【ドン・ブレイザー 南海】3年間プレーしメジャー仕込みの攻守に渡って質の高いプレーで格の違いを示す。引退後野村克也兼任監督のもとヘッドコーチで73年優勝。79年阪神監督就任。翌80年岡田騒動で退任

はい本日はドンブレイザー選手南海 ホークスでございます35歳で来日67年 から69年まで3年間プレイされた時の こちらバッティングの様子ねここからです ねブレーザー選手の走る様子がね出てくる わけなんですがなんかすごい一生懸命走っ てるそんな感じの映像ですよねこれね残念 ながらねホームでアウトですねブレイザー 選手というよりも79年から務めました 阪神タイガの監督というイメージが強い方 も多いのではないでしょうかその ブレイザー選手1953年にセントルイス カージナルスへ入団55年メジャー デビュー56年にはセカンドのレギュラー として150試合に出場2割6部1人の 成績を残され58年にはオールスターにも 出場2割7部4D日本リーダー20りの 成績を残されてその後ジャイアンツレツと 移籍するわけですが移籍しました61年 レツでは優勝ワールドシリーズにも出場 63年には故障などもありましてこちら ピートローズ選手にポジションを奪れると いう形そしてセネターアスレチックスとね 12年間メジャーで活躍されるわけで ございますメジャー通算1444試合で 1366アンダ21本リダ308打で 105通り打率2割58人という成績を 残されておりますレザ選手実は1959年 来日しておりまして新前試合になるわけな んですがホークスとオリオンズの連合 チームとのね戦いその試合はねこちらジス 現役選手の広岡達郎選手がです見ていて 試合中のプレイそして守備練習もね守備の 基本練習を黙々と繰り返すその姿をねま 観察しましてねま広香選手はね感化された とね後にねおっしゃっているわけなんです ね 1967年35歳で第1南海ホックスで 入団本面はですねドンブラッシングホーム というわけなんですけれどもま名前が長い ま当時のねスカーボードって手書きなんで ね書き切れないということでま相性のの ブレイザーを登録目とねされたわけなん ですよねそしてですねまメジャー仕込みの その広岡選手もね感化を受けましたその 守備閉鎖のね素早い足の運びそしてグラブ サブ正確な早急というのはね35歳でも 全然顕在なわけでま打撃面でもま勝でね バッティングっていうのがあるわけでま バントもねセーフティバントはね特にね うまかったみたいらしいんですね3B戦ね ギリギリ転がすなんていうねプレイでまね 他の選手とは違うね質の高いプレイでね格 の違いをねま示していたわけなんですよね 日1年目67年は128試合で2割68人 5本塁だ68年は134試合で2割75人 5本塁だと2年連続ベトナにもね選ばれて いるわけで69年は104試合で2割7部 926本塁だというね成績を残されて37 歳で引退その後ですね71年からはこちら 桜井選手がセカンドのレギュラーとなり 70年からはブレイザー選手がけており ました背番号1もね継承されていくわけ ですよね70年からは野村勝也県人監督と なるわけなんですけれども監督就任の条件 通してブレイザーヘッドコーチのね就任と いうものをね条件の1つに上げたわけなん ですよというのもですねま先週時代から 試合ごとにね緻密なね野球を組み立てる ブレイザー選手というものをね野村監督は ね買っていたわけなんですよねそして ヘッドコチになっても試合前の ミーティングではねそれまでね南海選手は ねま見たことも聞いたことがないようなね いわゆるシンキングベースボールという ものをですねま植えつけていくわけなん ですよね後に野村監督はヤクトスワルドの ね監督になれた時IT野球というね言葉を ね使われておりましたがブレーザーヘッド コーチのシンキングベースボールというの がね限定にねなったんじゃないですかね そして1973年には南海ホックスは 優勝野村監督が解任される1977年まで 8年間ヘッド行子として共にチームを支え 続けていたわけで野村県人監督でねま監督 が会にされたけれども選手1選手としてね 露て移籍するわけで一方のブレイザー コーチはブレイザー選手が引退した後何回 移籍してねセカンドのレギュラーとして 活躍その後何回でコーチとねま一緒に ブレーザーコーチとれておりました広島 コバ監督の元広島のねヘッドコーチね就任 するわけなんですねそしてよく79年には 阪神タイガースのね監督へ就任されるわけ でございます何回以にもね一緒にやって おりましたエ投資とねま再開する形になる わけなんですけれども前年阪神タイガース がねま再開に終わっていたわけで ブレイザー監督就任でねブレイザーならね チームがね変わるんじゃないかというね 隠しメタものがあってねま歓迎されていた そうなんですよブレザー監督の改革は断行 されていくわけで司法4番田渕こ選手を 放出いたしまして真選手若選手ここはね 長井選手となっておりますが結果的には 武田投手になるわけで田渕古沢に対しまし て舞わかな武田武のというねま4体のね 交換トレードが成立するわけでそしてもう 一方こちら小林茂投手も空白の1日江川 する投手のねま事件によりましてねま トレードでね加入するわけですよね移籍し てきましたねま当時ショートだった真選手 なんかでね守備位置やね自分の動きでね ピッチャーのね吸収をねま相手バッターに ね悟出されないねまですかね考える守備と いうものね教えていったわけなんですよね そしてねこの年はね前年の再会から4へね アップするわけなんですよねしかし翌年に はドラフト1位で大型ルーキー岡田秋信 選手が入団まねルーキーは1年目からね 使わないなんていう方針そしてねセカンド でねヒルトン選手をねま自らが獲得する などありましてねまここでヒルトの選手が 打ってくれれば良かったわけなんでしょう けれどもまヒルトの選手が不審で対談 ブレザー監督もですねまあ対談するねま5 月ですよなっちゃうわけなんですねそして 公認にはねこちら左に映っております ヘッドコだった中西監督にねなるわけでま この年はね5位にあるわけでねこの本投手 とね一緒に映っておりますがま翌年81年 にはですねま江本投手のねあの有名な ベンチがアホやからというな事件もね 起こるわけじゃないですかしかしねブレダ 監督のね評価が高かったみたいで複数の 球団からね誘われるもプルスの南海ホクの ね監督に81年就任するわけなんですよね そしてこの年はですね山内高投手山内和弘 投手がねま入団したしまして山内新日と 合わせまして山内とを決うでも3割 バッターは3人そして角田広光選手はね ホームランをね獲得する活躍をするのこの 年は5位翌年角田選手のねま怪我で離脱 などもするわけでその一方ピッチャーは山 はね揃って2桁勝利を上げるもやはり打線 は迫力なくこちらのね佐岡選手のね48 打点というのがねまチーム最高というわけ ですからねちょっとその辺やっぱり苦しい ですよねそして健康上のね問題などもあり まして監督を退任83年は何回の中米 スカウトをされましてまその後ですね カージナルスやフィリーズでコーチを務め られておりますブレイザー選手の通算成績 が366試合で371アダ15本リダ86 打点打率2割74厘という成績そしてね 監督としてはですね416試合で180勝 208杯28分け処理4割6部4銀でま 全てがねBクラスに終わっております本日 は新キグベースボール海の親とも言えます ブレイザー選手監督をねお送りいたしまし た最後までご視聴していただきありがとう ございますでは

ドン・ブレイザー阪神監督のイメージが強い方も多いでしょうが、メジャー12年で1444試合1366安打21本塁打308打点105盗塁.258と活躍し35歳で南海入団。

そのメジャー仕込みの攻守に渡って質の高いプレーで格の違いを示す。シンキングベースボールを提唱し野村克也兼任監督のもとヘッドコーチとして73年優勝。

野村監督解任の77年まで8年ヘッドコーチを務め78年広島コーチ。79年阪神監督就任。田淵幸一、古沢憲司を放出し、真弓明信、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史を獲得する大型トレードを敢行。空白の1日江川事件で小林繁も加入し4位。

80年は大型ルーキー岡田彰布入団。新人選手の扱いで監督とフロント、ファンが揉めることになり自ら獲得したヒルトンが不振で退団しその後監督も5月には退任。

しかし評価は高く複数球団オファーに中古巣南海監督就任も5位6位と低迷し健康上の理由などもあり退任。

通算成績
366試合 371安打 15本塁打 86打点 打率.274
監督成績
416試合 180勝208敗28分 勝率.464

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball