今年度、30歳を迎える大谷翔平世代、いわゆる1994年度生まれの代。大谷が日本ハムに1位指名された2012年ドラフト。同じ高卒組でプロ野球(NPB)に入ったのは27人だった。13年が経ち、NPBでプレーするのは千葉ロッテ田村龍弘、1人だけだ。“最後の1人”になった田村本人に聞く。【全4回の4回目/1回目から読む】

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 入団1年目のキャンプは二軍からスタートした。その初日のこと。田村は小さな絶望を味わった。

「あれっ、ちょっとレベルちゃうわ、って。ファームの選手でこのレベルかい、と」

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 田村の目を釘付けにさせたのは高浜卓也の一挙手一投足だった。横浜高校から2007年の高校生ドラフト1位で阪神入団。田村が入団する2年前、2011年に千葉ロッテに移籍してきたプロ5年目の左打ちの内野手だった。

「フリーバッティングではほとんどホームランやし、シート打撃をやってもばんばん打つ。守備もうまい。なんでこんな人が二軍にいるの? って思いましたね。一軍はどんだけヤバいの? って」

「諦められるやつがプロで活躍するんですよ」

 その年の7月、田村は初めて一軍昇格を果たした。そこでは高浜を見たとき以上の衝撃が待っていた。

「その頃でいうと、サブローさん、福浦(和也)さん、井口(資仁)さん、今江(敏晃)さんとかのバッティング練習を観たときに、レベルが何段階も違うなと思いましたね。ファームより1段階とか2段階とかじゃなく。これがプロの一軍と二軍の差なんや、と」

 いずれも何年もクリーンナップを任された強打者たちだった。

――「何段階も」というのは、がんばれば追いつけると思えるようなレベルの差ではなかったということですか。

「ほんとはダメなんでしょうけど、そこでちょっと諦めましたね。自分のバッティングスタイルを変えないといけないなって思いました。高校のときみたいに振り回してても、一生打てねえなと思いましたから」

 より正確に言うと変えたのは「バッティングスタイル」ではなく、プロ野球選手としての根本的な生き方だった。

 打撃スタイルを変えることで少しずつギャップを埋めることはできたのかと問うと、にわかに信じられないような言葉が返ってきた。

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