【明治大学同期】山﨑福也、糸原健斗、福田周平らプロ野球へ行く選手達の「ここ」がすごい/安田学園高校監督 会田勇気の野球人生に密着③
[音楽] そんな衝撃的な、 あの、同級生とやりながら 大学2年生の時、 え、自体は はい。 えっと、1 つ下にメンバーが入ったんですか? はい。 えっと、高山、坂本、聖郎、あと今年引退しちゃったんですけど、菅野っていう はいはいはいはいはい。1 個下もやっぱりプロに行く選手が多くて はい。 レベル高かったですね。 そうです。 はい。 そっか。そっか。あの時代まもう超やっぱり明治の超黄金ですね。 そうです。強かった。プロ黄機っていうかやっぱプロに行く子が多かったですね。 ああ、なるほど。実際一緒にやられてて、 と こう、あ、プロ、こういう選手がプロに行くんだなっていう感覚 でもうまいプロに行ってなくてもうまいすごいうまい選手たくさんいらっしゃるじゃないですか。 そこの大きな違いって何だって思われますか? うん。うまく言えないんですけど、 1 番感じたのはやっぱりここぞっていう時に うん。 こっちがやって欲しいなっていうプレイ以上のことを求めているもの以上のことやるかなっていう。 ああ、なるほど。 結果出すのもそうなんですけれどもうん。うん。 で、それじゃなんでそうなのかなと思ったらやっぱり修ラバをくぐり抜けてる選手が多いなっていうのはすごい感じ。あ、なるほど。 純粋に走る力、メディシンボールを投げるとか そういう数値だったら 負けない自信はあったんですよ。 うん。うん。 ただじゃ試合の中での パフォーマンスを考えたらやっぱり肝座ってるというか うん。うん。 ここぞっていう時にここぞのプレイを できるかどうか できるかどうかですかね。 糸原にしてもヒット、これで次のバッターが打ったらさよならだっていう時に横飛びで うん。 さよなら阻止したりとかここで打ったら優勝が決まるとかっていう時にみんなが打ってほしい時にタイムリー打つとか はい。 なんかここぞっていう時にこごとく結果出すっていう選手がやっぱプロ行ってるなって思いますね。 なるほど。なるほど。 逆にプロに行けない選手って はい。 えっと、いくつか理由あると思うんですけど、なんか 1番大きくあの、 ちょっとネガティブなあれコメント申し訳ないですけど、 あ、ここうやったらプロに行けたのになっていうのってどういうところが一番多いですか? そこの舞台に行きたいっていう思いの強さですね。 やっぱり糸原福田なんかも結局大学からプロ行けなかったので はい。 社会人経減っていったんですけど、ま、大学時代からもプロで活躍するとか うん。うん。 ま、言い方悪いですけど、平気であの、俺の方がうまいとか うん。うん。 なんで俺使わないんだぐらいの勢いで 振るまってるんですよね。 うん。うん。 なんでやっぱり心志しというか思いがやっぱり強い。 うん。 はっきり言ってみんなうまかったんで。 そうですね。 誰がどう出しても活躍できるぐらいのもの持ってると思ってたので、 やっぱりそこの思いの強さがやっぱ自分でやっぱり掴み取ってるっていう感じですかね。 なるほど。 で、行けなかった。ま、みんなうまくて行けるもの持ってると思うんですけれども、行けなかったって言るとやっぱり うん。 どっかで1歩引いちゃうというか うん。うん。 なんか社会人で頑張りますみたいな。 うん。うん。 やっぱよくも悪くもガが強い選手がやっぱりプロに行ってるなっていう印象ありますね。 選手としての大学生活はどういう状況でした? あのもう大学の1 年生の時点でもうなんて言うんですかね?え、自信とかやってやるぞっていうのはもうコパみ人にされて なるほど。 で、それと同時に苦しかったのはやっぱり投げることは自信あったんですけど、一になって うん。うん。 ボールを投げれなくなったっていうのが ちょっとショックも大きかったですし、 自分が思うとこに投げれないとか はい。あります。 自分でなんでこうなっちゃうんだってのも原因もわかんないし、そこでやっぱり気持ちが折れかけたっていうか、もうほぼ折れたんですけどうん。 [音楽] レベルも高いし、自分が思うようなプレイもできなくなってきて、大学時代は正直苦しかったですね。で、大学 2 年生の時も新人戦で代打出してくれたりとかはしたんですけど、やっぱり守れなくなっちゃったのでうん。うん。 