2025年、阪神タイガースはセ・リーグ首位を快調に走っている。しかしさかのぼること30~40年前は「暗黒時代」の真っただ中にいた。1970年代に電撃トレードで阪神に入団した“エモやん”こと江本孟紀氏が明かす当時のウラ話を『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)から一部転載でご紹介します。〈全9回/第3回につづく〉
ブロックサイン? エモ、そんなのウチにないよ
南海時代、バッテリー間のサインは捕手である野村克也さんが出していた。それだけに、捕手はほかの野手に比べて余計に神経を使うとされているのだが、こと阪神にかぎっては、そうした決めごとがまったくなかった。それどころか、「人差し指1本出したらストレート、人差し指と中指の2本出したらカーブ、指を全部振ればフォークを投げる」という、じつに単調な決め方だった。
あまりに単純な配球のサインの出し方に、私は田淵幸一さんに聞いてみたことがある。
「ブロックサインは、どうなっているんですか?」
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すると、田淵さんは「なんだ、それ?」というような表情を浮かべながら、
「エモ、そんなのウチにはないよ。人差し指を1本立てたらストレート、人差し指と中指の2本立てたらカーブ、薬指まで3本立てたらスライダーという感じで出しているんだよ。何回も出したらピッチャーが投げにくいって言うしね」
と。だから、1回しか出さない単純なサインだった。それを聞いた私はあっけに取られてしまった。あまりにも単純なサインであるにもかかわらず、それでも、ある程度は勝っていたからだ。
南海から一緒に阪神に移籍した、「ノムラ・シンキング・ベースボール」の島野育夫さんにそのことを話すと、「おい、阪神は南海より強いんじゃないか」と驚くことしきりだった。これは何も皮肉で言っているのではない。本気でそう考えていたのだ。
天才ゆえ何も考えていないように見えた吉田さん
なぜ、吉田さんはこうした野球をしていたのか。何も知らない人からすれば、「な~んにも考えずに野球をやっているなんて、アホちゃうか」と思うかもしれないが、真相を明かすと、あの小さな体だったが、吉田さんは「天才型のプレイヤー」だったからである。

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