと今休んでたら、 あ、若い選手があの、取られると思う。そういう気持ちがやっぱ昭和感あっていいなという。 うん。いいですね。はい。 今ならすぐね、ちょっと怪我したら休む。今休んだらも本当今レイギー取るとか取られるだから僕ができますと出るとこがね。 うん。 ま、こういうチームになるんじゃないかなと思いますけどね。 昭和感いいですね。昭和感いです。 やっぱそのなんかなんて言うの?気合いと根性がなんかちょっとなんて言うのかな?ダサいっていうかな。今風に言ったらあんまり全面出てないけどそれをやっぱ出してこのプロ野球ですもんね。 それがあってからのスマートさなんて後でいいと思うね。 それがやっぱり 僕は全面に出てすごい嬉しいですよ。ああいうなんか黒いなんかこうマスクみたいなしてね。バンドしてね。 あら、根性あるなって誰が見ても分かりやすいじゃないですか。 そうですね。うん。 今なんか女子野球のちょっと少し教えてるって。 そうです。あ、今まあいいですね。 え、こ、ま、地元で、ま、改正しながらうん。うん。 うん。ま、その三市の うん、 ま、本当師のも野球選手がよく出てる町なんですよ。 へえ。うん。長川うん。 で、福嵐とか。あ、そうなんだ。あ、 これはもう三出てる 結構広島の人は多いですね。 多いですね。ですね。 その中で、あの、女子野球を、ま、あ、立てる、接するというとで、なんとか力になってくれないかっていうとで、 最初監督、ま、監督は、あの、元近鉄の川口 うん。 さんがその監督になったんですけど、球団代表はどうですか?球団代表のちょっと苦が重いな思いながら はい。なかなか ある程入んなきゃいけないですね。 はい。ま、仕事はこっちの解説があるんで、そんなに行けないんで。 うん。うん。でもじゃあGM ならとかっていう話で、ま、GM あんまり変わらないんですけど うん。うん。うん。 うん。ま、一応まだ選手も少なかっ うん。試合できる7人8 人ぐらいのとこから、ま、まず先週募集から うん。うん。うん。うん。 しながらやっと今9人、10 人に試合できるんですけどうん。うん。 ま、その女子野球の発展というか、ま、もう 野球になんかの貢献できればなと。 うん。 ま、見という本当にそういう近いとこで、え、何らかの形でっていう気持ちで、ま、今回、え、就任させてもらったんですけど、 [音楽] あ、いいですね。女の子大事ですよ。これから、ま、不安として支えてくれることもあるけど、やっぱりね、みんなお母さんになっていくわけで はい。え、ま、その主婦の方もおられて うん。え、そうなんですか。人のへえ。 おさんを持ってるだけで、え、久々にあの野球をやって [音楽] 子供にお母さんがこういう野球やってるところを見せたいと。 へえ。 あ、だから高校生からそのあと年齢なく主婦でもオッケーというチームなんで。 ああ。あ、そうなんだ。 あ、いいすね。え、 でも女子野球って今結構盛になったてか、どんどん増えてはいますよね。 そうですね。 だからその運に立つようなとこまで行けばいいんですけど、まずちっちゃいリーグから入ってって、ま、人数が集まればその全国大会みたいなこに 行けるようにうん。 ま、行きたいですし、ま、とにかく ま、楽しさとうん。 え、ま、周りに地域の貢献とか うん。 ま、でもどっちにでも我々はどんなことがあっても野球で最後まで死ぬまで何か関わりながら そうですね。やっぱり野球から離れることないんですね。 うん。 なんかきなことかもしれないけど、貢献をしながら、お返しをしながらやっていくんでしょうね。だ、素晴らしいと思いますよ。野球から離れることないんだなと思いました、今回。はい。 女子野球まで行くんですから。 いや、でもまだ僕より年も遠ぐらい若いのかな?あ、東で若くないのか。 6つ、57ぐらいですか?今58ですね。 58ですね。まだ60 ぐらいになったらまたもう1 回カープの監督やってください。い、 やった。やっぱりね、50代、60 代ってなってやっぱりもっとこういろんな経験をしてまたもう 1回やっぱり2回やってはい。 本物ですよ。ああ、 多分多分てわかんないけど2回やって 原さん何回やったんですかね?3回だから 1回目より2 回目のが悪くなること絶対ないから僕そう思うの。 だから1 回やって何年かちょっと他のまたもう1 回見てもう1 回やるっていうのは安倍首相だってそうじゃないですか。だから 2回やってください。 ありがします。 はい。ありがとうございました。 ありがとうござ、ありがとうございます。 [音楽]

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◆佐々岡真司さんプロフィール
選手歴
島根県立浜田商業高等学校
NTT中国
広島東洋カープ 1990 – 2007

監督・コーチ歴
広島東洋カープ 2015 – 2022

◆アスアカ総集編★一気見SP
【アスアカ総集編 一気見SP vol.50】天翔ける甲子園の一番星 荒木大輔

【アスアカ総集編 一気見SP vol.51】頭脳派戦士の回顧録 仁志敏久

【アスアカ総集編 一気見SP vol.52】バルセロナオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト 岩崎恭子

【アスアカ総集編 一気見SP vol.53】曲者Winding Road 元木大介

【アスアカ総集編 一気見SP vol.54】正捕手魂ド根性 村田真一

【アスアカ総集編 一気見SP vol.55】吠える!悪太郎 堀内恒夫

【アスアカ総集編 一気見SP vol.56】魁!!スイッチヒッター 柴田勲

【アスアカ総集編 一気見SP vol.57】猛々しき野良犬の咆哮 愛甲猛

【アスアカ総集編 一気見SP vol.58】横浜高校伝説 安西健二

【アスアカ総集編 一気見SP vol.59】歌い踊る正捕手の嘶き 里崎智也

【アスアカ総集編 一気見SP vol.60】下町マコちゃん 益子直美

【アスアカ総集編 一気見SP vol.61】闘う紳士が歩んだ激動の野球人生 田尾安志

【アスアカ総集編 一気見SP vol.62】実直なるミスターロッテが語る魂の打撃理論 初芝清

【アスアカ総集編 一気見SP vol.63】黄昏アイアン・ホーク 下柳剛

【アスアカ総集編 一気見SP vol.64】球界のリアルジャイアン 山﨑武司

【アスアカ総集編 一気見SP vol.65】なぜ彼は代打の神様と呼ばれたのか? 桧山進次郎

【アスアカ総集編 一気見SP vol.66】若虎四天王回顧録 藤田平

【アスアカ総集編 一気見SP vol.67】巨人軍在籍30年プロ用具係の流儀 大野和哉

【アスアカ総集編 一気見SP vol.68】巨人軍フロントの全てを知り抜く影番 香坂英典

【アスアカ総集編 一気見SP vol.69】五輪体操競技メダリスト 池谷幸雄

【アスアカ総集編 一気見SP vol.70】浪花の打撃系捕手 西山秀二

【アスアカ総集編 一気見SP vol.71】走れ七色の変化球 大野豊

【アスアカ総集編 一気見SP vol.72】絶叫の向こう側 松木安太郎

【アスアカ総集編 一気見SP vol.73】一休さんの真・捕手論 中尾孝義

【アスアカ総集編 一気見SP vol.74】規格外の超絶アスリート 大田泰示

【アスアカ総集編 一気見SP vol.75】誇り高き鉄人ロック 大野均

【アスアカ総集編 一気見SP vol.76】黄金の強肩伝説 伊東勤

【アスアカ総集編 一気見SP vol.77】不屈の昇竜巧打者 谷沢健一

【アスアカ総集編 一気見SP vol.78】KUNOICHI完全制覇 大嶋あやの

【アスアカ総集編 一気見SP vol.79】サイドスローの虎戦士 川尻哲郎

【アスアカ総集編 一気見SP vol.80】ノックアウト・ダイナマイト 内山高志

【アスアカ総集編 一気見SP vol.81】投命を刻む右腕 佐々岡真司

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