やっぱもうバット振るだけになって 3 年生の時もチャンスをもらったんですけど結局、ま、ほとんど試合には使ってもらえずに、ま、実力もなかったので、 で、大学3 年の先輩方が抜けたタイミングでラスト 1 年の時に、え、監督に学生コチやってくれないかっていう風に言われて、 ま、それは当時は悩んでてすごい、ま、ショックだったんですけど うん。 でも、ま、現時点で考えたらプレイヤーとしてはチームに貢献できないっていうのも分かっていたので うん。うん。 だったらスタッフとしてチームを支えるっていうことの方が、ま、自分の役割は うん。 大きいものだと思ってたんで、大学 3 年の秋終わってから選手権、ま、一応選手権っていう形だったんですけど、ほぼ学生コ知っていう 役職でラスト1年は過ごしてましたね。 なるほど。 はい。 実際にその絶対にプロになるんだと 言って高校卒業した大学入ってきて、ま、実際にプロに行くレベルの選手たちとって はい。はい。な んだこれはい。はい。 え、でもそのご自身の中ではあのプロに行って活躍するんだと思いながらも自分のもうプレイがそもそもできなくなっていてっていうこの辛さももちろんあると思いますし はい。 いや、学生野球であの学生で 1 番なんて言うんですかね。えっと最大限の権利って野球したいですって言ったらできる環境じゃないですか? はい。 それができなくなるっていう、あの、その時のこの心の整理のさせ方ってどういう風に折り合いつけたんですか? あの、チームのためにとは故えとゆえどもみたいなとあると思います。 はい。あの、他の選手よりもやっぱりちょっと違った点がやっぱ高校時代のうん。 あの日々を思い返すとやっぱ指導者にゆくゆくはなりたいっていう気持ちがやっぱりあったので、 もちろんプロに行きたかったんですけれどもうん。うん。 で、父親もやっぱりサッカーの指導者なんですけれども、やっぱ教員をやってて、教え事との関係性とかすごいなんかいいなっていうのが感じてたので うん。うん。 指導者を将来的にやるんだったらこの大学 4 年生で学生コーチになるのも、あの、今後のことを考えたら必ずプラスになるんじゃないかって思いましたし、やっぱ父親にも脱信された時は父親に電話取って、ま、一度ご飯行くぞと。 うん。うん。 で、食事をした時にこういう風に言われたっていう時に父親から、ま、そういう風にあの監督から評価されたのは、あの、すごいプラスなんじゃないのって。 うん。うん。 で、ま、1 番はやっぱり親高校じゃないですけど、ま、神宮球場で活躍してる姿を親に見せたかったっていうのもあるので、 そうです。 ま、それが叶わなくなったので、 でもそれも父親に行ったら、いや、それ関係ないだろうと。 うん。 明治大学の野球部として在籍して一生懸命やることの方がお前の将来は価値があるものなんじゃないのっていうのを言われて、ま、その時もまあ泣いたんですけど、 でもそれで逆に あ、学生コチって貢献 することも大事なことだし、あの、父親も、あの、それもある意味親高校なんじゃないのって思わせてくれたので うん。なるほど。 今のこの立場になっては考えてみるとすごいあの時コ知になって うん。 やったことはプラスでしたね。当時は嫌でしたけれどもでもそこでふ切りがついて前向いてやろうっていう気持ちにはなりましたね。 [音楽] なるほど。素晴らしいですね。 はい。 実際大学の最後ここは えっと学生知されてその大学の後ですね。 えっと、ゆくゆくは教員になりたい。ま、その指導者になりたいって考えたら今の現状の日本のシステムから考えると教員になることが指導者になる 1 番の近道だと思ってたので教員を、え、免許を取ってで指導者になろうっていうのがあって、ただ体育の教員に うん。 なりたいと思ってたんですね。 父親もです。ただ名治大学は体育の免許がなかったので取れなかったので 社会の免許だけは取ったんですけど 体育を教えたい。ま、体を動かすこともちろん好きなので。はい。 なんで体育の免許が取れる大学院に住もって思っていたんですね。 なるほど。教育免許取るために大学院っていう選択をしたんです。 そうですね。もう体育免許を取るためにっていう感じですね。 なるほど。ああ。 で、その時進路偉ら考えてたんですけど、当時大学の、え、ゼミの先生にですね、明治大学の元監督の方が うん。うん。 川口教授って言うんですけれども、今でも進行があるんですけれども はい。 え、川口さんのゼミに入っていましてで、川口先生に相談をしたんですね。大学院に住みたいんです。体育の免許欲しいんです。 そしたら教え後に天堂大学院に住んでる人がいるぞって言って、あの、今都立上等高校で監督やってる内田さんっていう方なんですけどはい。 それが俺が監督やの教え後だから連絡してあげるって言って、わざわざ大学のキャンパスに内田先生来てもらって、 大学4 年生の時に話をして、こうこういう理由でどっかないですか?じゃあ準天堂大学院紹介するよって言っていただいて、 で、私も大学院に挨拶行ったりとか話を進めていく中で、 それだったら大学院いいんじゃないのってなってで、 10年度大学院に進むことになっ ええ、すごいですね。 そういうご縁もあって、 それも野球で繋がってる。 野球で本当に繋がって へえ。 で、大学院に2年間しっかり勉強しよう。 うん。 体育の免許取ろうと思って、え、こっちに越してきたんですね。 1人暮らしで。 うん。うん。 そしたらまたま安田学園の野球部のコチが足りないっていう話があって はい。で、当時森泉監督、 今総監督でいるんですけれども、それが明治大学出身。 で、えっと、その2 公、今もう亡くなられたんですけど、小林千春さんていう方がいるんですけれどもはい。 森泉総監督と常に中学時代から 13の関係で中学高校大学と はい。はい。 で、総監督も小林千原さんのことはなんか困った時とか人生の記録に立された時に常にアドバイスもらっていた方で うん。うん。その方に、え、誰か明治大学 のOBとかで指導者を目指してる方いませ んか?コーチいませんかっていうのを小林 シルさんに相談して、で、たまたま大学の キャンプ行ってる時とかAチームが 外行ってる時にBチームの臨時コチをやっ てたんですね、小林さんが。で、そん時に 私も見てもらったりとかコーチして いただいた時があって、で、たまたま間 どうだとうんうん。1 人暮らしするで、グラウンドもここにあるからって本当にいろんな偶然が重なって 1 年でもどっちかずれてたらコーチの話もなかったですし、 たまたまタイミング的に場所的にも 本当にはまって すごい変です。 大学員通いながらコーチができる環境があったのでもうぜ非荒らしてくださいっていう風にうん。 お話いただいてで、大学院通いながら安田学県の野球部のコーチをやることになってどうですか?その学生コっていう はい。 えっと、同級生を構知するっていう感覚から実際にえっといざ安コ知されてると政党をこ指導するって言われるものとここの違いって はい。あ、もうすごい違いましたね。 なんかその同級生なんで行ってしまえば糸原副田なんかもう実力的には私なんかよりも数段上じゃないですか。それに対してコチとして接するとかあとは監督の意見をまとめて選手たちに伝達したりとか [音楽] うん。うん。 中間管理職みたいなものなんでそこの辛さがあったんですけど やっぱり初めて高校生相手に話をした時もやっぱり純粋な目でなんかすごいあの明治大学野球部から来たコーチだっていうことでなんかすごい自分に 向ける目線が全然なんて言うんですかね もうとにかくろんなこと教えてくださいみたいな なるほど なんで指導の面ではまもちろん責任持ってやらないとなっていう気持ちはありましたけれ も大学時代に比べてもう何倍ものやりやすさって言ったらあれですけれどもなんか指導をしても選手も信じて話を聞こうっていうのがすごい伝わったんで やりなんて言うんですかね大学時代よりもやっぱりここでの指導の方があのやりやすさは感じましたね。 うん。なるほどなるほど。 その難しさっていう観点でいいくとどうですか? 難しさはですね、あの森泉総監督があのもう本当に自分が思うようにやってくれたらいいよっていう風に はい。 もういろんな面で 自由にやらせていただいたんで、もう本当に私も今のこの立場になったらこんなことできなかったなと思うんですけど本当にいろんなことを自由にやらせてもらったんで はい。 指導していてやりづらいとか難しいは感じたことなかったですね。 私が感じたことを選手にぶつけて 一緒に頑張るぞみたいな。 うん。うん。 もう純粋にその時々の熱い気持ちを選手に一緒にやってって頑張るぞっていう。それこそ年齢も近かったので うん。うん。 もうとにかく選手と一緒になって勝つぞ監督男にするぞみたいな感じで うん。うん。 もう本当にとにかく自由に やらせてもらったんで難しさを本当感じないです。 うん。 もうそこは森泉総監督のおかげで へえ。 そう、今になって思えばそう難しく感じないように振るまってくれていたなっていうのはすごい感じます。 実際にコーチをえっと何年 やられることになるんですか? コーチはですね本格的にやったんで 15161719 年6 年弱ぐらいですね。 うん。なるほど。 校長をやってからじゃ監督になるってなった時の この生徒と向き合う向き合い方の違いとかったらあられますか? [音楽] もそれは逆にもう今も悩んでます。 どこまで、ま、コーチだったらもう手取り足してるこだぞとかやってたんですけど、監督になるとやっぱりうん。 [音楽] 抜けてくる目も違ってくるので、 ま、そうですね。 そこの距離感であったりとか、 生徒に対するうん、 声かけとか、 そこはもう毎日悩みながらうん。うん。うん。 ま、総監督とも相談したりとか、あとはスタッフも増えたので、 いろんなスタッフともちょっと話を聞きながらやってるんで。 [音楽] うん。逆に今の方が悩んでます。 あ、なるほど。 コーチの最初やり始めた時とかなんかはもう本当にもう感じたことをそのまま選手に伝えたりとか思ったことを自由にやってたんで [音楽] も今は本当毎日の悩みながらうん。模索しながらやってるって感じですね。 うん。なるほどなるほど。 はい。 実際そういうも錯誤しながら、え、指導ですけども、ま、あの、ま、もちろんも迷ってるっていうわけではなくて、こう常にどうやって進化しようか考えてらっしゃるってことだと思うんですが、最初この、え、監督が思われてる [音楽] [音楽] こういう風な監督になりたい、内しこういう選手を育せたいとか、ま、そう、なんか目標とかってあられたりするんですけどね。 えっと、一応スローガンとしては監督やって途中からですね、あの、やっぱり高校時代は、 あの、やっぱり気持ちを とにかく表現しなさいっていうことで育てられたんで、うん。 一挙種一等速喜んだり悔しがったりとかそれをみんなで共有したいんで、一応チームのスローガンとして、 [音楽] え、熱く前に、 熱く前へというものを掲げているので うん。うん。え、そこをまず1 番認意識して、ま、せっかく高校野球みんなで集まった縁だし、どうせやるんだったらもう気持ち込めて毎日グラウンド上でそれを表現して、え、下向かずに前向いて、 うまくいかない時でも前向いて、 え、も、とにかく暑い気持ち持って常に前向きに取り組んでほしい。ま、そういう人間になってほしい。 [音楽] うん。 うん。下向いてたって周りがそれを見たらあのこいつのためにっていう気持ちはないと思うんで。 うん。 え、どんなに辛くてもきつくても前向いている人間を見たら俺も頑張ろうとかあいつが頑張ってるんだからっていう気持ちになると思うのでその熱く前へっていう気持ちを対現できるように、え、人間的にも強い人間になってほしいなと思ってですね。うん。素晴らしいですね。 [音楽] [音楽] ありがとうございます。すいません。 長時間あのお忙しいところ色々とお話しお伺いしてあの [音楽] はい ご活躍をあの見てます。よろしくお願いします。またありがとうございます。はい。 [音楽]
第1話
第2話
安田学園高校
監督 会田勇気
東京都八王子市出身
明治大学付属八王子高等学校
明治大学
順天堂大学院
安田学園高校 HP
https://www.yasuda.ed.jp/
安田学園高校 硬式野球部インスタ
https://www.instagram.com/yasudagakuen_baseball/
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【企画・制作】
株式会社Blue Rose ※一般社団法人日本インターネット報道協会加盟
https://www.blue-rose.co.jp/
【You Tube】
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〜アオバラプロジェクト〜
甲子園出場(2007年夏)経験者の3人が経済的事情で野球を辞めないよう少年達に資金提供をし、野球界への恩返しをテーマにしたプロジェクト。
少年野球・中学野球を中心に、
次世代を担う野球少年達を応援します。
現在競技人口が減少している野球。
野球のおかげで今がある。
「想いは一つ、野球界への恩返し」
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Music by Reggie San Miguel – Present – https://thmatc.co/?l=0B89D0D0

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