【アスアカ総集編 一気見SP vol.71】走れ七色の変化球 大野豊
アスリートアカデミア学長の岡崎香ですえ 本日のゲストは広島カープの大エース大野 豊さんですはいよろしくお願いします よろしくお願いします僕ももう本当にもう 毎回緊張するんですけど今日がもう緊張の 局地と言いますそんなことないいやいや あの僕は本当に初めて一軍にの選手になっ た時にぱカープってすいませこんな言い方 ちょっとこう継承略で言わせてもらうと 大野川口北別府なんですよ大野さんが1番 なんですよそんなことないいやいや川口北 別府大野じゃないんですよ順番的に大野 川口北別府なんですよでこっちは江川西本 佐岡みたいなのでいつもあの僕後楽園球場 だったんですけど後楽園球場よりも やっぱり広島市民球場の試合の方がすごく 印象に残っててうんもうあそこで試合する といつも接戦っていうか投手戦もう2対1 とか1対0とかで両チームとももう今で こそ分業性になってますけどもう両方とも 関東に近い形そうですそうですそうですよ ねで最後に津田さんが出るか出ないかで 勝ち負けが決まるみたいなそうです試合を ずっとしててでその後ま江川さんとか西本 さんいなくなってもこっちジャイアンツが 斎藤牧原桑田になってもまだ大野川口北 別府という感じの戦いの中で僕は最初 あのツプラトン選手で対左の時は僕左 バッターなんで試合にあんまり出出れ なかったんですねだから大野さんとの あんまり対戦はなかったと思うんですが こう見てて絶対打てねえなとこれ右とか左 とか関係ねえなって右バッターだって 打てるわけないじゃないですか野さんま右 バットの方が抑えやすかったねそうでしょ そんな感じがしてて後でもうお話の中で 言いたいんですけども大野さん初めて座席 に立ったのはいつか覚えてないんですけど ももうなんて言うかなよくボールが伸びる とか言うじゃないですかま伸びるってこと ありえないんですと思うんですね地球上で もその原則が小さいと思うんですけど大野 さんのボールは伸びるとか早いとかいう よりも僕のイメージは大野さんだけに抱い たイメージは加速してくるそそうそうなん だだんだん早くなってくるありえないです よそんなの絶対原速するんですけど所属 よりも収束の方が早く感じるんです大野 さんのボールって大野さんだけなんですよ ボールがでかくなってくるんですよ だんだんこうボールが野球のボールが ソフトボールになって最後あの バレーボールぐらいになって最後 バスケットボールぐらいになるような そんなイメージ分かりますいや分かるけど それはちょっとンて褒めすぎだよいやいや いや大野さんだけなんですその印象をだ から早い人とかこうピュって切れがいい人 とかいわゆる伸びるような感じのボールの 人は何人かいますけど加速するっていうだ からもうもう今日僕のような時 緊していやそれありがとうございますどう いう風なこう人生を歩まれてそういう すごいピッチャーになったのかっていうの は今日聞いていきたいんですがまず家族 校生っていうのは兄弟は何人ですか兄弟は もううちはあの中とま若い頃はね血合いは なくなったということ聞いたんですけどま ある程度成長してから一応あのうちは母親 と父親が別れてるんですよあそうなんです でうちは僕はもう母親についてで姉が今い ましたあであのそういう状況で育ってま 母親に育てられたといううんだま母親の その働く姿を見ながらうん普通だったら 父親の背中を見てというのあるんだけど僕 はもう母親の姿背中を見てえ座ってたと いうことであのハワイの実家の方に母親の 両親と一緒にこう住んでましたのでまそう いう意味ではおじいちゃんおばあちゃん子 というかあ特におばあちゃんに可愛がられ たというような感じですよね出雲なんです 僕は出雲です出雲の出身なんですねえ出雲 で育ってで野球っていうのはどういう環境 で野球を始めたんですあのあの当時という のは岡崎さんどうかなあのそういうチーム はない時代じゃないですかあんまりなかっ た小学校からだからもうとにかく遊びの中 であの原っぱとか僕は海が近かったから 浜辺とかでとにかくテニスボールを持って ま三角ベースボールじゃないんですけども 手で打ったり木ギレをバット代わりにして 竹とか木でね打って遊んだというだから要 はもう野球というのはもう遊びですよね うん周りの友達を集めてみんなで遊ぼうと いうその中で野球を覚えるというか楽しむ というような感じでスタートしたまそう ですね遊びですよねあの放課後にみんなで 遊ぶ時野球をするぐらいな僕もそういう 感じだ小学校はまそういう感じですま中 学校入ってからもその最初は僕あの走るの が得意でしたからはい中学校はまず陸上日 入ったんですへえで1年生の新人の時 1500やってたんですけど19人で走っ て11番だったんです自信持って入ったの 走ったの妙真ん中へあんまり微妙なとこ ですねそうそうそうそれでこれだけレビの 高い選手がね走る人たくさんいる中で自分 はもうこれはちょっと追い抜けないなと いうことでで陸中部と野球部って常に同じ グランドでやってるじゃないですかで元々 野球が好きでやった男はなんで力場バたか よく分かりませんけどでまそこでも力場は 諦めたんですでたまたま担任が陸上の監督 ででとにかく陸上辞めますとでも何かし なさいということでじゃあ野球らして くださいということで1年生の2から南 野球野球部野球部に入って野球始めたと いうのがまずスタートですよね中学の野球 部ですね中学です野球部ですね学校のです そうですもうピッチャーですかいやいや いやいや体もちびでしたしあの球肩は 強かったんだけどえやっぱり上にいい ピッチャーいましたから僕はもう控えと あと外野です結構あのバッティング そこそこ長打はなかったけどこうミトする のなかったです 結せこいというかいやいやせこくないです よへえで中学の時に2年生3年生ぐらい からエースですかまそういうエースはなり ましたけどあの弾は早かったけど やっぱりりゃって投げるタイプでしたから コントロールが悪くていやそれは玉が 早ければコントロールが悪くて弾が遅けれ ばコントロールがいいって大体そういう 感じ弾が早てコントロールあったも大もう 大なピッチになりますからね学代 だからピッチャーではあまり信頼されて ませんでしたねでまほとんど外野専門でだ からとく3な3年生とか新人の2年生から は1年生でいいピッチあいましたからうん そっちの方が逆にasqでしたよねへえだ から中学校の時もピッチャーで投げたと いうのあんまりないですねうんだからそう いうピッチャーらしいピッチャーじゃ なかったんですよねまホームも独特でした から勝手なイメージかもしれないですけど プロ野球でそのまエースになるような人 っていうのは小学校の時ってま普通に 頭抜けて中学高校もうずっとトップでくる 1年生の時からいうのが普通のパターンだ から普通じゃないですだからだんだんこう 伸びていくっていうのがちょっとうん すごくでも多分ねその小学校中学校あたり からおそらくもう将来自分はプロの選手に なるんだというような多分夢というかそう いうものがほとんどの選手がが投手が思っ てると思うんですよ僕はそんなこと全く 思わなかったですから夢ですらなかった ずっと思ってなかったですからああだから 当然その中学はそういう形やったで高校も どうするかとなった時にあの本来であれば もう高校もして働こうもったんですあなん でか言うとその母親を早く自立して楽を さしてやりたいというのがありましたから たださすがに反対されましたよねそう そうそうね高校は行きなさいとうんじゃあ どこの高校行こうかなということでま先 だけの考えて商業高校であれ 就職するのにもしやすいじゃないですかで いつも商業高校といく商業高校に進んだん ですけどまそこでも当然野球に入りますよ ねうんでも結局は中学からの延長で コントロールが悪いからなかなか投げさし てもらえないうんてことでピッチャーは1 年生の時ほとんどやってないですそう高校 はスカウトとかはなかったんですかいじゃ ない自分の分でそうそうそうあい商業って いうのは強いんですかいやそこまでくない ですうんまだから野球で甲子園を目指して どこで別に高校に入ったわけじゃないん ですよええ甲子園に出たいとも思わなかっ たんですかいや入って高校に入って行けば 1つの大きな夢は甲子園というのは当然 目標はありますよでもそれはあくまでも夢 であって間違っても甲子園に出れるような チームではなかったとただ野球を続けて あの野球部に入った限りは全国卒業する まで野球は続けたいとやめないでやろうと いうのはありましたで3年にエースになる 一応そうですね2年生の秋新チームから エースにはなりました甲子園のそのさあの 県大会とかどうだったんですかあのもう 地区大会の1回戦で負けまし た3対2で負けましたよね安木高校という とこに負けたんですけどねえ打たれたん ですかやっぱフォアボールとかでいやま フォアボールとまタイミル打たれて結局 逆転できなくて3対2でまだから夏はあっ という間に終わりましたよいで回戦ですか 回戦ですへえじゃあもうそれ終わって プラの選手になる人ってまプロにあ高校 からプロに行くかま大学に行くか社会人に 行くかっていう大きく3つ大体あると思う んですけれどもそれ3つともなかったって ことですなかったというかあのちょっと左 ピッチャーで弾が早いピッチャーやると いうことで多少地名度はあったようなで あのロッテの方からあの誘いというか スカウトの方来られてあの見て いらっしゃったみたいなんですようんでも 当時のの監督が焼きの監督があ彼はもう体 も弱いしそういう能力ないからプロじゃ 行かせ行かすことはないとただちょうど あの三菱中行三原というところに僕らの 学校の先輩の方がマネージャーされてての ぷりかそうと思ったんでよねうん社会人 社会人でそこにちょっと行ってこいという ことで1学に下のキャッチャーの バッテリーで2人で行って一緒に練習して で最後にやっていく自信がありませんので え自分で断ったんですかも断りましたで 最後の日え5日の前にええもう野球部の 物資行ってユニと焼き敷もらって旅館に 止めさせてもらって食事はもう豪華な食事 を食べさせてもらってうんそれでもうお 断りしますというよりもま行ってこいって 監督言たから行ったんですけど僕はもう とにかく母親をその出雲に残してその 離れるということそういう感覚が全く なかったんですうんうんと一緒にという風 な気持ちしかありませんでしたのでああで も って言ったら大企業じゃないですかまそう ですねだからそういうのだから本当あの もうプロのことも置いといてノンプロ 社会人であろうとも全くそういうのはない なかったんです へえで出雲市新えこ見ても元銀院ですよ いやそうですよね僕も商業高校なので大分 新洋金庫とか大分新洋組に入った同期が いっぱいいるんですけれども銀行ですもん ね銀行ですすごいすねえいやいやすごか ないですから そこでは野球はやりましたよやったんです よねなんか軟式の野球式っそうあの島根県 の方にはあの公式焼部のチームがないん ですよないんだないんですであの1番最初 その新浴名の方からうち来たらどうかて いう話ありましたけどまタイプ的に今こう やって喋ってですけどあんまり喋る男じゃ なくてへえ銀行マな絶対できないとうん いうことで一旦断ったんですけど色々こう 探してみてもなかなか自分に合うあれが なくてでで結局その新欲名ってのは何式 だろうとも野球が強いんですうん強かった んですよでまだこの先も野球やりたいと いうことでまそこで一応試験組みましたよ ちゃんとへえねでま一応合格してであの 入社しましたけどまあのそれはあくまでも ノンプルじゃありませんのでうんで本視点 に野球日散らばってるじゃないですかて いうことはその集計が終わらないと帰れ ないんですよ1円たりとも違ったらね帰れ ないからでその終わったあの本視点の野球 部員からどこそこ球場の専属の球場なかっ たから今日はどこそこで練習するからって そこにみんな集まるわけですよねだから 業務を終えてやるべきことをやってその後 に野球をやるとそ練習は基本的に毎日やる んですかま毎日毎日やりますじゃもう本当 社会人みたいな感じでやるんですねま 社会人はあんまり仕事してない聞うんだ けど我々はもうちゃんと仕事だけは きちっとやってうんいやあのとく集計が 終わるまでは練習も参加できないという何 年やられたんすかま約3年ですね3年うん うん3年やったんですけどまその3年の間 ま1年目僕あの障害というで外歩きですよ ねうんだ要は えお客さんのその会社の売上等々を翌朝 集金に行くというような感じでうんあの黒 集金がもってね自転車乗って原付のバイク 乗って頭下げ てやりましたよ信じられないなでもあの 本当あの仕事は仕事としてなんとかクリア はノルマとかありますからね定期預金とか 積立てのあノルマええもそれももう いろんなところも数数とにかく数で勝夫 しようということでもういろんなとこ 歩き回っていくらでもいいですからって いうことででまそのノルマはどうにか達成 できたんですけどまその仕事に関してはま どうにかできたんですけど3年目有有 が外にはいはい自分の好きな時間に 動き回ったのがとにかく窓口じっと座っ てるひたすらお客さん来られるの待つあ来 られても有しのことれても分からないじゃ ないですかあああそこで考えたのわ ちょっとこれ俺一生する仕事じゃないな これ俺に向いてないなというちょっと迷い もあったんですようんまでもあの3年の間 にねえ全国南関野球大会の全国大会も行き ましたし国体も行きましたし本当あの軟式 であろうとも本当楽しいうんやっぱり いかにスポーツ勝負ご勝つのがいかに 楽しいかということをね初めて社会人感じ たいという感じですよねうんまそれ そこそこ強いチームじゃないと感じない 感じですそうそうそうそうそうだから今 までそういう経験なかったから本当その 野球が楽しいというかなんかやりがいが あるというような感覚をもとく中学校高校 というのはも練習だけきつくて結果が残せ ないというようなうんうん学生時代でした からかつ喜びがあんまりなかったもううん ほとんどなかった です時代はエースでしょもちろんあの僕 うんあの10歳上の人がま本来のエースで で僕が入ってきてやっぱり公式からなし来 たらやっぱり慣れるのに時間かるじゃない ですかボール軽すぎてまそれで徐々に 投げれるになってからま2人でやっぱ近道 日とかで3者4試やらなけばけいけません のでうんま2人で投げるというよな イメージでどこでそのプロと繋がるんです スカウトですかやっだからその時まで ずっと言ってたプロでありたいという意識 全くない男がですねやっぱり人生を変える というか自分の気持ちを変えるやっぱり 出来事でき出会いま岡崎さんねいろんな 出会いとか出来事があったでしょうけど それがあったんですよでちょうど3年目 うん中国大会であるその出雲高校という 高校とちょっと練習試合してくれとうん いうことで我が新役明の野球部南関の野球 部と高校生と試合するわけです相手公式 でしょ相手相手公式です公式です当然じゃ 公式でやるんですか式で投げたんですよ 久しぶりに3年ぶりにうんうんうんだから まあ練習大体投げればいいと投げたら5回 投げて13個 3はまったんですよこれが15個アウトの 中の13個うんうんそうですでヒット1本 ということでねでの内野ゴロだったかな1 本でとくもう完璧にでガイアフライ1個か 完璧に押さえたんですまそれで欲が出た わけじゃないんですけどお俺公式で ちょっと投げれるんじゃないっていうよう な気持ちうんということとあと阪神に平田 から一学年下の子が青雲という運と書いて ねアモピッチャーがねあなんか聞いたこと あええテストで良かったんですうんで彼と も結構学生時代投げ合ってた中でそれも 刺激になったんですようんでもう1つは あの亡くなれた山本和吉さんかさんはいで 当時カープのエスだった池さん池屋さん この2人が野球ケスに来られたんですよで 我がその新組が野球部がお手伝いしてお手 で初めてそのプロの人に出会ってうんで かおさんから池谷さんからいろんなこのの 話を聞かしてもらってこれは自分の中で すごい衝撃的だったんですよねでそういう のは重なって急にですようん急にですよね 俺ちょっとプロでやってみたいなとで ちょうど今その時は21の時ですようん うんもしやるんであればこれは最後の チャンスかわからんしで今までプロでやり たいと思ったことない人間がそういう 気持ちになって止めれなくなっちゃって ここで何もしなかったら行動さなかったら 先々すごい後悔するうんそういう気持ちに なっちゃって本当今から思えばよく決断し たと思うぐらいうんで当時の監督に相談し てでたまたま和吉さんの先輩で法制大学の 先輩で監督出したからそっから話して いただいてで7977年ですかの2月に2 月キャンプの時キャンプの時でちょうど あの頃でカープってその沖縄キャンプ なかったんですけど宮崎キャンプと居残り がクレの2光球場当時のにいたんですよね でその二行球場に行ってそこで見てもらい なさいとはいいう段取りしてもらったん ですよへえでもここでやらなきゃ後悔 するっていうことってみんなあると思う けど後悔するって分かっててもそこまで 踏み切れるっていうのって意外とないです よねないうんそれまでの自分はそういう こと全くなかった男がそう思ってしまっ たら止めれなくなったんですよねすごい ですね180°ですもんねよくそれいう 決断をしたなと全くなかったわけですよね なかったです全くなかった自分からもう いいですって帰ってたええへえすごいそう いうことがあるんだえだから本当自分でも ねあの振り返ってみるとよく決断したと いうのは今でも思ってますそれでクレに テスト的に行ったんですそうですそうです 2月にえでそこで見てもらったんです見て もらってであの自分としては例えばその プロのテストていうのがよくわからない じゃないですかわからないでも漠然と 例えば50mを何秒とか遠投が何10mと かということで中学校の あーグランドでちょうど100mコースが あるからそこで連れと引っ張り出して キャッチボールラてさしてでキャッチ ボールしで相撲場の屋根の下でブルペン側 にしてピッチングしてああで走るのも自信 あった投げるのも自信あったんですよただ 1番不安なのははピッチングなんですよね うんまでもそれはなんとか自分の中でやっ ていこうということでねあのやるべき準備 は一応していったんですけどねでただその クレ行って見てもらうのもあの遠投もなし その50mとのどこもなし一緒に練習して ブルペンでピッチングを見てそれで合格 ですよピッチングで合格やったら簡単です よほでその当時そのスカウトというのが木 さんていうのが名なスそうそうスカウト 部長で でまあ3日間4日間か練習見てもらって 一緒にやってで最後の日に両の方に呼ばれ て でカプとしてはお前さんを取るとうんだ けどもう一度考えてみなさいよとね銀行マ という方仕事を蹴ってプレ野球というね ギャンブルの世界に入って本当に大丈夫か とうん言われたんですけど自分としては もうその時点で合格になったらもう よろしくお願いしますかないですからうん それでなんかやたら簡単に プロの世界に晴れたというような 感じすごいすねでもその話ってもそ僕も スカウトをジャイアンツで3年やらして もらったんですがま軟式の野球も少しは こうなんかこうなんて言うかなすごい情報 が入ってくると見には行ったりは何人かし たんです大島っていう選手とかも2に入っ てあさせてあのそういう選手がいたんです けどまあでもあんまり情報もをやってる点 でもうプロとか目指してないんだろうって いう風にま思われですねそう普通そうです やっぱ社会人と大学生と高校生にどうして もま今独立がありますけど見る感じでまで も自分がテストすればそうなんでしょう けれどもで2月からそテスト合格したら すぐ入団できるんですかできたんですかそ いやあのドラフトはなくてよかったんです かねいやそれ以前に結局会社の人にみんな 黙っていってるわけですよああで最初にで 本当ごわずかなか知らないで当時のその新 役名の乗務が野球部の監督で次表を持っ てったんですまずはいね自分の中でケジメ ス持ってでそれを見てなんだ言われたから いやカープにテストに行きます一応会社へ やめますやめていきますと大路を立って いくとええたらバカなこと言のまそんな 簡単にプロに世界でテスト受かるわけない じゃないか言ってジムがこの需は扱っとく とうんねなんかの竜して1週間旅行行くと か言って行ってこいとうんで落ちたら黙っ て帰ってこいとああその乗務もすごい人 すごいなんかすごい人ですねというのも 絶対受かると思ってないと思うんですよあ まそうですで受かった帰ってきたこれは 大変ですよねまたこれがま大変ですでもう とにかくカープはその2月の24日ぐらい でしたかねそれ最後 あの聞いたのがで2週間やるということで え3月の6日までに来てくれと3月6日 うんで引き継ぎですよ今度うんでいろんな お世話になった人に結局はそのやめる理由 を言わなきゃいけないじゃないですか挨拶 しなきゃいけませんのでま皆さんびっくり する人ばかりでしたよねまそういう中でま 母親にはとにかくプロには行くとテストに 行くということは言ってきたでも母は別に 行っておいでということでね母親には 知らしてんだけどま母親にもそれをねプロ 広島行かなきゃいけないわけですからプロ に受かったということも伝えながら 引き継ぎをしてでえ3月の6日に広島の方 に行ってで3月8日に1人での入団会見 ですようん入団会見ええさしてもらって うんでそこで初めてカープの一 に慣れたというかなったんですよね イレギュラーですよねそういうあんまり ないねもう特別ですねあでもないですよね 3月そこまで特別だけど僕の場合その先も いっぱいあるんですよとんでもないことも 踏まえてじゃ昭和何年ですか入団なだから 昭和言ったらえ52年ですあじゃあカブ 強い時だうんで赤ヘル軍団であれ50年 でしたっけあの50年ですいや僕は やっぱり田舎の人間ですから出野ですから うんやっぱりジャンスですよああそうだっ たですかいやいやもう僕大さん中島さんの 世代ですからうんまもうテレビをつければ ジャイアンツですからもうとく ジャイアンツオンリーですよえでもあっち のサイの方ってやっぱカープなんじゃない んですかいやよそうなんですかカープは もう全然弱いしでもあの当時もだってある から強かったし50年だから特にその強い ジャイアンツを相手に50年に後楽園球場 で初優勝したわけですしましたねそれから ですよちょっとカープの見方が変わったの はああはあはんこのリケで広島のチームが あの弱いチームが最後ジャイアンツを相手 にうん初めての理優勝したとしいうことで 気持ちは結構ね広島の方にその時から生き 出してたですうんうんなるほどねそういう ところもあっての広島のテストっていうの もあるんですよで結局僕のイメージですよ ジャイアンツいうのは東京のチームまは エリート軍団うんそういうイメージしか ないんですようんだけど自分は別に田舎の ね方で育った別にエリートんでもない人間 ですから自分のタイプからしたらやっぱり 広島カープなんですようん やっぱり地域密着型で背抜きじゃないけど そういう選手をねく育てて厳しい中で育て てそういう強いチム叩くという自分のそう いうタイプだから僕は広島を選んだんです うんだからそういう意味であの本当広島の ことはほとんど知らない人間の中で行って で当時ユニオにも背番号あるんですけど 名前もないからほとんど選手の名前も わからないんですよえ番号最初何番ですか 僕は入団当時は60番です60番60番 24番しかイメージない60番は1年けで 2年3年は57番へえで4年目から24番 ま当たり前ですけど24番のイメージしか 僕はないですねだからでちょうどでも岡崎 さんがプロに入れたのが80年ぐらい でしょそうです80年です79年の ドラフトですからだからそういうこと 考えるともう24番の大野というイメージ でしょうねそうそうそうそうプロに入って これはま広島とチーム僕だから3月入って いますから何もしてないんですよそうです ねキャンプしてないですキャンプしてない ですでもねこれすごいここがすごいんです ようん3月に入って5月から2軍で 投げ出してウエスタンリーグでそうですで 3勝して3勝8月に軍に上がるんですよ うん3年間公式投げてない男がその年の8 月に1に上がるんですよ1年目に1上がる んですよすごいそれすごいですよこれはま あ振り返りますけどで上がるんですよで 待っても待っても投げさしてもらえないん ですうんで9月の8日約11ヶ月後に 上がったけど試合に投げ投げれないだから 投げないから言ってお前2軍で投げたこい とていう風に2軍で投げたそういう感じで ずっと待機ですようんだ何か知らんけど9 月の4日ちょうど1ヶ月後ですよ旧州民 配線処理で初登板なんですでたまたま田舎 ので公演会作っていただいてバス2台で メンバーが来ててで僕の名前が呼ばれて阪 線ですよ呼ばれてカマがあったんですよ ガっと葉田業の豊か公園会一度とか言っあ あで阪神線初登板ですよ投げれば投げれば 打たれる打たれるで1点取られてタイムで 1点取られてで満塁にしてえ当時の阪神の キャッチャーあった片岡さん片岡さんええ にマリホームなったるでごじってんですよ でその間にけふ掛布さんをショート フライデーアウトとアウトとってで13回 ね1つのアウト取って5しってんですよで その後ファアボール2つ出して交番ですよ えじゃワンアウトしか取ってないワア取っ てない火3だけ取った取ったですただその 巻もどんどんどんえじゃ331しか投げて ない3 です1軍に上がったのはすごいことだけど 13回5失点防御率135点ですよ135 点僕の22年間の旧暦の中の1年目の旧暦 13回防御率135点で残ってるわけです よ1/3で5点なかなか取られないです いやないですよ多分記録じゃないかと思う んですよああその後135点で1年間置い たピッチャー多分いないと思いますその 多分前にもいないそれでもう割2軍落ちい 終わりですから ああ当然ねもうこれで終わったと思うじゃ ないですかうん周りもチームメイトもね みんなそう当時って一軍に上がってもすぐ 使ってもらえない時代ですねこれはね本当 ま奈落の底に突き落とされたというかま プロのね一軍での厳しさという かもうこれあのみんな帰った後にね本当 あの球場から両の方までね本当恥ずかしい 話ですけど涙流しながら帰りましたよ両 までうん恥ずかしくないでしょみんなそう だと思いますいやいやもうとんでもない 数字じゃないですかしたわけじゃないです か大恥書いたわけですからうんでま家り 帰ってその山本和吉さんにあのまずはお 世話ななりましたから電話して発動板やら れましたとまあまだこの先まだ若いんだ から頑張れとなお前間違っても自殺すんな よとそんな 心配うん言われてでま母親にもねあの電話 して今日初登板打たれたともうダメだなと ダメかもわからんと言ったら母親やっぱり そういうところしっかりしてるか強いん でしょうねえあのそういう風な素直に 受け止めてくれてでも言った一言があの とく1回の失敗で諦めちゃだめだよとうん もう1度頑張りなさいとうんいう一言くれ たんですよその時はやっぱり素直に受けれ なかったけどちょっと時間が経ったら なるほどな チャンスはもらって失敗したんだけど俺3 年間まとに練習もせずして何式やってて うんでプロの世界入ってでその年に一に 上がったじゃないうんでもそこで何が自分 で足りなかったかと考えた時に うん体力もない技術もまだ身についてない メンタルもまだ弱いプロでやるなやるには ねそこをもう1回しっかり鍛えればもう1 回チャンスあるんじゃないかとでまずそこ をしっかりやろうということでまちょっと と気持ちが切り替えて取り組むようにした んですよねうんで母親には広島を出るに 行く時に絶対プロで成功して広島呼ぶから とうんいう約束して出てきたわけですよで 1回の失敗でその弱気になって逃げられ ない自分がいるわけですようん何のために プロの世界に入って自分が野球が好きでね 自分の力をプロという世界で試してたい チャレンジしてみたいっていうような 気持ちもあったけどその裏には母親を成功 して落さしてとやりたいとで広島呼びたい という思いがあった中でこんなことで逃げ られないともう1回しっかりやっていこう と鍛えようという気持ちにっぱなりました よねそのプロに入って2軍から1軍に行っ てよく考えたら成功成功成功で行くはずが ないんですやっぱ最初失敗は来ると思うん ですけどその失敗がちょっとオさんの場合 強烈協力過ぎましたね確かに協力なかなか ないなかなかない気力で協力すぎて 落ち込んだけれどもでも自分をちゃんと こうま見直してっていうか分析してでも 審議対全部じゃないですかそう言ったら まあそうですよねだ全部足りないというの が自分の中でやっっぱりでもねそこらあり あの自分を振り返ってみると頑固なとこも あるんですよあだけどやっぱり素直さと いうかそういうのを受け入れるうんそれが 良かったと思いますねそうですねえ やっぱりあの自分に足りないものを素直に 受け入れるでそれを変えていくためはどう したらいいかという考えだから要はあの 審議たというのはありますけど地という 考える力受け止める力こういうのも非常に 大事じゃなと思いますそれをしないとこの 3つが生きてこないと思うんですよねで そういう考えを出たのも非常に自分には プラスになりましたよねああ審議対地です かえそうです僕はだから地というのを すごい大事にしたんですなるほどあの いろんな考えがあるじゃないですかそれを 間違った考えじゃなくて自分を生かすため の考え方捉え方というのはあのどちらと マイナス思考に考えるじゃなくてプラス 思考にいかに考えるかということのその 考え方ですよねこれすごい大よくプラス 思考って言われてマイナス思考はダメって 言われるけど言うのは簡単だけど本当に 自分がプラスチックになっていくって結構 どっかで開き直らないとそうですからそ そうです開き直りですよだからピッチング にもその時にはき開き直りね攻めながら 丁寧に行きながら身長繊細さも引用だけど どっかで開き直らなきゃ自分の力出せない じゃないですかでも自分の力うんいかに 出せる状況を自分で作っていく要はあの 投げるボールのコントロールも大事だけど 気持ちのコントロールうんここをいかに 強くしていくかうんそれはやっぱりあの 失敗をくりあの重ねながらそそこを変えて いかなきゃいけないという自分がいたよう な気がしますね僕あの自分のことでおしい んですけどもプロ野球の選手ってまよく 審議対て順番的に言ったら僕大義シだと 思って途中から思い始めたんですよやっぱ 体力1番体力なきゃ練習ができない練習で なきゃうくならないうくならないと精神力 も弱気になるっていうこっちの順番だって ずっと思ってたんですが 最近やっぱ新規たいかなってちょっとま僕 は自分が正しいとか正しくないとか分から ないですけど自分の中ではやっぱ精神って ま大野さん言った考え方も含めたもう精神 力っていうだけじゃなくて考え方を含めた その自分を動かす体を動かす力っていうの はやっぱ精神かなあみたいな我々の スポーツの世界だけじゃなくてやっぱりね あの今そのメンタル的な弱さとか金方の弱 さとかそういうな選手なる人が多い中で やっぱりそこをしっかり持っとけば いろんなとこに生かされるんじゃないかと 思うんですよねでま体というのも非常に 大事だと思いますえまあの僕も長くできた のはやっぱり体あの大きな故障がなかった 体がある程でその強く こうで強かっただけにいろんなことに 取り組むこともできだからいろんなことを 変えることができたんですけどでも やっぱり要素ってたくさんある中で やっぱり1つかけてもダメなんじゃないか と思いますよねそうですねでその中で2年 目ですかエナスさんがハライそうなんです よ2年目そうなんですよこれは僕はね本当 にいい出会いていうのはたくさんありまし たけど本当あのこれから頑張らなきゃいけ ない時にエナさんの出会いたのが大きかっ たですよねうであのジャイアンツファンで ありながら阪神タイガースのエナさんが校 勝負で王さんばさん投げるじゃないですか その姿で左ピッチャーとしては1番の憧れ のピッチャーだったんですああでその証拠 に僕社会人時代28番つけてあ キャッチャーが22番でうんエナスタブチ のバッテリーだて投げたぐらいですから ああそういう方がまさか広島に来られると 思わないでましての2年目キャンプから そのエナさんから指導を受けるありえない ことじゃないです考えてもないことじゃ ないですか最初ってあの僕今の今分から ないけど声なんかかけられなくなかった ですかあの自分からもうないですよもう 直立不動ですよもう話しかけられでも何 言われてかわかんないよなはいはいしか ないですからそうですよねえまでも当時の コバ監督がやっぱね同じ左で豊かで ピッチャーがいるからま見てくれという ことでそういうその中でも受け入れて普通 はもらえないじゃないですかでもエナさん こう見ててなんか当時エナさんが言うには 10日ぐらいはプロで通用するぐなボール を投げてたらしいんですよあですか僕が ああだからそこを1球を例えば3級にする 5級にする7級に増やしていくという形で その指導はできるということで受けれて いただいてもうキャッチボールからずっと エナさんと一緒にやってブルペンでも ずっと見てもらって紅白戦とかオープン戦 でもずっと見てもらっていろんな条件 もらいながらあのピッチャーとはなんと そういう気持ちの部分も踏まえて技術も 踏まえて色々教わったんですけどねま たくさんいろんなアドバイスいいた でしょうけどこれが一番大きいその自分の ポイントになったみたいな具体的なアド バイスってどういうことあのホームの中正 もされましたけどまホームで1番は僕は もうこういう感じに投げてたんですよ左肩 が下がって右肩が上がってここから目標を 見てたんですえでもそういうイメージだっ たでしょ最後までうんこれをちょっと下げ なさいと極力あれよりすごかったんですか そうなんですよこんなんですかいや小野 さんでもこういうイメージですよ最後まで 見えなかった下がる下がるけど下がるけど 右肩はこういう感じで上がったんですよ それを上1年目2年目ボールが見えない でしょうんでそれをちょっと下げながら うん多少下げて結局このラインで壁を しっかり作りなさいてことですえそれは 言われましたであと1番言われたのは ボールですボールとにかくボールとお友達 に投げとうんとにかくボールを投げるのに この指先とかこのボールに感触ですよね それを掴むのにこのボールの感触ボールを とく常にお友達にうんでこのボール置けば ただのボールうんこれをってマウンドで 例えば投げるならこの扱いこれを誘導する のは己れの体と手指物々踏まえてそういう のでこれを扱ってこれを操作しなさいと いうことボールの感触っていうのは大事性 ということよく言われましたねでその中で キャッチボールですよキャッチまずは キャッチボールキャッチボールはできなく て鉄拳食らえましたから鉄拳クラウンだ なんか哲学的ですねボールをうんだから エナさん常にボールを持って走ったり ボール持って色々されてましたけどまと なくボールの感触ですよねそれだけは大事 であとキャッチボールのでキャッチボール の延長がブルペンの投球練習ブルペンの 投球練習がガマウンドでのゲームでの実践 でのピッチングまそういうことで常に関連 性があるこれ切るなと常にボールとボール を持って扱ううは全部関連性があるって いうことでそこをまず大事にしなさいと キャッチボールを大事にしまずはキャッチ ボールからちょっと疑問だったんですけど あの公式のボールって大体140gぐらい で何式のボールって調べたら120gで 20gって言ったら普通大したことないと 思うけど野球選手とって20gって相当 違うと思うんですけども3年間その20g 軽いボールを投げててでまた公式に戻ま 高校の時が投げてたとしても20gまた 思いber投げた負担とか来なかったん ですか肩来ましたねやっぱり肩ひ来ました で若い頃とか入った当初というのは やっぱり肩どうしても負担来ますからうん 肩ちょっとおかしくなることもあるじゃ ないですかで当然トレーナーがいますよね でトレーナーにちょっと肩が出たらあんな もサロンパスたか治るとか当時サロンパス の時代ですけどサロンパス治るまだ アイシングしてない時代ですかいや アイシングはまだできるような立場じゃ ないですからえでもしてましたその時僕 このカープはね結構早かったすそういう ことあの結構水泳とかも早めに取り入れ たりとかねやってましたから早かったです まただそのどっちか言ったら僕あのルーズ ショルダーでちょっと緩むんですよねああ あまそういうのはあの本当あのまその数年 後ですけどゴムチューブトレゴムチューブ で抵抗運動でインナは相当鍛えましたね これはあの365日1 年間やりましたうんトは緩まないように 休ましたらまた緩んじゃうからっという ことでもうトずっと毎日やってましたねで 2年目エナさんからま突切りで指導を 受けるような立場になって2年目はどう だったんですか成績はいやこれがねまあの オープン戦オープン戦15イニングも知っ てんですよ へこうこれをこうしただけでまそれそれ それまだけじゃないでしょうけどそれ番 大きな変そうですよねまそういう中で やっぱり多少何ともコントロールが良く なったかなということですねうんまそう いう中でそのとんでもないスタート切り ましたけど2年目にそういうオープン戦で 抑えたことによってすごい大きな自信いう かまだ結果は出てないんだけど自信には なりましたよねうん当時カープのあ小野 さんその時1番年したじゃんピッチャーの 中でだだどういう人がエース格だったん ですか池ヶ谷さん池ヶ谷さん福さんあ福 さん高橋哲さん高橋哲さんアニアさんとか はアニアさんはもうほとんどかなり ちょっともうやめられる前という感じあ アアさんじゃ年齢的に結構そうですそう ですはあみんな知ってるわでもやっぱり 当時はやっぱり若手では北別府ですよね北 別府が若きエースになるという感じなと北 別府さんは年齢的にはどうなんですか2つ 下です大野さんの2つ下僕の2つ下です ああまその北別をね若くして内されました からねうんでこさんがじゃあ入って2年目 ってことは 202です2で2つちゃったら北別府さん が二十歳ええ北別府さん高校からですね 高校からですじゃあ3年目ぐらいもうその 頃がもう北別府さん出てたそうもう出て ましたああだからそういうある程度実績に なる人に混じって若きエース北別府という 感じでうんうんうんだも北別府に関しては やっぱり我々が見るその彼の立場というの が若きエースというなイメージですうもう 先発でバリバリ投げてましたから投げて ましたねまでもあの2年目はそれオープン 戦そういう形で終わってでもあのま リリーフでだから要はエナスさんの前に 投げる今のセットアッパーですよねセット アッパええやっててま一応3勝3勝はした んですけどねただね3勝行ってもそのうの 一勝はねあの年ヤクルトが優勝したんです ようんでヤクルトがあの当時130試合 129試合連続特典開幕からヤクルトか ヤルとかしてたんですよで僕は129試目 神宮でリリーフで投げたんですよた マニュエルマニュエルにマフれたんです うんっと来るじゃないですかで来ててで ある朝朝ある日ヤクルトの130最終戦 ですよコバ監督にお前今日先発だてそう いう時代ですからえ打たれた次の先発そう いう時代ですからああ130試合目に先発 剤へえで結局3だかな完封したんですよ カプあじゃヤクルトの得点が12終わった そう止まったんですよでそこでちょっと 一応また注目されたんですよああ完封完封 したんです初先発が完封ですから初先発初 完封 簡単に言いますねいやいやなかなか なかなかないじゃないですかいやそれそれ まで1回ぐらチャンスあったかなんとなく 初カプ初関東です関東あじゃ2年目の最後 の試合で先発してそれまでは中継ぎていう セットアッパしててもう3年目からじゃ 先発でそれからそれを機会に次の年から 先発だって言われてやったけど結局これ 結果が出ないんですよねまた野さんが結果 が出ない時代がイいやでも僕はねやっぱり リリーフでエナさんの後の クローザー心当たりの6年間ぐらいまでは 本当自分に自信がまだ持てない時代ですよ うんええ失敗を数して数おやじられてうん うんきつね家族片酒だからうんあの なかなかなんかあの人間不審に落ちるよう な時代ですよちょうど へえもそれぐらいあのでも今からこう 思い出せばヤジというのはま受け入れ るっていうのはあるけどやっぱり知った 激励でしょうねお前もっとしっかりせとで やじられるたびに思ったのが今はやじられ てるけどいずれやじられない通しになって やろうとうんいう気持ちのも非常にあり ましたよねうんそうでしょねま機体の 裏返しなんでしょうね今なって覚えばあの 本当に野地も来なくなったら終わりです もんね相手にさいなくなったら終わりなん でこれはそういう風にああではねあの嫌な ことかわかんないけどそれも逃げずに ファンの人は正直ですからね頑張って人に 果がければいこれうんだそれをねして もらえるような選手なろうという投手に なろうという気持ちは非常にありましたよ だからいや僕ねオルさんと対対戦何度か もうヒット打った記憶は正直1歩もないん ですけど南打席が立たしてもらってると 思うんですがあのまっすぐとスライダー しかないんです頭にまそれ基本ですから まっすぐとスライダーしか 休止がないんだろううてま僕には2種類で 十分だったかもしれないけど結構な種類の ボールを投げてたじゃないですかえあれは どういう風にこう自分で研究したとか あるいはエさんに助言もらったとか誰かを 参考にしたってあるんですかいろんな要素 がありますねあのままっすぐは特別早く ないけどま早い方だったですよねっでも あの変化球もあの当時はカーブ投げた んですけどこの手首の剣を痛めてカーブの このひねりができなくなってカーブが投げ なくっあったんですようんでそういう状況 の中でまあの何かないかなということでま エナさんがあのスラーブスライダー系の ボールを投げられてそれを聞いてで自分で アレンジしてで当時そのスライダーって いうのはこういう曲がりだけど僕は ちょっと多めに曲がるからでスラーブスラ ブって言ってましたけど当時ねうんでそう いうエナさんに教わったりしてで当然その 変化器を数を覚えたのはまずは当時30 過ぎた投手が転換機を迎えてみんなそれを あの買いきれないでやめていれるそうです ねという人を見てきてうん自分はその時に なっても変化球でまだ勝負できる ピッチャーななりたいという思いもあった んですようんでその変化球もそういう時に 覚えたでもバッターと勝負するのに まっすぐ早くてもやっぱり打たれるじゃ ないですかたら変化球でやっぱり タイミングをずらすとか目先を変えるとか スピードの変化をつつけるそうしないと この世界でやってきれないという中でま エナスさんにそのスラブとか教わったりで あとあの三浦さんさんにチェンジアップを 座ったりして自分でアレンジして変えたり とかであとは当時のフークボルドもあり ましたからフォークボールも投げたりとか でパンボールも投げたりとかで当然 シュートも投げますよねでそういう中で 休止はたくさん覚えたつもりなんですけど でも結局何かをなくして新たに入れると いうようなイメージで例えば7種類とか6 種類全てのボールをゲームで使ったことは ないですうだから要は何かの代わりにこう いうボールを覚える何かの代わりにこう いう覚えるだから結局最後に残ったのは まっすぐとそのスラーブとチェンジアップ うんここれだけですあとはみんな捨てまし たうんどんどん増えていくわけじゃないん だ増えたら削っていかないとぱ本当に 使えるボールっいうそうですだから本当の 使えるボールを選択して使えないボールを 省いてくというなイメージですよねただ この同じボールであっても握りを微妙に 変えるこの指のの広さを変えるとか親の 位置を変えたりしてでスラーブでも閉じて 早く曲がるボール開いて緩く大きく曲がる ボール投げ分けでチェンジアップチェンジ アップっても普通はまいろんな握りがあり ますけど僕はもうフークの浅めに握って この親指でセットしてたんですよへえ親指 で上げてこれで抜いたらスクリーボール みたいなイメージこれを下げたらこの スプリットみたいなボールうんそういう 使い分けがしてましたへえそんなことが できるうんだから意外とスコアラーの人見 ててあれ今のボール何だっただろうという ような見方をされた人もいるか分かりませ んねでも微妙に変えただけだって九州は 自分の中で同じないま左ピッチャー たくさんいるけど大野さんとま川口さんも そうなんですけどは怖くなかったんです左 たい左でも安心できるでしょ安心できるん です絶対に当てない絶対にこっちに投げ ないという安心感はあるんですだけど同時 にオロさんとま川さんもそうなんですけど 左はあのインコースのダッシでギリギリ ホムベースと自分の体のギリギリのボール 玉とストライクのこのインコースの 出し入れのコントロールがもうピカだった ですちょっとシュートかけたりだから最初 にコントロール悪かったって最初言われて いやいや俺1番コントロールいい左 ピッチャーだなっていや本当あの川口さん もそういうとこあったんですけど川口さん でも時々飛び上がって投げるんでンとこの 辺る時々怖かったさんはどっちか言ったら ぐわって沈むじゃないですかやっぱ マウンドからピッチャー上からこう 投げ下ろしたいタイプが多い時に大野さ んってガーンって沈んでボールがも地面に つきそうなぐらいあの左足どうなってん だろうってどんだけ狂人なんだろうって 本当に思うぐらいうんうんあの普通であれ ばなんなしんどいない方したくないですよ でただあの僕の場合個性があって結局足が どうこう以前にうん左手がお尻のとこ腰に 入るんですよこういう割りができないん ですよ1回こう入るんですよこっち側に 入るうん入るんですよ体に近いところに 入るそう背中から見えてる感じだったうん 入る時入ってしまえばこのまま突っ込んで いったらトップ取れないじゃない上がって こないだ要はこの手入る手に合わせて軸足 を沈もしてタイミング合わしたあー上と下 のそうそうそうそうそうそうそうそうだ から本当はこれは入れないで投げれば もっとスムーズに投げれるんだけどこれ もう入ることだけこれも買えなさいって 言われたんですあ蓋が若ね多分いや吸収は みんなわかるっていおそらくわかんなかっ たでしょ吸収なんか分からない分かっ たって言っていやえっと当時の講師でドン ブレーザーがリジコチっていうのがいて ああサイドからこう横から見てるんですよ ああただ吸収みんな分かるんです分かると 言うんですよ握りがあ君はねその握りが 分かるからそんな投げ方使えないとか一生 懸命買えをもて投げやりましたよ入れない ようにうんでも全然ボール行かないでも やっぱり最初ルーズショルダーって言われ てちょっと今思ったんですけど柔らかいん ですね そ普はバッタでもこう真横に広げてこれ よりもこっちに入ると難しいって言うじゃ ないですかあの投げることも打つこともで 野さん入っても入って取れるんだ入って 入っていうでしょう入ってるでしょうでも 体から体から腕は離れてないんですよあ体 にくいてんですああ近いんだ近いところ からなるほど上がる手投げてるんですこう なってるわけじゃない近いそうなんですだ からそれは1つのリテンですあだけど やっぱりそういう投げ方をしよう思って しんどかったから1回あの楽して投げよう もってやったんけど全くボールも行かない からやっぱり樹してしっかり貯めて 溜め込んで投げるという中で本当下半身は あのしっかり鍛あげなきゃいけないなと いうことで肩を作る前にまと 関心これをまず重視して自分が鍛えました よいや未だかせああそこまでこう沈み込ん で投げるピッチャー見たことないですね もうだからぜ言えないですよそうして投げ なさいということは教えれないできない ですよ絶対あの危ないでもうんマウントの 高さがあるじゃないですかはいで沈み込む じゃないですかはいたら角度はつきにくい ようなイメージじゃないですかだけど僕は そこからもまだ角度をつけようと思って 投げてましたからあてことはいかにボール の枠持って前で離さなきゃいかないという ような角度って何も高いからないの角度 じゃないですねボールの角ですからそう そうあんまりそこはこう違いますもんね うんだからまそういう感覚でま独特のり方 ですよね成方自体はいや本当ボールが見え なかったですあのここで見えるっていう 相手もをこうやって最後の最後の体に隠れ てきてバッターって何見てるかって言っ たらボールを見てるんですよねやっぱり ボールをこうだから早くよくめくれて開い て早めにボールがパッて見えるピッ チャーって例えば当時150kmとか出て てもうんそんなに早くは感じないでももう 見えない見えない見えないだから タイミングが取れないですよねで見えない 見えない見えないパーン出てくるから 例えば急速がそんなに早くなくても 140kmでも150kmの早めに見え人 よりも絶対に早く感じるだから加速して みるんですよこのうんあのどうだろうま ピッチャーの間という中で結局軸足に貯め て体重移動してこれが唯一横の動きじゃ ないですかそうですね横の動きから照明を 見投げるじゃないですか要はバッターから して打ちやすいのはこの溜めて開きが早い 見やすいじゃないですかで僕はどっちか 沈み込んでる分横の間がすごい長く取れた んですそうなんですだから逆にバッターは 見にくかったかなタイミングがせづらかっ たかなというのはありますよねよく ピッチャーとバッターの勝負って僕胸を 見せたも負けたと思っててピッチャーが めくれなかったらバッターたまらずにこ 覗いちゃうピッチャーがペラッてめくっ たらバッターは横でガ入逆になりますよね うんそうそうそうそうそれが一番入ら なかったピッチャーだと僕思いますあま そうに言っていただければねいで大野さん もそうなんですけどあの大野さんが1番だ と思うんですけど左ピッチャーの人って そういう人が多いです右ピッチャーよりも それがなんでか理由が分からないんです けどもあのだから僕左ピッチャーの人って 結構長くできるが多いのかなって理由は 分からないんですけど杉内なんかも多分 そうですよね技技なんかもそうだと思うし ま藤なそうだと思うし左ピッチャーの人 ってなんかぺらってめくれない人が多いあ なんな右ピッチャーてワイってやって 投げる人が多いんだけど左の人っていうの はなんかそういうのがあるのかなってもう それのさたがオさんだったです僕の中であ まそうに言っていただければ ね行こうとか思わなかったですかいやメジ 話はあったですけどうんもう全く関心 なかったというかあっでしょまうその聞い た時点でお断りしましたいくつくらいの時 ですかそれ38の時ああまちょうど黒抑え やった頃かなうんでまメジャの方からも2 年間がそこらずっと見てきてまショート イニング行けるということでなんとかって いう話が来てるけどどうかということ聞い たんですけどまあの条件も色々聞いたん ですけどもうその時点で何も交渉もせず いやもうその気ありませんって断りまして それは悔いとして残ってないですか全然 全然残ってないですあそうなんですかうん 全然残ってないですへえで今の時代だっ たらどうでかて言われるけど多分今の時代 でも僕はもくあのねある意味ではカープと いうチームにテストで入ってでその育てて もらったというま昔方のね本とかまそう いう生き方があっていいと思うんですけど 僕はとくカープ以外のでその現役を終える という感覚全くなかったですからまとなく ねFAとかでも他のチームからも朝話あり ましたけども一切そういうのは思わなかっ たですだもうカープで一筋で終わろうと うんいう思いしかなかったですカープって そういうチームなんですか僕は個人的に そういうチームだと思ってあでも結構その オールさん以降はもうFAがこう普通に なってから結構出たり入ったり動きますよ ねそうそうからですあのそれぞれの選手の 考えですからねうんこれは別にあの言う こともなしねいろんなその人生があるわけ ですからうんやっぱり本人が納得する野球 人生を得るためにも当然FAで出てくこと もあるし残ることも必要これはもう一切僕 は言わないし思わないしそうチームによっ て特徴があると思うんです監督が例えば 変わって若干チームの色が変わることあっ てもやっぱりジャイアンツのカラーとか カープのカラーてカープてやっぱりこう 守りを固め て守りの中心やぱバピッチャー当初国って いうのがずっと昔から伝統的に今年だっっ て野はそんなにだったけどピッチャーが 頑張ってあ戦ったっていうところがある じゃないですかでま今年ジャイアンツ優勝 できたけどあのやっぱピッチャーを ピッチャーが良かったと思うんですよねえ 良かったですね確かで守りはやぱ固め たっていうところま一見野球っていう スポーツの中で地味なんですけどやっぱ 守り固めたもんがちじゃないですか野球 っていうスポーツっていくら打つやつ揃え てもま80年のバースあのバースさん岡田 さんの時代の阪神みたいにボコボコ打って 勝つ時ってまれにあるけどうんやっぱり こうその伝統的なものってあるじゃない ですかあれは何なんですかねカープって いうのはやっぱ先輩からこう伝えられて いくような教えみたいなものがあるんです かねまそうですよねただあの投手守り 踏まえた投手人という中でまそこが基本 のっというのがカープなんですけどそこで プラスカープの伝統の中で気動力っていう のがあるんですよ気動力ありますねまそう いうそのかき回しながら相手の プレッシャー与えながらそのノーヒットで も1点取るとうんいうようなイメージの逆 に投資王国というよりもそっちの方が どっちか言ったらカープは強いですよね うんただそういう野球が今カープは なかなかできなくなってるんですよねうん うんだから当然そのあの投手人守りここを まず重視するこれはもうカープの伝統と いうことはもうずっと引き継げられたもん ですからそれはそれでえ守るべきでしょう けどやっぱりその機動力的な部分で ちょっとこう薄くなってるというかうん 弱くなってるとこもありますよねそれ走る 選手が減ってるってことですまあいや選手 はいると思うんですけどうん今年も非常に その企画数はむちゃくちゃ多いんだけど 失敗もむちゃくちゃ多いんですようんま そういう意味ではその走るタイミングなり 走り勇気なりまそういうものはちょっと かけてるなというところとエンドランとか でもちょっと少ないかなと思うしあであと はやっぱりどうでしょう本当カープの強い 時というのは中人も確かにだけど真の盤が いたんです鈴まし もあ強かったでう本当番になるバッターが いたんですよでこの去年も踏まえてそう ですけどこの新井新監督なって真の予盤が うん今いいないんですよねうんだからここ はの点を取らなきゃというかその勝てなて いうカープの1つの課題なんですけどその 以前にまず真の予番をいかに作るかでも真 の予番って俺さんあの育てるって言っても やっぱ長打力とかパワーとかいう先天的な ものあるからやっぱスカウティングも含め て誰を取るかってこと誰を取って育てる かってことが大でょうだから今育てると いうことも知ってますけど育成も当然カプ の1つの本来のねチームコースの絶対的な チームカープには若い人もどんどん チャンス与えながらとくゲームに出して 育てていくというようなチームカラーあり ますけどやっぱり外国人も必要でしょうね 必要でしょうねジャも今年ヘルナンデスと モンデスで途中から入った外国人が機能し てなんとかこう勝ったみたいなのがあり ますもんねまだからやっぱり外国人でそれ を経するのかあ今いる選手これから ドラフトで取る選手でそういうところを その先を見据えて作り上げていくのかま そういう中でのチーム作りもしていく必要 があるでしょうねうんバランスがちょっと ぱ東田のバランス両とも良くするのは 難しいでしょうけどやっぱり東田の バランス取れるか取れないたその全然違っ てくるじゃないですかちが崩れると やっぱりどうしてもね長いシーズ戦うのに 苦しというのありますのでぱその東の バランスというのはいかにしっかり 作り上げていくかということも大事 でしょうねうん 年齢的にはえっとオロさんいて2つ下に北 別府さんがいて川口さんどこに川口つ4つ したかで田が5つしたかあじゃもう野さん がバンバン投げることになって川口さんて 入ってきたんですそうですだから僕はね あのねのこもう野さんとさんずっと一緒に 投げてま僕一に上がった時遅かったもしれ ない先輩でも当然参考になる投手たくさん いました僕はね自分が成長できたのは身内 に自分にないものを持ってる投手が たくさんいたからこれは非常に大きかった と思いますなるほどだ例えば北別府うん あのビ絶のコントロールですよすごかった ですねあのコントロールというのは本当 羨ましかったですよそれを作り上げるの何 なのか言たらやっぱりホームホームの安定 感とかリリースポイントをしっかりすると かま諸々要件はあれがやっぱりすごい参考 になりましたで川口川口もそこまでの コントロールの良さはないんですよでも 彼彼の場合はファーボール出してもその ランナーを返さないだけの投球ができるで 少々投げてもうんへこたれないうんタフ だったしねタフこのタフさというのは僕に もなかったで津田普段はひひとしてねあの 本当面白い高成年というなイメージなです がお茶だけやってる男がいじられてる男が マンド上がってあのスイッチの入りあの 闘争心むき出しで投げ込むうんうんそれは やっぱり自分も参考になりましたよも津田 なんてあの首振ったら間違いなく100% まっすぐですからねねあそれはもうチーム も分かってる相手チームも分かってるはず なんだけどそれが打てないぐらいの 真っすぐを投げてたんですよだからそう いう意味ではねみんな年下なんですけどね 本当そういうその自分にない良さそれぞれ が持ってましたからそういうのを自分が 受け入れて自分が身につければ本当自分も すごいピッチャーになれる可能性があるな というそういう見方はしてましたよねうん 津田さん僕ねあの大と対戦して1番早かっ たですかてよく質問されてる僕津田さんっ て言うんですけど あの大野さんは加速するボールなんです けど津田さんやっぱピュってなんか伸び てる感じがしました伸びて落ちるでしょ あの野とか大魔人と一緒でストレートと フォークでよくミスターミスターとかお さんあおさんが監督の時かなフォーク振る なってミスタも同じことフォーク振るなっ ていや分かってたら振らないですまっすぐ と思って振ってここまで行ってあフォーク だったみたいなそんな感じだったですよだ から津田さんのボールは本当になんかこう いういう感じだったですねで広島球場 ってなんか打ち上げに見えるんですよ打席 に立つとそうなんかセンターのが高くて こう出こっちがこう低く感じるんですよあ でなぜかってなぜかなんでここ普通って 野球所ってこうなんて言うの水平じゃ なきゃいけないじゃないですかなんかこう 傾いてるように見えるんですよでなんでか なと思ったらカープの123番があのよ さん山崎さん正さんてみんな左バッターで もう青ほど掘るんですよね軸足んとこ こんな掘るんだ本当に当時はよく掘れてた もんねいやいや打席本当僕あの6番とか でしょで2階の表とか打席に行くとこんな なるんですよやめてくださいって言ったん ですけど本当にあの人たちはでも広島の僕 あの松田で野球はしたかったなああだけど 広島球場は良かったですま色々ね言われた しねあの当然そのビジターで来る選手には あの狭いとか汚いとか諸々条件的にはね 熱いとかね熱いいや暑いしだけど あのナうんたまらんかったよねたまらもう 本当にナって何みたいな風が止まるんだ 最初言った時わかんなくて何ですかナって 言ったらいや6時頃風が止まるんだよって 本当に止まって汗だけ止まらなくてだけど 今立派な球場すごく増えてるじゃないです かでもうんまあ昔のこと言ったら笑れるか な僕狭いとこ好きですまでもそういう球場 でえね我々はあの育ててもらったというか 強くなったというのもあるからねうんお客 さんもスタンドもファールグランドが しまいとやっぱ近いから臨場感あると思う けどベンチにいても近いから臨場感あるん ですよだからピッチャーのボールなんかも ベンチから見ててもすごいやっぱりこう 本当にブンて音まで聞こえるみたいな バッタ空振りしてバン音がそうそうあない ですかああいうのってやっぱ近い方がや今 立派な休多いけどファールグランドは アメリカみたいに狭くしてもらいたいなっ てやっぱ臨場感って距離だと思うんすよね なんとなくまうだから我は時代のね環境と もう全然今違うからね違うかなでもあの あそこ日本ハムの球場何でしたっけ エスコンエスコンフィールドもキャあの プレートからバックネットまでが15m しかないとってねあんなのさいいんでしょ 近近い方が誰が決めたのみたいなあんな 近い方が絶対にお客さんだって臨場感が あるんだからネットあるんですからねそう そうそうそうそうピッチャーも逆に後ろが 近い方が投げやすいと思ういや投げやすい と思います距離感がすごいね近く感じると 思うで甲子園とか結構あるじゃんいやだ 意外と甲子園なんかマウンド上がっても キャッチャーまでがすごい遠く感じるん ですよピピッチの立場からすればで僕 サード守っててサードゴロ取って ファーストに投げるじゃないですかあの ファースト1塁ベースとそのファル グランドが遠いとバック送球するケースが すごく多いです距離感がつめあります近い と大体そのアほとんどしないんですけど あの距離感って大事でた甲子園急連線とか 名古屋行って甲子園行って広島行くと頭 おかしくなりそうなもう球場が39連戦と かあってなだ3連戦ないじゃないですか 名古屋から甲子園とか甲子園から広島とか あるじゃないですかもうあの甲子園を間に 挟むと名古屋も広島球場と同じぐらいの こうファルグ感じで名古屋もすごく野球 やりやすかったんですよねそうそうそう そう結構障害っていうのはいつ頃ですか 41の時ですよえいくつまでやられたん ですかえ43までですすげえまそれまで 大きな交渉系がなかったんですけどね41 の時の甲子園であのじ神宮で投げて急にも 腕がだるくなって痛くなって明くなったん ですようんうんこれおかしいなということ でとくそっから広島帰ってでその日の夜に 風呂入ったら全然腕があまらないんですよ 白くなってく冷たくなる冷たくなるああ これは戦事じゃないなということでですぐ トレーナー行ってであの広大病院で検査し てサーモングラフティ調べたらもう指が みんなもう紫色ですよああこれは野さん もう相当ひどい結果が詰まってるからもう すぐこれから帰ってえ入院手続きして来て くださいとうん言ってもう入院する手だけ してまた行って病院うん原因を調べ ましょうということででまぞ座入れて調べ たら脇の下うん脇の中の血管が詰まってる んです詰まってるでこれは小野さんも早く 手術しなきゃどうしますかって言われる からいや本当もう何もできないんだから うんあ手が分からないうん分からない痛く てもだるくていやとくもうとく直して くださいとうんあのもしくはピッチ ピッチャーでもう1回復帰したいですか どうですかといやもうそれ以前やも一般 生活ができるように直してくださいとて 言って先生に行ったらまそれでもまだ投げ たいでしょうし投げれるようにってことで この肘の上のこの1番この支障のない ところを切ってもらってうんでこっから砕 入れく入れてでクリーニングしてもったん です詰まってるところ詰まってるとこあで それでね感激したのは普通あったかいじゃ ないですかあったかいでもむちゃくちゃ 冷たいじゃないですか流れてないからでも 脈も打ってないわけですよでその手術をし てクリーニングしてもらったら血液流れる じゃないですかただこの指先がふわーと 暖かくなるんですよああうわあ指先に血血 が流れたらああ時間うんそうもうその時 自分個人的に感激したんですよ感動したん ですよいやそうするでしょうんうわあ血が 流れ出したと思ってでそれでま直ってそれ が8月だったんです8月でま手術してもっ てバシしてでその年に投げれるかどうか 分かんないけど9月に一応投げるんですよ へえ投げるになったんですよ投げれるん ええでま次の年のこともあるからとにかく 投げれる状況だけは作るような形で見せ なさいということでうん旧市民球場で当時 のジャンスの松井ですよ松井出松井にワン ポイントに投げたんですまレフトフライに 打ち取ってで結局その年それで投げれる 状況になったんですでそので一応ま決戦症 のあれは一応は落ち着いたとうん いう中でその40次の年422年の時にま 一応2.85ですけど防御率のタイトル 急症してへえ取らしてもらったんですよ そうですねうんで42の時です42だから このタイトルはね今でも破られてないから ねいやそうでしょうで43になってこれが 甲子園でまた来たんですよもう1回やっ てるか分かるじゃないですかあまた同じ ような症状が来たということでちょっと 先発の日ですよ先発の日でそれを言わずし て然くるんですうんもうわあこれまずいと 思ってでも言わずしてまなんとかなるわと 思ってごまかして投げよう思って投げたら 結局2回途中で3点取らて警報されたん ですでもその時その時に当時のあの部長に もうまたあの再発しましたからもうやめ ますとうんいうことを言いに行ったらお前 まだ6月だから治療してまた投げれにし なさいということでま治療に入るわけです よねで病院の方からはもう1回手術します かって言われたけど手術いもうませんもう 43だしで結局それでもう治療して8月 オルスタだけにリリーフで投げ出して結局 高橋 ぶ に東京ドームで3対1で勝ってるのに逆転 スリーラ垂れてもうそこで間違いなく やめようということで決断するわ手術し なくてどうやって直すんですかいやもう 直しはないですよ薬でこう薬で散らすって いうか溶かそれしかないだから本当はそこ でもう1回手術しときゃよかったですけど ねまういいということでであのボール投げ さしたら結構早ボール投げれるんです 投げれるうん投げ投げてるんですでも 面白くないんですよ結局指先ね今まで指先 にボールの縫い目なり物々引っかけてこう やって投げてこの感覚ってあるじゃない ですかうんかかってる感覚がでスピンを かける感覚がそれがないんですよ違うもう 言って滑っちゃうのみんなうそそうボール を早そうだけど全くもう納得できない ボールばかでもうストレス貯めてしょうが なかったんですうんでももうそのその時に も抑えてももうその年も自分やめようと 思ったんですけどもう吉信に3ダウン撃れ たホームれた時にバックスクリーンこて その打球を見ながらああこれでやめれるわ という思いでうんベンチ帰ろもってもう こっちはすっきりしてるんですよ逆に言え ば撃たれて申し訳ないと思うんだけどうん でもうすっきりして帰って結局もその時点 で周りはあこれで大野さんやめるかなと いうような感じがおそらくしたと思います そのぐらいのもう表情で普通だったらもう くと思って帰るじゃないですか今まで家 たくさんやられたけどもう悔しさをなんと かね跳ね返さ思ってやってきたのにもう 悔しさがないんですようんもうこれはもう 自分もやめなきゃいけないなと思ったん ですもうある意味すっきりしちゃったそう そうそうそうあだから最終的にはあの足腰 とか肘方はまだ元気だったけど結局この 決戦症ということでもう自分で納得できる ボールだないましてはもう手術もしない っていうことだったらもうやめるしかない とまでも自分の方からねでもプロの舞台で 20年以上投げてるわけだからそうです それはやっぱり食ですようんそれまではね そんな大きな病気なくしてできたというの がねうんもうもう感謝しかないしもう自分 で納得してそうやってね読も抜けるという 思い得るだけでもこれも幸せの野球人生 じゃないですかい22年間まほぼほぼそこ までフルでできること自体がすごいですよ ねだね年数だけやっただけで大した数字 残しないですからねいやいや積み重ねです 全て積み重ねいやいや数字もすごいですよ 数字もすごいし22年間でやれ るっていうこともすごいしまちょっと問か もしれないけど1番印象に残ってるような そのシーンとかゲームとかありますかあの 僕はやっぱりねやっぱりプロとしての初 登板初登板の135点っていうのは原点だ と思ってるからうんまそれが1番ですへえ でやっぱりはそういう状況でスタートし ながらいろんなこと言われながらもえ やめれたその22年目の707試合目の 最後の登板というのが自分の中でスタート とゴールという区切りと一緒でやっぱり 残ってますよねであのその間の中でのその ゲームの中での言ったらやっぱり91年の 優勝ですね阪神のダブレヘッダーの中で あの初戦負けて2戦目に初回に1点取って で8回途中からマウンド行って最後優勝 投資をさしてもらったという91年の優勝 の瞬間うんまこがまいい意味での勝った 試合での優勝した時の瞬間としてはうん やっぱり一番いい思いになってますねうん でもなかなか覚えてないですよね僕もよく 時々聞かれるんですけど1本目のヒットと か1座席目はやっぱ覚えてるんですよでも 2座席目てあまり覚えてないし僕らも間 全然覚えてないですよ覚えて間2本目の ヒットはどことか言っていや覚えてねえな ていや帰って打たれたことしか覚えてない ですいいことよりも打たれたことすぐにね マの投げ合いでああで延長行ってまでも すぐにホームランないじゃスロ新人です からいやいや僕らも思ってますええで バックスクリーンにホームランですそれ 化粧店ですからいや僕ねあの時ショート 守っててすぐライバルだったんですよ なんてことを小野さんしてんだよすなよと か内心で思いながらでもそやったって言わ なきゃいけないじゃないですかでもすぐ俺 ライバルやん何さしてって思っそういうこ もあるからねマスターズリーグやりました ねあったね何年5年ぐらいやったのかなを 引退して北海道のチームだったんですよね あ俺は福岡だったからああその頃ってやめ てすぐでしょやめてすでもねちょっと間が 空いたんだけどねでもそれでも村田ちょい さんと野大野井坂さん140km投げ るってありえないことやってました いやいや元気良かったよあの頃は本当いや でもあの頃はっていうか今日もあのお 見かけしてもう全く体系から何か変わって ないですよねいやいやいや変わってないっ てこないけどうん いやあやってるんですか結構結構という よりもというかあの接節制というよりも とにかく習慣の中で朝もう今今の立場から したら毎日仕事があるわけじゃないでしょ はいはいてことは広島で家にいる時間が 結構ある自分の時間があるという生活して んだけどま何もない時は午前中ジムに行っ て体ちょっと動かして刺激を与えてという か健康維持のためにあはやってますよま じゃ今趣味は趣味はゴルとかですかいや ゴルも好きじゃないしあんまりいかないし うんまたゴルもたまに行く釣りもたまに 行くぐらいで趣味って好きなんだけど趣味 まで行かないなんだろう今趣味と言えない けどジくことぐらいかなあいいすねじゃ ないうん夜は酒を飲むわけじゃなし出る こともないしもう酒はほとんど全く飲ま ないというかあだから衰えないですね逆に それもあるかわからないああまあ何がいい け悪わからないけどただねあのどうだろう もうある程度年齢行ってこの先の夢とかね 目標とかてそうなかなかない中でうんどう だろうもう我々この年齢なったらとにかく 日々を元気に過ごすというかそれが1番か なと思うねうんでま定期的にいろんなねえ 昔のレジェンドじゃないけどオビの人に 会って話ができるとかそれも意刺激になる じゃない今回みたいなこういう企画もね いやもなかないじゃない超刺激になって ます僕いやいや現金とかねもう ジャイアンツの選手な話はできないていう イジャンの手のもの選手と話できないし たくさんまオールスターでも挨拶ぐらいか 今は平平気だよねいやすごいでょだって 挨拶しちゃいけないて言われたじゃない ですかうんそうそうそうそうそう一応戦っ てる相手だからっていうことでそうだけど いやもう本当オルさんとこんなに長い時間 話せるなんて僕もこのチャンネルやって よかったなっていやいやそう言って いただければいやいやいただ反応は分から ないからねいや反応なんかいいですよ僕は 僕は嬉しければいいそこ反応はだって人が 決めること僕自分で決め そういうことかそれはもういやその力に 慣れたらよかったけどいやいやもうそんな まそれはもうもちろんなるに決まってるん ですけれどもこう勝手に僕自分でこう なんて言いますかねああ会いたいな話して みたいなっていう人が何人かいてでもこう なかなかそれは実現することがないじゃ ないですかでもそこに人が間に入ってくれ て繋いでくれて今日みたいに会え るっていうことても本当になんか 軽々しく使いたくないんですけど感謝って いうものしかないですよ感謝と奇跡絶対 それがないと今日も家からここに来る時に あ俺あと2時間後に大野さんと会うんだ みたいないやもういつもそんな気持ちで こう来るんですよ撮影の時ってまでもどう だろう出会いとか人との繋がりとかそう いうのってねやっぱりすごい大事じゃない 大事ですねうんだから俺もこのプロの世界 である程度こうできるその状況になったの もやっぱり社会人という3年かうん社会に 揉まれというか社会の人との接触があって でいろんな勉強させてもらったというのが これはあの例えば銀行マ社会人プロ野球 全く別じゃないわけ共通することたくさん あるわけ結局は人と人との触れ合の中で 生活して試合して諸々行動するじゃないえ そういうのはすごい大事だというのはね 自分の中でこう教わったからまそういうの はすごいプロに入ってもね生かされたかと 思うしま今も多少なりとも生かしてこう 行動できじゃないかいうのはあるよねうん だから岡崎さんね岡崎さんもこれからが 大事だからいや本当いやあの野球だって チームメイトがいないと野球できないし もっと言えば相手がいないと打つことだっ てできないし取ることだってできないし そういう意味では僕はオナさんて6つ赤い んであと6年後に6年後の自分がオさん みたいに死師でいることをあの今日からの 目標にして自分に変えて頑張るようにし ますそうよねまそれてもねあの元気当時は ね適当してやった中でこうして何年経って こうやってまた話ができる昔の話もでき たりする聞いてもらえるこれねすごいいい ことじゃないいもう本当ありがと俺はも 感謝しなきゃいけないしありがとうござい ましたいいや本当ありがとうございました 本当僕僕的にはも最高楽しいやそう言って いただければありがとうございました ありがとうございました [音楽] 3 [音楽]
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◆大野豊さんプロフィール
選手歴
島根県立出雲商業高等学校
出雲市信用組合 (軟式)
広島東洋カープ 1977 – 1998
コーチ歴
広島東洋カープ 1999, 2010 – 2012
◆アスアカ総集編★一気見SP
【アスアカ総集編 一気見SP vol.50】天翔ける甲子園の一番星 荒木大輔
【アスアカ総集編 一気見SP vol.51】頭脳派戦士の回顧録 仁志敏久
【アスアカ総集編 一気見SP vol.52】バルセロナオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト 岩崎恭子
【アスアカ総集編 一気見SP vol.53】曲者Winding Road 元木大介
【アスアカ総集編 一気見SP vol.54】正捕手魂ド根性 村田真一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.55】吠える!悪太郎 堀内恒夫
【アスアカ総集編 一気見SP vol.56】魁!!スイッチヒッター 柴田勲
【アスアカ総集編 一気見SP vol.57】猛々しき野良犬の咆哮 愛甲猛
【アスアカ総集編 一気見SP vol.58】横浜高校伝説 安西健二
【アスアカ総集編 一気見SP vol.59】歌い踊る正捕手の嘶き 里崎智也
【アスアカ総集編 一気見SP vol.60】下町マコちゃん 益子直美
【アスアカ総集編 一気見SP vol.61】闘う紳士が歩んだ激動の野球人生 田尾安志
【アスアカ総集編 一気見SP vol.62】実直なるミスターロッテが語る魂の打撃理論 初芝清
【アスアカ総集編 一気見SP vol.63】黄昏アイアン・ホーク 下柳剛
【アスアカ総集編 一気見SP vol.64】球界のリアルジャイアン 山﨑武司
【アスアカ総集編 一気見SP vol.65】なぜ彼は代打の神様と呼ばれたのか? 桧山進次郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.66】若虎四天王回顧録 藤田平
【アスアカ総集編 一気見SP vol.67】巨人軍在籍30年プロ用具係の流儀 大野和哉
【アスアカ総集編 一気見SP vol.68】巨人軍フロントの全てを知り抜く影番 香坂英典
【アスアカ総集編 一気見SP vol.69】五輪体操競技メダリスト 池谷幸雄
【アスアカ総集編 一気見SP vol.70】浪花の打撃系捕手 西山秀二
【アスアカ総集編 一気見SP vol.71】走れ七色の変化球 大野豊
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