藤本・井口・平石が明かす各球団のコーチ人事&指揮官たちの『印象に残った試合』【監督・コーチングバイブル】
お話伺ってるともう昔よりもコーチがすごい大事になってきてるのかなっていう風な感じを受けるんですけど、その監督やられるにあたってその部分コーチってどういう格みたいなものをしてたのか 僕はもう選ぶことできませんでした。もう決まってました。 うん。2 年目はシャッフルするって言われて、じゃ、半分残してくださいって言って、これ言うただけです。 うん。うん。 で、その時に外から呼んだのが斎藤和だけですね。 はい。 そこは藤本さんがあのお声がけをされたというか もあの会社が電話してすぐオッケーしてくれたみたいです。 へえ。 そこはあのかさん呼ばれたのはなんか いや、あのピッチングチバッテコーチ 1人ずつ2 軍の方に行くんで内ヤ村松と本田コチがいたんですけど本田コチは 1軍しかしたことなかったんでまあ 2 軍の若い子見た方が勉強になるんじゃないのっていう感じでほ田こジ軍行ってもらってで誰をあげるかっていう時に誰が誰が上がってきたんかなが上がってきたんすかね今 2軍監督してる うん だ、ほとんどそのコーチは僕は決めてません。 うん。 オルメンバーでとりあえず言いたいことあったら言ってくれ。俺も言いたいこと言うからって言うてコーチには普通にきつく言ってました。 うん。 選手には優しく 笑いすぎじゃないですか。 いやいやモ手できつく言ってたんですね。 いや、森、森がね、森コーチがま、これ今森とか松山も出てきたら全部平の先輩ですけどね。 確かに あの 松山厳しそうやもんね。 松山厳しいす。はい。 で、森も安に入ってうまくコチをうまく回してくれたんで良かったかなとは思いますけどね。 うん。 じゃあ、あの、ま、コーチを伝ってやりたいことはある程度でい はい。もうだから監督はもそこで追ってください。僕らやりますから。て、コーチがみんな動いてくれたです。だから本当いいコーチだったんじゃないかなと思います。全員が。 うん。 いさんの場合はいかがです。 僕の場合はやっぱりあの、ま、ロッテって球団が 1974年からリーグで1 位になってないっていう、ま、これはやっぱ何か変えなくちゃいけないっていうとこで、ま、 2軍、2呼んで、で、ヘッドコ、1 軍のヘッドコッチに取りさを呼んで、やっぱり少しずつちょっとこう厳しめにとかある程度をしっかり作りながら動かしてかないとやっぱりこの流れっていうのは変えられないないってとこで、ま、ね、あの、鳥子さんも鬼地ですからね。 うん。厳しいですね。 ま、そういう意味ではやっぱり選手たちも 明治ですからね。 もちろも野球もそうなんですけど、野球に取り組む姿勢とか練習とかのそういうとこをまずこう変えてもらいましたよね。はい。 ま、確か若い僕より若いじゃないですか。でもちょうど秋山さんの時一緒にコーチでやったんですけどうん。 意見できますからね。 うん。 思うこと。自分の思ったことで選手にも厳しく もう私生活から厳しかったですからね。 うん。特にね、私もあの監督 1 年目、え、知もないですから、ま、そういう意味では、ま、鳥川さんの経験っていうのも、あの、僕のこうサポートしてもらうっていうとこもありましたね。はい。 あいつ今西武やったよね。 西ブですね。ヘッドコーチやね。 はい。 この前見てびっくりした。似合えへんなと思っておりここにいたかと思って。 [笑い] ま、本当厳しいですよね。グランド整備でもね、もうちょっと足跡残ってたら、あ、ちゃんとせんかとかね。 お風呂でもスリッパ揃えるとか それメイジズムじゃないの? 僕あの試合前の昼ご飯ラーメン食べとったら前に証とかなんみんな選手おってポンちゃんもおって本田コーチねま選手時代ね鳥がバーってなって僕の前で怒るんすよ。僕のラーメンいっぱい唾入ってお前怒るんやったら向こうでせえあそれ本当厳しいです。はい。 [笑い] もう生活からもその何かなれば厳しいですよね。うん。うん。 ただ選手重いなところもあるんですよ。 うん。うん。うん。 だ、選手はみんなついていきますもんね。 うん。 ああいうコーチいいなとは思いますけどね。 へえ。そうなんだ。 たまに厳しすぎるなっていう時も思い思う時もあるけど。 あれ、平監督やってる時はコーチ誰やった? 僕は 結構年上になっちゃうよな。 もうほぼ年上ですね。もう基本的に年上が多かったです。も軍監督やってた時もほぼ年上で。 うん。そうだね。で、僕あの若くお前特別若いもんね。 そう。39の年にだっかいないもんね。 で、前年度その成田さんの元で 1年間僕ヘッドチやる予定だったんですが ゴル戦の途中でもさんやめられて監督大やることになってで正式にうん。 お話だいた時にま、基本的にはもう GM が外部から呼んできたりしてたんでね。 はい。なんですがもうマキスさんにヘッドコーチやってもらいたいっていうのと え井た春さん あ、はいはい。 はい。 さんを内ヤで入れて欲しいっていうのと、あとはま、僕はこれ正式に決まる前なんですけど、あの代やってた時に来年誰か対策立てれるとか、ま、配給癖とかも含めてそういう意知ないかなって言われて僕はまだ来年やるかわかんない時にですね。 うん。うん。うん。うん。 それで、ま、それ公式経験あった方がいいんですか聞いたら、いや、なくても構わないって言われたんで、僕は小屋の Hを うん。 もう彼はもう自分が普通に打つだけじゃ僕は打てないって言って、もう現とか、ま、同級生で仲良くて色々喋ってたのはあって、ものすごく考えてたんでうん。うん。あ、 このどうですかって言ってで、小屋に電話して、 ただ俺来年監督やるかわからへんねんとか て言ってですね、その3 人ぐらいですかね、要望は基本的にはまとはもう会社とか DMが決めてたんで はい。 あれ、こういうの今どこ?阪いつもだからずっとコチ残ってる。あっちたこっちやけど。そう。はい。 いろんなとこいるってやっぱり能力高いコーチとしての能力がやっぱ 面白いすね。あの本当教え方もそうですし、あとはもう本当に相手のこともよく観察してるというかはい。 ですね。うん。井口監督の時もその結構年上多かったってことかな。まだ 41。 そうですね。最初だけですかね。はい。 ま、途中でやっぱり入れ替えたりはしながらやってましたし、ま、毎年 1 人ずつバッティングコーチだったり、ま、金か森さん呼んだりとか、ま、盛明さんに来てもらったりとか色しながら変えてはいましたね。はい。あ、か金の森さんは僕一緒になったけど、もう勝ちに良くなる人だよね、やっぱり。 [笑い] めちゃくちゃ暑いですしね。入ってる。気合入ってますよね。はい。 入って、やっぱり。うん。分かるわな。いいコチだと思うよね。 なんかプロ野球ってのでかいやつでのんびりしてるやつ多いじゃないですか。 はいはいはい。 やっぱちっちゃい気合入ってるなんか 僕のんびりしますもんね。そんなことないでしょ。やっぱそういうのもあるかなと。ま、やっぱりね、あの別に厳しいからいいとかって意味じゃなくてね、やっぱりこうどうしてもこう うん。勝たないといけないから。そうプレッシャーがあるからね。プロ野球ってもう負けが混んだりしたらもう大変だもんね。 僕も結構負けたけどイラっと来てましたね、毎日。ま、でもイラっとしたね、こ選手の前であんまり出せないですからね。 [笑い] 連敗してる時ほどなんかこう選手に声かけに行って、ま、あのゲージの後ろで、ま、僕も解説やってる時にゲージの後ろ見るじゃないですか。で、監督した時にあそこにいっぱい来て解説者が選手に教える人おるんすよ。あれ見とったら腹立ってくるんですよね。だから僕いつも監督だけシから見とったんですよ。 はい。はい。 で、回数人者が来て誰か捕まえてバット持ってなんかやったらそこ行てちょやめてって言うて [音楽] そういうのは本当なくしていかないとね だって輸指導者がいるのに解説者が理論は持ってるけど今毎日見てるわけじゃないじゃないですか たまに来て何かを言われたらうん バコチ困るんですよね。 うん。そうですね。 はい。 だ僕何人か言いましたよ。3人か4人4 人ぐらい。 ま、3人か4人かぐらいいるんだったら1 人ぐらい教えてもらっていいです。ど 名前ですか? はい。 [笑い] ああ、あいつ言いそうやな。 彼の理論は正しいと思うけど、ただやっぱりね、ユニフォーム、そう、ユニフォーム来てからやってくれっていうことは 本人に伝えます。 でもすごいな。でもその時藤本さん監督でしょ?だからさ、監督は例えば都市近いとかね、なんか それもバッテン工事です。 あ、そうですか。 なんか仕掛けりゃね、ま、なんとなくついついって気持ちはあるけど なんかでもでもなかなかいないっすけどね。あの解説者が教えると思 いやでも一時今宮がね うん。 僕バッティングコーチの時にそのバッティングコーチがヘッドコーチが大石大次郎さんいて でバッティングコーチに え2 人いてで監督秋山さんで会長が改者が来て調子悪かった藤原さんとかみんな来るんですよ。 うん。 で、僕が待ってこってて今宮が藤本さんどれしたらいいんですか?て言うお前の好きなんやれって言うてそれで結果出たらええんやろって。あのいいと思ったらやっていいし悪いと思ったらやらなくていいよって。ただ振り回すんだけやめとけって。 [笑い] 体小さいんだから。ただなんかその高校時代にやっぱホームランバッターやったから。 まね、彼はね、特にね、 あの小さい体で振り回すくせあるじゃないですか。 150km投げるしね。 はい。だ、去年なんか変わりましたもんね。ね。 はい。 俺の監督の時に変わっとけよと思いました。 [笑い] ま、選手もね、やっぱり刑事ので監督とか解説者の喋ってる声って聞こえるじゃないですか。バッティングしながら。だ、あれが自分も時代しすごい嫌だったので、ま、解説者の方来られたらベンチの前か、ま、むしろ来ないように内ヤに守ったりとかしては いましたよね。 どった 結構ね、バッティングもそうですよ。ゴルフの話したりする人もいるじゃないですか。聞こえてくるんですよ。 すいません。喋る。野球の話ほとんどしてないです。 [笑い] いや、バッテンコーチとね、話やってくれたら 1番いいですよね。 いや、そうですね。 で、ま、ま、ね、僕らこのなんかコ中でしたから説者の方もね、下球場に降りれないね、時もありましたし。 そうですか。そうですね。 コロナの間なんか選手とのコミュニケーションとか 確かに難しそう。 いや、ものすごいやっぱ大変でしたよ。 もう本当にこうバスでも座りの配置が決められたりとか、 ま、もちろんね、あの、食事会場行けば縦があって、もうテーブルに 1 人ずつしか座れないとか、会話しちゃダめとかうん。 で、あとやっぱ隊長管理が 1番大変だったですかね。 言っても出るもんね。1 人出てた偉いことなって。 チーム内の感染ってほとんどないんですよ。 大体みんな家族から感染してチーム内でっていうのが多かったので。そう。 で、最後の方なんかもう 0になるまでもう毎日検査なんですよ。 あ、 で、しかも遠征出る前に検査なんで、誰か出るともう遠征外出禁止っていうのがもうずっと続いてて、 僕1年目PCR200回以上しましたよ。 へえ。ホークス多かったんすよね。 ホークス毎日やったんすよ。 ですよね。 で、毎日やって次の昼過ぎにもう結果が分かるんで、次の日デゲームやったら 2回ぐらい柳町ライト守ってて、 2 回でいや、疑似妖精です。 柳バックだからなんやねん。それ柳町のあくのおった誰やたら佐藤です。みんなみんな帰れとこんな感じやったんです。 ま、でもそうなんかねな濃厚接触なんとか接触という接触 3日から5日間ぐらいなんか休まして 何も出てなくてもとかね。 で事妖精が3 日後にあ、陰性でしたって帰ってくるんですよ。て、この 3日間な何やねんと思いながら あれですよね。 かかった人より濃厚接触のがなかったですよね。確率感が。 元気なのに出れないとか。で、特にピッチャーなんかその期間投げれないんで。 そうだよな。その時期か大変だったね。 ですよ。オールスターこ行ことった時に 10 人とか出るんですよ。試合になんないですよ、正直。 確かに。 はい。 あ、そうだよね。でもようま、逆に言とや、ま、リーグやりましたよね。そうか。そんなんでね。 でも結局それがだから 3、え、2年ぐらいですか?2 年まるまる1年は無観客やったすかね。 そうすね。 ロボット動いてましたもんね。ソードバはね。 踊ってました。 ロボットが応援しとったもんね。 最後の方にあれじゃないですか?人数制限があってだから僕は行かしてもらった時からコロナで日本シリーズとかはちょっとお客さんちょっと入ってたんで。 うーん。 うん。どうですか?でもなんか、ま、非常に僕も思う、苦労話もあるんですけど、監督やって良かったなと思う瞬間とかってもたくさんあると思うんですけど、その やっぱ良かったなと思うのはもう買った試合全部良かったんですよね。 うん。 で、ま、負けた試合みんな悔し、負けた試合は全部悔しかったし、ま、特に 1年目の残り2 試合は悔しかったですよね。 いいとこまで行って はい。延長11 回まで山川にさるホーム最後はロテにやられてね。 ま、でもやっぱりいいことよりも悪いことどうしてもね、 悪いことってかね、悔しい思い出が、 ま、野球選手はそれが残る、ま、それが過点になるんですけどね。 でもやっぱりその1年間143 試合っていう中でそのこの 1試合、この1 試合ってよく言われますけどトータルしたら 1433 試合のうちの何試合勝つかですよね。 うん。まあね、勝率ですね。 だからやっぱ1 個の価値っていうのがやっぱり1 番嬉しいし、それの積み重ねが うん。うん。 ま、優勝僕、ま、僕が監督やった優勝の目標は 80勝やったんですよね。 うん。うん。うん。うん。 ま、80 勝届かなかったか優勝できなかったんですけど。うん。 だからそういう面ではやっぱり勝った試合が 1番嬉しかったですね。誰が打ったとか うん。 誰がよく投げたとかより 僕2 年間でノに、え、石川太と浜がやってるんですよ。 ま、これも嬉しかったし ね。柳座中村の 9 回にあの同点ホームラン、逆転ホームランでさよならなったっていう試合もあったしえ いえ試合ですね。 ま、そういうのも覚えてますけどやっぱり買った試合全部嬉しかったですね。はい。 うん。うん。 ま、1 番印象にあるのはやっぱりガルビスの満塁ホームランですけどね。 あ、 開幕8 連ガルビスの満塁ホームランが始まったんですよ。 へえ。 そうな。 ま、新庄君がだいぶ遊んでくれたんで、当時は新庄君が [笑い] 2年間トライアウトしてましたからね。 うん。まあね、本言ってたもんね。 記録とかで言うと内さん監督の時に佐々木当初手が完全試合を ありましたね。 はい。 あれなんかどういう風に見てたんですか? ま、あの都市はもう東級制限というか 100 級っていうの決めてましたので、ま、とにかくノラとか完全事合より僕はも 100級以内に9 回終わってくれっていうじゃないとこう変えざる得ないので、うん。 ま、その辺り、ま、それが2 試合目、次の試合に出てしまったんです。 もう1回もあったよね。 はい。ま、8回、7 回終わった時点でうん。肘が張ってるって話はあったんですけど、ま、もう 1回は行けるってことで行ってで、 3者連続三振で帰ってきたんで うん。 ま、お客さんはもちろんね、2 試合連続見たいんで、僕が出てった瞬間瞬間ブイングでしたけどはい。高校のね、監督の気持ちが分かりました。その時はま、でもやっぱりね、育てるって意味ではしっかりとやっぱり管理してかない。 [笑い] もちろ、もちろんそうなんでね、 ま、本当にね、ドラフトも含めてやっぱり取った選手たちが成長してくのが 1 番ね、監督として嬉しいですし、逆に藤本さんもそうですけどね、今活躍してて俺ん時もっと活躍しとけよって思いますよね。 うん。そ、そういう選手はたくさんいます。 でもやっぱり今でも今でも嬉しいですよね。そういう選手がね、活躍すると。 うん。 どうですか?自分の監督やってた時でなんか、ま、ファンがちょっと分かりやすいとこてた、あの試合はおもろかったなみたいなとかなんか思い出すのが 面白かったのですか?うん。まだやっぱやっぱりあの優勝阻止した試合とかやっぱりね、選手の最後までこう諦めない姿みたいなとこ、ま、こうなんか見れた時はやっぱり [音楽] 1番こう嬉しかったですしね。 やっぱりう負う慣れてるチームがどんどんどん勝に欲なってくっていうチーム況にこれなってきてましたので、 ま、本当にね、あと何年たらいいとこまで行けたかなっていうとこはあったと思いますけど、最終的にね、監督は結果をで責任取らなくちゃいけないですから、 ま、Aクラスついた後のB クラスだったんでね、責任を取った形になりましたね。 うん。
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00:00 藤本監督が唯一声をかけた “最強右腕”コーチ
02:05 チームに規律を作るため 井口監督が頼った2人のコーチ
03:12 “鬼コーチ”鳥越裕介が各チームで求められるワケ
04:09 若き平石監督を支えた3人のコーチ 彼らを頼った理由は…
06:39 監督・コーチが気になる 選手を悩ませる解説者の動き
10:06 指揮官たちが苦しんだ コロナ禍シーズンのチーム事情
12:23 ソフトバンク・藤本監督の印象に残るあの試合
14:17 佐々木朗希の完全試合 井口監督が明かす舞台裏
#プロ野球 #監督 #古田敦也
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