2025年、阪神タイガースはセ・リーグ首位を快調に走っている。しかしさかのぼること30~40年前は「暗黒時代」の真っただ中にいた。1970年代に電撃トレードで阪神に入団した“エモやん”こと江本孟紀氏が明かす当時のウラ話を『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)から一部転載でご紹介します。〈全9回。第9回につづく〉

「吉田派vs.村山派」は本当に存在したのか

 私が現役のころ、また引退してからも多くのプロ野球ファンからこんな質問を受けたことがある。

「阪神って、気難しい球団だと聞いていますが、本当ですか?」

 よくよく聞いてみると、「吉田派と村山派があって、どちらかに入らなければならないんでしょう?」と言うのだ。

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 たしかに、そういう報道は私が南海に在籍していたころからよくあった。たとえば、ロッカールームが吉田派と村山派で真っ二つに分かれている、あるいは北新地で二人がバッタリ出会わないように、それぞれのスケジュールを確認する人が阪神の関係者にいる……。

 だが、阪神に入ってみるとよくわかったのだが、そんなものはいっさいなかった。「選手の〇〇が吉田義男さんのことを称賛し、村山実さんのことを貶している」なんてことは噂レベルの話だったわけだ。

あたかも球団内部の人間がかかわっているかのように

 なぜ、こんな噂がまことしやかにいわれていたのか。それはマスコミにも責任がある。

 村山さんが選手兼任監督として指揮を執っていた1972年、チームは低迷し、選手としていよいよ最期を迎えようとしていた。このとき、村山さんの采配に不満を持った選手のコメントをあることないことを書き立て、ついには「もし吉田さんだったら……」などと書かれた記事に端を発して、「阪神には吉田派と村山派がある」などと書き立てられたのが真相のようだ。

 私も村山さんとは何度もお話しさせていただいたが、とてもじゃないが、派閥をつくるような人ではない。それどころか、「エースになれば、野手とも同業の投手とも立場が違う。打ち解けて話をすることがなくなる。どこに行くのもひとりでいる。でも、これは立場上、しかたのないことなんだ」という話をしていたほどだったから、村山さんが特定のひいきの選手を連れ出してどうこうしていたとは考えにくい。

 ただし、「人間的には合わない」ことがあったかもしれない。

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