1979年、長嶋茂雄監督は巨人若手18名をシゴいた。その合宿は、過酷すぎて「地獄の伊東キャンプ」として伝説になる。「あいつは死んでもおかしくなかった……」中畑清、角盈男らが証言した、約1カ月の「地獄」。その後の黄金時代へ続く長嶋監督による“猛練習”とは? 【全2回の後編/前編も公開中】《初出『Number』733号、2009年7月16日発売》
一日の練習の上がりは馬場の平へのランニングだった。1周1kmのコースに急な登りが200m、300mと続く。キャンプ序盤は1周で音を上げていた選手が、最後には7、8周平気で走れたという。そしてその出来事は、キャンプも終盤に入った頃、ランニングコースで起きた。
「いつもミスターは笑いながら『さあ、いくぞ!』って号令をかけていた。ある時、篠塚(和典)が『監督! 言うだけじゃなくて、自分もやってみろ!』って言ったんだよ。『やって下さい』じゃなくて『やってみろ』だよ、あのクールな篠塚が。そしたらミスターはあの性格だから、『えーっ、冗談じゃないぞ。見とけよ!』って言って走り出したんです。
みんなでゴールではなく、下り坂で見てみようと向かったら、ガニ股でハアハア言いながらあのカッコいいミスターが下りてきた。すると『ナーガシマ! ナーガシマ!』とコールが起こったんだ。ミスターは最後まで走り通しました。それまでは絶対的な雲の上の人だったのが、監督と選手というより、人と人とのつながりができた、その瞬間だったんじゃないかな。今でも篠塚には『よく言ってくれた』って思ってます」
地獄の伊東キャンプの成果は何よりも「巨人軍」としての一体感が選手と選手、そして選手と監督の間に生まれたことだった。参加した主な選手は、投手では江川卓、西本聖、角、鹿取義隆、野手は中畑、松本、篠塚、山倉和博。このメンバーの多くが、1981年以降の黄金期に貢献していくことになる。
先輩から受け継いだものを確実に下の世代に継いでいくのも巨人軍の伝統だった。江川、中畑たちの時代が終わり、80年代半ばから吉村禎章、駒田徳広、槙原寛己たちの時代がやってくる。この“背番号50番トリオ”を中心に、岡崎郁、川相昌弘ら生え抜き選手が成長していく。彼らを支えたのもやはり、多摩川グラウンドでの、地獄の猛練習だった。

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