6月3日、「ミスタープロ野球」として愛された長嶋茂雄さんが亡くなった。その長男・一茂氏は、1987年にヤクルトからドラ1指名を受け、プロ野球界に飛び込んだ。スーパースターの息子のドラフト指名という大事件の陰で、スカウトたちの胸中はどうだったのか。その「狂騒曲」の裏側を振り返る。《NumebrWebインタビュー全2回の1回目/つづきを読む》
1987年の「ヤクルト」は結構、騒然としたシーズンを過ごしていた。
土橋正幸監督から代わった新任・関根潤三監督が、この年プロ3年目の広沢克己内野手(明治大・84年ドラフト1位)、4年目の池山隆寛内野手(市立尼崎高・83年同2位)、2年目の荒井幸雄外野手(日本石油・85年同2位)……近未来のチームの看板選手とおぼしき新戦力を前面に押し立てて、ヤクルトスワローズの世代交代をはかろうとしていた。
そのシーズンが始まったばかりの4月。とんでもないことが起こった。
米大リーグを代表するような強打者といわれたボブ・ホーナー内野手(当時アトランタ・ブレーブス)を獲得、入団させたのである。
野球の世界最高峰で活躍をしてきたバットマンである。しかも、スイングスタイルが非常にコンパクトかつ正確で、ジャストミート能力が高い。器用に複数の変化球を操る投手の多いこの国のプロ野球界にはぴったりのタイプの打者だから、打たないわけがない。
来日すぐのペナントレース初戦に、名刺代わりの本塁打。記念すべき「初弾」は軽く合わせただけに見えたライナーが、いつまで経っても落ちてこないで、そのまま神宮球場のライトポール脇のスタンドにポンと入ったのを今でも覚えている。

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