2025年の期間内(対象:2025年5月~8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。令和の中日ドラゴンズ部門の第1位は、こちら!(初公開日 2025年6月8日/肩書などはすべて当時)。
巨人に憧れた愛知の野球少年が、中日ドラフト2位で入団して出会った闘将の素顔、クビを覚悟してからの結婚と覚醒、そして本塁打王になるまで。現野球解説者の山崎武司氏に聞いた。〈NumberWebインタビュー/全4回。第2回につづく。敬称略〉
“外れドラ1指名”の約束が…裏切られた気持ちに
子どもの頃からの憧れは、先日89歳の生涯を閉じた長嶋茂雄らが袖を通した巨人のユニホーム――そんな18歳の少年は、ドラフト会議で大人の世界を思い知らされた。しかも、12分の3、望んでいない25%の確率に当たってしまった。
プロ生活27年、歴代20位となる通算403本のアーチを架けた山崎武司のプロ野球人生は“不運”な幕開けだった。
「今思えば、よくある話です。ただ、当時は18歳。色々と大人の事情があるかもしれませんが、裏切られた気持ちで落ち込みましたね」
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巨人が桑田真澄(現巨人二軍監督)をドラフト1位で指名して物議を醸した1985年のプロ野球ドラフト会議。その翌年に愛工大名電で強打の捕手として知られていた山崎は、巨人から指名されるはずだった。巨人のスカウトからは事前に、こう伝えられていた。
「1位は亜細亜大の阿波野(秀幸)投手を指名する。他球団との競合が予想されるので、外れた時は君を1位で指名するから」
中日スカウトには「指名されても入団しません」
巨人のスカウトは頻繁に山崎を視察に来ていた。愛工大名電は不思議と地元の中日よりも巨人と縁があった。山崎の1学年先輩だった杉浦守は1985年のドラフトで巨人から指名を受けた。他にも山本幸二や鈴木伸良ら、巨人でプレーするOBが多かったことから、山崎は自分も巨人のユニホームに袖を通す姿をイメージしていた。
「高校の監督とも『ジャイアンツで決まりだな』と話していました。子どもの頃から好きな球団でしたし、家族も全員ジャイアンツファンでした。周りはドラゴンズファンばかりでしたが、王さんや長嶋さん、中畑清さんや原辰徳さんといったスター選手に憧れていました。ジャイアンツ入りしか考えていなかったですね。ドラゴンズのスカウトには『指名されても入団しません』と断っていました」
巨人は宣言通り、ドラフト1位で阿波野を指名した。

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