82年日本シリーズ第5戦、3回2死二塁、先制打になるはずの打球が一塁塁審の足に当たり、二塁走者の田尾さんが三塁でタッチアウト
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 10月18日にリーグ優勝を決め、わずか5日後の23日に日本シリーズが開幕した。優勝の余韻が残ったまま、気持ちの切り替えも相手の研究もできない。

 本拠地ナゴヤ球場でスタートしながら第1戦3―7、第2戦1―7と連敗。中途半端な気持ちで入り、西武の強い野球を思い知らされた。

 だが、西武球場へ所を移して第3戦4―3、第4戦5―3と連勝。いずれも9回に決勝点を挙げて接戦をものにし、2勝2敗のタイに戻した。

 「いけるぞ!」という流れで迎えた第5戦だった。0―0で迎えた3回2死。田尾安志さんがショートへの内野安打と石毛宏典の悪送球で二塁へ進み、僕に打順が回ってきた。

 マウンドには左腕・杉本正。入ってくるカーブを狙い通りおっつけると、打球は一塁を守っていた田淵幸一さんの横を抜けた。よし先制だと思った。

 ところが…。右翼線に転がるはずの打球が一塁塁審の村田康一さんの右足に当たり、二塁手の山崎裕之さんの前へ。山崎さんから三塁手のスティーブ・オンティベロスに送られ、田尾さんはタッチアウトになった。

 内野を通過した打球が審判に当たった場合は、そのままプレーが続行される。「審判は石ころと同じ」なのだ。それにしても絶妙なインサイドキック。ああ、びっくりしたわ。

 中日は5回、大島康徳さんのホームランで先制するが、逆転されて1―3で負け、王手をかけられた。「石ころ事件」がなく、3回に1点入っていたらどう転んだか。ナゴヤ球場へ戻っての第6戦は4―9の完敗。2勝4敗で敗れ、日本一はならなかった。

 西武についてもう少し予備知識を入れる時間があったらなあという思いもあったが、悔しさは正直なかった。レギュラー1年目にリーグ優勝し、日本シリーズも経験できた。長いシーズンがやっと終わったという感じだった。

 ダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞を受賞。一応チームの顔の仲間入りをさせてもらい、球団から背番号変更を提案される。「3はどうだ?」と聞かれた。

 この年引退した富田勝さんがつけていた番号。以前は中利夫さんや藤波行雄さんが背負っていた。光栄だが、母の命日が5月7日で57にも愛着がある。渋っていたら「じゃあ1にするか」と言われた。

 いやいや、そんなの恐れ多くてつけられるわけがない。高木守道さんの番号。守道さんは引退してコーチになっても2年間そのまま1をつけていたが、67へ変えることになっていた。

 「分かりました。じゃあ3番をつけさせてもらいます」

 入団時の81から57、そして3へ出世。背番号の数字はいい形で小さくなっていった。

 ◇平野 謙(ひらの・けん)1955年(昭30)6月20日生まれ、名古屋市出身の70歳。名古屋商大から77年ドラフト外で中日入団。88年に西武、94年にロッテ移籍。右投げ両打ち。俊足強肩の外野手として活躍する。ゴールデングラブ賞9回。盗塁王1回。歴代2位の通算451犠打。引退後はロッテ、日本ハム、中日、社会人、独立リーグなどで指導を続ける。現在はクラブチーム、山岸ロジスターズ監督。

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