ダイエー(当時)からヤクルトにトレード移籍し、故・野村克也監督と出会って才能が開花した田畑一也投手。「野村再生工場の最高傑作」と言われた右腕はその後、2度の交換トレードで近鉄、巨人と渡り歩いた。波乱万丈の野球人生のいく先と、故・長嶋茂雄監督の思い出とは——。現在は富山県の通信制高校、AOIKE高等学校で今春創設された野球部の監督を務める田畑さんに聞いた。〈全3回の3回目/はじめから読む〉
恩師である野村監督がチームを去るとともに、少しずつ登板機会が減っていった田畑。1999年オフの契約更改交渉の席上では思わず起用法への不満が爆発し、球団幹部に「若手しか使わないなら、僕の働く場所はない。それならトレードに出してください」と訴え出た。
「こんないい仕事場ないよ」
「トレード志願、という記事が出た時はチームメートから心配されましたよ。(宮本)慎也さんからは、『本当にどっか行きたいの? こんないい仕事場は他にはないよ』と言われて、そうだよね、と自分でも思いましたよ(笑)。
若松(勉)監督を批判するような意図は全くなかったので、その後に監督やコーチともしっかり話し合いました。最後は納得した上で契約更改して『じゃあ来年も頑張ります』という感じになったんですけどね……」
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翌2000年3月27日、オープン戦の最中に田畑と大阪近鉄バファローズの代田建紀外野手、衣川幸夫捕手との1対2の交換トレードが決まった。その直前、田畑はトレードの気配を感じ取っていたという。
監督から握手を求められて…
「大阪ドームの近鉄とのオープン戦でリリーフして2イニングぐらい投げたんですよ。左バッターの川口憲史に2ランホームランを打たれたりして散々な出来だったんですが、ベンチに戻ったら若松さんが近寄ってきて、『ナイスピッチ』とやけにガッチリと握手をしてきた。
なんで握手? と思っていたら次の週にトレードが発表された。相手はその近鉄でしたし、あの時には多分、トレードがまとまっていたんでしょうね(笑)。ただ契約更改でのやり取りもあって、自分で蒔いた種のようなところもあったので逆によし! という気持ちにすぐ切り替えられました」

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