“宿命”に翻弄されたトレードがあった。故・野村克也さんの息子で1996年にヤクルトスワローズに入団した野村克則捕手(当時の登録名はカツノリ)は、阪神タイガース、読売ジャイアンツへと2度の金銭トレードを経験した。偉大な父の背中を追う重圧、バッシングにさらされた当時の思いとは――。現在は首位を独走する阪神タイガースで一軍バッテリーコーチをつとめる本人がNumberWebのインタビューに明かした。〈全3回の前編/中編、後編も公開中〉

◆◆◆

「カツノリから阪神に“漏れる”のでは…」

 プロ入りから4年間を過ごしたヤクルトから阪神へ。「カツノリ」こと野村克則の金銭トレードが正式に発表されたのは1999年11月29日のことだった。しかし、実際にはその2カ月以上前から「父の野村克也氏が監督をつとめる阪神へトレードされる」という情報はマスコミを大いに騒がせていた。

 火種になったのはある新聞報道だった。

ADVERTISEMENT

『(当時のヤクルト・)若松勉監督は、チームの情報がカツノリから(父を通して)阪神に漏れることを懸念している。だからカツノリはヤクルトにいる限り絶対に一軍には上げられない』

 そんな内容の記事が報じられたことで、球団内外は色めきたった。実際に克則はその年、一軍での出場はなかった。二軍ではイースタン・リーグで66試合に出場し、打率.245、4本塁打だったが、好調をキープしていた時期でも、一軍からはお呼びの声がかからなかった。

 報道が出た後、若松監督からは直接「そんな意図は全くない」と説明を受け、克則の方も「チーム事情は分かっていますから、問題はないです」と返したという。当時の田口周・球団社長にも呼ばれ、二人きりで食事を共にした。克則が振り返る。

「チームの情報を伝えるなんてあるわけがない。そもそも僕は寮暮らしで父と顔を合わせるのは正月くらい。連絡なんてほとんどとっていませんでした。田口社長からは『周りも騒ぎ立てるし、やりづらいんじゃないか?』と言われましたが、僕は『全く気にならない』と伝えました。ヤクルトでお世話になった以上、ずっとヤクルトにいたかった。そんな自分の思いも話していたんです」

「親ばかトレード」批判

 しかし、日頃から注目度の高い野村ファミリーのネタをマスコミは放っておかない。

【次ページ】 「親ばかトレード」批判

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball