【梶谷隆幸】プロ野球1988年世代のナンバーワンプレーヤーは?

それでオッケーでしょうってなると思うけどね。どうせで集めても。ま、やめよっていうか、もう無理だな。でも心が持たないと思ったね。大谷選手がプロ野球選手なら本当少年野球みたいな感覚。 [拍手] [音楽] はい。さあ、それではこっからはですね、あの、対談という形で はい。 はい。ちょっともうカジ谷高駅の魅力をたくさんの人に知ってもらおうかなと。 笑うとこじゃないけどね。 笑うとこじゃない。笑うとこじゃない。 真剣なところだけど、まあまあまあ、あの、僕はたくさん見せてもらってる顔とかがあるんで、 [音楽] なんかそんなのも、ま、楽しい思い出だったりとか、あ、あの、ま、辛いと、ま、そういう思いとかも色々喋ってもらおうかなと思ってますんで、よろしくお願いします。 [音楽] はい。
はい。
まず率直に、ま、あの、 18年間お疲れ様でしたと。 あ、ありがとうございます。ありがとうござました。 ま、どうでしたかという 18年間のうん。
終わってみれば
うん。 ものすごく幸せな時間。 ああ。うん。うん。 けどやっぱりやってる最中はほぼ辛いことだらけ。 あ、 プロのアスリートの人はみんなそのめっちゃ楽しいですって人って少ないのかなっていう。 うん。うん。うん。うん。うん。うん。 うん。野球が楽しいと思うたのが本当数回しかないぐらい。 18年でも
やっぱりあ、
責任が伴から。 うん。 ま、それでね、お金をもらって家族を養うっていうになるとすごいストレスかの中 うん。うん。うん。 やっぱり辛いことのが多かったなっていう。 9割辛い。1割楽しいっていう感じ。 楽しい。
ま、でもその中で 18年やりきったと。 はい。はい。 心からお疲れ様でしたって感じですわ。 まあまあ長かったけどあっという間やったなっていう。 うん。うん。うん。うん。
今思えば一瞬。 ええ。もう1回やりたい。 やりたくはないけど。
うん。 今の選手たちを見てるとやっぱ羨ましいなって思えばある。あ あ、あるんだ。 うん。やっぱあんな緊張感を味わえることってもうないから。 あ、うん。うん。 あの、アド、アドレナリン出る感じは ああ、ね、 羨ましいなって打席立ちたいなとは思う。 うわあという。 そう、そう。あの、ファンの中、 ファンの中。
ただもう1 回同じ人生を歩まないだろうなっていう野球以外のことしたいなと思う。もし生まれ変わったら。 なるほどね。ま、やりきったと そうね。 いう感じだね。うわあ、素晴らしい。ま、そんな中でちょっと聞きたいのは仲が良かった選手。 っていうのを
うん。 ちょっとあげてもらえたらな。で、ま、思い出とか 先輩も何人かしかいないけど、まあでもやっぱり同級生が 多かったかなっていう結局。 ま、横浜いた時は宮崎と はい。
とよく
うん。 ね、ご飯行ったり飲み行ったりツ行ったら坂本覇斗とあ、はいはいはい。 ま、この2 人はね、勝手ながら思い入れがあるというか うん。年君ね。 え、そうね。何回も飲んだね。 はい。
九州男。 あ、そうだね。あ、そうそうそう。九州のね、 ザ男って感じのね。
そうね。
男臭い感じの すごい。あんま喋んないでしょ。だってその食事の時にじゃ、じゃあその ച്年郎とかと喋るの 野球の話。
うわあ。一切しない。 しないよね。
うん。 は斗君ともする。は斗は覇斗から野球の話になる。 あ、やっぱそうなんだ。 俺は元々野球の話しないから。 うん。うん。 ろもそういう話しないから。 うん。うん。うん。うん。 でも覇斗からはその食事中になんかが最近ほんま打てへんねんなみたいな。 飛ばへんくなってきたわとかって話から うん。
野球の話になる。
へえ。 ジャイアンツに入団の時だねの時とかに うん。 言ってたじゃん。そのは覇斗君からもうなんちゃ聞きたいみたいな。 そうね。
その野球のことも 全部聞きたいみたいな。
うん。 あ、それはさ、できたの?この いや、結構聞いたし。ワッティング、ま、近くで見て ああ、 で、彼のルーティーンとかも見て、あ、どうやったらこんな数字が残せるんだろうって同じ時代に入ってきてさ。 うん。うん。うん。うん。2 年目から彼はずっと一軍。 片ようやく6年目に開幕1軍。 はい。はい。はい。 で、レギュラーになったのは8年目だし。 あ、 ま、どういうね、スタイルでやってたらこれだけのスーパースターになるのかっていうのもやっぱ間近で見たかったし。 へえ。うん。1ファンだよね。もう ああ、 ま、同世代でファンって思っちゃね、ダメなんだけど。 うん。 あのね、やっぱ目指していかなきゃいけないけど、佐とかさ、 どんな喋り方するんやろうとか。 へえ。 ま、かっこいい男だなと思ってたから。 うん。うん。うん。うん。うん。 うん。そういうのも知りたいなと思いながら なんかいいね。1 ファンっていうのはそのやっぱり現役の時の家事の うん。うん。 あの、口からはなかなかやっぱちょっとこう何、え、引退をした家事だからこう愛っていうところが なんかすごくこう考え深いなって僕はちょっと思っちゃったな。今 リスペクトがあるね、かなり。うん。 うん。うん。うん。うん。今それこそ坂本選手とかま、いわゆる宮崎選手 うん。
うん。
の名前が出て、 ま、僕は勝手にあの88 年世代メモリアルだと思ってたので はいはいはい。黄金世代だなって 勝手に思って寄ってるんだ。けど88 年世代はどう思いますかっていう いやもうすごい選手がねあげたらキりがないぐらい ね野球ファンじゃなくても知ってる選手もいるだろうし うんうんうん まそのスター選手たちの中に自分もねちょっと片足突っ込んで あのなんかね勝手に自分もあの世代か俺みたいな ちょっとこうケツ叩かれた感じで へえ
うんそう俺もあそこの中 にばっちり入りてえみたいな。 あ、それはないの?俺ん中ではやっぱもう 88 年世内の子ばっちり入ってる感はうん。 いや、なんかやっぱり数字を見たらさ、もうすごいわけよ。本当に とててつもない数字残してるからみんな。 で、メジャーリーガーもね。
うん。うん。 田中、前田、沢村、秋山。 はい。すごいよね。 ね。ね、本当強烈だから。 いや、すごいよ。 え、それでさ、まだこうバリっバリやってるじゃない? そうなんていうこと。
今年37 の年じゃない?僕たちは。
そうね。 これバリバリやってるのは家事的には どう思うっつうのだ? いや、もちろんすごいことだし。 うん。 体がね、俺はやっぱ持たなかったけど うん。 まず体が今元気っていうのもすごい才能と努力だし ああ。
で、その中でこう結果出してる。 で、もちろんやっぱ年々ね、チャンスが少なくなってくるだろうし、そん中でもこうやって出続けるっていうのはすごいことだからリスペクトだよね。本当に [音楽] リスペックも
すごいと思う。
え、1 番はその88年世代の
ナンバーワン カ事カ事的
ま、俺はヤッシュだから
うん。 なんか理解できる部分が多いから、ま、やっぱり覇斗かなって思う。 うん。やっぱそこの
うん。 やっぱ高卒でね。
そうだよね。 ずっとレギュラー貼ってきてるから みんな多分もうそれでオッケーでしょうってなると思うけどね。どうせで集めてもあ、 野は覇は覇斗じゃないって。 そう。やっぱなんか通るものというかこう うん。
88 年の絆みたいなのもやっぱあるの? あるんじゃないかな。なんか勝手にみんなが多分意識してるだろうし。あ あ。あ、強いものが俺は感じてるけどね。 なるほどね。
うん。 甲子園の思い出というかそういうの聞きたい。 甲子園はま、最後の夏の 1度だけ
うん。うん。うん。
出たんだけど 2日目か3日目に初戦で負けては早もうね うん。はい。
島根に帰ると テレビ見たらね、とてつもない決勝戦してるし。 すか。
田中斎藤で
ああ、 ま、でも甲子園に出れたってことよりも 3年間頑張ったと仲間と うん。 地区大会の決勝でやっぱ最後にようやく行けたっていう方が もう何よりも良かった。 覚えてんの?やっぱり めっちゃくちゃ覚えてる。だから初めて 嬉し涙っていうのを経験したのが うん。
その3 年夏の地区大会決勝。初めて勝って泣いた。うん。 を目指してることが俺はいいかなと。出た出ないじゃなくて。 うん。 ま、俺はたまたま出れたけど、そのみんなでこう頑張って目指してるっていう経験が [音楽] 1番大事かなって で社会人だったらも絶対生きてくるだろうし うん。事的そのベストセレクションみたいなものがあるとすれば どのぐらいに入るんですか?優勝。 優勝はまあ 3番目ぐらいに嬉しいかな。人生 人生で36
年生きてて
うん。
ベスト3 からうん。あの瞬間は 夢あるね。 あるよ。いいとこだよ。だから 3
本の指に入るんだ。
入るね。 ああ、そう。 入るね。あれはプロが決まった時より全然嬉しかったね。本当に [笑い] リアルだね。
うん。
青春やだね。本当 青春だよね。まあもう今その取り組んでること自体が、ま、素晴らしいことだし うん。
ま、美しいよね。ものすごく うん。 結構夢がなかなかできにくいできない子もいるわけで、そんな中でね、ま、プロ級摂取になりたいとか甲子園出たいとかっていうのに向かっていってること自体がもう素晴らしいことだから うん。 ね、そのままもうやってくださいよって思いもあるし、別に更新行けなくても、 ま、最高のね、仲間ができ、できただろうし、一生外の、ま、理、不尽とかもあるわけじゃん。 うん。うん。うん。うん。 俺らの時代はまだね、そんなん全然あったし。 うん。うん。 先輩からのね、役があったりとかっていう、ま、時代の中でうん。 ま、鍛えられるよね。社会人になってからもう やっぱりぐっとこう来らえれることもね、勉強になるし で、自分を表現する勉強もできるし うん。 だから素晴らしい今現状をね、生きてるんじゃないかなと。あ、 そう、もう目指してるだけで素晴らしい今生活を送ってると思う。 なるほどね。 是非頑張ってほしいですね。本当にあのこう日本中の甲子支援事たちに ね、本当にね。とにかく怪我なく頑張ってほしい。 俺から言えることは
いや、 怪我しないでって。 今ね、じゃ、じゃあこのこっからちょっと引退人のね、ちょっと話を伺っていきたいんだけど、そ率そっち直どこが痛かったですかと。包みかさ全部教えてほしい。 いやあ、ま、高校で腰怪我してヘルニアになって、 あ、
それとうまく付き合いながらやって、 肩手術、腰手術、膝手術 で結構障害の手術 はいはいはいはいはい。 で、こ認の時にも指の手術したし、だから人生 5 回手術してるぐらい、ま、怪我が多かったんで、無事迷ですよ、本当に。 いやいやだ。ほ、本ん当ね、 本当に怪我しない選手が本当いい選手。あ、 うん。 でもそれだけ合光景がと付き合いながらも 18 人できてるっていうのも、ま、そこもやっぱね、カジノしさだと思うし、強さだなとは うん。 思うんで、ま、こっからちょっと引退野球人生 うん。
の終わりをちょっと意識した瞬間 はい。はい。ま、 正直いつからでしたかと。 あ、もう確信したのは、え、去年の 2024年のうん。5
月の始めかな。 5
月の始め
引退した年の5月。 へえ。開幕戦。 えっとね、2度目の抹勝だね。 だ。はあ、そっか。 戻ってきて、 戻ってきて、また膝やって抹勝した日かな。抹勝された日かな。 うん。膝の具合はどうなんだという形のなんかこうあの言われてた時ですね。 2試合ぐらい
はい。
出て打ってたよね。 うん。1本が2本打ったのかな。で、2 試合ぐらい出て、また名古屋行って、 ああ、
そこでまた膝やって、 2度目の抹勝、 そん時にもうやめようって思ったね。 え、もうダメだったんです。 ダメだと、ま、やめようっていうか、もう無理だな心が持たないと思ったね。 へえ。 またリハビリが続くっていうのと、ま、同じ箇所をまたやった。 ああ、
ま、またかじたにってなるし。 うん。うん。うん。うん。うん。 あいつも限界かなって思われてるものあるだろうし。 うん。 ま、何よりもう俺の心がもう持たなかったね。 あ、そうなんだ。そこだったんだ。あの抹勝だったんだ。 初めて気持ちが切れたね。 へえ。 本当に まずそのそれは誰に伝えたの?その、 え、その2度目の抹勝の時に スタメンだったの?その日。 うん。うん。うん。 で、練習中にダメになっちゃったから うん。うん。は。 で、嫁に電話したらそのロッカーで 4時4時半ぐらいかな。 で、嫁に電話したら出なくて、今日スタメンダワーって多分ね、バスの中で行ってんのよ。 球場向かう。ああ、はあ、はあ。 で、
見に来たの? 見に来てないんだけど、ま、チェックはするじゃん。 そうだね。 で、試合始まったら、あれ、出てないな、旦那がと。 なんかあったなって刺したらしくて、で、ま、俺から着信が来てる。あ、もう確定じゃん。 もう1 回膝痛くなったわつったら。あ、やっぱそうだと思ったつって。 で、そこでも俺やめるわって伝えた。 あ、
うん。
奥さんにね。
そう。 来月もう言っていいって言ったもん。 球団に。
球団に来月やめるわっつって。 うわ。え、言ったの?それは 嫁に言っただけで 嫁に止められた。
あ、待てた。
うん。 今年1年契約あるから。 うん。うん。うん。
もうちょっともう1 回頑張ってみたらって言われて結局最後までえ、 一応リアビリと ま、ファームの試合出たり、 ま、結局1度も守れなかったけどね。 試合、試合レベルでは。 ああ。 すごいね。 いや、だからうん。きつかったね。 だって5月でしょ?長い まだだって本当
結局その後6 ヶ月後だもんね。
ねえ、 クライマックスも出てたから。
うん。6 ヶ月後に伝えたの団にCS、
えっと、CS 決まって個人的にはもう全日程が終わった次の日にゆって決めてたの。 ああ、
だ、引退ジなんかもういいから。 うん。うん。うん。うん。 そのね、迷惑かけたくないじゃん、チームに。 だから全日程が終わる時に伝えようと思ったんだけど、横浜とのクライマックスのちょっと前の日ぐらいに 練習参加だったの。要は一軍でカジ谷に使えないかと。 はいはいはいはいはい。 でも走れないってか守れないですよっていうことはもう伝えてたんだけど、 ま、バッティング練習してても多分あんまりいい状態って思われなくて ああ
で痩せてたしでその二ヘッドコーチに はい。呼ばれて多事ちょっと今回その登録 しないから 来年のために膝よく良くして体作り直して 来年のためにちょっと今からもう動き始め てくれて言われたからそこで初めて俺さん にあ、すみません。 僕実は引退決めてますつって。あ、そうかつって、もう膝かっていう感じで、ちょ、ここでストップしてくださいつって。で、そん時に、ま、岡さん俺すごい尊敬してたからうん。うん。 ま、色々組んでくれて
うん。 で、そのまま安倍監督とにも話して、この 3人だけが知ってた。そう、 そこの時は。 そう。ま、契約があったのがもうびっくりしたけどね、俺は。 いや、
俺は首だと思ってたから。あ。 はい。カ事一軍かみたいなのとかってこっちとしてはすげえ見てたわけ。 うん。 練習参加してるのもすげえ見てたわけ。 うん。
いや、裏ではね。
うん。 そういうのがあったっていうのはさ、 今だからだよね。うわ、そう。やっぱすげえなあ。 ちょっと今そういうこう引退で聞いて うん。
逆に家事の中で うん。18 年間のプロ生活のターニングポイント はい。はい。はい。
みたいな。1 番はやっぱ中さんが来たことかな。 うん。6
年目
にDNAに親会社が変わって うん。うん。 中畑清監督になって、ま、我慢して使ってくれたっていう、ま、あの出会いが うん。
全て変わったから いっつも言ってるね。 あの時代のこうやっぱ我慢して使ってくれたおかげですっていうのは。 そうね。あの出会いがなかったら多分その年首かもね。もしかしたら ああっ っていう状況だったからね。 でもそこからさ、ま、わゆる、え、横浜を代表する選手になっていくわけじゃん。 うん。まあ、全て中畑清のおかげやなと思うね。 へえ。ま、 あと高木豊さんってヘッドコーチが はい。はい。 豊かさんにもめちゃくちゃお世話になったし。 うん。
ターニングポイントで言うならあの 2人との出会いでその翌年に 後半だけでやっぱ結構打てて うん。うん。 そっからその翌年ようやくレギュラーでま、ガイアして うん。 引退して今どのぐらい経ちましたか?ガチ。 ま、約6ヶ月、 7ヶ月ぐらいかな。7
ヶ月ぐらい。
うん。 引退してなんか変化が変化。それは生活はね、全然激変だよね、それは。 え、今見るの? え、ジャイアンツ戦見る俺。 ああ。まあ、ま、解説もね。 うん。
やってたりするから 横浜対ジャイアンツが一番いいんだけど。 うん。うん。 結局ジャイアンツの試合を全部追っちゃってる。 ああ。だったし
はいはいはい。 ほとんどの選手がもう 知ってるから横浜っても若い選手わかんないから。 そうだね。 無意識にジャイアンツ戦見てるから。 いやあ、家で見てんの? 家でね、お酒飲みながらだからもう本当一ファンとして皆さんと同じような感覚で すごいね。
見ておいっていう 何やってんだよとかわい頑張れよみたいな。 そうなんだ。
本当に1 ファンのおじさんとして見て。 うわあ。 ジャイアンツを応援してるね、なんか。 へえ。 吉川直樹とかさ、手が多かったから。 うん。 あ、直き大丈夫、大丈夫かとかつも思いながら 危ないと思うんだ。 ああ、1 野球ファンと引退してなった家事の 今後の
うん。
ま、ビジョンというか はい。が あればちょっとせっかくなんで教えて欲しいな。これからの火に高駅何していくんだって 思ってる方多いかなと思うんで。 はい。はい。
うん。 基本的には、え、自分で何かをね、立ち上げて うん。
何かビジネスがしたいっていうのが 1番
うん。うん。うん。1 番強いかなっていうので、ま、あとは少しでもね、こう野球に携わる うん。 ま、子供たちがなんかね、こうにちょっと関わって例えば野球教り うん。うん。うん。うん。 未来る子供たちを多少なからずね、こうお手伝いできればっていうのもやい。 ちょっとあるし。
ああ。 ま、でも1 回野球から離れて根本的にはね。 うん。 自分で何ができるんだろうっていうその自分でお金を生み出すことの大変さをもう 7 ヶ月でもう通感したから好きな野球やってね、お金もらってたのはいかにま楽とは言わないけどもちろん厳しい世界だから、ま、スムーズだったよね。自分の人生のその流れとしては。 うん。うん。うん。うん。 なんか全く別ジャンルでこうお金を稼ぐっていうのはめちゃくちゃ大変だなと思った。 第2章って感じか。じゃあ そうだね。だから野球にあんまり頼りたくないっていうのもあるし。 うん。うん。うん。 ま、言い方悪いかもしれないけど、野球だけ知って死にたくないというか。 なるほどね。はいはいはいはい。 ま、いい意味でね。
うん。うん。 野球以外のことも勉強したいしっ ていう形でなんとか今考えて [音楽] うん。
何か探してる感じかな。 なんかもしかしたら家事のその新たな一面っていうのが 野球じゃない形で 届けられる かもしれないってことね。 そうね。そこがベースにやっぱ1個
うん。 うん。あるとね、野球のお仕事もね、ちょっと心に余裕持ちながらね、できるし。 いやね、子供たちにねっていうのはずっと言ってくれてるんで、 なんか僕は是非、あの、本当に 野球教室を
ね、 やってほしいなっていうのは思います。 あんまりもう怪我で動けないけど。 ええ、
口は動くから。 口は動くのよ。口がすごい動くから出すからね。うん。 カジから見る大谷翔平選手はどうなんですか? いや、例はもう人じゃないよね、もう。 やばい。
ちょっとやばいでしょ、あれは。 いや、プロからプロ野球選手から見てもやばいね。 やばいね。大谷選手がプロ野球選手なら うん。
本当少年野球って感覚 そこまで
いや、めちゃくちゃ遠いよ。 それぐらい違う。 やばい。あれはもうちょっとやばすぎる。彼を語るのが失礼なぐらいだよね。もう なんかそういう感じ。 ちょっともうドも抜かれるね。 へえ。対決してるんだっけ? 対決した。4の0か5の0で1 番いい対戦成績がショートライナーっていう うヒットだけ打ちたかったと思って 打ちたいね。そうなんだ。 化け物だったの時代から。 うん。いや、だからね、ピッチャーとしてってよりはやっぱバッターとしてがすごく感じる。 あ、何そ言うんだね。 うん。あんなとこまで飛ばないもん。何しても飛ばない。 へえ。 あれはちょっと化け物んだよ。マジでなんかダメなとこ 1個ぐらいあってほしいよね。 ね、多分世の中の人みんな思ってるよね。どっかダメだこないともうなんか報われないみたいだから。 どっかくださいっていう。 それぐらいちょっとすごい。
ああ、そう。 いや、どう思ってんだろうなと思ってちょ気になったから やっぱそうなんだ。
いや、すごい。 化けモんだね。
化け物ですか?
やばいね。 いや、最後にですね、それでは夢にあの挑戦する人へのメッセージだきたいなと思うんだけど、夢ってたくさんあると思うし、年齢とかその性別とかそういうの関係なく夢はい。 え、持ってる人挑戦する人いると思うので、 そういう方に向けてちょっと一言メッセージをお願いします。 え、ま、夢を持ってる人と持ってない方 もまだね、探してる途中の人もいると思いますけど、夢ってなんか届かない系のもの うん。うん。うん。うん。うん。 を描いてる人と 届くであろうっていう ものもどちらでもいいと思ってて人に笑われるぐらいがいいってよく言うけどうん。 僕はそんぐらいでっかい夢があった方がいいのかなって思ってて、夢をに挑戦してる道中って苦しいことしか多分なくてで失敗ってめちゃくちゃいいことであって 失敗するたびにこうね徐々に あの成長していけるわけだからみんなとにかく失敗して欲しいなと うん 失敗ありがとうみたいな感覚で言て欲しくて多分みんな人生選択の うんくのも選択するかしないのも選択だ その選択を毎日チョイスするで楽な方行かないで欲しいなっていうのを思ってるので うん。うん。 ま、とにかく自分に、ま、甘える時もあるけどなんとかね、厳しくして自分にどでかい人にね、鼻で笑われるような夢を追って欲しいなと。うん。 ま、例え叶わないとしても全然恥ずかしいことじゃないし、そこの頑張った家庭っていうものがめちゃくちゃ大事だから うん。うん。 もう必ず成長できてるんで、だから失敗はもうありがとうと思ってやって欲しいなと。失敗っていう人もいると思うので、失敗すればするほど成長できるって思ってくれれば結構挑戦しやすいくなるのかなって思うので、みんなとにかく失敗してください。 応援してます。 ありがとうございます。いい言葉だね。はい。 失敗ありがとうってすごく いい言葉だなってめちゃくちゃ今思ってネガティブなことだけどそれをなんかポジティブに変えてる感じが うん。 て素敵な言葉失敗ありがとう。ありがとうございます。それではカジ谷高幸さんでした。ありがとうございました。 ありがとうございます。
素晴らしい。 お [音楽]

ゲストに梶谷隆幸さんを迎えた後編です。
プロ18年の現役時代について語っていただきました。
また、野球界で有名な世代である1988年世代についても語っていただきました。
野球ファン必見です。

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