【激白】元巨人・大田泰示さん「自分を見失った」…背番号「55」を引き継いだ男の喜びと苦悩【人生報知】

[音楽] 野球チャンネル ンツアカデミーの大使コーチです内藤ですよろしくお願いします えっとまジャイアンツアカデミーのコーチとしての日々がちょっと過ぎてると思うんですけど実際今どういう感じで生活というかされてますか まずスクール自体がえ 3時からスタートするのでえそこから 4時コース12年コース344年コース 56年コースという感じでえま大体 7 時終わりのスクールが多いんですけどま中には 6 時に終わったりっていうスクールもある中でま昼からうん はい あの子供たちの指導に当たってるっていうそういう毎日送ってます 結構生活スタイルとかも変わってきましたか そうですねプラ級選手でやってる間はやっぱり家を開けることがあったり土日だったらデゲームになったり平日ナイターだったりあの結構生活のリズムが取りづらい生活を 16 年やってきましたけど初めて毎日同じ時間に起きてえまた土日の休みがあってはい [音楽] あのカレンダー通りの生活ができるっていうのは今新鮮さを感じてます やっぱお子さんの時間とかと思取れたりそうですね あの家族の時間も含めてま自分の時間もあの持てるようになったかなと思いますしま野球選手の時は結果だったり あの自分の生活をっていうところを考えすぎてた部分もあったんで今はこう子供たちに教える中にその自分の生活があるっていうバランスで仕事はできてるのかなと思います え東海で相模からドラフト 1位で示されたと思うんですけどはい そのドラフトの時の心境というかそういうのって今覚えてますか そうですねあのまドラフト1位であの指名 していただいてジャイアンツとソフト バンクにえ日球団から1位使名を受けまし てま原監督がま9時を引いてくれたあの 瞬間っていうのは多分人生の中でも1番 嬉しかった瞬間でもあるなと思いますしま ドラク1位を受けた時は正直嬉しかった ですしあの喜びの方が大きかったんです けどくじを引いてもらってえ入断するっ っていうことがえ決まった時ってのは不安だったりこの先しっかりやっていけるのかなっていうそういう気持ちの方が大きかったかなとは今思います大使フィーバーがあった時に はいフィーバーなのか まあまあまあでもやっぱり1 番フィーバーするというか取り上げられる大きな理由としてはやっぱり 55ですからね 重かったと思うんですけど今振り返す 55番背負ってたっていうのはどうですか あの正直こう思いっていう風には自分がこう来て感じたことはなかったんですけど周りの目線と声ですよね これ下手くそなんでどうしてもうまくいか ないんで1年目の考察 っていうのはその中でやっぱこううまく いかないことに対していろんな言葉を言わ れたんでそれやっぱりこう18歳の心の中 では受け止めきれないこともあったしで 目線もなんかこうなんかちょっと冷たい 目線だったりとか球場でためが聞こえたり とかそういうのはやっぱきつかったすね うんそういうのが1 番高校まではやっぱりこう相で うんもうオらついて焼きやってたんでうん もう本当にもう活躍するのが当たり前でみたいな中でやってた中でプロ入って全然できないましはこう番号に関してのいろんな言葉を聞かされるそれは結構きつかったのは覚えてますはいその 50 万を警された時っていうのはやっぱ最初はやっぱ嬉しいっていう 嬉しかったですよやっぱり マジかと思ってそれをこう球団も含めて託してくれた喜びっていうのはもう本当に嬉しかった本当に言葉で表せないぐらいのマジかと思って俺かと思って左バッターじゃねえみたいなことは思ってましたけど 本当に嬉しかった ね本当に実際ユニフォームファンフェスの時に 入団会見だったんですよ僕やつで で来てお披めですみたいな それユニフォーム見て来た時にうわすげえなと思ったしもうそん時はもうワクワクしかない部分もあったけどま不安もありましたねこのこの成績を俺残せるんかなみたいなそんなんありました やっぱじゃ喜びもありつつやっぱ将来はちょっと然とした不安というか やっぱり18 歳でプロに入るっていう不安もありましたし野球の世界っていうのは 18歳もいれば40 歳もいるようなそういう世界なので厳しさもあるだろうなとかいろんなことを考えながら入団したなっていう ま今振り返えるとそういう思い出になってますねはい 実際その社会経験というかもう本当学生からプロの世界に入って はい かなりのメディアの方が大田さんコーチのことをすごい注目してたと思うんですけど その時ってこうどういう風に見た?はい あの本当に嬉しいことでドラフト1位で 入断して注目してしていただけるっていう ことがま自分にしかできない経験だと思う のでいろんなメディアの方に取材して いただいてまたキャンプからたくさんの 報道人の方に僕自身をこう移してもらう ことが多かったんですけど正直 プレッシャーもありましたしこれを受けて 活躍しなきしなくちゃいけ ないっていう気持ちにも駆られてましたしま当時振り返ると僕のそのメンタリティではあの抱えきれなかったのかなと思いますね [音楽] なんか18 歳ってまだ多いというかその時期にああやってこう囲まれとこう自分を見失っちゃうというか そうですねそうですねもうまさに自分を 見失うっていう言葉が当てはまるのかなと 思いますしやっぱりこう何をするにも シャッター音とスチールカメラがい るっていうその緊張感の中毎日キャンプを 送ったっていうのがま今思えばいい経験に なったなと思いますし本当にしか経験でき ないことを経験させてもらったのかなって いう風には思うので今もっとやっぱプラス になってるかなと思いますはいかその中で 1 年目の時はこうビッグって呼んでくれみたいなおっしゃってたじゃないですかそれはこう今考えるとどういうはいやあれは本当に先輩が悪くて当時野健二さんとかが 2軍にいらっしゃって あの足の怪我をしててリハビリ期間中でなんか面白おかしく加藤けさんとかはい その先輩方がなんかそういう風なことを言ってたんでその流れで記者の方もなんかそういう話を聞きつけたんかわからないですけどなんか気づいたらそういう指面になっててはい僕的にはちょっと 面白かったんですけど恥ずかしかったです はいあのまそうやってこう1 つのことがすごい記事になったりとかあったじゃないですかそれもプレッシャーになってたのかそれともちょっと柔らぐのか 柔らぐもありましたしまプレッシャーになる時もまあったと思うんですけどま僕が現に対してすごく思ったのは僕を悪く書く人がいなかったんだっていう本当に野球会ってあの批判だったりとかいろんな言葉が飛び交うそういうま社会の中んですけど僕の中で記事でそういうマイナス要素を掲載された記憶がないの [音楽] [音楽] でそれは本当にありがたかったなっていううん ま今でもそう思いますはいなるほど やっぱ人柄ですよね いやどうなんですかねまなんかそのそん時担当してくれた方が すごく優しくいつも声かけてくれたり もう各者のあの記者の方はいつも心配して見てくれていたのでそれは本当に感謝してますねはいそう なんかいっぱい囲まれるとこうちょっとなんか人間不審というかなんかまた来たのかよとか思っちゃったりとかもすると思う 分なかったと思うんですけど どうなんすかね までも本当に記作にみんな記者の方は話しかけてくれたし うん なんならこう一緒にご飯も連れてってくれたりとかその中でろんな先輩の話を聞かしてくれたりま言ったらあの記者の方にも育てもらったのかなっていう風には思いますはい それでこうやっぱ2 年目以降になると新たな選手とかも入ってくるじゃないですか そこからやっぱり1 年目よりこう注目度というかなんて言うんですか?ま記者の方もの数も減ってきたとは思うんですけどそこの温度感とかってどう感じてんですか [音楽] そうですねあの2 年目からそのまおっしゃった通り報道の関係の方はちょっとこう熱が覚めたみたいなところはあったんでそこは寂しさよりかはちょっとこう落ち着いたかなっていううん [音楽] 野球に対してもキャンプに対しても 落ち着いたのかなと思いますしまたま大学 卒業して入る選手だったり社会人卒だっ たりまいろんなまプレイヤーが入ってくる 中でまドラフト1位っていうやっぱ プライドもやっぱ僕の中でまあったしま それがいい方向に行く時もあればちょっと こうプライドが邪魔する時もあったんです けどまそういう風にまあ年々年々ま成長し ていけたと思う 苦しい時期は当然時代はあったんですけどまそういうのも含めて 1年1 年成長できていたのかなとは思います やっぱこう1 年目は何するにもシャッタオンっておシャじゃないですか?それがこう 2 年目以降落ち着いたことによって自分の心とかも結構メンタルとかも整ってきたみたいな まだ整ってなかったですね やっぱりこう結果が出なかったので 何をするにもうまくいかないことが多かったですしでまた僕は内野種でえ相当下手くそだったのでま取り組んでうまくなろうと頑張ってはいましたけどうまくいかない日々が 1年目3 年目ぐらいまでは続いてたかなと思いますはい そん中でもこういろんなOB の方とかがオ田さんにこうご指導 はいはい させてくれてたと思うんですけどそこってこうどう影響してましたか?ま OB の方は本当に偉大な先輩方が多いですしまたジャイアンツを気づき上げたえ初先輩方なのであの本当にうーんみんなほどに余るというかなんなんて言うんですかね自分の中でまだまだその方々に指導していただくなんて [音楽] ああ 早いなと思ったしまそのレベルまで行けてなかったの で おっしゃってることがまだまだ理解できない年頃であったかなっていうのは思いますけどでも今思うとあこんなすごい人に指導しただいてたんだなっていうちょっとゾっとしますけどでもそういう経験もありながら方のアドバイスをいてま少なからわず僕の中ではプラスになっていましたし それを生かすことができなかった時代でもあったので僕が年々こう試合に出るようになったり えま移籍してレギュラーになったりとかになってあおっしゃってたことがちょっと理解できてきたなっていうのも実感があったんででもますごく貴重な時間を頂いてご指導していただいてたなっていうのは思います やっぱこう当時は理解しきれなかったというかなんかそれでこう自分を失うこととかそういうのとかは いや結構難しかったです やっぱりこう先輩がよかれと思ってあのアドバイスだって指導していただいてたのでやっぱこれを えやらなきゃいけないというかあの試さなきゃいけないって自分でも思ってましたしまもがてた時期なんでうん とりあえず何でもかんでもトライはしてるそういう時代だったのでま そういうトラも含めてうんいい時間を過ごせてたなっていう無駄ではなかったなっていうのは引退してから思いますよねはい やっぱりそのさっきもおっしゃってたようにあとこの違うチームに行ったりとか まあとその何年か経ってからあの時行ってたことってこうだったんだみたいなやっぱそういうので全部 プラスになってるんでそうですね やっぱ自分の引き出しにもなりますし自分の経験にもなりましたしそういう言葉 1つ1つがやっぱ頭の中に入ってるんで まそういった意味でもこう引退した後ま今子供たちを指導してますけどそういう言葉を拾い集めながらあのま子供たちにも還元できているっていうまそういうものはま言葉ではありますけど受でそういう指導がしていければいいかなとは思ってます なんかもうそれはあれですよね あの子供たちのアカデミーの指導っていうよりもその巨人のそういう方々の声がこう直接子供たちに届くみたいな そうですね言葉も魂も含めて受け継いでくというか継承していくのも必要だと思いますしね先輩方が残してきたものっていうのは必ず残して継承して繋いでいくことが大事かなとは思います こう1 番大田王の中で覚えていることというか伝えたいことってありました で覚えているのはそのま言葉もそうですけどの方って言葉 1つ1つになんか魂があるっていうか 厚さがあるっていうかそれを 1番に感じたんですよね いくらいいこと言っててもその熱量がないと伝わらないと思ったしんだみたいな圧倒される時もあったんで あの実際に それは思いました熱量暑さで言葉の 1つ1 つにこう重みと魂があるっていうのはあの大事かなと思いますはい じゃあやっぱりそのリスペクトっていうところもそうですけど子供たちに対してもやっぱり熱量持って はいそうですねやっぱりこうこっちの熱に 対して向こうも暑さ帯びてきてくれれば いいかなと思いますはい あのジャイアンツ時代はやっぱり厳しい 世界で本当に結果を残さないと一軍に残れ なかったですし1打席にかける思いの強い ものを持って1回首になるっていうことを 経験してんジャイアンツでそのベンチで 控えてる自分の心境とベースター時代で ベンチに控えてる心境違う ま途中で薄う感じるとこもあったんすよ やっぱり戦力街になるだろうなっていう そういうゆくゆくはこう指導者とし てやきたい行く行くわ

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