2003年に自由獲得枠で巨人に入団し1年目に新人王を獲得した木佐貫洋さんはその後、2度のトレードでオリックス、日本ハムに移籍した。低迷していた右腕の道を大きく切り拓いたトレードの裏話と、同じ年に日本ハムのユニフォームに袖を通した大谷翔平投手(現・ドジャース)の思い出を振り返ってもらった。〈全4回の第3回/つづきを読む〉

 2009年秋、シーズンの一軍登板がわずか1試合に終わった木佐貫さんは、年俸交渉の席上で当時の巨人・清武英利代表に決死の思いでトレードを直訴した。

「怒られるかなと半分覚悟していました。でもその時、清武さんはあっさり『うん、わかりました。探せるだけ探してみます』と言ってくださった。それから1カ月くらい音沙汰がなく、やはり無理かと思っていた頃に球団から電話がかかってきました」

 オリックス・高木康成投手との交換トレード。巨人にとってはドラフトの自由獲得枠の投手を放出する異例のトレードだったが、そこには伸び悩む右腕への“温情”があった。

「思い切って言ってみてよかった。本当にありがたかったですし、頑張らないといけないと強く思いました」

 この年パ・リーグ最下位に終わるなど低迷が続いていたオリックスは、新監督に岡田彰布氏を迎えて巻き返しを図っていた。とはいえ、チームとしての人気は当時それほど高くなく、宮古島での春季キャンプはファンの姿もまばら。巨人との注目度の違いに木佐貫さんも最初は戸惑ったという。しかし、心機一転と環境を変えたことで投手として再生の道が開けていった。

「もともとのんびりした性格なので、追い込まれて過酷な環境に立たないとスイッチが入りづらいんだと思います。オリックスに移籍し、もう後がないと思って本当に必死でした」

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