87年7月21日の巨人戦、4回に宇野がクロマティの打球を取り損ねる。僕(左)はバックアップに回っていたが、このイニング中に交代させられた
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 1987年(昭62)、右手小指亀裂骨折から6月5日のヤクルト戦(神宮)で復帰。3試合8番に入り、9日の巨人戦(平和台)から1番に戻った。

 相変わらず座骨神経痛と左ふくらはぎ痛に悩まされながら、それなりの仕事はしていたつもりだが、星野仙一監督の信頼を失う試合が訪れる。7月21日の巨人戦(富山)だ。3―3で迎えた4回の守りだった。

 1死無走者の場面でウォーレン・クロマティがショート後方にフライを打ち上げた。深めに守っていた僕も捕りに行ったが、ショートの宇野勝が手を上げてボールの下に入ったから、バックアップに回った。

 ところが、宇野はバンザイして捕り損ねた。その直後、ベンチ前で彦野利勝がキャッチボールを始めた。うん?と思っているうちに、吉村禎章に2ランを打たれ、駒田徳広も右前打。ここで僕がベンチに戻された。イニング中に彦野と代えられたのだ。

 中継の解説者は「なんで平野を代えるんでしょうね?」と言ってくれたらしいが、試合後のミーティングで星野監督に「あれはお前が捕らにゃいかん。それぐらいはやれる人間だから」と言われた。そうかと思って一応は反省した。

 仙さんには現役時代から怒られている。僕のことを嫌いなのか、あるいは目をかけてくれているのか分からないが、力を認めてくれているのだから、それには応えなきゃいけないと思った。

 だが、僕は闘志を前面に出してやるタイプじゃない。下半身の状態についても監督に隠していたのはよくなかったが、少々のケガは黙って試合に出るのがプロ。そう教えてくれたのは仙さんだった。

 富山、新潟遠征から帰ったら打順は2番に。8月中旬から時々先発から外れるようになり、9月30日の巨人戦(ナゴヤ球場)からは11試合連続でベンチスタートとなった。

 スタメンに戻ったのはシーズン最終戦となる10月13日のヤクルト戦(同)だった。満塁走者一掃の三塁打を放つなど3打数2安打4打点。あるコーチから「いい形で終われて良かったな」と言われたのを覚えている。

 そして浜松での秋季キャンプ中、夕食を終えて娯楽室で雀卓を囲んでいた時に監督室へ呼ばれた。

 「トレードが決まった。相手は西武だ」

 仙さんから通告された後、同席していた外野守備走塁コーチの島野育夫さんが何か話してくれたが、どんな話だったか覚えていない。
 ただショックはなかった。スポーツ紙に「平野トレード」と書かれていたし、出産を控えた嫁さんの実家は西武の本拠地、所沢市と同じ埼玉県の熊谷市にある。ありがたいと思った。

 小野和幸と1対1の交換トレードが発表された11月20日、現在は俳優、声優として頑張っている長男の潤也が生まれた。

 ◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。

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