今でも“史上最大”のトレードの一つといえる、1993年西武‐ダイエー間での「3対3トレード」。弱小ホークスから常勝ライオンズへと環境が激変した佐々木誠が語る、移籍狂騒曲と西武で感じた衝撃とは。〈NumberWeb特集「電撃トレード伝説」全3回の2回目/つづきを読む〉
佐々木誠に、球団のマネジャーから慌てた声で電話が来たのは、1993年11月16日に日付が変わった深夜だった。その時点で、16日午前10時に両球団からトレードが発表される手はずが整っていた。
マネジャーからの“指令”に、佐々木の頭の中に「?」が渦巻いた。
「今すぐ、湯布院に逃げてくれ」「なんで、俺が逃げるんですか?」「いや、トレードでえらいことになるから、すまん」
球団は、温泉地の大分・湯布院にホテルを確保済み。そこで1週間ほどの“雲隠れ”を命じられたのだ。剛腕フロントマン・根本陸夫の仕掛けたチーム大革命の一手だが、弱いダイエーを支えてきた希望の星は当時28歳。一方、清原和博との「AK砲」として西武の黄金期を担ってきた秋山幸二は、佐々木を上回る実績の持ち主とはいっても、当時すでに31歳と、ベテランの域に差し掛かろうとしていた。
さらに、佐々木とともに移籍する右腕の村田勝喜は、3年連続2桁勝利を挙げ、3年連続で開幕投手。Bクラスのダイエーで、3年間で33勝なら、強いチームならもっと勝てるだろうという推察は容易につく。しかも村田は当時24歳。
弱いチームの体質改善に、強いチームを知り、熊本出身の“準ご当地選手”ともいえる秋山が欲しいというダイエーの意図も分かるとはいえ、投打の中心ともいえる佐々木と村田を放出するダイエーが“大損”を被っているのではないのか? しかも、佐々木は1994年から選手会長に就任予定だった。
いくら辣腕・根本陸夫の戦略とはいえ、大いなる疑問の声が沸き上がった。

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