【アスアカ総集編 一気見SP vol.64】球界のリアルジャイアン 山﨑武司

アスリートアカデミア学長の岡崎香ですえ 本日のゲストはシパホームラン王山崎た さんですよろしくお願いしますあよろしく お願いしますも僕らあのもう本当に タイトルに無縁だった選手にとってはです ねタイトルホルダーっていうのはやっぱり 先輩後輩関わらずものすごく緊張するもん なんですよそうすかいや僕は逆に ジャイアンツファンだったんでああ僕は もうジャイアンツにすごく憧れのあった もうだからドラゴンじゃなくてジャインズ にやりたかったんでいやだけそういう岡崎 さん世代のあのメンバーですよね原さんえ 当時の僕ねあのちょっとう覚えだったんで ちょっと調べてきたんですけど岡崎さん 駒田さんあの時コティもいましたよね番に 原さんいて僕の名前が売る覚えだったしあ はいやお母さん知ってますよあの ミーティング試合のミーティングあるじゃ ないですか僕当時キャッチャーだったんす よごめん今いくつだっけ僕今年で56な んす56だ た989年90年ぐらいにあのちょろっと 生姜ゲームに一軍にやがらせてもらって 中村田さんがやっぱり大きかったんで僕ら もうちょろちょろこう小学ゲーム出てた時 にあのミーティングやるですよ1人1人ね ミーティングうんで行った時に駒田さんは 高めのボールのこの買うぐらい投げたら 空振りするからここを投げろとうんで岡崎 さんも確かローボールヒッターだったじゃ ないですかどちらかというかはいどちらか とローボールヒッターで岡崎さんもう高め を投げろとで高め投げさして低めのホーク で打ち取れっていうミーティングだったん ですた時にホーク投げてた時に岡さんが もうバンバンしそうなやつを打ったんすよ うんで帰ってきて当時の加藤やさんにうん お前どこ投げさしとどこ投げさしとんだ ピッチャーにっていや最高のホークじゃ ないですかそれをこうバットに当てられて 打たれたっていうのがすごい印象にあるん ですよえそれヒットだったってことそうす もっといもっとないもいやだすごいじゃ ないですかだからいやいやだからそのあの 当時はでもね原監督に怒られちゃうの僕原 さあれなんですけど怒れない怒られない 大丈夫怒られないですか大丈夫大丈夫 で一休みできるのは4番の腹だけだぞって 言われてたんですよあああとはやっぱり バットコントロールのうまい人ばっかもう 吉村さんもまだ元気だったじゃないですか もう本当に吉村岡崎駒田もうこの辺は八海 だぞって言われてまなんとか原さんのとこ でガコンて打たれることはあるけどでも原 さんだは穴が大きいぞってやっていう ミーティングだったんすよ実は原さんって ちょっとこうそれるけどどこが苦手って いう風に言われてたの他の球団イか やっぱりそうですかね僕あん時はでも原 さんもバリリだったんでねうんちょっと 覚えはないですけどでもあのホームランも やっぱ打たれるけどもやはりその穴も大き いっていうまでもホームラバッターは穴 大きいのしょうがないよねそうそうだって その前にクロマティいるじゃないですかあ でクロマティなんかアウトコースのボール こんな離れてんのチコンと言てレフト前 でしょうんうんでそこで後ろにずらーっと 左バッターが続くんでどっちかって言うと バットに当てられるっていう当てていくっ ていう人じゃなかったんだあ バンとってあたれたなあ空振り三振取れた なってイメージだったんですよね岡さん たちのあの時代の時にめちゃめちゃ星の 監督に怒られてましたおかげ様でいやでも あのめちゃくちゃ怒れてましあの頃でも 中日の方が強かったんじゃないいやいや いや結局万年2位だったんですよそうだっ はいやっぱり最後はジャイアンツみたいな とこだったんでもう野さんがご存知のよう にもうジャイアン戦には異常なぐらいも 投資むき出しだったんでもうだから例えば 極端なこと言ったら太陽に負けてもいい からジャイアンツだけには負けるなとか もうそんな勢いで行ってくるんでいやいや いや違うでしょうみたいな感じですけど俺 たちはま当たり前だけど中日巨人戦しかま 体感してない見てないから分からないです けどジャイアン戦以外はそうでもないの 星野さんてうんいやいや起りますけどもう あのテンションがもう1010段階上がる か感じ俺あの名古屋球場だったじゃないま 俺現役中名古屋ドームではやってないんだ けど名古屋球場の時代だけどあそこ打席 出すとさ一のベンチ意外と近いじゃん星野 さんの声当てろ当てろてももろ聞こえるの よ聞こね聞こでま中村たがキャッチャー だったと思うんだけどお前本当に当てんの つったら避けてくださいとか言われるお前 さやめとけよて言ってあの当時はさんが もうたけしたけしって言われると長原さん がこうやって振り向くんですようんで監督 ももうたけしたけしっていっぱしだから もう長村さんももうこう集中できない ぐらいこうやってもうベチをこうやってね あの様子を伺ってたっていうのはあります けども僕らその控えだったんでま見てて いやキャッチャーやりたくねえなやめてっ てずっと思ってましたよ中村たさんと年 どうなる2つ上です2つか中村 はあのなんて言うの若い頃からずっと期待 をさえて中尾さんの後ぐらいじゃないはい さんの後ですでずっと若い頃からもう レギュラーでやってたからはい結構そこの 壁暑かったやっぱりいややっぱり長村さん のそのキャッチャーの技術っていうのは すごかったしうんそういう中ではあ俺 やっぱりキャッチャーでは無理だなって いう風に思ってもう最32軍の監督に キャッチャーやめたいですってずっと言っ てたんですようんだけどやめさせてくれ なくてこのままじゃやっぱ終わっちゃうん でもうどうなってくんだろうと思ったん ですけど7年目7年目ぐらいまでまだ キャッチやってましたからねそうだねだ からもうほとんど1軍行けなかったデータ 見るとさ1800本以上ヒット打ってる じゃんはいあれも2年目ぐらいで安しし たら2600本ぐらい売って2500は 超えてるよだってさ5年ぐらいロスしてる よそうですねま7年ロスしてるわけだから 早めにまファーストとかねあのの ポジションに行けばあと500本打ててる よいやまああ500でも2000あだあと 166本だった67本だったんですけどま でも僕もこんな性格なんで色々監督との 衝突とか高の衝突あってねま俗に僕らの 業界では干されるというねこともされまし たけどもままこういう性格だからやっぱり ちょっとその2000アのところまで到達 できなかったなて僕は思ってます早く デビューしてても多分うん万年できてない と思うしまそれだけの技術がなかったです 僕でプロ年齢ってあるよねあんまり早く出 すぎると先があんまり伸びないそうですよ ねこれ本当にあるうん遅遅く出た方が長く やれるみたいなとこなんかだから本当に プロ野球のそのなんて言のかなサークルの 中で体をっこするやっぱ15年ぐらいが リミットそうですよねだそれ先に来るか後 に来るかけはいだからあの時はもう同級生 の緒方緒方が同級生同級生なんです僕68 年生まれなんでだから大型見てあいつ すっげえ なあ別に体大きくないしもう1軍で バリバリやってるしっってそんな風に ずっと2軍で見てました良かったでもあの タイプが違うじゃないでもその分大方も やめんの早かったでしょそうですよねだ からそっから僕があのね少し行けました けども本当にプロ年齢っていうのはこの なんかあるのかなと思いますねなんとなく あるよなもう本当に18歳とか高校出て すぐレギュラー20歳ぐらいレギュラーに なる人って大体もう35ぐらいで下たっ ちゃうよねそうですよねでも内さんみたい に大学社会人って25ぐらいからやった人 って40gまでったそうですねた僕なんか も好き勝ってやらしてもらって結局45 までやらしてもらったんで45までやった 45でまでやらしてもらいました飽き なかったあでもいやでもよく言うです けど世間の方とか色んな人にもあの僕星野 さんにも最後楽天の最終年時にうんお前も たくさんお前現役やってもうお前お腹 いっぱいだろもうええやろて監督に僕言わ れたんすようんでそん時に言ったのがいや 独って現役生活なくやればやるほど悔が残 るって僕行ったんです行っちゃったんです よあああれで早く10年目でやめとったら 別にああいいかなと思ったんですけどやれ ばやるほど野球のことやっぱりあの知って しまうのでうんなんか悔が残るっていねだ からそういう気になりましたねでももう 見切りはつけたんですけどそん時にはだ けど悔いが残らないってことは絶対ないと 思いますねうんはいなくやばやろ俺35で やめてるから10年若くしてやめてるから あんまり悔が残ってねのか 悔ていうほど野球をこう突き詰めてないの かもしれないで崎さんねやっぱ ジャイアンツは層が暑いんでいや一緒だと 思うよいやこれはね当時のやっぱり ジャイアンツのあのメンバーを考えると それ40とか45まではできないっすよ だって他から補強するはいい選手入って くるわ外国人もメジャーバリバリ連れて くるわだから僕らなんてはいの色んなとこ ちょっと行った分だけ長くやらしてもらっ たなと思いますはいでもねよく生え抜きと か言われたりとか一筋っていうあれのが いいみたいなイメージがなんとなく世間点 にあると思うけどはい俺の本当にま後悔 つったらすごいおがましい偉そうなんだ けど他の球団も行きたかったなってやめて から思う当時はやっぱトレードぐらいしか なくてFAもまだもうほとんどない時代で もう山際にFAっていうのがあって93年 に落ちさん4年かなおさんね けどあのなんかトレードドって出される みたいなイメージだったんいやそうです僕 僕らもそうだったですそうでしょはいだ からトレードドってなんとなくこう 後ろ向きなことで嫌だなみたいなものは どっかにあったんだろうけどでも後で 考えるといろんな球団に行っときたかった だから比較対象がないのよよく ジャイアンツはって言われるけどはいあの 一筋の方がいいかなと僕も負しみの言い方 かもしれないですけどうん絶対に色々な 球団行った方がいいと思いますでしょはい うんもう僕はもうドラゴンズから オリックスに行った時 に同じプレア球って長ついてんのにこんな に色んな面違うんだなと思ったのがもう 衝撃的でしたえ食べ物食事にしても そうそううんうんうんでマンデパリーグ なんて言ったら観客1000人ぐらいしか 入ってないですようんおいこんなんプレ 野球じゃねえぞと思いつつそこでやってた わけじゃないですかそういうことで色々な そうやっぱり我慢することも思えたし僕も そのね3球団に行かしてもらいましたけど めちゃめちゃやっぱり今となっては良かっ たなと思いますねドラゴンズもでもすごい 人気がある球団で特にあの名古屋球場 なんかいつも満員だったよねはいそうです ねま本当に特にジャ戦は異様な雰囲気が あって僕らもう本当にねジャ戦になると ちょっと雰囲気ちげえなて言ってで星野 さんは 当時例えば月曜日休みじゃないですかうん で月曜日ってまあ大体休みになることが 多いじゃないですかで火曜日からの ジャイアン戦の場合は必ず月曜日休みに ならないんすよ練習なるこれ絶対練習な んすもうジャ戦が火曜日からだって言っ たら月曜日必ず練習なんすよで他の救難の 時は休みって言われるんですよこれはもう 固くに星野さんずっっとそうでしたね 火曜日からのジャイアン戦のホームだっ たら月曜日絶対休みじゃないですよだから みんなそれは諦めてたんですああ月曜日 どうせこのあ来週のこと考えた月曜日ジ戦 火曜日ジ戦中休みねえなって必ずそうなん だその話はこれ初めて聞いたじゃ星星野さ んってポーズだけじゃなくて本気だったん だね巨人に対するその気持ちていうのどこ じゃないすよそうなのだから当時賞金とか もジャ戦になるとダーンと跳ね上がります からそれは聞いたことある他の球団でも なんかそんなことは聞いたことあるえもう とにかくジャイアン性に関しては賞金が倍 以上は違ったんじゃないかなと思いますね じゃみんなハッスルするよねいやこれは ジャイアンツでいた人間のうれかもしれ ないけど はい優勝争いしてよがBクラスに ジャイアンツが沈んでよが常にエースが 来る わけ3本柱がABCが来るわけ裏て来ない の絶対どこもうそれ中日に限らず他の球団 もそうなんだけどだからすごい負け惜しみ だよジャイアンツの野手って3部ぐらい 本当はダリスもうちょっと上げてもらって いいんじゃないかぐらいなどうせどカード だったらもうジャイアンツになって ジャイアンツに勝とうぜっていうのは僕ら の考えだったですねああええでも優勝って 考えたチームの優勝って考えたらその ジャイアン戦ばっかりに行くと他にそう ですよね取りこぼす可能性だってあるじゃ ないはい帰れるんだったらもう ジャイアンツに当てようみたいなところは 全球団あったと思いますねでもさ今はもう あんまりいないでしょ今うんでまだあんの かなその名残りってまそのま怒られるかも しれないやっぱジャイアンツブランドうん ていうのは今の子達って意外とないかも しれないですでしょはい昔はねもう とにかくジャイアンツていうそういう ブランドがすごくもううんありましたけど 意外と最近の子はそれは感じますねだって FAだってね最近ジャに入る選手断る選手 も多くなりましたしねそうそうそうそう そうそうなんか的なんだね考え方が多分ね ドライなだからやりやすい環境とかうん うんそういうものもあると思いますし やっぱりずっとやっぱりジャイアンツはね 自分の成績をはもうハイレベルで保た なきゃいけないダメなら次どっかから来る 補強されるそうした時に自分の立ち位が どこにいるかっていうこともやっぱ今の先 考えと思うですそこじゃないですかねうん ちょっと話を まず野球との出会いていうかはい出身は 愛知県ですよ愛県です愛知県の半僕が知多 半島であの育ったんですけどもあの一応小 学校2年生からは野球少年野球うん まあ何もスポーツ2年生でやってなかった んで父がお前何かスポーツやったらどう だって言って1番短にあったのが少年野球 だったんですねだからそこにじゃあ入れ ちって何も知らずに入らされてで小学校 どうですかねもう5年生ぐらいあま4年生 ぐらいまではた広いみたいな感じで遊んで やってたんですねでたまたま 引っ越してで隣の町に引っ越した時にそこ ら辺の街のチームで野球チーム結成して 初年役やってやっと試合に出れるだからま 本当 にやり出したのって6年生ぐらいですね うん何人兄弟ですか僕3人す兄姉僕なん です けど末子はいうんだからうちの兄と姉が 年子なんでうちの兄と7つ違ってうんふん ふで姉は6つですよねお兄さんはやって なかったでうちの兄はあのちょっと病気し ちゃって子供の時からああそうなんええで まいやスポーツやめるって言ってま勉強の 方で頑張ってうんえ今頑張ってるんです けどだからあのどっちかっていうとうちの 父が柔道家だったんでええ柔柔やったりや そうだよねはいだからいろんなスポーツ やってましたね柔道も やってましたし野球もやってたしみたいな 感じ柔道も強かったでしょ当然いやもう 遊びでやってたんででもそれがです岡崎 さんうちのその知多半島のところにあの キメアで取った吉田選手がおったんすへえ で吉田君も同級生なんですけど同級生東 ですよ吉田君とあそうで僕が知市で隣の 大武市におったんですよ うんで当時はでも吉田君も強かったんだ けどまだまだ強い人がいたんすよあそうな んすごいやつがいたんですよその下ぐらい に吉田君がいたんだけどうんうん でもうみんなは吉田君よりもそのもう1つ 上の人のがもう組んだら秒殺でやられる わけですからへえそのぐらいの子がいたん ですけどレベルの高いとこでやってたん ですけどもま柔道はやっぱり痛いからうん 抑え込みとか閉められたりするからま痛い こと嫌いだからもう俺は10だやめようっ て言ってまやっぱ野球だなっつっても そんな軽いノりだったです僕痛いから やめよって言うけど自分が痛い思いする よりも多分相手はもっと痛い思いさしてる と思うはいいやいやそんなことないです まだねあのそこら辺の街の中では僕3位に なったのが1回だけあるぐらいでうんまま とよりは力があったんですけど力あね僕中 学校でホームラ1ぱ持てなかったんですよ 0体はどうなの体は人よりも大きかった ですねま後ろから3番目ぐらいですクラス でうんで大きいやつもいたんですけどま あの打ったら遠へ飛ぶとか投げたら遠くへ 投げられるっていうことはできたんです けど一戦技術がなかったのでじゃそんなに お父さんに小さいから教えられたとかは ないあやれやれなんて一切言われなかった しうんじゃ技術のはほとんどなかったわけ 何にも中学校の本当にクラブで野球やって ましたはいポジションはどこですか一応 キャッチャーやってましたやっぱ キャッチャーなんだはいいやなんか昔聞い たことあるけどプロでキャッチャーする ような人は本当にもうちっちゃい時から キャッチャーでおおはいはいあの キャッチャーというポジションだけは本当 にもう小さい時でやってないとできない みたいなことをなんか聞いたことが確かに キャッチャーからコンバースする人はいて もキャッチャーになる人はいないよね野 からキャッチャーとかあんまり聞いたこと あまいないですよねうんだからちゃやって まあの知多半島のあのね田舎のところでま あそこら辺は軍大会って3年生の夏あるん ですけどそれ野球1回戦で負けちゃったん すよだあ終わっちゃったどうしようって 言った時にま当時は今ダメです掛け持ちで クラブをやれたんですねで言ったらうちの 中学相撲が強かったもんですからうんうん お前ちょっと相撲やらんか言ってややです よやりたくないってて言って強引にね当時 は先生がお前焼肉ごそしてやるからお前 やれって言ったらじゃあやろうかなつって 野球誘われてそうそう3日間2日間ぐらい 練習して愛知県の大会出たら団体戦で出 たら全部勝っちゃって優勝しちゃったん ですよ団体戦で愛知県で愛知県でへで全国 大会行ったすうんうんで当時は倉前国技館 に行って全国大会行っ てまそこで相撲から5部屋ぐらいスカウト 来ましたね中学卒業3年生の時に3年生の 時でもう2日間だけ回し持って押し出しと 吊り出しを教えてもらってうん8試合戦っ て8000全勝で優勝しちゃった強かった 力だけあったですねいや力だけじゃまま もちろんそうなんだけど力もすごかったん だねでそれ終わったら今度陸ジムの先生に ボール投げ出てみないかって言ったあま ボール投げだったらね野球として遠に 投げればいいから愛の大会出たら愛知県で 優勝してで全国大会これは全国準優勝し てボール投げボール投げですはいへえ当時 こんなあの今でもあるんですけどオレンジ ボールって言って159がソフトボールの 159ぐらいのさのでうんで300gある んですよそれが300g重いね公式2個分 ぐらいですでそれを僕90m投げたんすよ はいそれおかしいよで投げて中学の時中学 3年生の時に中学3年生の時に300gの ボル90m普通は投げない僕その時はもう 100m軽く惚れてたんであの普通の軟式 とか公式まそりそうでしょねじゃないで僕 公式も握ったことない軟式でずっとやって たんででも公式ポットて投げたら100m あ投げれるわと思ってだから陸上でも10 軟個を誘いもらったんですけど相部屋に5 部屋5部屋で陸でも軟個特でて野球は1個 もない野球1個もなかった1個もないです さゼロです俺だったら相撲行くないやいや 相撲もやっぱり相撲は厳しいって聞いてた んでその 当時5つ目の工藤さん藤工藤先輩が甲子園 でねやっぱ頑張ってあのうんやっぱ行く ならメデだよなって自分でうんそうやって 思ってやってたですけど何のつてもない お誘いもないはい勝ったんですよ実はへえ 愛知県って言ったらメデでしょ東方共栄 中京この4強学と言われてずっともうね俺 たちの頃からもうもっと前からはいそう ですねだからその中で選んだのかなと思っ てたメなんでメデ選んだのって聞こうと 思ってたの俺これもね僕の本当に運という かあれがそれこそ僕の7つの兄がうん教育 実習でメデに行ってたんですようんうんで そのメデに行った時の担当の先生がま今現 愛光大メデの監督やってクのうん監督が まだコーチだったんですけどその人が担当 だったんですへえで実はうち僕弟がいるん ですけど愛光大名に入るにはどうしたら いいんですかってコーチに聞いたんです 聞いたうんそしたらそのコーチが今の玄関 とがあじゃあ連れてこいとお前の弟とうん 球場にとでそれでまクションっていう形で じゃあ見てやるわっていう形で行ったん ですよそしたら思いのか僕あの練習でポン とホームラも打ててうん行ったら取ってや るってことになってでそれで僕入れて もらったんですだから工藤さんとか一郎と か僕のおって中村監督は僕のことなんか 何にも始め期待してなかったうんはいでも 中学の時ホームラン0って言ったよねはい で遠投はあの100m以上は投げれました 100m以上投げるし全国で重勝どっちか たら肩がすごかったんじゃないそっちもア 方は自信ありましたはいえでもホームラン 0っていうのはさ例えば球場じゃなかった んじゃないいや球場そうですねカウントさ れのだけで遠くにやっぱいやでもねホーム ラン1周したことなかったですね ランニングホームランもなかったですね 三振ばっかでし た変化球全く打てなかったんですよ僕どう なのメデの野球って何人ぐらいいるのメデ はあの一応特待とかそう野球で来るのは 大体156人まどこどこ大会優勝とかね うんそういう性が1学年入って今は一般の 生徒っていないんですけどま僕らの時は 一般の生徒が大体やっぱメデの名文校なん で一般戦闘が100人150人くるんです よあで練習きつくするとどんどんどんどん 100人が半分半分がもう最後10人って なってくんですけどうん野球でそうやって 来れる15人は56人は両に入れるんです 野球の量にそこでまやるんですけど めちゃくちゃきつかったですね1年生の時 はもうそ15年には入っはい入ってたん ですけど両に入ったんですああ地獄だな両 もう先輩のもう当時はねやっぱり愛のぶも あるしいびりはあるわうんうんもうその 雑用はあるわで練習はもう陸上ですよね もうずっと走っとるばっかですようんそう やねだからもう本当に何人かやめてくやつ もいるし両脱走するやつもいるしもう大変 でしたけどまでも何の虚もないんですけど 俺プロ野球選手になるしってずっとうれて たんすよ何にも実力ないの何の成績もない のに俺野球選手プレ野球選手になるしって ずっと思ってやってたんでどんなだけ きつくてもやめられねえなってそれ一心で やってましたね何の根拠ない何の根拠も ないですだって別に活躍したことそ1年生 の時にからずっと小さい頃からです小さい 頃から小さい頃から俺野球選手でになって ジャイアンツに入って契約金1億円もらっ て大岡あ楽にさしてやるからなってずっと 何の根拠もないけど言ってましたねでもさ ずっと言ってたそう言葉にしろとかそう やって思い込むことが大事とかよく言わ れるけどなかなかさなかなかその真底ね はい思えないじゃんそうですねなんか知ら ないですけど僕その心折れなかったんです それに関して俺野球選手なるしみたなんか 持って生まれてんだやっぱなりたいんだと か夢は野球選手とかいいじゃないですか じゃ俺野球選手になるしってずっと思って ましたね小学校とから野球下手くそなのに すげえなはいジャイアンツの選手になる それしかなかったですうちの父が九州出身 なんであそうですでジャイアンツワなった んですどこなの九州長崎だったんですけど 長崎ねでそれのあれもあっててずっとその 親父にもこうジャイアンツっていうそう いうあれをこう空気入れてたんでうんもう 野球はジャイアンツとしか言ってなかった ですねでも単純に愛知県はやっぱ中シが 当然多いと思うんだけどジャイアンツさん も結構いるわけいやジャイアンツ不安て 言ったらうんダメな地域なんすよダメ でしょで僕ら小学校の時は先生が ドラゴンズが負けたらジャイアンツ戦で 負けたら宿題がが増えるんですよほれで 中日が勝つと今日は俺は気分がいいから 宿題なしつって言って先生が言うわけです よ小学校の先生がだからその時だけお願い だから今日だけはま勝ってみたいなその 子供の時本当そういう先生多かったです 昭和やなあだから僕らのクラスでもね巨人 ファンなんて1人か2人ですよねあと全員 ドラゴンズの帽子かぶってましたからあ はいそんな中でま1年生の時はうだったの 1年生はもう本当にあの雑用玉拾いやって て試合にはあんまり試合には1つも ほとんど野球させてもらってなかったです うんだからもうたまたま 中村監督も僕のことは全くノーマークだっ たんですけど夏の大会前に うん3年生の先輩がボール回してポロポロ ポロポロするもんですから監督怒っちゃっ て うんお前出ろて言われてうん 誰でもいいからお前1人入れて言ってお前 でお前行け言ったら僕だったんですよ たまたま誰でもいいからって言った入れ つって僕ら声出しですよ横で誰で見て入れ つったらお前だつって言ったら僕だったん ですようん嘘だろでそん時に僕やっぱ肩に 自信あったからずっと先輩のうんうん スローイング見てて俺のが絶対肩いいしと 俺全然いけるしっって思ったけどチャンス もらえないんだうんでそん時にキャッチャ じゃ入って僕はセカンドもう1回ビンと 投げたんですようんそしたらやっぱりいい 玉ビンと言ったら監督がなんだお前みたい になってうんうんそれからすごく監督が僕 のこと注目してくれて夏の大会はそれ当然 メも入れなかったんですけどもうそ2年3 年生が謎の大会負けたらすぐもうあの視力 でやらしてもらいましたでも新チームから はあのキャッチャーのレギになったはい ああで一応県大会の下の大会の時は12番 つけてうんうん2年生のその上野先輩が キャッチャーが正保いたんですけどもま その先輩も追い越すことが幸いにも秋でき てもうそっからずっと2番で正 キャッチャーでやらしてもらいましたけど 2年の時はその甲子園はどうだったの甲子 園は夏の大会決勝まで行って東方高校に うんえ9回の裏ノーアウトマンリノー3 まで行ったあと1級敵のピッチャーが投げ たら甲子だったんですうんそっからり ひっくり返されて負けまし た9回の裏ノアと満塁ノアと満塁でノース まで行ったんですノース俺ら甲点だぞ1 取ったらも勝そうそうボール1級 ピッチャーがもうボールポンと投げたら もうこし点だったそっから抑えられて点 入らなかったで点入らずにあで結局東方に 負けてこし行けなかったですねあで僕自分 の3年生の時は弱かったんでもう半ば諦め てましたもうこのメンバーじゃ近藤新日い たんであ共栄にねはいはいはいはいだから もう近藤新日にはちょっと勝てねえなって 僕やっぱすごかったの近藤はあそれはもう 無敵でしたねど同級生はい同級生ですだ から彼がドラフト1僕が2位だったんです けど32年生の夏の大会の時は近藤新地と 戦って勝ったんですうちはうんうん準々 純血順々かどっかでそん時に近藤新地が僕 にま監督命令 で経2つしたんです僕に僕は2年生の時に うんでそれでもう新が絶対したくないって 俺と勝負したいって言ったんですけど監督 命令だから経に経してすごく悔しかっ たってことは新日言ってましたけどねまあ そうだろうねはい経っていうのは ピッチャーにとっては屈屈だと思いますね もうあんなもうどこ行っても近藤新なんた 全国整えたのが俺が牽すんのかよみたいな 感じでは彼もいたと思うんですけどあの データ見るとねあの高校通算56ホーム ラン打ってるじゃん中学時代0だった人が あの高校になって56本ってすごい数字だ 俺は2本なんだけど高校通さ56本って すごい数字だと思うんだけどその飛ばす 飛ばす人ってもう小さい人から飛ばす能力 あると思うのはい足が早い人と一緒でそう ですね度は元々この前小笠原ガッツにも ガツもあまりほてなかったはいわんでプロ に入って急に打てるようになったのて なんか色んなトレーニングとかなんか言っ てたけどでもそんなのあるんかなと思って なんか掴むわけやっぱり飛ばすこて あの正直 僕メデでも2年あのキャプテンもやって やっぱりチームを引っ張っていかなきゃ ない立場だったんですけどうん僕両者やっ た夜連っって必ず8時からあるんですよ8 時から10時ぐらいまでみんな本当に 000打つやつもればこ毎日ていう室内で ましはい室内があるんですけどで僕夜連 一切やらなかったんすよでウト トレーニングとかそういうのも一切やら なかったんすよえ何やってたのいやもう あの量でくつろいでいやキャプテンダメ じゃないキャプテンお前ら頑張れと俺の前 にランナー出ろと俺が打ってやるからだ からお前ら一生懸命練習しろってて僕こ 同級生とかにいつも言ってたんです俺を 打ってやるからお前ら一生懸命努力して とにかく俺前にラナ俺の前に出る練習し とけしとけつって俺はこうでくつろいでる からくいでるからそんなのねえだろだって 本当にで毎回僕あのメデの忘年会やるん ですようんでも毎回も何十年30年も ずっと同じ話するんですけどうん僕一応顔 は出すらしいんですよ8時にうんでそう するともうみんなが僕のことを覚えての僕 サダで来るらしいんですね僕覚えてない ですけどやる気ないんだはい健康サンダル で来てよし練習するて言った時に 1球2球3球よしこれで練習終了って僕3 球しか打たなかったらしいんですよ サンダルではいうんやっぱるあいつって みんな思ってたみたいですけどでも一応 その時は結果を出してたんでまそうだね もう何もたしには言えねえわなつって俺ら 頑張るしかねえよなつってまやってて実は 僕高校時代も練習以外はもう何もして なかったですウェイトトレーニング プレイヤー店員飲むとか何か努力するとか もうポテンシャルのみやってましただから バッティングもどうやってうつなんて そんな理論なんか全く北たた打て高校時代 も誰かに指導されたことはないのいやあの 中村監督ももう自由本法にやらしてくれた んでうん僕にはサインなしだったんですよ うんとにかくグってとでもやっぱ急に飛ぶ ようになったのいやもう1年生から やっぱり当たったら飛んでましたねホーム ラン打てました うだからメデって堤防の下にあってあの 堤防の上に車が通るんですで僕そこの車に こうどんどん当たっちゃうんでで今でも 言われてんですけど山崎ネットっていう ネットをこう立ててくれてあの電神棒で 高く今でもこれ山崎ネットって言ってくれ てるみたいですけどうんうんでそれを作っ てもらってもそれを超えてましたねうん 超えてたねえてましたねまだははいだから 本当にポテンシャルのみでやってました 何にも考えてなかったですこししなんて えじゃポテンシャルっていうかそれはもう あれだね親に感謝だねそうですいつも親に もらったもんだけでやってんなって言って いやわかんないですてもう もう結論と言えば僕野村監督と電話まで ずっとそれでやってたんです何も考えて なかったそれはちょっと俺たちに失礼だな これ一生懸命考えていろんなことを考えて にも考えてま高校の時もそうだけどあの ちょっと話援護するけど色々指導される でしょこうやれあせやれってコーチが一生 懸命やるでしょやっぱりその素材だから やっぱりえ一切聞かないの右からりすはい はいはいはいつって言ってもうある程度 僕1軍に行くまで9年ぐらいかかっちゃっ たんですけどそれまでの2軍では僕結構 無敵だったんすようん知ってるだから めちゃくちゃ打ってたんであうん簡単じゃ んてずっとましたなんで俺1軍上げてくれ ないのってうれてたんでうんでも本当に1 軍上がって1軍の本気の一軍のピッチャー 見た時にこれは打てんわって思いました やっぱ相当違ういやもうなんやこれこんな んとどうやって打つのと思いましたねうて 言った時にでもじゃあ何かこれ変えてやろ うってねそういう考えなかったまあ惰性で いくしかねえなみたいな慣れに打てるんだ よ多分スピード感だから慣れりゃ打て るって感じでもいやそんなこと思俺無理 もう変単純にスピードだけだったら2軍で も早い人いるじゃない変化球だけだったら 2軍でも同じような人がいるじゃでも変化 器僕あんま打てなかったんですよ若い頃は いやでもスライダー投げたらホームランっ ていうイメージしかないけどこれなんかま 途中からそうなったんですけどもとにかく やっぱりうん衝撃的でしたねやっぱ一軍で 例えばジャイアン戦で斎藤さん牧原さん桑 さんねあの辺の3柱来た時に桑田さんの あの縦割のカーブ見た時になんじゃこりゃ と思いましたしはい桑うで僕1番1番 上がってびっくりしたのは阪神にキーをっ ていたじゃないですかキーをいたカーブね カーブうんうんもうこの辺からガーンと 落ちてストライクだからどうやって打つの と思いましたもうキヨのカーブはすごかっ たもうこの辺からトモンと落ちてきてえ これストライクの枠ってどこて思ったです よ2階から落ちてくる感じでしたよねうん うんうんま俺あの左バッターだからそうで も右バッターの人みんな屈伸してたはい あの甲子でこれ投げられてそうですよねだ からあんなの人たちがいっぱいいたんであ 俺全然無理だなってちょっと諦めの境地 でしたね高校時代はそのま3年じゃ3年間 公成に出てないのうんはいあそうなんだ出 てませんああで高校3年 でどこまで行ったの3年の時は夏の時は ベスト16で負けましたベスト16はいだ からもう全然その名門東方高校にやられ ましたあ東方にややっぱやられてんだ同じ ゾーンにだったんでああそれでまそこで 高校の野球人生は終わるじゃんま7月の 終わりかなそれぐらいに終わってプロにな るって決めてたよねはい決めてましたで もうプロしかないわけそこではもうま もちろんスカウトとかあるだはいあのま 当時は色々スカウトの方も見に来てくれて うんあれだったんですけどあの 中村監督にもやっぱりそのプロに行きた いっていう意向は話してましたしうんで僕 の1個上の先輩もプロに行って ジャイアンツ入ったんすよ杉浦守さんお 杉浦外野ねでかい5番いね杉浦さんが ジャイアンツ行ったんですねだから俺も 続いてジャイアンツ行きたいなて言って うんうんでま中村監督には僕はもう ジャイアンツしか行きませんで自分で ジャイアンツしかじゃもう社会人とか大学 者なかったももうプロ1本でプロ ジャイアンツ1本でジャイアンツ1本もう これ本当あの固くにジャイアンツって言っ てましたねへで他のスカウトの方にも僕 ジャイアンツ行くんで行きません当時 スカウトが中村スカウトて中村さんはい はいはいもうよくグランドに来てくれて うん行った時にま監督もお前一やつ行ける かもなつっててジャイアンツお前指名して くれるらしいぞみたいな感じのこと言って たんでもう他の球団は全部お断りして くださいって言ってで最後のドタマの ドラフトの時に 中日のスカウトの人 がもう勝手に示しますからちゅって言って うん行ったんですねだけど僕行きません ちゅって言っしたいやもう愛知県の人を 取られるわけいかないもんな中日にとって もやっぱり早速新がいたんで絶対的にねだ からだったんですけどもだから うんまあの当時長村さんに待っててねて ぐらいことまで言われたんでもう めちゃめちゃ信用してドラフト当日は 楽しみしてましたうんで蓋を開けて ジャイアンツあの時にうんそのもう ドラフトのどうやってこう シミュレーションしてするかってことも 聞いてたんですようんうんで1は天野さん で行くと天野うんうんはいうんで天野さん が行くんで天野さんがま多分競合になる だろううんでアさん外したら山崎君君を1 位で必ず指名するからっていうことまで 監督には言ってたそうなんですで僕もそれ 聞いてるから外せ外せ外れたんすよねやっ た俺じや行ったぞこれと思ったらじゃあ やつが木だって言ったんです木キああはい はいど北も同期なんだはいほで北田って 言われた時にええと思って北はでも無名 だったもんね東京のでで来だって言われて えで結局あの当時ももう2巡目から ウェバーですよねウバだからもうあの順番 に取っていかなきゃいけないんでそうなる とあれで中日が僕のこと指名してくれて うんうんあもう片にもうすぐ閉めその日に もらった監督にはここの監督に僕は行き ません僕はもう社会人かどっか社会人 かま大学っちゃちょっともう遅かったんで あれですけどもうどっか社会人かなんかに 行ってもうまた3年後ですよね社会人 ジャイアンツ行きたいんでジャイアンツ 行くまで僕はもう行きませんてずっと言っ てましたねへえで監督にお前最終的にプロ 行くんだからて色々こうま説得さ て でお袋に最後に言われた言葉 があんた顔で落ちたんだわて送るに言われ たんです顔顔ジャイアンツは顔の先行も あるからあんた顔で落ちたんだわって僕に まそういうふざけたことを言ってまああの なんていうかうんねまそんなジャイン こだわらんでいいんじゃないのみたいな 感じであんたは顔がジャイアンツの顔して ないってロが言うんですようんうんで見て みなさいって原監督のことが原さんのこと がすごいうちの好きでで原カトかっこいい でしょ誰々やんあんた顔で落ちとるちって ずっと言われてジャイアンツあるんだよ可 泉にてそう知らなかったの知らなかったで も気が1位じゃちょっと納得いかないな そういかないですねまでも僕正直中日が 1番生きたくなかったんですよえなんで 地元っていうのがやだったですねやだけど さ中日当時は僕まだ何回があったんですよ 何回あったの海と広島この3球団は行き たくなかったんですで中日は地元た純粋に 地元だから嫌だとで僕稲なで東京行きたい と思ったんです東京行きたいおで何回は やっぱりもうちょっと貧乏球団だったんで 人気もなかったじゃないですか最後うん うんだから何回ちょっとちげえよなうんで 広島は日本一練習がきついって聞いてたん だあてた絶対嫌だと思ってそういう理由で そういう理由でその3球団は行きたくない と思ってましたはいもさやっぱ愛知県でさ メデでさ中日をまドラフト2で指名されて 断ったらその後結構大変だったと思うよ 当時あのメレンがそのドラゴンズとご縁が あまりなくてあそうだっけえであのそれ こそ河野純さんもうねあの西武行って ジャイアンツで活躍されてで杉浦さんも 行ったんでなんかこうジャイアンツにこう 行きやすいそういうあれがあったのかなと でそれまでドラゴンがしてくれなかったん ですよ工藤もあれだもんね西武西武そう ですね工藤さんは西熊谷組行くの行かんの 言ってセブ行っちゃったじゃないですか うん山本浩司ってキャッチャーもいた でしょあこそうそう山本俺2つしただよ俺 山本浩司さんもちゃ行きましそうそうクと バッテて山本こもジだみんな関東結構来 てるんだねそうその前鈴木義信さん鈴木し さんていう人も名店から俺より2つ上かな ジャイアンツにいたそうですよねだから なんかジャイアンツに行きやすいのかな みたいな感じはあったんで まあ意外と僕ジャイアンツアジャイアンツ の選手よりあったかもしれないすねうん そうかもしれないジャイアンツ来てたら 歴史が変わってたかもしれないいやいや 多分ね早く首になっていやいやいやそんな ことないと思うよああ中日の方がそういう 意味では厳しそうだもんなんかまあの頃は もう入った年に星野さんだったんで星野 さんだったの入った1年目ですえはいあの 1年目はい1番若い時まだ40歳ぐらい でしょそうですね40ちょっとだったです ねはいええま僕はもうまだ入ったばっかり なんで小僧だったんでうんもういきなり すぐ監督室に呼ばれて何かなと思ってう 18の坊監督の星野さんとか言ったらうん おいアメリカ行ってこいって言われて アメリカはい教育リーグですかいやあの 留学行って留学あすぐアメリカ行ってこ いって言って言って直に行けって明日行け 言ってマネージャー明日行かせろ明日生が 督あのパスポートもないしビザとか色々 あるんですけど言ってまだ忘です俺が行 けって言ったら行けだろお前って マネージャーに言われてマネージャー困っ たはっていう割には1ヶ月以上あのおり ましたけどねそり無理だろ国国として無理 だよな無理じゃないです かだろうて言われてマネージャーどどして たの覚えてますよどこに行ったのえっと フロリダドジャさかのフロああドジャ ベロビーチはいルーキリーグにいました はいま期待されてんだねでもねそこに 生かされるっていうことその時サードで 行ってこいってわたんですよ内野であだ からアメリカは僕ずっとサードの練習して たんですよあ内野で内野でなるほどでも へったくそでどうしようもなかったんです けど俺9月10月帰ってきたらうん星さん がキャッチャーて言われてえ僕内野でやっ てきたのに帰ってきお前もキャッチやれ それでも一言で終わりすでもさ普通に考え たらさそのキャッチャーがもいるわって 年齢的にもそんな変わってないじゃんだ から2人生かすためにはさま中村はね ガイアとかファーストとかできそうにない じゃんタイプ的にだ山崎をサードとか あるいはファーストとかいうこと考え なかったのかなうんもう本当に年やりまし たから ねその星野さん の2次政権の時に また監督室秋の時に呼ばれて 監督におお前20km痩せろていきなり 言われたんすよそん時何kmあったの 110kmですああ90kmにはいでお前 2月1日のキャンプまでに20km痩て こいと うんできなかったらどうなるか分かるよな って落とされたわけですようんはいちてっ てお前2月1日からユニフォーム来ささん からなってうん言われたうん分かったなっ てこんだけですからそれ秋秋のキャンプ 入る前11月ぐらいか11月12月1月3 ヶ月間で20われたそうね3ヶ月てはい うんほでもう監督命令なんでもう入て言 わざえなくてもうそっから地獄の原料が 始まったんですけどうん結論から言うと 22kmでとしてへえ もう飯なんて食わないですよねでもさ単純 にさ普通のそのなんて言うかな肥満では ないじゃん筋肉だ筋肉じゃないそれって デーブなんかもそうデブ奥なんかもそうな んだけどただのその脂肪でデブじゃなくて 筋肉そこまでやると筋肉量も落ちちゃう でしょと思いますよねはい止まなくなるん じゃないボールはでまそれをすごく僕もま 自分の中の言い訳としていや俺こんなこと 言ったらボール飛ばなくなるよな飛ばなく なるね大ま奥なんでねそのバッティング レシもやずにもうとにかく ったりその原料の方にも振ってったんです けどうんま重いのか10kmはすっと 痩せれたんですよ ねあの1ヶ月でポンと行ったんでうんあ これもう順調にけはいけるなって思ったん ですけどやっぱりある程度10km超えて くるともう止まっちゃうんすよね落ちない よね落ちないすようんうんでこれはか動 しようと思っても1月入って1月の中 ぐらい にあと6km足りなかったんすよあと2 週間しかないじゃんもう 6あかんもうこれ俺終わったと思った時に 12月の仲間にも風邪引いたんすようん風 引いたうんそ風邪引いたら痩せるんですよ ね痩せる痩せるでもう1月あのサに俺も これ風邪引くしかねえわと思ってよしもう 風邪引こうと思って風呂入って めちゃめちゃ体めてであの1月の外寒い中 裸でずっと外におっても夢が何やっとんの あんた俺風邪引くんだ わったら本当に風邪引いてそれ引くやろ 本当に風邪引いてからぐーっと行ったら うん6kgて8kgぐらいまで行ってうん で88kmだったんですようんでキャンプ 行って監督行っておい体重けのれっていう わけです覚えてんだやっぱりはいお前け ならってってはいつって僕もパっと 88kmですうんうんおよ頑張ったお前 言ってお前うんおユニフォーム来さしたろ らってそんだけ すで行ったら周りから僕がもう20何期 やったかお前病気か大丈夫か言われてでも ね88kmだったらこうじゃないよいやで もこうですよそうなの88km結構だ イメージからするとねもうガリガリみたい な感じででたらでもその毎回その星さんて キャンプ始まりってこうなんか長距離そか なんかあるんですようんうんで僕も やっぱり重かったから長距離全然走なかっ たんですけど22km走たら走れる走れる ああ結構上位に食い込めるぐらい走れてう 22kmの鉄あれしって動いたんだもんね そうだったら意外と走れるわでも バッティングはでも多分ダメだろうなと 思っていったらうん体の切れがねやっぱ 出るもんですからあほんまに変わんねえな みたいなスピードが出るんだよはい年だっ たんでまホームラをまツイート争って取る んですけど うんいやキャンプのあオープン戦の時怪我 があり脇腹2があり色々なんか色々あった んです けど星さんに27kmダイエットしろって ただ言われただけでホームランを取れ たオープン戦あまり良くなかったいや オープン戦良かったですで最後の途中で脇 た痛めちゃいましたスピードがありすぎる んだわえもう痛くて仕方なくてそれも監督 に行ってうんめっちゃくちゃられるわと 思いつつ監督に監督あの脇腹痛めまして できませんて言ったらあて言わけですよ うんうわ来るな本当に痛いんかいやも痛く て触れませんそう か分かったて10日間何もするなってうん 開幕前の3週間前の東日か何もするな練習 もするなってずっとじっとしとれって言わ れてうんじっとしとったんですそしたら 脇腹分柔らいてうんうんまそうだろうねで 当時岡あの時は開幕前にトーナメントリー グってあったああるある12球団 トーナメントメン賞金がかかってねある あるあるであれにギリギリ間に合って出ろ て言ったあれ東京ドームでやったやつ でしょなからどっか色々やります色やっ たっけでそれで最後そこに行ってポポンと ホームランでってそれで滑り込んだんです よ僕へえだからもう本当にこのジェット コスターみたいだったんですけどもう全て はもう星野さんの怯えに怯えながらやった 96年ですでもホームランを取るわけじゃ ないはいもうシーズン通してずっとまあ 90kmよりもはい90km大体90それ でもちょっとやっぱり88ちょっと偉いな と思ったんでうんまあ90kmキープ しろって言われたんですけどま毎回毎回 ケースなかったでそうね923kmであの シーズンやりましたねうんじゃ自分の中で はそれぐらいが1番ベスト体重なんだ やっぱりねそうですねやっぱあの頃外野も やってたんでうんうんやっぱりそのぐらい が良かったのかなと思いますけどねはい うんオリックスに行くんだっけそうですね はいあれさFAがあったじゃんその後にで FA宣言をして星野さんから山田さんに 監督変わる時にはい山田さんにま残って くれと言われてはいあれFA宣言したけど 残ったんだFA宣言したんですよでしたら あの横浜さんが誘ってくれました ジャイアンツじゃなかったのなかったん ですで僕それこそジャイアンツ即行ってた んですけど僕も環境買いたいってずっと 思ってでもちょっと成績落ちてたんですよ うんだからそこで環境変えてやっぱ自分 やっぱここのままじゃダメだななんて思っ てて少しあの居場所もちょっと俺立場悪い のかななんて思ってたんですけどうんうん そしたら熱心に横浜さんが誘ってくれて うんでもう行きますって行って返事したん ですけどうんうん土田の最後の最後に山田 さんとあの話監督収1年目だったんで山田 さんがま1ね選手に対して頭下げて残って たし一緒にやろうぜて僕FAしてるのにの のキャンプ行ってたんですよドラゴンズ 行かされてたんですよ行かされる普通は 行かないでしそうですだけど行ってたん ですでそこで監督に呼ばれて督うんうん たし一緒にやろうぜっていう風に言われて ま最後の最後どうかなおうかなって思った んですけど監督にそこまで頭下げるんだ 下げられるんだったやっぱりこれ残ら なかんわなって持って残りますって言って まやったらやっぱりちょっと春先不調だっ たんですねうんうんでからもレギュラー バリバリだったんでうんそそうでしょ2 落とされて22落とされた嘘みたいな いきなり2軍ですか2軍すぐ落とされまし たへえで落とされて1ヶ月ぐらいして1軍 上がってきてチャンスで代打使ってもらっ て打てなかったですねうんうんで打て なかったら次の日に朝の中にスポーツ見 たら監督のコメントとか出るじゃないです かなたらチームを7のそにうんやがいたら 勝てんわなて書いてあったんですよでそん 時にうまこの野郎と思ってうん次の日急場 行っ てま監督となんてほとんど練習中なんか 喋ることないじゃないですかないねだっ たら偶然にもやっぱりこうそう いう遭遇してしまって監督うんでそこで僕 が監督行ちょっと行っちゃったんですよ 行っちゃった何ですかあの記事ちってうん うんちゃんと卑怯じゃないですかちゃんと 名前言ってくださいよ言ったらとか やっぱりどこでいやお前のこととは限らん ぞって言われたんですうんうんあそん時に もう俺はもう信頼関係ないなと思ってうん もうええですわってなったら向こうももう ええわってなってもそからずっと行くん ですあそうなずっと行くんですでまあ3年 契約持ってたんでうんうんうんFAだもん ねFAして3年契約してねいい給料も もらって契約金ももらってだけどこれ3 年間どうしようと思ってでもそれ一番 きついよなもう給料こんだけ取ってでも イランとは言えないしって言ってうんあの 当時いでさんてあの都田の監督さんいで さんにトレード出してくださいお願いし ますもうこのままじゃいられないんでって 言ってうんま遺跡先探してもらってうんま オリックスが撮ってくれたんですけどふだ からまあ移籍するの1月に発表して僕 ハワイに行く前にもうロッカ片付けたん ですよ全部うんうんで片付けて誰もいない ないとこでもう本当に静かにもうドラゴン て出てこうと思ったんでうん誰にも合わん ように中のあの名古屋ドム バンテリードームのロッカー片付けてうん うん史上最大に鳴きましたねそん時ああ 片付けてる時にうわロッカーでロッカーで 1人で史上最大に泣いたあだからそれほど ドラゴンズ離れたくなかったんですねうん 絶対に入りたくない球団だったのにそうな んですそれがねもうめちゃくちゃうわーっ と泣けて誰もいないあのロッカーで泣いた のが1番鳴きましたねいいね慣れよりも はいそういう涙っていいななんか綺麗に なるよ体が絶対えだからあいつ出して失敗 したって言わしたいと思ったけどうん やっぱ残念ながらもう少年が腐ってました ね僕のねやっぱり誰々俺を使ってくれない から俺は活躍できないんだとかんうん やっぱそういう方向にあの2年は行っ ちゃったのでま オリックス石毛さん監督で石さん監督石毛 さん監督だって4月で組になっちゃったん ですで代行にレオン来てで最後井原さんが 来たんです けどまやっぱりオリックスの球団には相当 こう迷惑かけちゃったなっていうのは今 思うとちょっと反省ですよねま監督コーチ とかそういうのはもうやっぱり勝負事なん でうんま井原さんともうまくいかなかった んですけどまそれはそれとしていい思い出 としてま別に今は何とも思ってないです けど あのちょっと球団にはご迷惑かけちゃった なってありましたオリックスは2年間でも 2年目の成績はすごくいいじゃない1年目 ちょっとクしてるけどぐらホームラン打っ たんですけどで最終年に井原監督が来てま 井原さんはもうバッターはホームラン バッターいらないっていう人だったんでま あのやっぱりないるでしょホムラマト絶対 いるよな野球であのその井原さんの 野球としてのそのものに僕はやっぱ合わ ないスタイルに合わないていうのは分かっ てたんでまそこでちょっと やっぱり衝突してうんもういいやもうやめ たろあっちって僕はも思ってもうこの年で やめるってもう腹食ってたんでだもう野球 ももう大きれになってましたしだからそう いう目ではそこでけじめつけようとは思っ てたですけどねうん 次の年に楽天が誕生するわけだよねその タイミングででもそれも全然一言だったん でま別にああ球団できるんだみたいな感じ でその楽天に入る経緯はどういう感じだっ たのタオさんに誘ってもらいましたああも やめるってオレックスやめるっていう情報 もタオさん入ってたはいあのその年 ドラゴンズが優勝日本手やった時に僕 ゲストでうん球場行って回数行ったんです でタオさんももう話題の人なんでんああ そうだね楽天の監督だった言った時にある 昔から変あても東海ラジオのアナウンサー で犬かさんっていうねあの有名な人ねあの 名物アナウンサーの人がいて可ってもらっ た時にお前タオに挨拶しとけてその人に 言われたんですようんだっっても関係ない じゃないですかなんか僕それ言うとなんか 僕が媚びてる感じでお前なってそうじゃ ないんだとうんまそういうことじゃなくて 一応タに挨拶しとけて言ってタオさんどう 思ってやっぱりタオさんがお前問題じ らしいなつってていきなり言われたんです ようんえちってってうんお前の話色々聞い てるけどお前問大事だからだからやっぱり タオさんとしては僕がねその楽天に入るの にこうなんかちょっとお願いする気に入っ たみたいな感じで来たですけどうんたけし はお前は問題だからなって始め言っていや 違いますよこうここうここういう理でこう なっああそうなんかつってそれで挨拶 終わったんですうんそし たらある日突然たさんが電てきてうん たけし一緒に焼きやるぞつって言われて ああで誘ってもらってうんでそういういや 僕結構ですやめますって言ってて断ってた んです固くなにうんうんうんだタさあんな 感じなんでたけしまた考えときまた連絡 するよって言って言ってうんで3回ぐらい 電話いただいてで行った時にまここまで 誘ってもらうからうんま1年だけま思い出 作りに最後まうんあの何があっても2落ち しようが何しようがもう楽しく炎上ベース ボルやって1年だけ仙台って帰ってこうて も正直てそんな軽い気とも行ったんです うんうんだからもう全然活躍するとか そんなことかけら思ってなかったですうん はいまほんで1年目まタオさんも苦労され て結局1年目でさんはやめるんだよねそう ですねもううんどんな感じだったの楽天の 1年目ていやもう ねこんなに野球って勝つの難しいのかって 教えてもらったのがあの1でですうんうん プレ野球選手なんでま50勝ややその ぐらいするんじゃないのっていう風なこと 思ったんですけどうんうんうんうんもう何 やっても勝てないしうんで自分の中でも やっぱりこう1軍には残してもらって開幕 4番もつめさせてもらったんですけどうん 言ったんですけどまタオさん本当にこう 真っすぐな方なんでダメだしのオン パレードなんですお前そんな感じじゃ打て ねえよちって言ってこうしろよああしろ よって色々こ指導受けてうん打撃のその 復活の基本となるものを教えてもらったの は僕はタオさんだあそうなんだその後の 野村さんですからうんうんで僕やっぱどう しても前にも勝って捕まえて自ら捕まえて うんうんうんうん打ってたんですけどタ さんそれはやめろと無理そんな打ち方して ダメだからちゃんと来たところでボールの 来たところ通ったとこでそこで体突っ込ま ずに打てという指導をされたんですよねま そうしたらもう詰まり倒しますよねうん 感覚違うもんはいもうこれ無理やわと思っ たんですけどもまどうせ無理で1年で やめるんだからもうそれでやってみようっ て固くにそれやったらまちょっとあの春 越えたらポポポとホームラ出したんで1年 で帰るつもりがね25打ったらダメですよ でタオさんがやめるっていう話になった時 に僕タオさんに拾ってもらったんでうん タオさんにいや監督辞めるんだったら僕も やっぱりやめなきゃいけないと思うんで僕 もやめますわて言ったらあがんちって言っ てうんお前そんなんこれからお前楽天を 強くするためにチームを引っ張っていけっ て言ってサブさんに言われたんですようん 自分のことじゃなくてチームを束するため にお前これからはやってけよって言って タオさんやめられて僕は残れちって残った んすようんはいだから本当にタオさんに 回し向けて寝れないですよねえでもタオ さんにそこでバッティングの基本を座って で2年目がブラウンブラウンはやっぱり あの僕もブラウンにはすごい可愛がって もらったんですけど僕このあんまり やっぱりいい成績出せなくて試合出たり出 なかったりして でこれももう忘れもしない松田スタ交流戦 で松田スタジアムでスメ外されたんですよ うんもく野郎と思ってもうちょっとブー たり気味でやってたらまちょっとこう 打ち合いになって前半 戦早い会に代々行ってくれって言われて ですねうん満塁で代々行ったんですようん で今でもピッチャースタルツっていうね左 の球の早い外国人でで行ったら行ったら ライトにホームラ満塁ホームラったんです 僕うんで行ったらもうひつも俺しくなくて マホムラ打っても代打マホムラたんです はいもうひつもあの嬉しくなくて帰ってき てブランああやったなたしって言ってもう ハイタッチした後にずっともうすぐベンチ の裏に戻ってベンチ座って僕意外と泣き虫 なんすね泣いとるんです悔しくて それもあの覚えてますなんかすごい意外な 感じがする血涙もないのかと思っていや僕 ね意外と虫なんですよいでも感受性が豊か なんだよ多分ねくそなんでよそん時には なんで俺試合に出れねえんだつてくって やってましたねでそれはすごい覚えててま それからなんかちょっとブラウンとも色々 話ができるようになってうんあの本当に 日本人に近いあの人だったんでやっぱ カープで監督もやられてるんうんですごい いいやつでいいやつって言ったら怒られ ますね監督でね本当最後はめちゃめちゃ あの仲良くうん内緒でご飯行ったりしてた 中になりましたねはいええで3年目に野村 監督は来るんだはいもうこれはねもう野村 監督就任行った時はもう終わった思いまし たよああなんで俺最後晩年ここまで戻って きて野村監督と野球やんなきゃいけねかな でも野村監督それまではあまり接点ないん でしょイメージでしょなんあのヤクルト 阪神でうん僕がじた戦って敵のチームでも 先手間って噂聞くじゃないですかでも絶対 俺嫌われるパターンだよなと思っはい星野 さんとなんか真逆なはい感じだもんなんか ねでもうやっぱりそれこそ野村監督かち涙 もない人かななんて思っててうんえいたん ですけどま始めやっぱり当たりきつかった ですよねうん喋ってくれなかったですああ いう人ってさ本当に期待してる人に対して さそういう態度を取る傾向があるよねそう ですかね突き放しというも半月突き放され ましたからねキャンプから入ってうん見て 挨拶しても無視ですよ昔の人結構いるよ それはいほででもねミーティングであ人は どうあるべきかとか人とはどうだとかもう なんかその人間論ばっこしてて僕がますっ ても無視でしょうんこのおっさん何とやと 思いたけどお前が言うなみたいな話だよね お前が言うな本当そう思ました本当にそう だよねはいうんである日 あのちょうど中火に呼呼ばれてうん キャンプのキャンプの中身冷所割りに中 うん監督に呼ばれ彼ベンチにいたんすけど 言てベンチ座ってパっと見たらおいちって て言われてお前生きなんだよていきなり 言われてうんお前見栄が悪いなうんで そんなこと悪見栄が悪いって言われて悪あ お前人に勘違いされやすいなとか言ってっ てうんでその言ったたから実はな俺も一緒 や俺不合そうだろうはいちってうんうん俺 も見栄悪いだろうはいちって一緒やなお前 とて言われてあおお前そうやって思われる ようにこれからせえやてそん時初めて しまりましたあなんやこれと思ったです けどねそん時そうわれないよりせえやって 言われてもないきなりそのそうですよバカ みたいに明るくできるわけじゃないしな俺 でそんなこと言っとった俺でミーティング 野村監督って毎晩ミーティングなんす本当 にそうなんも1番ですあよもう眠たいん ですけどでも野村監督ミーティング寝かせ ないために白板に野村監督G書くんすよ 野村の一のブっとそれみんなノートにして それを欠かしてその覚えさすみたいなだ 資料野村の考えでこうやってやって渡せば いいわけじゃないですかうんだけど野村 監督あえて書いて書きすで僕1番後ろ ミーティングこてずっと見てて書いて なかったんです うんほで行ったらミーティング終わったら 野村監督のあの専属マネージャーが僕の とこ来てたって監督が さたがノートにってなって言うんだけど そうなのって言ってきたんすよでたまたま ミーティング終わったら後輩が僕の部屋来 てたからその時やべと思って後輩ののと 思ってうんうんまじゃ書いてあるじゃない ですかも書きましたよつったごめんなつっ て言ってそうだよなって書いてるよなつっ て監督に行っとくわて監督の勘違いだった わうんて言って僕そこは南を逃れたんすよ うんうんひっべえと思ってで監督ともう2 ヶ月ぐらいしてとちょっと喋れるように なった時に監督言って実は監督に僕嘘言っ てました言ってなんや言ってミーティング 書いてなかったですって言ったらだよなて 言われてうんほうかまあ なあ俺のミーティングで何にもせずに ぼーっととしとったバカたれはお前の他に もう1人おるって言われてうんえ誰ですか つって誰だか当ててみろ言ったらいや想像 つかないですて言ったらうんうんかしげ やで僕があの野球があの結構完成本能で やるタイプだったんでま監督もそれったん ですけどうんお前俺はなて感覚完成でやる やつはま 長嶋とお前ぐらいしか見たことないわお前 天才やなって褒められたんですよ急にうん お前し天才やって長嶋と一緒やて言われて で僕ジャワじゃないですか島かと一緒なん じゃない長島しさんですしと一緒なんだで 僕長嶋さんと一やって言ったら舞い上がっ ちゃってははいなんつって喜んではあって 言ったら監督が真顔してバカだって言って お前褒めてねんだお前褒めてんじゃねえん だて褒めてんじゃねえんだ お前考えてあげやれつって怒鳴られて僕が 似合っとしたからですねあお考てやけやれ って怒られ てはい考えてやれってことは俗に配給とか そういうこと球とか野球とかその野球全般 においてはいだからもう1番初めにやった のはお前野球の取り組み性が悪いって言わ れたですうんもういきなりダメだしお前 野球嫌いだよなていきなり問われた時に僕 はい野球好きじゃないすうんうんだわなて だけどお前の復活する1つのきっかけは 子供の時にお父さんかお母さんにグロブ バッと買ってもらってうん楽しかったろと うんああそういう時もありましたその 気持ちがもしお前にこれからそういう 気持ちが見えたらお前は復活する可能性が あるって言われたんですだから野球好きに なれってって言われましたすごいなはだ からお前子供の時に好きだったあの野球の 気持ちを今取り戻したら復活するかもしれ んぞって言われたですまずはそっから 取り組みなさいって野に言われました本当 きいたかった俺もそんな話聞くとだから 野村監督との一緒に野球やってる4年間は うん僕27年間元気やらしてもったんです けどやっぱ1番濃かったですま星野さんも やっぱり色々ありましたけどでも野球って ものを本当に教えてもらったのはもう野村 の親父でしたねうんまあ4年間やった3 年間ですよね1年目はなんかムガ夢中で わけわからんかったんですけどうんうんあ の3年間はほとに初めてあこの賛同上げし たりてえなと思いました僕あんまり人の ためにとか監督のためにて大っきたんそ うんそんなも自分のためでしょって思った んですけどでもうん残りの3年間の野村 監督の3年間の時はこの人どげさしさし たりたいなあて言っててホームランを撮っ たの何年目野村えっと野村がの2年目じゃ ないですかねはい目その時はその実際 ホームランス伸びたのはよく野村さんにの おかげていう前どっかで聞いたことある これとそうことこれあの配給がも多いん ですけど1番初めに言われたのは僕三振 うんお前三振怖がってるよなっていきなり 言われたんすようんでこれ僕27年間の データ見るとこれ三振ってうんえっと僕ね 103振してないんですよずっとこれ ホームランバったし少ないよねはいであの でも僕歴代4の記録持ってるんですけど うん オリックスそれ長いからでしょで出会う前 って僕1003振しちゃいけないでもこれ 1つ言い訳言わしてもらうと星野さん三振 すごい嫌う監督だったんですよあそうなん はいだから通がごでちょっと消極的になっ たんですよでなんでやって言ったらなんで 三神やなんやて言ったらいや通が前て打っ てもし打ったら内野ゴールでイレギュラー したりとかなんかアクシデントがあって ファスセーフになったうんまなんかそう アマチュア的なことを言ったらうんはって 言われてうんうんおめえに何もそんな期待 してないよって求めてないよててうんうん お前なぜ三振したかとかなぜヒット打った かとかそういうこと考えたことあるかって 言ったといやダルビッシュのスライダーが 良かったから三振しちゃったなはあとか うんあ打ったらホームランだったはって いう感じだったんですけどうんうんお前 考えろて言ってていいも悪いも必ず理由が あるとうんその理由を考えてやってけば 三振いくらでもしていいって監督に言われ たんですへえ三振しろってえけどその次の 打席が大事だとでその次の打席も三振だっ たらもっと考えるうんでそれでまた2打席 さだったらもっともっと考えろうんそれで だめだたらもっともっともっと考えてや れってそれでだめだ諦めろって感じです うんだそういう部分でまず野球をに対する 姿勢とか考え方を変えろとお前は三振して もいいけでもその参じした理由を考えて次 に生かしなさいっていうことをまず言われ ましたねですごくそれで楽になったですね だからその年僕ホームラを取った時にうん 1001423103振楽勝超えちゃった んですよねうん美野さんもしたしうん三振 けしたんです けどたまに監督ベンチに帰ってくると本当 に1ヶ月か2ヶ月に1回お前今なんで触れ んかったんやって聞いてくる時あるんです ようんで行った時にいや僕はこういう理由 であのまっすぐ来る可能性があるんでえー まっすぐ待ったんですけど変化球来て触れ ませんでしたましゃあないなそれはて言っ ててうんである時にちょっと言い訳っぽい こと言ったらま自分の中でちゃ言い逃れで 喋ったつもりが監督がお前それ言い訳だっ て言われてうんうんあこの人完璧に 見透かされたと思ってまそれからはもう 正直にもう監督には自分の思ったこと 言おうと思って行ったらそうなんかま しゃあねえな次頑張れてって言ってくれる ようになって正直に監督には喋るようにし ました自分のイメージでいいんだけど データとは別にイメージいんだけどホーム ランってファーストストライクワン ストライク52ストライク5ってどれが 1番多いか自分の感覚でいいんだけど やっぱ追い込まれたらダメだったと思うん でやっぱ早いカウントですよねファースト ストライクやっぱ多いですファーストス 多いんですかねああまでもやっぱり晩年の その楽天時代の時はやっぱやっぱり 追い込まれる時にはうんもうしっかり値玉 は決めていってましたねうんはいよく 追い込まれたらあのとにかく当てろてま俺 たちのレベルの時はこうやって言われてた んだけどはいもうホームラン三振でもいい んだよってホームラン求めてんだよって 言われたら2ストライクでもある程度ま山 山はるんじゃないあでも振ってってました そん時は楽天時代は中二時代はやっぱり ちょっとね保さんに怒られたくないから 消極的になったんですけどうんその辺は もう中時代と楽天時代ではちょっと人が 違うぐらい考え方書いてやってましたね ファーストストライクから打ちで行く タイプだっけまあ引きまあまそれはやって ましたねはい俺たちの時代って特に若い頃 って1980年代ぐらいてまクリーン アップの人は違うんだけど俺たち脇役は ファーストストライクから打ちに行けなく てああはいはいノ2で待てまノス当たり前 だよあノ2でって下手したらワンツでも 待ってたったからねえあそうですか なかなかあ当時はそのセットアッパーとか クローザーとかじゃなくて先発関東だから たくさん投げさせみたはい野球で1級で アウトなるなら10級投げさしてアウト なった方がいいんだよっていう教育だった のようんはいだからもう本当にど真ん中の 初球をどんだけより垂らして見逃した かってでもそうするうちにだんだん打て なくなるのやっぱりファーストストライク からそう やっぱり1つはストライクと取られると めちゃくちゃ不利ですよねバッターってね めちゃくちゃ不利だよええだからもう晩年 なんてファーストストライクがストライク で入るかボールで入るかでもう全く結果が 違ってましたね違うねはい最後にはいまた 中日に戻るじゃんはいあれはどういう経緯 なのあれはですさすがに楽天でも終わりか なとあもう僕楽天でやめるつもりだったん ですよもうこれだけ東北にお世話になって 愛着もあったんでもう最後は楽天で終わる って決めたんですけどあのまあ正直に話す と最終年あのやめる年星野さんが監督だっ たんですねうんうん で録が僕その年骨折したんですようんその 年僕オールスターも出たんですけど保の 監督に保の監督に呼び出し結構あるんです ようんでその6月ぐらいに骨折した時に 言われた時にお前来年どうするんやて言わ れたんですようんで僕もちょっと2000 安打も見えてきてまだその体の衰えて なかったんでいやできれ ば現役つげたいですて監督に行ったんです ようんでま監督ってもう僕もずっと長く 付き合ってるんでやっぱり血のぎ入れ替を していくってベテラン選手を切って新しい のを作っていくっていう中ではうん やっぱり僕が筆頭だったんすよこれももう 自分で分かってたんですよ僕その時に言わ れた時にあ俺首なんやなってロ思ったら 星野さんががええよじゃま来年もやらして あるわうんてもう6月に言われたんです うんうんでまそれからオールスターでて僕 最後ちょっとやっぱり不調で打てなくて 京セラドームでオリク戦やった時に僕 ちょっと股間節痛めててうんですっごい 痛かったんですよでまその時もう試合に出 たり出なかったりんででもスタミの時は すいませんって言ってて田渕さんがその時 ヘッドコチだったんですいませんあの スタメン発表った時にうん教えていただけ ますかてあの薬の計算も時間計算してスメ だで教えてくださいって言ってお分かった ぞ言ったらタさんぶっちぎったんですよ それをうん僕に言わなかったんですよで僕 そん時にもうやっぱりねもう僕らも生活 かかってんでうんうん田さんに僕ちょっと 行っちゃったんすよタブさん行ったじゃ ないですか言ってそんな僕こうここうで 言ってぼって正が変ってねそんな言ってく 言うぐらい行ってくださいよて行った僕が きつく言ったのが星野さんの耳に入って 呼び出しうんったんです保さんにお前何様 だって言われていやこうここういう理由で 僕めにだったらちょっと時間の調整して やっぱりやりたいんでって言われたら監督 がそこでお前もうやめろちってって急に 言われたんすようんであそれって首です かって言ったらうんいいからもうやめろ ちゅって言ってもううんでもう一方的に 言われたんすようんで分かりました言って じゃあ球団代表のとこ行ってきますって 言って球団代表のとこ行ってもう監督に今 首って言われましたって言ったら球団代表 がごめんなて言って俺が本当は言わなきゃ いけなかったんやちって本当悪いなって 言われてうんまそこでちょっと監督とね またちょっとモヤモヤしてうんで僕そこに 球団代表でもうやめますってもそん時側頭 で行ったんですようんでやめますて言って もその時何も決まってないですよね シーズン中なんでやめますんでってそうか 悪いなちってやめてくれてったらもう引退 試合とか色々なレールもまコチとかそう いうものも色々ちょっと考えてるからって 言ったらああの代表結構ですってあの対談 っっていう形にしてくださいって言ったら うんお前そんなことできるわけないだろう て代用が言い出してそそうだろできるわけ ないだろうって言ってそのましやって ホテル帰ったらまた呼び出しですよ監督に うんうんうんうんで監督にお前やめろ言っ たろって怒られてはいやめますつってうん うんあの楽天やめますんで他でなんとか またできるようにあの現役続けたいと思い ますんで対談でお願いします言った監督 怒るんすよ ああ45歳にして首ね捕まれましたからね 和さんにお前俺にお前噛むかむかいって 言っていややめるんですからいいじゃない ですかやめろって言われたのはいやめるっ 言われてでやめますってだけどやめ方は 好きにさしてくださいって言ってうんうん ま最後球団とも話して星さんでもその年で もまだ元気だったんだ元気だったですね僕 に対しては僕だけには他にはやっぱりそう ねもうちょっと年がねだけどもう怒る時は 僕に必ずたしちって怒って周りをこうそう ねあの閉めてたんですけどめもうそん時に まやめるって言ってまその時にもねそんな ドラゴンズも拾ってくれるなんていう そんな話も全くなかったんでうんうんま とりあえず対談っていう形で結構なんでま 僕があの楽天出てきますとでま出てったん すよ へえだから まあ悲しかったですよその時もそん時も 泣いたでしょうねうんええそれは泣いても いいよええだから本当に自分が楽天東軍に 対してのそのやっぱ思いが強かったんでで もその時々でこうぐーって泣いて流して 切り替えてんじゃんそうかもしれないです ねでも1回1回切り替えていってじゃだ から切り替えようっていうのはね思ってる うんっ楽天のも悲しい出来事だったんで うんいや俺がなんで俺ここそん時はですよ うん俺ここまで イーグルス引っ張ってきてもうこれ自分ご ですけど俺が出てくんかよってそん時は そう思いましたよ正直っそうだよね倒さ 監督1年星野監督1年で来てわさわさして 俺で俺のこと切ってなんだよってそれ思い ましたよ僕うんそうだから見返してやろ うっていう気持ち でドラゴンズに自分であのまたトレード 出してもらった時にのいでさんに僕 ドラゴン使いたいんですけどどうですかっ て言ったら無理に決まってんだろって言わ れてうんもうそん時だって4343です 43でそん時高木さんになったんですよ角 があ監督これでいさん僕あの給料本当に 1円もいらないんでやらしてくださいって ただでもいいんでって言ってうんお願いし たんですよまそんなわけできるわけねえ だろって言われてうんまええわって監督に 聞いてみるわて高木監督に聞いてくれたら 金監督が帰ってきてもいいよって言って くれてでドラゴンズに帰ることできたん ですだ高木さんのおかげですそれは はあなんか出会いがいっぱいあるってい なんか全部いいねいやまあ今となっては今 となっては本当人との出会いで良かったん ですけどうんいやだけど俺どうしようかな と俺もいま最後の最後も楽天も球団代表に 残れいいよ俺がもうなんとかするよって そこまで球団代表もう今すごくなあの代 がってもらってんですけど違うことを球団 代表もやられてて米田さんだ米田さんで 最後お前いいわて俺もうお前俺がなんとか するからうん給料も半分だぞって言われて うん半分だぞいやもうお金のも問題じゃ ないんですよだからお前1つだけ俺の言う こと聞けって言って球団代表に言われて うんなんですかって言っ たら監督に頭下げろって言われたんです それだけはやろって言ってそしたら後の 処理は俺が全部してやる監督に頭だけ 下げろて言って僕がノーって言ったんです よそれができないよな僕はもう無理で あのそれはできませんとうんだからもう あの対談でて言った時にお前それでいいん かって怒られたんですけどねあそん時もね 半分とはいえいい給料提してくれたんで 半分でも大変なもんだもん1億以上は あの給料出してくれたんですけどま嫁さん とも相談して嫁さんももうパパの好きな ようにすればてだって私が言ったってもう 決まってるじゃんあんたって言われてうん もうやめるんでしょ言ったらはいてて言っ てで言ってまさんにうんあの頭下げれませ んとここは男としてって言ってまやめま すって言ってはすごいなだから最後やめて 実は星野さんとずっと喋ってなかったん です僕やっぱりうんうんうんうんその最後 あるもんねあってやっぱりもう ねありましたからで星野さん亡くなった じゃないですかうんうんで亡くなるまその あの星野さん1月になくなって1月ねねで その前の年の電動入りの表彰が名古屋ドム だったんですよあったねでそん時に僕 たまたま行ってたら星野さんとパッと目が あってまどうもってやったらちょこいって 言われてうんまた呼び出しですよ超行為が 多いよ ねお前いつまでそんなことやっとんだって 言われてえどういうことですかて言って うんなお前休会に戻りたいとかそういう ことは考えてるんかって言われていや別に あの今評論家で一生懸命やらしてもらい ますお前ダメだなってつってってお前そう いうのがダメなんだよって怒られて うんお前そんなもお前休会にお前を恩返し するのはお前筋だろうつって怒られちゃっ てまたそこうんうんああでもあのお誘いが ないんでまだあれなんですて言ってそれが 最後だったですねああ大野さんと喋ったの がだからちょっと後悔はあります なんかあの本当にボタンの掛け違いなん ですけどその言った言わないとか話を聞い た聞かないとかうんうんうん僕はそんなの でやっぱ星野さんからちょっとこうなって たしで最後のやめ方もうんうんやはり自分 の中で男木通したって思ってるけど やっぱり相手にとってはあいつと思うわけ じゃないですかうんうんだから最後 ちょっとそこだけはあのどうなんかなと 思いつつも今来てますねまでも難しいよな そこは立場とか経験とか年齢とかいろんな ものがこう絡み合ってるとこだからただ 長いもんには巻かれるであの頭下げるのは 簡単なことだけどで果たしてそれがいいの か悪いのかっていうのはもう自分が決める ことだからね人は言うことじゃないと思う ねそうででもあの1番あのそのイーグルス でまコーチとして残れって言われたんです けど僕楽天ができてからやっぱり弱い チームで若いやばっかりだったんですけど 僕すっごいきつい指導してたんですようん 僕もうんでそういう中でやはりあの後輩 たちにあこいつ現役やめたらああやっぱり 普通の人だったんだなとかああやっぱり やめたから手のひら返してコーチに残った んだなうんっていう風に言われたくなかっ たんです僕そこで僕が残ったら だったらやっぱり僕はこのチームを去って やっぱり遠から出てくのが後輩たちにも やっぱり示しがつくんだろうな残ることは できたんですけどうんうんだけどそれが やっぱり僕が後輩たちにき指導してた分 いや俺がここで弱耳したりとかなびいたら あなんだ山崎さん所詮あの人もそうだて もう言われたくない心だっったんであの僕 は出ていきますって僕はそれで決めました ね俺もでもさホームランを2回ぐらい取っ てたらそれぐらいのことは俺もできたかも しれないいいいそんなことないいすよ僕ら にとってはねやっぱりね我さんも憧れの人 でしたしいやいやいややっぱり見ててああ 羨ましいなまあん時もうね小僧中の小僧で 見てたんでうんでもあん時はだって 売り出してたのがね本当岡崎さんと小さん と吉村さんだったじゃないですかうん すげえなあの人らつってでずっとそうやっ て思ってたですからねいやでも左バット 多くてあとクロマティとさんてはい5人 ぐらい左バッターがいたま俺はその底辺な んだけど左バッターすごい人結構多くて 若手中の手でしたもんねあさんそうそうま 駒田と吉村は俺より下なんだけどもう実績 的にあいつらのがやっぱ上でええ郎さんと かクロマティのバッティング見てもわけ わかんないし吉村につよくバッティングを 教わってたけど今評論家が主なこう仕事 っていうかメインでやってるけどそれ以外 はどういうことなんかやわれてかあまね あの は名古屋と東京と仙台でまやらしてもらっ てあとはやはりその星野さんとうん やっぱり野村監督に教わったことていうの をその講演会であのお話しさせてもらっ たりいやそれ講演会いっぱいあるよねその 2人の話聞きたいであとはやはり自分の その野球をずっと45までやってきたんで 自分のしたいことをしようっていうことで うん遊びも一生懸命やってますもう こだわりやっぱすごいよねもうこだわりが ですけどなんかさ名古屋の人ってそうなの かなって思うぐらいすごいこだわりって いうかそうですかねあの秋っぽくないよね も色々チャレンジしたいですねで例えばま あのOBの方ってやっぱり趣味ったらほぼ ゴルフじゃないですかでみんなさん色々な 集まりとかするとゴルフの話題話してあ ゴルフが好きなんだなと思うけどもう ゴルフもやりますしゴルフ以外にも例えば 僕めた時にすぐやったのがテニススクール 行ったんすよテニスはいテニススクール6 年行ったんですよ僕テニススクールですへ 合わないよテでそそれも1つはやっぱり嫁 と一緒にこう何かをするってこがなかった んでいや嫁がもうやってなかったもんです からで嫁さんと何かを2人でやれること 考えようぜ言ったらじゃあ家の近くに テニスクルがあったんでおちょっとママ 一緒に行こうぜって言って一緒に行ったん ですよでテスクール6年ぐらいやりので その間にゴルフやりのやめたすぐには車の レース自分がレーサーなんです僕レース今 やってんですよレース11年やってるん ですよ乗れんのあもう全国だから鈴鹿富士 全国さきとえ年間 8000転戦していくんですけどそれ気を つけてよなんかなんか親戚のおじさん みたいになってるけど気をつけてよレース いやだからあの先輩の鈴木高さんもお前何 やってんだってやめろつって言っていつも 危ないよ危ないじゃい危ないなんか親戚の おじさんあの歯車も3回ぐらいしてますし ねへえ結構だってガチなやつでしょガチ ですガチですはいでそれをやらしてもらっ てま今もま今ナウもやってるんですけど へえそれやりの あとお母さんたちの時代は僕らの時代は夏 とかは海とかプールって入っちゃだダだめ ダだだっかだだからなんか海とか水遊びに 憧れてうんやめたすぐにジェットスキー 買ったり船乗ったりとかそんな遊びをして 暇な時ないでしょこれ休みの時は何かやっ てますなんかやってるよはいボトしてない よねあ僕はもう家にボトしてることはない んでないよなあのすごいな体がいくつあっ ても足りないぐらい知り合いとま晩ご飯 食べていきますし家で食べることほぼとん でないんでへえはいあの今でも夜のクラブ 活動は頑張ってます結構飲むのじゃあ1滴 も飲めませんえ飲まないはいウロンちゃ でで知り合いし本当に飲まないっても飲め ないです僕そ昔からはいじゃゲコなんだ はいじゃ俺と一緒だな俺はでもちょっと だけは飲めるからちょっとも飲めない いっすあそうなんコミュニケーション取る の大好きなんで色んな人に可愛がって もらってまあもう仕事も遊びもも今はもう 全力投球で体の動く限りはやろうかなと 思ってますけどあともう4年ぐらいだと 思いますけどプロ野球の監督とかコチに なる暇ねえないやいやでもやっぱりさ監督 した方がいいよコチはちょっとさ監督がい ないあなたが高知だったらあなたは扱える 監督がいないからもう監督そのことなった 方がいいよ中日もね辰波監督もいいん だろうけどちょっと最近低迷しててはい やっぱりなんか地元のね本当に地元の人が やっぱ必要だと思うよ名古屋って一いやま 僕もあの指導者としては経験がないもん ですからなくていいんだよ指導者なんま 野球色の27年もやれば色んな人と出会う じゃないですかうんでじゃあ自分がもし そういう立場になった時にじゃあこコーチ や監督にもしそういう風になった時に じゃあ選手とどうやって接しればいいの かっていうことをま考えた時にもうもう1 つだけこだわりがあってこれだけはもう 絶対にしないどこっていうのがうん自分が やられて屋のことだけは絶対に後輩たちに しちゃいけないなってもうそれは守ろうと 思ってますはいそれは絶対に必要なことだ よねよく自分がさえたことを同じことを する人がいるよ世なかってねでもやっぱ いろんな経験をした中であこう選手の立場 でいろんな経験をしてあこんな監督こんな コチにはなりたくないなとかあるいはこう ありたいなっていう人もたくさんいたと 思うそうま理想はねうんあると思います あともう1つあもうあともう1つがあるの がベテランの扱い方ああで僕も長くやって ベテランとしてやってきたんけども甘え かす必要はないですけども最大限気は使っ てあげないと僕いけないと思うんですよ それそうだなはいだからそうすればチーム としてやっぱりうまくこういくと思います しだから最大限その気を使ってあげるだ からま今中日現状見てると大島とかうんあ がやっぱりすごく苦しいと思うんですよ うんうんね試合を出してあげるとか出さな いっていうことじゃなくてどれだけケアを してあげれるかうん会話とかうんうんあて いうものをこうしてあげられたらまた大島 も今以上に成績出してんじゃないかなで今 のコチ監督かしてないとは僕は言わない ですけどもっと気い使ってやってもいいか なな言葉悪いいけどこう腫れ物に触りたく ないみたいなのに最後なっちゃうよね実績 なある人に対さんも経験あると思います けどベテランになってしょうもないで代々 行く時ってあるじゃないですかあれやらし ちゃダメですよねあれやらしちゃダメだね 対戦処理ライダみたいなねあれはしんどい よねもうあれはベテランにやらしたらもう 一気にもう多分終わってしまうのでうん うんもうそれも絶対にさしちゃいけないと 思いますよね1軍でいいっていう実績の ある以一軍に置いてる以上はやっぱり あのいいとこで使ってあげないともうどう でもいいね御点差で負けてる時にお前あの 体ならしで行ってこいてそんなの体ならし にならねえよみたい結ない出ないですよね やっぱリスペクトが1番大事だよね いろんなやぱ自分がリスペクトしないと リスペクトされないよねそ選手にねぱ両方 いい関係になった方が絶対組織としては 回るしいやもう本当いろんな濃いい話を たくさん伺いましたありがとうございまし も本当にドラゴンズの監督になって くださいございやいやこれこればっかりは もう立補正じゃないのでまたくさん僕の 先輩ね山本正さんもいるしねうんうんあま でもあののそういうやってきたま頑張った メンバーがねあのやってくれればいいと 思いますしね監督今のタ監督も色々叩かれ て苦労してるけども純粋に僕ら応援したい しねでもやっぱり厳しいコメントは出し ますけどうんまプロだから仕方ないですま でも辰監督はこれから先何年やるか分から ないけどやっぱり低迷してる時ってやっぱ 元気がある人がいいってうんはいやっぱり 元気がある人が強そうな人がいいんだって やっぱり監督ってそうまそう誘って いただける人間にならなきゃいけないって ことですねまずはかけながら応援してます んでありがとうございます軍独ぐらいでい ですよろしくお願いしますありがとう [音楽] [音楽] ござne

❤️‍🔥 アスリートアカデミア
 チャンネル登録はこちら ⚾
https://www.youtube.com/c/asuaka/?sub_confirmation=1

これまでにご出演いただいた皆さまの映像を、迫力の一気見スペシャルとして大公開!
もしかしたら、見逃してしまっていた神回が見つかるかも!?

◆山﨑武司さんプロフィール
選手歴
愛知工業大学名電高等学校
中日ドラゴンズ 1987 – 2002
オリックス・ブルーウェーブ 2003 – 2004
東北楽天ゴールデンイーグルス 2005 – 2011
中日ドラゴンズ 2012 – 2013, 2014

◆アスアカ総集編★一気見SP
【アスアカ総集編 一気見SP vol.1】満塁男の超野球技術論 駒田徳広

【アスアカ総集編 一気見SP vol.2】饒舌無双のモンスター デーブ大久保

【アスアカ総集編 一気見SP vol.3】ミスターパーフェクト 槙原寛己

【アスアカ総集編 一気見SP vol.4】天下御免の若大将 原辰徳 -1-

【アスアカ総集編 一気見SP vol.5】天下御免の若大将 原辰徳 -2-

【アスアカ総集編 一気見SP vol.6】孤高の天才野手 篠塚和典

【アスアカ総集編 一気見SP vol.7】伝説のクローザー 角盈男

【アスアカ総集編 一気見SP vol.8】スコアラー列伝 三井康浩

【アスアカ総集編 一気見SP vol.9】ミスターレオの軌跡 石毛宏典

【アスアカ総集編 一気見SP vol.10】しなやかに唸る美しき黄金の左腕 阿波野秀幸

【アスアカ総集編 一気見SP vol.11】炎上必至の毒舌エモやん劇場 江本孟紀

【アスアカ総集編 一気見SP vol.12】走塁を哲学する男 鈴木尚広

【アスアカ総集編 一気見SP vol.13】熱血!ズームイン女子野球 宮本和知

【アスアカ総集編 一気見SP vol.14】天下御免の若大将 原辰徳<3>

【アスアカ総集編 一気見SP vol.15】常勝巨人軍を再建する華麗なる遊撃手のDNA 川相昌弘

【アスアカ総集編 一気見SP vol.16】明治大学OB 鉄板ネタの吟遊詩人 広澤克実

【アスアカ総集編 一気見SP vol.17】昭和怪物伝説の真相 江川卓

【アスアカ総集編 一気見SP vol.18】駆け巡る赤き疾風の追憶 高橋慶彦

【アスアカ総集編 一気見SP vol.19】岡崎チルドレン代表 原監督公認スーパーサブ 寺内崇幸

【アスアカ総集編 一気見SP vol.20】僕らのミスタータイガース 掛布雅之

【アスアカ総集編 一気見SP vol.21】愛されメジャーリーガー 川﨑宗則

【アスアカ総集編 一気見SP vol.22】赤き猛練習の鬼 正田耕三

【アスアカ総集編 一気見SP vol.23】紅蓮の長距離砲 小早川毅彦

【アスアカ総集編 一気見SP vol.24】 メジャーを制したOki-Doke 岡島秀樹

【アスアカ総集編 一気見SP vol.25】大分を舞う熱き父子鷹 内川聖一

【アスアカ総集編 一気見SP vol.26】プロ野球からクリケットへ 木村昇吾

【アスアカ総集編 一気見SP vol.27】紺碧の巨人キラー 川崎憲次郎

【アスアカ総集編 一気見SP vol.28】トレンディエース 西崎幸広

【アスアカ総集編 一気見SP vol.29】LAから愛を込めて 高橋尚成

【アスアカ総集編 一気見SP vol.30】ポジティブキング 前田“チョコ”幸長

【アスアカ総集編 一気見SP vol.31】平成のスライディング王 亀山努

【アスアカ総集編 一気見SP vol.32】因縁の国士無双 加藤哲郎

【アスアカ総集編 一気見SP vol.33】天才投手のダンディズム 牛島和彦

【アスアカ総集編 一気見SP vol.34】龍が如き豪速球の咆哮 小松辰雄

【アスアカ総集編 一気見SP vol.35】紅蓮のトリプルスリー 野村謙二郎

【アスアカ総集編 一気見SP vol.36】怪童ギャオス襲来 内藤尚行

【アスアカ総集編 一気見SP vol.37】高速フルスインガー 清水隆行

【アスアカ総集編 一気見SP vol.38】駆け抜ける奇跡の星 緒方耕一

【アスアカ総集編 一気見SP vol.39】ベネズエラ最強遺伝子 アレックス・ラミレス

【アスアカ総集編 一気見SP vol..40】行くぜ!DYNAMITE!! パンチ佐藤

【アスアカ総集編 一気見SP vol.41】不屈不撓の雑草魂 上原浩治

【アスアカ総集編 一気見SP vol.42】第6代RIZINフェザー級チャンピオン 金原正徳

【アスアカ総集編 一気見SP vol.43】再降臨!ミスターパーフェクト 槙原寛己

【アスアカ総集編 一気見SP vol.44】初代最優秀バッテリー賞 山本昌&中村武志

【アスアカ総集編 一気見SP vol.45】NPB最年長記録投手 山本昌

【アスアカ総集編 一気見SP vol.46】星野仙一に最も愛された男 中村武志

【アスアカ総集編 一気見SP vol.47】元WBAスーパーフェザー級・ライト級 二階級世界王者 畑山隆則

【アスアカ総集編 一気見SP vol.48】ミスターフルスイング 小笠原道大

【アスアカ総集編 一気見SP vol.49】ミドル級の猛虎列伝 竹原慎二

【アスアカ総集編 一気見SP vol.50】天翔ける甲子園の一番星 荒木大輔

【アスアカ総集編 一気見SP vol.51】頭脳派戦士の回顧録 仁志敏久

【アスアカ総集編 一気見SP vol.52】バルセロナオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト 岩崎恭子

【アスアカ総集編 一気見SP vol.53】曲者Winding Road 元木大介

【アスアカ総集編 一気見SP vol.54】正捕手魂ド根性 村田真一

【アスアカ総集編 一気見SP vol.55】吠える!悪太郎 堀内恒夫

【アスアカ総集編 一気見SP vol.56】魁!!スイッチヒッター 柴田勲

【アスアカ総集編 一気見SP vol.57】猛々しき野良犬の咆哮 愛甲猛

【アスアカ総集編 一気見SP vol.58】横浜高校伝説 安西健二

【アスアカ総集編 一気見SP vol.59】歌い踊る正捕手の嘶き 里崎智也

【アスアカ総集編 一気見SP vol.60】下町マコちゃん 益子直美

【アスアカ総集編 一気見SP vol.61】闘う紳士が歩んだ激動の野球人生 田尾安志

【アスアカ総集編 一気見SP vol.62】実直なるミスターロッテが語る魂の打撃理論 初芝清

【アスアカ総集編 一気見SP vol.63】黄昏アイアン・ホーク 下柳剛

【アスアカ総集編 一気見SP vol.64】球界のリアルジャイアン 山﨑武司

チャンネル公式Twitter

#ジャイアンツ
#プロ野球
#山﨑武司
#岡崎郁
#中日ドラゴンズ

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball