トレードで運命を切り拓いた男がいる。ダイエーからヤクルトに移籍して野村克也監督と出会い、一気に才能が開花した田畑一也投手。その後、近鉄を経て、長嶋茂雄監督率いる巨人へ。実に3度のトレード秘話と、野球人生を変えた出会いとは——。56歳となった現在、富山県の通信制高校、AOIKE高等学校で今春新たに創設された野球部の監督を務める田畑さんに聞いた。〈全3回の1回目/つづきを読む〉

 一報を聞いたのはプロ4年目のオフのことだった。1995年11月20日、福岡ダイエーホークス(当時)の田畑と佐藤真一外野手、ヤクルト・柳田聖人(しかと)内野手と河野亮内野手との2対2の交換トレードが合意に達した。連絡を受けた田畑は、にわかには信じ難かったという。

「ウソやん? と思いましたね。なんの実績もないのになんでオレ? ウソやん? って……」

 驚くのも無理はない。田畑は当時のダイエーの選手の中でも異色の経歴の持ち主だった。高岡第一高校を卒業後に社会人野球の北陸銀行に進んだが、右肩手術などもあって3年目に退社。一度は野球を諦めて富山の実家に戻り、家業である建設業の大工をしていた。ところが1991年に軽い気持ちでダイエーのテストを受験したところ、あっさりと合格。この年のドラフトで12球団最後の指名選手となる「ドラフト10位」で入団していた。

 1993年にプロ初勝利を挙げたがシーズン通して力を発揮することはできず、一軍と二軍を行ったり来たり。いわゆる“エレベーター選手”が4年間で残した数字はわずか「2勝」だった。

「多分、(ヤクルトの狙いは)佐藤真一さんだったと思います。そこに俺がついて行ったみたいな感じのトレード。最初は驚いたし、ホークスを離れるのは寂しくもあったけれど、だんだん嬉しくなってきたんですよ。だってヤクルトは95年に日本一になっているチームですから。日本一のチームが俺のことを知っていてくれた、見ていてくれたんだ、って」

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball