栗山英樹×井上康生 ~ジャパンメソッド[世界で勝つための方法論]【GETSPORTS特別編#1】<地上波未公開トークあり>
この日栗山秀はとある人物との対談を前に心を踊らせていた。 [音楽] これ多分 こんなに分かりやすくはい。改革 の項目が上がるスポーツって僕あんまりないと思いますよ。 うん。確かに。ただはい。 そのまずはその同じことを違う人がやってもこういう風になんないんですよ。 物事ってやっぱその人なんですよね。 やっぱり今世の中見ててリーダーっていう その30代40代のいわゆるグループの蝶 だったりこうリーダーっていう人たちが 本当に迷ってる困ってるっていうところを 感じるんですよね。項目ごとになんか誰か が引っかかればいいかなっていう風に僕は 今日は思っています。 栗山が日の間丸を背負う指導者から世界と戦う勝利のメソッドを学び、高成に伝える連続企画。今回の相手はします。 [音楽] 小さん、今日はよろしくお願いします。よろしくお願いします。ごます。 ごしております。 すいません。よろしくお願いします。礼します。 よいしょ。 今日は小さん、あの、本当にやっぱりその、え、日本柔道が、え、みんなが心配してる中でこう世界に日の木部隊に立っていく。ま、それを本当にこう変えていくっていうのは本当大変だったろうなっていう風に思うので、 ちょっとその辺りを中心に 是非日の丸含めてよろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。お世になります。 可愛い子には食べようさせろじゃないですけど、モンゴルの血に行ってきなさいってことでマイナス何十度の極感の血に 送り込んです。 自分1 人でやっぱ限界があるという風に思いましたんでいかに様々な方々を巻き込んで うん。 [音楽] ここまでのじゃって必要なのって思うこともありましたし 質だけ求めるとやっぱり貧弱になってしまうなっていうケースもあったので指導を取るスピードが明らかに違うっていうのをデータが出たんですね。 [音楽] 大改革の裏にあった語り継ぐべきメソッド とは [音楽] ゲットスポーツ ナンバーコラボ企画ジャパンメソッド えまずはですねはい僕 は、あの、えっと、指導者としての井上高生さんではなくて、まずはそのプレイヤーとしての はい。ま、子供の頃から、ま、ある意味 天才柔道家だったわけじゃないですか。 で、10、 ま、小学校からあれだけこう日本のタイトルを取って行ってずっと高校まで行く。これどういう感覚なんですか?さん、 どうだったんですかね?もうただ単にでも柔道が好きでしょうがない子供でした。 ああ。 で、え、やはり自分自身がやっぱ柔度強くなりたい。誰よりもうまい、え、強い柔道感になりたい。ま、最終的にはやはりこのオリンピック世界選手権で優勝する選手になりたいっていう思いだけを追い続けて、え、成長していったというところがあったかなと思います。 [音楽] で、でもその過程においてやっぱ私自身が幸運だったのは道場の先生やまた、え、家族というか父親の存在、 またあの高校から東海大医学の方に入るんですけど、ま、東海大学、え、付属相模高校での教育や大学での教育、こういうものが非常に私にとって今なおですね、大きな影響をいいてる部分があるので、そこの、え、出会いというものがですね、私自身はここまで成長させてくれたんじゃないかなと思います。はい。 そうですか。はい。 ただ、あの、人ってなんかこう結果が出てしまうとなんて言うんですかね、ちょっと安心するとかほっとするとかところが、 ま、ことあったとは思うんですけど うん。 家庭を見ていると本当にこう順調にずっと来られるじゃないですか。 その辺りって そのなんかちょっとなんか他のに意識がいくとかちょっと緩むとかそういうもの全然なかったんですか? うん。そうですね。ま、あの、よく言われます。 で、小学校の時にも、ま、一応全国チャンピオンになったり、 ま、中学校の時にもですね、順調にあのチャンピオンになるという風な程を踏んでいったんですけど、 ま、本当先ほど言ったように、ま、父親の存在がやはり非常に大きくて、 あ、 父があの、お前自身の目標っていうのはここじゃないよと。 だからこそ今作ってる柔度っていうのもよりっそ上を向いた上で、え、成長していかなきゃいけないし、え、まだまだ成長できる子だから、あの、もっともっと練習して、え、より高いところを目指せようっていうことをですね、 話をしていただいてたっていうところがあった。 また高校で、あの、東で相模高校に入った時に私の憧れであった方というのはやっぱ山先生であり、ま、あの高校時代の先輩でもありですね、大学の音師でもあるんですけど、その先生が目の前にいるとなんか自分自身がちっぽけに思えて、 [音楽] あ、はい。あ、まだまだだなと ていう風な思いがうん。 何か、ま、私自身をストップさせることなくこう走り続けられた大きな要因だったかなっていう風にも思いますね。はい。 そうですか。確かにあの山下先生近くにいると やっぱ我々のもの感じてしまうんで、 ま、そういう存在っていうのはやっぱ大きかったんですね。 はい。いや、山先生からですね、あの、高生、まだまだだぞって言われたら本当にまだまだだなって思ってましたんで。 そうですか。はい。 あの、で、ま、ただ単にその東大学の教育っていうか、山下先生やまたその山先生を育てられた佐藤先生は の存在っていうのは、ま、ただ単にその強い柔度家だけではなく、 あの、やはりこの柔度というもののうん、なんて言うのかな、大きなこう価値観というものを私自身にたくさん学ばさせてくださった、そしてまた将来っていうところを見据えた上での様々な教育をしていただいたこと [音楽] が最後までこう走り続けられたっていうのはそういう先生方のおかげだったなあっていう風には強く思うところありますね。はい。 はあ。そういう素晴らしい方が、ま、お父さんも含めまして はい。 それが井上高生さんの指導者のなんか大きなこう像って言うんですか?そうなってる感じはあるんですか?う ん。間違いないと思います。はい。 ま、やっぱ人間ってよりこう軽減則で いろんなものをあのこう作っていくって いうところがあるとは思うんですけど、 私自身の中ではやはり父やまた 、ま、私の人生の中で携わった先生方、 また、ま、非常に大きく影響してるのは今 お話しさせていただいた佐藤先生、山下 先生の存のは非常に大きいね。あ、そうな んですね。で、実際ですね、ちょっとあの 現役時代てもらうはい。 ま、その、えっと、現役をやめてイギリスの方にこう、ま、勉強に行かれる、 この辺りの頃っていうのは小さん、どういうこうイメージだったんですか? これはあの、現役時代から、え、その佐藤先生えからの、ま、一種の衛教育じゃないですけど、 え、現役終わった後っていうのは、あ、また柔道に携わる仕事ももちろんだし、 え、また指導者として、え、やる仕事もちろん、またその他というところにおい [音楽] でも1 度やはりこう自分自身をリセットさせるというか、え、またよりこう学びというものを求めていくっていう中で 2 年間の留学というものを考えていたらどうだと で、 ま、しかしながら決して東大学区の先生方の教育っていうのは押し付けることはないんですね。 どうだという形で、あの、色々なこうヒントというか、あ、そういう環境を提供してくださる部分があったので、最終的には、ま、自分自身はこうなりたい、あ、なりたいっていうことで、え、大学院に行ったり、またあの、え、海外の留学なんかもですね、経験させてもらったっていう、こう、プロセスを踏んでいった部分はありました。 [音楽] 非常にあの貴重な経験であったし、 そのご指導っていうものは今、あ、非常に大きく生きてるなっていう風には感じますね。あの、具体的に例えば、ま、ちょっと僕らは柔道ってやっぱり日本のものだっていうね、もう歴史も含めてあるんですけど、 ま、世界に行ってこう色々スポーツだったり人の生活だったり見ていてそのちょっとこう日本から離れてる時間っていうのは、ま、この部分はやっぱ大きかったなみたいなってあるんですか? うん。そうですね。 まず1 つはうん、世界中の柔道化の方々と携われば携わるほど本当に心から柔度愛してんだなっていうことを 接する中で感じたんです。で、あの、ま、もちろん戦う相手としてですね、え、我々っていうのは価値を求めていく中で、え、時にはライバルになったり、時には敵になってくる。 [音楽] しかし、また違度で見た時には、あ、我々と本当柔道ファミリーなんだなと。 この仲間たちといかに今後もこの柔道というものを発展させていくかというところを本当にこういろんな国に生活かさせてもらう中で感じることができたので その視点っていうものはまず1 つ目大きかったなっていう風にはあの思いました。 で、もう1 つ目は逆にその海外の方々っていうのはもちろん倒したい日本、またライバルである日本というところがあるんですけど、でも心からリスペクトしてくださってたんですね。 ああ。 ですからなんか我々はやっぱりそういうこう日本柔度というものに対する誇りというものこれをもう 1 度いい意味で、え、なんて言うかなことが必要だなっていうことをですね、改めて感じさせていただいたっていうところが非常に大きかったなという風に思います。あともう 1 つは世界って広いんだなって思いました。あ、 何しろ はい。あの、自分自身が見てた世界っていうのは本当ごく一部であって はい。 世界に出たらこんなにこう広い世界ってあるんだなあっていうところを改めて感じさせてもらうことができたんで、ま、そういう分では、え、まだまだ知らないことがたくさんあり、まだまだ自分自身が伸び代があると、え、もっともっとこう世界を見ていく中で、え、自分自身を成長させていきたいなっていう風にこう改めて思った部分っていうのはあったかもしれないですね。 なるほど。 ということは結局上高成監督がですね、ま、いろんな改革していくじゃないですか。で、それは実はその世界を認めたりとか考え方があるっていうのは実はその時間もやっぱりすごく大きかったっていう風に思っていいですか? とっても大きかったと思います。はい。 この2年間の期間っていうのは、 ま、これまであの感じ取ってた部分もあったんですけど、ま、しかしなんか改めていろんなことをですね、こう自分の中で理解し、そして必要性を持って次なるこうステージで行かせる大きな機会だったなっていう風には感じはしましたね。 そうですか。 で、そんな井上高晴さんが井上あの監督にこうなっていくんですけど、実際に監督頼むぞって言われた時、 これ正直どんな感じだったんですか? いや、うん。正直最初にお話をいただいた時には はい。 あの、ちょっと雑な言い方になりますけどマジかよと思いました。もうそれは本音でした。 そうですよね。 まあ、なんて言うんですかね。 今後自分自身も、え、そういう風な立場で、え、仕事をしてみたいという、ま、いわばこの全日本の日本チームの監督っていうのはやっぱ憧れ的な、あ、我々にとっては職業でもあったので、 ま、やってみたら相当大変だなという気づきましたが そうですね。はい。しかながらうん。 そういう思いは持ってたんですけど、ま、しかし 2000はい。そうですね、え、12 年の後にこう話があ、来るという風には思ってもいなかった分がありましたんで、 思ってはなかったですか? はい。だったので、このタイミングではないんじゃないかなっていう風には思うところがありましたんで。 ああ、 ま、しかした、あの、これって先ほども、あの、名前を出してるこの佐藤先生っていう方からですね、よく言われてたんですけど [音楽] はい。 こうもし自分だったらうん。どうするかということをよく考えなさいって言われてたんです。 はあ。 で、ま、ちょうどロンドオリンピックの前っていうのは、ま、私もナショナルチームのそのコーチをやらさせていただいてた部分っていうのがあり はい。 で、ま、その中でじゃあ自分自身だったら監督になった時にどういう風な例えば人を選ぶか、どういう風な強化方針をで進めていくのかというところを、まあなんかあの勝手ながらでこう構想を練ってそしてメモきしてた部分っていうのがあったんですね。 [音楽] ああ。 ですから、ま、突然の打にもかわらず、ま、あの、すっと入っていけたのはそういう考えを事前から持ってたっていうのは非常に大きかったなっていう風には思います。 ま、気になるといえば厚生さん、あの気になるといえば年齢的に 34歳ですか、あの時。うん。そうです。 ていう、ま、本当に、ま、僕も監督になったの 50歳だったんですけどはい。 いろんなことからまだ学びたい世代であるということ。それからちょっと申し訳ないですけど、柔道が本当に日本が苦しんでる状態であるっていうはい。 ま、非常に難しい状態かなと思ったんですけど、やっぱそれのあたりは気になるとこはあったんですか? いや、それはありました。 あの、正直、え、そこまでの過程においては、例えば大学においても企業においても、またその他あの、組織においても監督っていう仕事をやったことなかったので はい。 やはりその不安要素っていうものは非常に大きかった部分があるし、またそういうこう外から、ま、一種のこう大望論みたいな話を聞くんですけど、その反面 はい。 あの、まだ34 っていう若像が日本のこの住席やる仕事を担えるのかっていう声も聞かされるというというところがありました。ま、しかしたお話をいただいた後はあのしっかりと考えて、ま、関係者の方々とも相談していく中でうん、もうなんて言うんですかね?え、そういう不安要素だとかうーん。 うん。それ以上にやってやろうっていう 気持ちの方が上回ったところがあったので はい。ま、引き受けさせていただいたと いうところがありました。はい。 こうして決意を固め の栗ぼ拾った井上。 [音楽] もう自分自身全てをかけてこの再権に 全力尽くしていかなきゃいけないなという 風に感じてるところであります。10 年後のに向けてこの柔道会の再建に向けて全進前例をかけて、え、先輩頑張っていきたいなという風に思いますので、え、よろしくお願いします。 [音楽] おいえ芸復活へ。どんなことに取り組み指導していったのか。 [音楽] うん。監督としてその日本柔道の改革に向かうんですけど はい。 その後にあの、このこととこのこととこのことやろ、ま、色々考えられたと思うんですけど、それやって教えてもらってもいいですか?最初のところから。はい。 そうですね。ま、世界がやはり日本選手と対戦する中で恐れることって何かって、やっぱ技術力の高さだと思うんですね。 ああ、 ですからここは絶対的にこれからもう高みを目指してやっていきましょうと。で、 そんな彼もまどうしたらちょうどそのロンドオリンピック破れた後だったので はい。そしたらこの強い日本というもの、 またこう自信を失ってた日本というものの 部分をどう取り戻すかっていう中では やはりこの様々なことをチャレンジして いく中でもこの意識をいかに、え、書いて いけれるかというところのポイントが1つ とあとはいわゆる組織のところどういう人 というものを選んでそしてその人たちを どのようなポジションにおいた上でより 効率的な組織っていうものを運営していく かというところ。 ここが非常に大きな部分では、え、あったかなっていう風には思いますので、はい。あとは自分 1 人でやっぱ限界があるという風に思いましたんで、いかにあの様々な方々を巻き込んで うん。 え、この日本柔道会というものを、ま、えば再建させるかっていうところを考えていったというところありましたね。 [音楽] まずは井上監督とお呼びしているのかな。監督、あの、 そのコーチをしながらもし自分がやった時にこういうことは改革しない選手のためになるみたいなことはこうイメージじゃちょっとメモしたりとかそんなことあったんですか? はい。そうです。やってましたね。はい。 で、その中からまず引き出されたのが今の橋だと意識改革。 はい。 これはあの、ま、本当にチームとか組織がいくそのフィロソフィーっていうか、まずこれを大事にするんだぞっていうのはすごく重要だと思うんですが、最初選手にそれを伝えようとして、このことは大事にしてくれ、これはどういうものだったんですか? はい。まあ、いやば最強のチーム、どこよりも誰よりも強いチーム。これはま、みんなが望んでるものであったので、え、そこをまず 1つ目掲げていくこと。 しかし我々のゴールってそこかそこじゃ ないとやはり多くの、え、方々から応援さ れたり、え、子供たちから憧れられたり、 また時に敵からもあの勝つべくして勝つ チームだっていう風に言われるようなそう いうこう最高のチームをいかに作っていく かっていうところを、ま、私自身の中では こうイメージさせていただいた部分って いうのがあったので、ま、そこをこう ミッションとして掲げていったという ところがあります。 で、ま、ビジョンとしては、ま、明確な、ま、その目標設定というものを行っていき、最終的に、ま、大事だったのはこの VAL リで、ま、いわゆる行動指針だとか行動規範とかっていうものを具体的に定めていきながら、あ、実行に移していくことが大事だったので、ですから、あ、ま、最初の段階におっても俺が理想とするところではこう事実性を持って体的に動いていく。 [音楽] そういうチーム、またそういう選手を育成したいっていうことはやはり伝えさせていただいたというところがあったかなという風に思います。 なるほど。それが最強であり最高という愛されて こう柔道が世界に対しての意味を持つとかまそういうところだったんですね。 はい。 実際になんかなるほどなて今思ったんですけど、じゃ今度は選手たちに向かって具体的に行動士みたいなのを出していく で、ちょっと 起きすると、あの、例えば挨拶であったりとか、服装だったり、言葉遣いだったり、 これっていう 僕、あの、小さん、あの、実はあの、チーム戻ってプロ野球の方であのファームはあの、まだ一軍になってない選手は茶禁止っていうまず髪の毛ちゃんとしようみたいなことから入ったんですけど、 ま、これ色あるんですけどね。 さん、あの、その柔道の世界トップの皆 さんがいるジャパンにおいて、まずはそう いうのちゃんとしろって。
地上波で放送した栗山英樹×井上康生の名将対談の完全版!
未公開トークを含め計3本に渡り特別配信!
リオ五輪で全階級メダル獲得、東京五輪で史上最多5個の金メダルを獲得した日本男子柔道。
低迷期を乗り越え、お家芸復活に導いた井上康生の「世界と戦うメソッド」に栗山英樹が迫る!
#1では『最強柔道家から指導者へ』 『監督を引き受けた経緯』 『日本柔道復活への道筋』 について語り尽くす!
【ハッシュタグ】
#北海道日本ハムファイターズ #栗山英樹 #井上康生
#野球 #柔道 #テレビ朝日 #getsports
![栗山英樹×井上康生 ~ジャパンメソッド[世界で勝つための方法論]【GETSPORTS特別編#1】<地上波未公開トークあり> 栗山英樹×井上康生 ~ジャパンメソッド[世界で勝つための方法論]【GETSPORTS特別編#1】<地上波未公開トークあり>](https://www.npbhub.com/wp-content/uploads/2025/07/1752092771_maxresdefault-1170x658.jpg)
NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball