暗黒時代の阪神の「弱気なスカウト戦略」。当時を支えた名スカウトが回想する、その特有の事情とは? ライター・喜瀬雅則氏の著書『阪神タイガースはなんで優勝でけへんのや?』(光文社新書)より、抜粋・大幅加筆してご紹介する。〈全6回の2回目/つづきを読む〉
1991年のドラフト。萩原誠、中村紀洋という野手の逸材を擁する大阪府の西隣・兵庫県には、即戦力の評判を取った関西学院大の遊撃手・田口壮がいた。
甲子園球場のある西宮市出身。県立西宮北高から指定校推薦で関学大に進むと、2025年春季リーグ終了時点でも依然として関西学生リーグの「最多安打記録」である、通算123安打をマークした。
阪神拒否を打ち出した田口
阪神の1985年の日本一メンバーで、ショートのレギュラーだった平田勝男(長崎/明大/81年2位)もその年で32歳と、ベテランの域に入ろうとしていた。
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平田の後釜になり得るその有力候補が阪神のお膝元にいる、バリバリの地元選手なのだ。
ところが田口は、ドラフト直前「阪神に行きたくない10カ条」を打ち出した。
「とにかくオリックスが好きなんです」
希望が叶わなかった場合には、社会人に進む可能性も示唆してまで、阪神への拒否姿勢を明確に打ち出したのだ。
オリックススカウトは阪神の内情を熟知していた
田口が入団を熱望したオリックスの担当スカウトは、1970年(昭和45年)の阪神ドラフト1位で、関西学院大出身の谷村智啓だった。最終的に田口での競合を回避した阪神は、萩原を単独指名している。ライバル球団に手を引かせるために、谷村はその“舞台裏”で汗を流したのだ。
「地元や。それこそ、阪神もいかなアカン。そやろ? そこやろ、な?」
谷村はそう強調しながら、一方で古巣の“内情”は熟知している。阪神という球団は、無難な方向に、そして世間の声に流されやすいのだ。
10月15日の石川国体終了後、萩原は「阪神志望」を明らかにした。
「小さいころから阪神ファンだったので『阪神を希望します』と言おうと思っています」

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