【アスアカ総集編 一気見SP vol.61】闘う紳士が歩んだ激動の野球人生 田尾安志
アスリートアカデミア学長の岡崎香ですえ 本日のゲストは田安井さんですよろしくお 願いしますよろしくお願いします田さんの こう肩書きをどうやって紹介しようかなと 思ったけどもう肩書きいらないなと思って はい肩書きねはいいらないですねでも僕の 中ではやっぱり楽天ゴールデンイーグルス 初代監督やっぱ初代っていうのはあはい はい大変じゃないですか大変ですよ変だと 思うんすよねもうねあのあれ本当ね言い 出したらね長くなりますけどねもうあの 最初は全然監督以来ではなかったんですよ へえ最初までも後で考えたら多分依頼を しようと決めてたんだろうけどもあの1回 ちょっとあの相談に乗ってくれないかって 話が来たんですよそれであのマティキナ トっていうねあの時GMそれと米田さんと いう代表と2人と一緒に食事をしながらね あのこの人どうかなこの人どうかなって いうあの具体的に名前が出てきてねうんで まあのてるんでま僕の あの考えの中でこの人はこうですよいい とこはこうとここういうとこちょっと悪い とか濃いとかあるとかねそういう話をし ながらあま最終的にあのマーティーがタ やってみないって軽く言われてねじゃあ あんたやれよみたいな感じですいややって みないって言われてそれでま僕はもう選手 辞めた時にもうユニフォームは着ない とこっていう後ろのかがもうねあの ユニフォームあんまり来てほしくないって 言ってたんではいはいそれでもうそういう 気持ちでいたんですよだからこういう依頼 が来たけどまうちの女房に電話したらやめ てくれって言うだろうなと思ったんでまで もちょっと1回電話してみようってね電話 したらパパ初代監督はやりたくてもやれ ないよっていう話になってねでしょうねだ けどお前必ず最下食らうんだぞっていう話 ねこれもう100%だよえあのメンバーで 勝てるわけないそしたらああもう能力監督 だあて言われるで まああのヤジはヤジの中で野球やらないと いけないもうそういうのを覚悟しないと いけないんだよっていうねそういう話もし たんですけどねうんまあでもあの1年 やらしていただいてやって良かったなって いう方が強いですそうでしょうねうん やっぱあのチームの立ち上げそれも何も ないとこから作ったって50何年ぶりだっ てプロ野球でね大体普通は親会社が変わる だからま選手いる中でやってたけどあそこ は何にもないところでまオリックスに吸収 されたんですよあれ近鉄がねそうですよね ほはいほんで選手が多すぎるんでそのま ちょっとこう下の連中を楽天がまもらって いう形になってたんでだからまあどれだけ 負けるかなって いうそういう中でスタートしたんですよで も考えたらタウさんしかできなかった でしょうねうんまあ精精神力からあこれは ね大変でしの監督から僕ね自分で思ったの はねこんなに自分が図太い人間だったなだ なっていうのをねあの1年でより感じまし たうんあれだけ負けてねうんモヤモヤして ね寝れないって日ないんだもんすごいです ね多分みんなさ胃が痛いとかうん寝れない とかっていうのをよく聞いてましたけど 全然なかったへえ自分のやれることを きっちりやってそれで勝負事っていうのは 相手が強かったら負けるんだともうそう いう世界なんうんだからそこで割り切ら ないとしょうがないでもらもう最初は頂い た戦力でやるしかないんでだ僕の仕事は まあ3年契約だったのでね最初予定はね3 年の中でプロレベルの再開を作ろうと思っ てたです3年やっても難しく難しいですよ ね3年でだからプロレベルの最下ですよ うん最下だから1年目は2照5敗ペースだ からうんだ僕はあのプロレベルの再開って いうのは4照5杯ペースだと思ってんの うん 45杯で借金16これが大体プロレベルの 再開うんだからそこまで持っていきたいな と思ってたんですよあそれで次の監督に バトン渡せれば僕の仕事は終わりかなって いうねそういう気持ちでいたんですけどま う三谷さんの考えもあってうん結局1年で 野村さんに変わりましたけどねま1年でも すごい濃い1年ですよ濃かったですね 濃かったですはい年数じゃないですよ 濃かったですよだから一応監督って名前が ついてるんですけどやってる仕事はねもう GMですああうんあのか高知の給料もこの この金額で全部決めてくれとうんそうなん ですか言われて僕が全部給料も書いて書い て書いてでこれで契約してもらってくださ いっていうあ枠があってそん中のそれも ちょっとどうかと思いますそれで12軍の まあの枠コーチの枠がこれだけま20人 ぐらいいますよねチトにそうなると1はべ ませんよとそうですねうんある程度の人数 限られますけどそれであの考えますって いうことでねうんこれれでそのお枠でやっ たんですけどあのま5000万余ったって 言ってね僕が書いた金額より何百万かずつ 下げて契約してたみたいでうんだその余っ たお金は俺に使わしてくれよっていうこと であの裏方さんのねはいあの勝利級に 使わしてくれとま半分勝てないんだけど 半分勝つ計算でえそれをこう割ってねまあ 1試合買ったら70万くださいとうんうん でそれをもう1軍2軍のせ全裏方さんたち にいくらかずつでもあのボーナスとして 出したいとでそういう気持ちでねみんなで 1つでも多く勝とうよっていうねそういう 組織にしたかったんですようん浦風さんて いうのはま近鉄球団から必たやっぱ多かっ たんです多かったですね近鉄あと ドラゴンズ関係まあまあいましたねねああ ドラゴンズうん裏方とよりもま選手とかね もうまいましたしねあとはあのトライ アウトで見に行ってねああトライアウトだ から35歳以上が17人いたわけですから ね35歳以上が17人17 軍一軍選手28人の中でいやあ全部で全部 で全部で17にいたんですよすごいですね うんだけど結局35歳までユニフォームを 着てた人たてうん必ず活躍した時期がある わけでしょそうですねだプライド高いはい はいだこうだけど今ちょっとこう下りそう もう正直やめきよやめもう窓際ですようん もう楽天がなかったらユニフォーム切れて ないかもわからないっていう人たちが何人 かいましたからねだそういう人たちに やる気を持ってもらいたいなっていうね そういうことも僕の仕事だと思ってだから もう本当に具体的な あのま目的目標そういうものを与えてそれ でそれをクリアしたら必ず使うっていう 約束をしてやったんですよ最初の仙台に 集まった時もうユニフォームも高校野球 みたいに真っ白のニで間に合わないで みたいなの見たにあれは仙台じゃなくてね 仙台じゃなかったですかあれはね藤井寺か なんかで練習したんですよあ大阪ですか 大阪でやったんですよ最初の真っ白ユニフ 来てるからそうですまだユニフォーム なかったんであグランドもなかったから 仙台はあまたできてな全然できてないです よだからオープン戦もまだできてない大変 とかいうその言葉の表現ではいもう壮絶 ですねなんか知らないけど壮絶ですよだ からねあの時にユニフォーム切ったた連中 とやっぱり合うじゃないですか1年大変 だったけど面白かったなっていうねあ やっぱりすごいですよやっぱ最初初代って いうのがなんつだて今野村さんっていう 名前が出て野村さんだったんだと思いまし たけど2番目の監督な誰も普通覚えてない ですよねああ2代目は覚えてないです やっぱ初代ははいタオさん楽天はタオさん ていうのしかなくてその後誰だっけ順番 どうだったっけ星野さん何番目だっけ みたいな感じそうですねなんですよそう ですよねうんそうです星野さんは4番目 ぐらいになるんかな途中でブラウン1 ブランが1ありました野村さんの後 ブラウンがやったんよねで星さんがやって 成田さんデブそのとデーブかデなんか そんな感じですよね最近ちょっと1年ごと ぐらいに変わってるんでだから1であれも どうなんですかね監督っていう1年でね まず無理ですねあの作れないチームをです よねですよねはいだから僕は3年間の中で やっぱチーム作りっての考えてましたから ねだからゲームはまグランドキはやるん ですけどゲーム前にあの相手のおま監督と お話ししながらうんもう来年のこと僕は 話してるわけですよほいで見てたらこの 選手絶対あのうちだったら使えるなでも あのまロッテだと うんうんそういう手いけないかなていう ようなねももうグランドの中で話してね うんうんそうでしょうねでかなりうんあの 何人も僕が2年目やったら決まってたん ですよへえうんだそうしたらちょっとね2 年目はちょっと戦力が違う戦力になったか なっていう気がしてたんですけどねうん僕 がもう終わっちゃったんでそれがもう全部 ごさになっちゃったんでタオさんってなん でそうやって精神力あるんですか あのね僕もあんまりタオさんとこうやって お話させてもらうの多分初めてんですけど やっぱりタオさんていう人間プレイ スタイルをこう遠くから見てたりま いろんなタオさんの話を聞いたりタオさん の行きを見てるとなんか自分を曲げない みたいな強さがす曲げないって言うとねま 良くも悪くも聞こえるんですけどいやでも いいことだと思いますうんあの結局人の目 はあんまり気にしないってことじゃない ですかねあどう思われようとかそういう 意識があんまりないんですよ強い弱いで 表現したら確実に強いタイプじゃないです かうん強いと思いますね自分でもうんだ からあのどんな状況に置かれてもさあそっ からどうしようかっていつもすっと考え られるああうんだからあんまり悩まない ですそういうことでだからまいつも覚悟が ある覚悟ってるんですよね僕はもうプロに 入る時にま大学の監督がま10年プロで やった人だったんですようんやみさんと シダシャスをしたこともあるね渡辺博之 さんて方なんですけど監督に言われたのは はいはあの1年ダメだったらもうやめて 帰ってこいって言われてうんうんあの1 年間の契約だけしかしてもらってないんだ からうんえそれで契約する時ももう不条件 一切つつけるなって言われてねへえええ もうあのプレイで勝負してこいって言われ て ね周りの人もそういう人が多かったんです ねじゃあああそういうそういう中で育ち ましたからねいやどういう環境座ったか すごい興味があるんですよその生まれつき まDNAっていうか生まれそういうなんて 強さを持ってたのか環境の中でそういう風 に倒さんていう人間が形親父が何も野球に は全くあの無頓着な親父でしたからあああ ま1つ言われたのはあの喧嘩で喧嘩で負け て帰ってくるなって言われたあそれは昔 よく言われまし言われたでしょで1回 なんかでねちっちゃい頃泣いて帰ってき たらね玄関でバケツに水バシャとかけられ てもう1回行ってこいって言われて僕も 同じです親の方が怖かったです僕 やもなかったんだけどまそういう感覚でし たよねあうんそれでまあ野球のまあの最初 はエリート校じゃないんですけどでもあの 小学校の時に関西でリトルリーグができて だから僕1期生なのええリトルリーグのね まだそんなになかったんですなかったです ねあんまり神戸和山う何チームかあったん ですけどまそこで買ってで初めて東京でえ えま決勝戦まで行ってっていうねあれで 野球って面白いなて思リトリーグって小 学校ですよね僕は6年生と中とあうやった んですよ公式なんですよね公式でねあ 生まれはでも香川県ですさんあのずっと 関西大阪だと思ってたのにいやでもあれは あの里して産んだだけなんですよあです 両親が香川勝しで香川で生まれたけどもう 生まれただけですぐ東京 大阪に帰って阪ああそうなんだだからまあ 言ったら大阪生まれみたいなもんですよ 里帰りして産んだだけですからじゃあ ハワイに行って産んで帰ってくるよですね 今のあの京セラドームセ京セラドームの横 に中学校があるんだあそこが僕の中学校僕 じゃあど真ん中じゃないですか大阪ど 真ん中ま下町ですけどねあの辺ですよはい はいあそうなんだそうそれでだからリトル をちょっとそれ経験できたっていうのがま 僕は支えでそこのトップまで行けたな みたいな野球始めるんですかお父さん あまりその親父は何にも言わないあの周り がやってるのはソフトボールとかもう野球 しかなかったじゃないですかあのそうま そうですね僕らの頃もそうですから倒の僕 らのもそういう本当遊びって言うと ソフトボールかそんなもんですよれであの 友達が街の野球チームに入ってるでああ1 回行ってみようかなっていうねそれが スタートですえそれいくつぐらいですか小 学校5年生え5年生まで野球をしてなかっ たんすかうんでもキャッチボールとかやっ てたいやソフトボールはもう毎日のに遊ん でたんですけどねであとはあの学校の水泳 部入ってたですあ水泳部水泳部だから水泳 はもうやっぱ1番早かったんですよ体に いいですもんね水はいだ大阪市では3位 まで行ったんですけどねいやいやいや大阪 市サイすごいですよそうなんですようん ほいでじゃ運動神経やっぱ抜群だったんだ うんどこなんか当たり前ですけどね中学 中学に入る時にやっぱり水泳か野球か ちょっと迷った時期ありましたああえだ けど水泳ってもう練習がね単調なんですよ 単調そうでしょうねそれに比べたら野球の 方がちょっと複雑だしなんかこう勝ち負け もねその日によって違うし面白いじゃない ですか面白いですねだ水泳はもう1回もう タイムが出るといつもそれよりあの下には 泳げないとかねそういう中で練習するうん 厳しいんですよ厳しいそういう中でやっぱ 野球続けていって左打ちはいつかかこれは もうちっちゃい頃からもう気がついたら左 でしたじゃ右で打った記憶はないないです ねへえでも投げの右あ投げ投の左あそそう か左投げ左左投げ左打ちああ食べるのも左 ピッチャーやってたんでしょピッチャー ですよそれもだからまだって子供の時って 番うまい人やっぱピッチャーですもんね ちっちゃいこファーストなんすよ ファーストファーストなんだけどあの高校 があんまり弱い高校でうんあの僕が入った 時に1年で入ると2年が2人しかいないで 3年生が3人しかいない3人しか5人5人 しかいないですよはいはいでピッチャー 1人だけですよね先輩れで夏の大会で初回 初戦で17対0で負けてうんでその後もう ピッチャーいなくなったのでもう僕は本格 的にやり出したとああそれで僕のま ノーコンピッチャーでね大体1試合10個 ぐらいはファーボール出すような ピッチャーだったんだけどだんだん コントロール突き出してでそのうち強く なっていってへえねそで3年の時はあの 一応あの夏の大会あの優勝候補っていうの は近代付属だったんだけどあの時近代フが 1番強いって言われてたチームに僕が なんか買ったんですようんうんサダ完封し てそこからクローズアップされましたね うんほんで次のゲムも一山だ完封し てで北王にも買って大正だ付属ってもう 競合校に当たってそこを全部買ったんです よ小学校の時にリトルリーグをやりまし はいはいたま中学でも当然やってますよね やってましたそうするとやっぱりも大阪ま もう当たり前だけど大阪の中でやっぱ有名 な選手になるじゃないですかあだからま あの勧誘みたいなのはちょっとずつこある でしょ来てたみたいです当時その近代とか PLとか北とか強い時代でなんでそそう いう高校にそっちも行きたいなって自分の 中にはあったんですけどちろお袋が多分 漠然とだと思うんだけどはいあの野球もし 体どっか悪くしたにやっぱり潰し聞かない の困るみたいなこと言ってね勉強しろ効率 の方に行ってほしいって言われてうんま そういうのもその一言がちょっと頭に残っ てたんで効率行ったんですよじゃ普通に 受験をしてそうですそうですへえそうなん ですよええででもなんかまそれま理屈とし てはそうなんでしょうけどやっぱ野球で トップの人ってやっぱりトップの高校行っ てうんうんあの野球の強い行て甲園とか いうのはあだから僕の中では自分が頑張れ ばあのなんとかなるんじゃないかなって どこの高校行ってもう行けるとど行てどこ 行ってもま確かにそうなんですけどやっぱ 大阪って当時やっぱ当時今もそうなんです けどすごいとだからそれはねそこにはね やっぱリトルリーグでトップに行ったん だっていうねああ曲がりなりにもそこがね 自分の中ではね支えだったああすごいすね うんだからあの今でこそ有名ななんとか 高校の誰々なんて言われてるけど多分あの あの時は俺らの方が上だったんじゃないか までも個人スポーツだったらいけるけど そのやっぱ野球団体スポーツが1人ま ピッチャーですかったらもしかしたら いけるかもしれないけどそうそうなとから またラッキーなのは僕らの年偶然はい10 人いたんですよ10人部員があ部員が10 人いただって上は2人だしねああの同級生 ががはいはいはいはいで上2人だけで下も また3人しかいないはいはい僕らの学年 だけ10人いたんですよへえそれでその中 の5人はあの中学時代野球やってない やつそれで1人でどうにかしようっていう のはやっぱやっぱタオさんすごいわその辺 からちょっと普通の普通のプロ野球選手と は考え方がちょっと違いますそだって グランドもあのバッティング練習できるの 週2回しかないしねへあの他のクラブと 一緒だからへいう中でま悪い環境の中でね どうやってま練習していこうかってだから 監督っていうのも一応いるんですけど大学 まその高校の先輩で大学生であのま時間の ある人時間のある人そういう人が聞いて くれてるわけでしょなるほどねじゃあその 指導とかはそんなにないわけですねない ですもうだから技術的な指導を受けた覚え がないじゃも当然甲子園はちょっと 難しかったですよね甲子園なんてまず頭に なかったああじゃその頃高校野球やってる 時の目標っていうのは甲子園でもなければ でもプロ野球あったんですかプロ野球あっ プロ野球選手になりたいっていうないです えそ野球はじゃ野球やりたいっていうのは もう小学生の頃ね小学生の頃夢としてあり ますプ野球選手になりたいさん長島さん見 てねやっぱりプレ選手なりたいなっていう のは小学生の頃はありましたけどもう自分 がプレイし出したらそんなレベルはダに ないですよああ当時その高校野球で大阪の 中でその さが見た同級生のすごいプロに入ったよう な選手っていたんですあの僕の1つ上に金 さんがいたんですよあ金さんのこの穴商業 でねアンダスローサスロあの人とはね僕ら よく試合したんですよ僕ジャイアンツで1 回一緒にやってましたやましたかもう高校 の時の球はもうギンて伸びる球投げてて うわこの人はちょっとすごいなとすごい はいでそこと試合する時はもう大体一体例 ゲームなんですどっちもどっちか金さんが 打つか僕が打つかでが入るっていえタさん ピッチャーでしょピカさんと投さんと 投げ合ってるですよこではねそれで売った 方が勝つっていうああそんな感じでしたね 金塩さんバッティング良かったんですかま 他の選手よりは良かった へえここ野球やめてから進路があるじゃ ないですかこのそうそうそうだから高校3 年生のまもうねあのプロは頭にもそん時 なかったんでプロからの勧誘はなかったん ですかティングはそれは後でお聞きしたん ですけど広島は来てたそうなんですよへえ カープはねまあの高校生でよくね取って 育ててくれるっていううん球団なんでねな からカープは来てたけどももう僕は大学 進学規模っていうのをあの担当の人に言っ てたんでもう耳には入れなかったって言っ てだ僕はお聞きしてなかったんですよじゃ もう大学ははい大学に行こうと大学行こう うんでま僕の1年の時の3年生の ピッチャーが一して して稲田行ったんですよ早稲田はい稲田ね で野球部入ったんですよだけどやっぱり レベルが低いんでもう2年生の時にはあの 1年生の教育係りみたいなねそういうの やってた人なんだけどあのうちうち来いと か言われてねわにねはいはいでもあの時 東京ってものすごく遠く感じたんですよ 大阪だったらそんなに感じないじゃですか 大阪東京そんなりそんなち行くとこじゃ しょっち行くとこじゃなかったから2時間 半ぐらいそう飛行機だったら1時間それ よりはやっぱ関西にいたいなとか思ってね ああでも関西の人ってなんかそういう人 多い多いのかな関西ねそうなんですほれで 同者にもあの先輩がいてそれ野球部じゃ ないんですけどあの野球部の人を知ってる 人がいてうんで野球部のあの方から1回 練習来いって言ってる言ってんだけど1回 行こうよって言ってくれてねで夏にあの セレクションじゃないですよセレクション じゃない1人だけ行ってるわけですうん 練習参加みたい練習参加はいはいでえ2 日間ね練習したんですけどねその時にね 多分あの監督から見たら衝撃的だったと 思うんですよ僕が投げたの誰も打てなくて ああそれで打席2打席だってライト オーバーとレセンターオバー売ったんで ああでそのすごいなていうでその時に監督 があの同車はあの推薦ではできないんで あの勉強して入ってこいって言われてね ないんですかそのあるんですけどあの やっぱり甲子園に出ないとまずあ高校の枠 あ条件がある条件がある甲子園に出ないる ありましたありました僕らの甲子園ベスト 8とかそのありましただそういうレベルで ないとダメだとだから僕らみたいなあの 大阪の予選のま僕はベスト4まで行ったん ですけどそのレベルでは何ともならないと 勉強でこ勉強してくださいでこの学部が 1番多分入りやすいと思いますて最初学に 行ってほしいって言われたんだけど学僕は 昼間行きたいんですっていう話昼間だっ たらこの学部がいいんじゃないかって言っ てねそういうようなあの相談はしてくれ ましたけどねで勉強して一般入手で入る 一般入手ですそんな人いるんですか野球 一般入手まその水星以外の人は多分そうな んでしょうけれどもうんだからあの当時 岩国とかあの高知高校とかまあまあねあの 頭の良そうな人もいたんですけどみんな 落ちました ああじゃ頭も良かったんださん良かっ たっていうかま僕で高校の時もじゃ ちゃんと勉強してたんですねラジオ講座を よくやってましてねあそれで古典古典の ところが僕は勉強してたところが全くその まま出たのへえそうすと150点満点の うちの75点古典なんであこれもう75点 は取れたなへえで原告なんてそこそこ みんなね同じぐらい取れるしで英語は まあまあ人波僕できたんでだから歴史英語 もできたんですか人並みですよ英語でき ないから大学行けなかったいやいや いや英語もできなくった僕はだから社会が 問題だったですねあんまり好きじゃなかっ たからね社会ええだからな地理とか歴史と かね色々どれを先行すんのかなとか思って ねまそこが1番ネックかなと思ったんだ けどまでもあの終わってみたら監督があの クラブの中で多あの優秀な成績だったって 言ってくれたんですごいすね大学4年生 全員であの同者の部員って25人なんです よね25人うんだから全員ベチ入りできる 人数しかいないんですよえ1年から4年で 25全員でえ25人我々の年代は8人 少なくないですそんなもんなんですか8人 しかいないいや今は100何人いるでしょ 今100何人いますどこもねあそうなんだ じゃあ全員ベンチ入りできる全員ベンチ 入りですよあだけど僕らの頃ねあの大体 土日が試合なんですよだ土曜日は今みたい に休みじゃなくて授業があったのはいはい ほれでの時はゲーム出してくれないしね はいれで僕あのゲームの日だったんだけど あのゲーム行かずに授業行ったんねうんそ したら先輩にあの帰ってきからお前ゲーム の日にな休むなって言われてねいやそり そうでしょそれタオさん逆だったら大変 ですよタオさんが先輩だったらそうなん ですえなんでなんで授業行ったんすか どうせあのゲーム行っても使ってくれない しなと思ってねで大事もどうせ大事な授業 だしいやじゃ勉強もちゃんとしてたんすね だから単位は普かなん中や位はいやよく 行きましたよ行くんですかあの他のあの リーグにの人たちと話聞いたら学校がどこ にあるかわからないってやみいやいやもう そうだと思いますようんそういう人もいた けどうん同者は行きましたねあそうなん はいあの一応その時の監督だんだんこう 上がっていって女教授ぐらいになってまし たからねああだ女教授が学校行くなとは 言えないでしょそうです それで行かしてもらってへえでも試合の日 は行かないですね普通はじゃあ1年の時は 試合に出てないんですか2回だけ秋にえ なんでなんで実力的には絶対出れたと思っ てるでしょ1年の春からいうんでもまあ バティンやっぱり先輩中心だったん でしょうねそうなんだうんで2年から あのまあ3人いいピッチャーいてもう誰が 投げても勝てるみたいなうんだから春は 10戦前哨で終わりまし た戦前じゃ完全優勝完全優勝です55の 大学全部2勝2勝礼拝ですごいすねはい誰 が投げても勝つんで3勝礼拝3勝礼拝3勝 礼拝ああほれで最後の10戦目は先輩に花 持たそうってつって4年生の人投げてうん 4勝 礼拝すごいちょっとそんなそんなどうしは 強かったのその時その時は強かったですよ で大学時代っていうのはもう成績をもう 調べたらもうとんでもない数字だったん です けどだから2年はもう完全にピッチャー しかしてないですよ2年までは2年までは ピッチャーピッチャーだけなんですねだ からピッチャー投げない時はもうあの ゲームには出てないんですよでもま利益 じゃないそで3年からあのピッチャーで 投げないゲームでもあの外野を守ろう かっていう話になってああだからそれから まあ二等流だじゃ完全な二流になったん ですよそうだ投げない日はガイアで投げる 日は投げるそう投げるああはいそれでだ から2年の時に初めて日米野球に選ばれた んですけど日球2年2年の時ね2年の時 日米野球ですかそうですだからだから日米 オールオールジャパンですよオール ジャパン2人2年の時にうんだから ピッチャーですえピッチャーで選ばれた ピッチャーですよ野じゃないですよ ピッチャーピッチャーしかしてないから ああえ当時どんなピッチャーいたんすか 中央大学藤浪さんとか佐野さんとかはい はいささいたでしょ木下さんはま駒沢だ けどで中畑がも駒沢いたでしょうんうんほ であと田村っていうねはいはいあの太陽 入ったあれが中央のエースではいはいへえ あれがあの時のジャパンのエースでもあっ たんですけどねへえうんあのまあまあい ましたよだから20人選ばれた中の半分 以上みんな後々プロに入ってますまそら そうでしょうね大学のベストメンバーです ねそうなそうなですだ3年の時にまあの 打つ方もやりだしたんであのファースト 守ったりガ守ったりもするようになったん ですよでとんでもない数字出してますよね 春はねはい5割以上でしょ5割って普通は ないですよねそうあれはねだから42だ 23あだはあ548っていうね打率なん ですけど関西学生野球に今なってんです けどその中ではまだ記録なんですってそれ は記録ですよ絶対関西6大学っていうの ちょっとまだ違う形になったんそこでは谷 がはい記憶作てる谷ああそうなんだこの前 宮本君とあったら宮本も最後の方までタオ さん抜きそうだったんですけど宮本同た ですよねあれ同ですあ抜きそうだったん ですけど抜けませんでしたっていうこと 宮本が抜いちゃだめ守備率は抜いてもいい けどバッティング抜いちゃだめ大学の時 ってはいあのエガさんは上ですか川が2つ したですあじゃ4年の時に映がに映が2年 生だその間に斎藤夫がいる年生であ斎藤 さんうんだから大阪体育大いやあれは大台 大阪大小代大台じゃだからあの時ね僕 548売った年ってね一応ドラフトで1位 になるピッチャーが3人いるんですよあの 関西に関西に斎藤明がいてで近代に森口 っていうのがいてはいはいこれも南海の ドラ1それでま僕はあのどしでしたけどだ そこそこのねいいピッチャーのと勝負し てるんですよあーその中での水ですその中 ですからねこれああそれなりレベルの高い 時期ですからねあうんだからあの時はね 本当によく打てたな今なっても思うんです けどねうんうん日米野球でなんか思い出に 残ってるシーとかありますか日はねあま 色々ありましたけど僕は4年の時にま アメリカへ行ってま映がアメリカでやった んですか2年4年アメリカなんですねで アメリカでやった時にあの時日本の ピッチャーもいいピッチャーいたんですよ 駒沢に山本っていうのいたし笑顔もたし 佐藤典がやっぱりジャパンに選ばれずに アジアの方の大会でてましたからねへえ それぐらいかなりレベル高かった佐藤吉典 さんうんあのオリックスで言ったでしょ はいはいえ佐藤吉典さんってタオさんに 全然上かと思ってたけどいやあり1下なん ですよあそうなんですか吉さんふけてる からなう態度もでかいしねそうあ倒さで1 個下なんですね1個下ですよあすいません 吉さんもうだいぶ上からんてましただから そういう連中だったんですけどあのあの時 のねアメリカのねピッチャーのレベルが 異常に高かったんですあの笑顔の球は早い でしょ早いですねあれより早いんじゃない のってのが3人いましたじゃも当然彼らも メジャーもうメジャーですぐ活躍しました へえあの覚えてるのはフロイドバニスター バニスターバニスターって最後ヤクルト来 てもう全然ダメな時に来ましたけどあの 大学の時の弾はすごかったえあとあの スマイクスコットだったかなあの フィンガーファーストボール彼もいたん ですよねタツのっていう人はタノはもっと 下ですねあ下なんですかちょっと下 ちょっと下だと思いますねタツの江川さん と同じぐ映画ぐらいかなあああの時は立つ のいなかったんじゃないかなと思うんです けどねあへえでもアメリカでやる時は スカウトが見に来てるんではいみんな すごい必死であるからアメリカの選手アメ 手あなるほどねああで日本の時はそこまで ねうん強いなと思わなかったんだけど アメリカの時あの時はすごかったですねう 平田がいたでしょあの中あの巨人に入った 平田香平田はい平田さんあの駒沢のはい はいうん平田がねあのバントのサインが出 てね聞きてねかすらず帰ってきました早く て早すぎてへえ当たらないって言って帰っ てきましたへえそうなんだだ僕らそれを見 てたんであのプロに入ってあのいろんな ピッチャー見ましたけどはいそれ以上の 衝撃を受けたピッチいないんですよへえ あれより早いピッチはあ後見てないあそれ ぐらいすごいピッチャーを大学時代に見た んでああでもそれはすごいすごい経験です よねそうなんですよだからあのあこんな もんかっていう感じで見れましたプロの ピッチャーをう うん当然大学の4年間はもう素晴らしい 成績でいえでもうそん時はもうあさすがに プロっていうのは頭にあるでしょそうです ねあの3年の秋にスライディングで肩を 痛めてそれから1年間投げれなかったん ですよねはいまずっとピッチャーはやっ てるやる予定だったんでで投げれない時に うわこれもうちょっとやっぱ焼きやりたい んだなっていうの自分で感じたんですよ はいはいそれでそん時に監督がお前どう するんだっていう話4年になったなって からねした時にいやもうあの1回プロで やってみたいですという話をした時に監督 が今までやっぱり同社のあの僕らの先輩が あの相談に来てプロでやりたいっていう 連中何にもとうん誰もあの行っていいって 言わなかったとやめろって言ったってうん でタオのタオで初めてどっちでもいいよっ ていう言ってくれたっていうああ アマチュアでやるのをプロでやるのも どっちでもいいとうんうんそういう風に 言ってくれたって言ってねうんだから やっぱりプロに行くっていうのはやっぱり ま野手で言ったらレギュラー取るとかそれ ぐらいの可能性のある人でないと言っちゃ ダメだってなるほどなるほどプロに行く だけではダメうんだユニフォそうなんです よだユニフォーム来て納得してるようじゃ だめだとああやっぱ3年間レギュラー貼っ てもう周りがレギュラーだっていう風に 認めてくれて本物だからって言ってね言わ れてうんうそういう中で一応どっちでも いいって言ってくださってねふーその 代わりどこが指命しても行く気があるの かって言われたんでねうんあどこでもあの 頃ほら自分で選べないからそうですねえで はいどこでも行きますっていうことでね ファン的なところてあったんですか関西だ から阪神だとかなんかそういやだからま あの頃ねあのセリーグとパリーグの人気の 差がすごかったまそうでしょだからでき たらセリーグに行きたいはいそれでやっぱ カープはもう高校の時から来てくれてる ほれで大学もカープが1番来てくれてた みたいでもうレフトポジション開けてま すって言ってくれてたぐらいだったんです けどうんだからカープえ阪神巨人中日ここ のどっかに選ばれたら嬉しいなと思ってた あの心の中であでも他でも行くというか どこでも行くではましたよあうんで中日で 結果的に1位でああそうですねだからリグ 中日あ良かったなって感じです うん当時の中日ってどんな誰が監督でした 米峰さんあ米峰さんかウォリーねウォリー 米えでも中日はね指名すると思わなかった から外野州かなりいましたからねそうでし たかえあの井上明さんがその前の年ベスト 2位まで行ってるしまさんもライトや はいでマーチンってのもいたしねえで ローンウッズっていう外人もいたんですよ ねうんだからそういうねまあまあで谷木 さんがいて藤浪さんがいてああなるほど ええだからその左が多いしねうんだから まさか僕取ると思わなかったんでその後が カープだったんであこれカープで決まるか なと思ってたその前に中日がそうその前が 中日だったんでねはあはあはあはえもう 本当にちょっとの差ですよねみんなうそう かじゃ先週っていうか外野の層は結構 暑かった暑かったですねだからよみさんも 最初からドラ1で僕指名されたんだけど あのアンダースロー用の代打で期待して るってしか言って書いてなかったからよみ さんドラフト1位にちょっとよさんダメ ですねそれちょっともうちょっと言い方 あるでいそう思っててもねいやあの頑張っ てねあのレギュラー取るように頑張って くれぐらいのこと言ってほしいんだけど もう本音で言っちゃうからじゃあそれを 読んでますますさんの心にがついたわけ ですねちょっとこんな評価しかしないの かっていうねあやっぱり僕らもう1年目 から3割は打つぞっていうような気持ちで 入ってますからねでも実際蓋開けたらもう 早い段階からもうレギュラーでやってじゃ ないいやいやもう最初代打ですやっぱりま 最初はそうそうにしてもはい月ほれで5 打席ぐらい経って5の0だったんだと思う んですけどうんそれでうわこの使われ方は もう俺つぶる潰れるなと思ってうんうん やっぱあのレギュラー目立つのに1軍に 体動してこんな練習してたんではねうまく ならないだ俺ピッチャーだからうん ピッチャーが野になったわけでしょ野の 練習守備練習1回もしたことないへえ総理 練習したことないだそれがプロ野球行っ てるわけですからこれはもう何ともなら ないレベルですよそれで自分であの4月の 間にコーチにお願いして2軍で練習させて ほしいっていう風に頼んで練習ですか練習 っていうか2軍でに行かしてほしい自分で 頼んだんですよ2であのゲームに出たいと うんうんトータル的な練習をしたい守備 総理もね含めてトータル的な練習をして レベルアップしたいんだとうんだ今のあの 1軍の練習ではね自分はやっぱあんまうく ならないだから2軍に行きたいって言って ねお願いして2軍に行かったんですよ笑い ながら言うとこじゃないですそんな人は 聞いたことは聞いたことはないよそんな そうそれで22ヶ月完全に2軍でやったん ですよ4月5月5月6月5月6月うんああ それでもういつも僕の外野の守備練習から スタートですよもうみんなが来る前に ウォーミングアップしてでみんなが ウォーミングアップしてる間守備練習うん それであのバッティング練習に入っていく みたいなねだからあれでかなりあの自分の レベルは上がったなと思います練習をして そうそううんそれでスライディング練習と かそういうのもね 初めてでも結果的に新人を取って るっていうことその後すごから月7月に 上がってきてうんで7月27日にあの巨人 戦でうんあの満塁でねセンター前に逆転 タイムリー売ったんですよ2点タイムリー はいはいでそれからねちょっと使って もらえるようになってほれで井上平明さん が調子悪かったんでレフトで使って もらえるようになってねでそっから何本か 何試合かねポンポンとヒットが出たんです よで結局10月入るまで3割行ったんです よへえそれであの信じようかどうこって 言われ出したら気になったら落ちてきた けど気になったんですか気になった周周り が出してねこう自分のことしか見えてない とちょっと珍しいかなんかちょっと可愛い 感じしました気になるんですねや気になっ たんですよあれねそうしたらちょっと落ち てきてねで結局あの2割7部7厘かな ぐらいで終わったんですけどでもその前の 年も新人を取ってあのなかったんでこれ2 年連続なしはダメだろっていうのもあった と思うんですよでそんなに打席数も立って ないうんうん200打席多分立ってなかっ たのに選んでくれたたんですよねあうん プロに入ってバッティングをこう指導して くれたとか誰かの影響を受けたとか指導し 誰かいますかこれもね僕バッティング コーチとは喧嘩ばっかり喧嘩っていうか 技術的に僕との考えと違ううんからこれ僕 できませんとか言っちゃうわけですようん そうしたらこうなりますよとかねて言うと うんうんだでやれっていうわけあの頃ねま あの頃の指導はとそうですよね いやでもこれは僕ちょっと違うと思うん でって言って言ったらそしたらゲームに 出る予定のがもう外されてんですようん うんもうしょうがないな外されるのはと 思いながらねうんうんでも自分のやっぱり 師匠っていうのはやっぱり自分で見て やっぱこの人はここがいいなとかうんそう いう自分で感じるもんでうんだからこの人 にこの技術的にこれを教わって良かっ たっていうのはあんまりないんですようん うんうん矢沢さん中にはあのボールの待ち 方とかそういうので勉強になることを色々 ね教わりましたけどあの技術的な部分では ほとんどもう我流ですうんでもいいもの見 て自分見て目で盗むみたいなもの当然あ もうさんのグリップの1だとかあと若松 さんは体重リードどうしてんのかなとか 張本さん変化打ちどうしてんのかなとかね そういうのをねあの気にしながらいつも見 てるんですよそうするとやっぱりしっかり できてるなとかね僕も高校生とか中学生の 時ずっと野球やってて左バッターだったん であの本当にあああかこああやって打ち たいなと思っ当然小学校の時は王さんです よねさんですだけどもう原石で違うじゃ ないですか僕のタイプ的っていうかねだ からずっと見てたのは藤田平さんと太さん この2人の人をさうちの親父も野球好きで この2人見とけてずっと言われててはい あの共通してんのが体重移動なんですよね こう構えてるた若松さんもうちょっとこう なんてこういうちっちゃでもタオさんと 藤田さんってこうなんかなんとなくこう体 をこうゆすってこうそういうのがあるあれ がすごく好きでやっぱりあの止まった ところから振るって難しいんですよね やっぱ動きの中でトップ作って動きの中で 動き1回前に乗せて後ろに乗せるみたいな のが田さんとタさんそんな感じだあのね 自分で形あのなんか感覚が出ない時は意識 してやりましたそうですよね1回前足に 乗せるそっから後ろこっから絶対打てない んで必ず後ろに乗せるっていうねそう僕 プロに入ってもずっとそれそういう感じで こう体重移動ま体重管理って大事じゃない 大事です大事ですやっぱりあの体重移動 できないバッターはあの飛距離出せない ですねそうですねええやっぱり手で腕で あんまりいくら背く振っても飛距離伸び ないまバッティングってあのタさんのマジ の やっぱ体重移動と回転運動の組み合わせは 思ねそうだから回転だけでもやっぱダメだ し体重だけだったら末になるしそうです です体重移動とこう回転ねじりっていね それをこう組み合わせないといけないんで でも体重度って意外と難しいんですようん あのワールドカップでね台湾行った時にね はいはいあの向こうのバッティングコーチ がねあのちょっと教えてほしいってきたん ですよ台湾の台湾のコチがはいそれで ちょうど日本人の地がいたんでそいつから 来てねほでタオさんちょっと教えてほし いって言ってんですけどってなんで日本の バッターはあんなにボールが飛ぶんだって いうわけあうんほでね僕は見てね台湾の 選手はみんな構えた位置から前にしか振り に行ってないなるほどだ日本のバッターは 構えた位置から後ろを使ってから振るん ですよこの位置からこうしといてスイング してるだこのパワーが台湾にはないんだ この位置から降ってるからだから体の パワーはあるんでしょうけどそれがバヘに 触ってないていう話をしたんですようん うんそしたらえい納得してくれてねうん それからね台湾打ち出してねへえそのあの 大会の最多ホームラン打ったへえ早いすね でも早いやっぱりね能力あるんです能力 あるんです技術を知らないだけであああで 最終的に我々負けたん です太郎さん教えてえ太郎さん選手でしょ いや僕はコーチあコーチの時ねそうそう です そうちょうど安倍 慎之助監督今のねとか高橋吉信あの辺が あのワールドカップの一緒に連れて選手 選手で2001年かな連れて行ったところ ですうん へえ台湾を指導してそうですでもやっぱ よく反動って言い方って悪い時使うけど 絶対反動ですよねジャンプしろって言っ たらみんなしゃがむんだし殴れていったら 引くんだしやっぱり反対の動きて絶対に 絶対いりますいりますこれがないでできる って相当なそうです超人的な筋力とか パワー無理ですよねそうだけどまトップに 入るのにこういう風にま違う動きしますよ ね逆の動きはいだけどこれが根本ではダメ だまそうですスーとこのゆったりした間が いるんだっていうねその部分は絶対大事だ しまちょうどあのメジャーのオルサやって ましたけどあの僕丸ペケ三角で全部ね全く 潜感なくねあのメジャーの選手をつけた ことがあってねああ丸つけた人たちうん これがねみんなレギュラーだったんですよ へえだからやっぱりできてるんですようん できてるから技術あの数字が残ってるだ からあのパワーだけで結果出してないなと 思ってねうんえやっぱり超一流一流の選手 たってみんなあの基本的な動き動作ができ てるうんそういうのがましま基本的な動作 ってま野球ってもう100年ぐらいになっ て打ち方がどんどん変わって進化してる はいはい言うけれどもその絶対的に買ちゃ いけない部分あ物を打つっていうことに 人間が物を打つってことに関して絶対基本 あるはずなんです今後だけせないみたある と思いますよ僕はプロあの選手やめてから 1回あのオオクラブかな選手会からかな なんか頼まれてバッティングの指導してく れって言われて行ったのが全部プロ野球帯 ばっかりですよあ者がアマチュアじゃない 全部プロプロそこで 言わそれでまバッティングだったらやりま すって言ってであの変なこと言ったら 吊るし上げられますって言われたんだけど いやあの大丈夫ですって僕はあの技術的に 理論的に喋れるようにもう多分今行けてる んでっていう先輩もいたわけですか いっぱいいましたよあいでさんとかも来ら れてあそうなん だ東大の人そうですそうそれたちもみんな られててねでそん中で色々喋らしてもらっ ていやもうさんが喋ったもいいやそんな ことはないへえうんだからそうやってあの 理論的に喋れるようになったのはやっぱり プロに入って10年経ってからですねうん だから3割売ってても自分では分かった つもりでやってるんですけどうんでもこれ はやっぱ感覚の世界が多かったなそうです うんだから打てる人たって大体感覚の世界 で打ててるじゃないですかそうですよねね だからじゃその人たちがみんないい指導が できるかっていうとできないみやっぱ感覚 違いますもんね違うからねやっぱ本当に そういう理論的に喋れないとそうですね 理論的なものとか基礎的なものっていうの は共通するそうだと思いますそうだと思い ますうん感覚で教えられるのが1番困り ますよねああやっぱり分からないんですよ 人1人違うからねま体型が違うようにね やっぱりみんなこれがベストっていうもの でもないだ一郎選手なんかはもう飛距離を まちょっと殺しながらヒット数をし それはそれでしねあの一郎が1番トップに なれるのはそこだというところですからね やっぱ足が早くてミート力があるそういう 人にあったバッティンググっていうのが ありますからねうんうんやっぱ自分の個性 というか自分の武器を磨くっていうかまず 自分を知ることがそう一番大事ですよね どこで勝負できるそう思いだからそういう ものを分かって今度指導してくれる人がね 近くにいてくれたら嬉しいですよねあ うん西部にるはいあの頃オさんて中日の中 の本当 のまスーパースターていうかね感じの中心 の人でタオさんがま当時僕らの時に言えば 原さんがトレード行くようなもんであタオ さんがあの西武にトレードになった時って すごく僕らもま元気の選手だっったです けどはいある意味びっくりしたんですよね 当時FAとかそんなになくてトレードドっ て言ったらその力がくようトレなかった じゃないなかったですなかったですあの 晩年に落ちさんがこう来たぐらいではい はいはいまそれこそ1分半の人とか ちょっとくすぶってる人がみたいな環境 変えるみたいな中でうんはいはい レギュラーの人が行くトレードドって しかもスターの人が行くトレードてなかっ たんでまあの言ってみたら一番油が乗っ てる時期にトレード出されましたからね うんえまま選手会長しててで選手の代表で 一応あのフロントの人にお願いには行くん ですよだそういうこと自体がもう許されな いっていうようなあそういう時代だったん ですよああだからもうお前ら野球やっとけ みたいなねフロントがすごく強い時代です 強い時ですすごい強い時代でねでまそので もその代表の性格にもよるじゃないですか うんタオさんの性格にもよるね僕の格さん が然と言いすぎたのかもしれないいやそれ はそうやわといえばいやそれいや割言って んですよそ割り言うんだけど言うんだけど それでもまいそうですよガーンってくるん ですようんうんうんうんだからまあねあの 言って今ある程度年とって思うのはその人 たちもそこまで余裕のある人たちじゃない んだとねみんな雇われのそのさらに上がい ますからねまだ上がいて上を気にしながら やる人たちだからねうんうんうんやっぱり もうちょっと確かにうまい言い方があった なとは思うんですようんでも若いからね 正しかったらこれでいいんだみたいなねで も僕も選手会長してましたけど選手会で こう要望持っていくじゃないですか選手 って勝手なこと言いますよねはいはい言う よそんなことを俺に言わせんのみたいな ことを結構言いますよ選手てね勝手なこと そうそうだから一応過剰書きにしてねうん でこういうことを選手たちはまあの要望し てますけどできるところだけでもお願いし ますっていう言い方するんですようん全部 お願いしますなんて言えないからねうん そういうのを言いに行くこと自体がもう今 あの時代許されなかったからあそうなんだ でもじゃあ中日の方がまでも僕らより ちょっと年代も上ですからねね10年 ぐらい早いのでそうなのかもしれないけど 結構中日も厳しいんですね中日もっていう かあの頃の代表がそういう代表でしたから ねあああもうその代表と喧嘩してたみたい なもんだからああ うんでもまあこれで出されたらしょうが ないやと思いながらああ大した球団じゃ ないやと思いながらね自分の中ではね思っ てたんですけどまあねねやっぱり代表は上 に対しては絶対自分は悪者にならないから まそうそうですね誰か悪悪者にしますから そうなるとこっちにかぶってくるわねと 思ってねうんうんでも大変だったですよ タウさんがあのトレードの時って反対署名 が集まったりとか反対運動があったりとか うんだからほと中日もだいぶ減ったんじゃ ないですかあのこあん時はかなり不売運動 が出たとかねありましたうん あの言われたのもあれ1月24日ですから ね1ももうキャンプの直前みんなで実トレ 自トレしてて名古屋球場でああそこで ちょっとあの食堂に来てくださいって言っ てほだ代表と山内監督が2人座ってて山え 代表があの西武とのトレードが決まりまし たって言ったのよ へえほれで俺もうカーっと頭来てれではい 分かりましたってすぐ出たのうんそりそう ですよね言ことないですよねもにも言わず ねうんそれでなんか変にうえるのも嫌だし ねうんうんはいわかりましたつってすぐ出 て うわあこれ1週間でセブかと思って1週間 準備がねそう大変ありましたねで毎毎日 差別会ですよもうまそうでしょうねはい うんだからもうそこからそれで2月1日 迎えてキャンプ初日うん広岡西武 ライオンズああみんな出来上がっんですよ ああこいつらすごいもう外野バンバンあの 強い時ですもんね強いしもうやっぱ西武 すごかったですかそういう意味ですごかっ たですねあやっぱりこういうチームが強い んだっていうのをね感じましたよく管理 野球っていう風な言方おしたじゃないです かそこねそこも確かにありましたあのだ からプロ野球のチームじゃないなっていう 感じでしたよああなんかこう社会人野球の なんかこう色々管理してやってるような そこうんはプロっぽくなかったんだけどで もあの当時ま石毛にしても伊藤にしても辻 にしてもみんなあの若手が多かったっただ からこれから育と育てようかっていう選手 たちが中心だったのでうん広岡さんの監督 のやり方がちょうどマッチしましたよね なるほどうんあれがもう出来上がった選手 ばっかりだったら多分不平不満たらたらで きつかったと思うでも最初の頃田さんとか 太田卓さんとか結構いたんでしょあ辺はね 大変だったでしょあは大変だった野村さん もいたもんね野村さんそう野村さんも選手 いましたよねそうそうでその人たちがい なくなっての時代ですねそうですだから 本当にこれから強くしていくっていうあ そういう時でしたからねぱ中日と西武の こう球団が僕あの他の球団っていうか1 球団しか行ったことないですけど球団 変わったらやっぱいろんなものが違うん ですかはいはい違いましたねだからあの まず練習量がやっぱ西武すごいなあそうな んだだから1シーズンやってみてやっぱり 中日の1年半分ぐらいのものをやってたん じゃないかなっていうね1.5倍ぐらい それとあとひかさんっていう人の野球って いうのは細やかなんですようんだから今 までバントっていうサインが出たらね自分 でどっちにやろうかなであの自分で決める じゃないですかはい広岡さんの野球は3塁 側へのバントああ1塁外のバントでサイン が違うんですよへえこれれでプッシュ バントセーフティバント全部サインが違う んですよバントだけでもだけでも4つつ あるうんそうそうへえだから全部自分で 決めるんじゃなくてあのそのサインに サイン通りにあるっていうねだからあの頃 まピッチャーもいいピッチャーがいました からね工藤もいたし渡辺久信東尾さえ松沼 なんにゃん格大原この5人がいたらね5人 連敗することないんですよ必ずどっかで 勝つし5連勝あっても5連5連敗しない チームなんでうん だからもうねやってたらね勝つのが 当たり前になっちゃってうんでやっぱり僕 がいた2年間も全部優勝しましたしうん うんあのだ優勝してそんなに嬉しくないん ですよ当たり前みたい当たり前になっ ちゃうんですよ優勝して嬉しくないだあの 言うたら歯車の1つだからああもうコです もんね駒なんですよだからもう監督の描い てる野球をま遂行する1つの駒あそういう ような感覚で野球やってた時代でしたけど うんでも広岡野球を経験できたってのが僕 はすごい財産でも分からないですけどもし 自分たち自分は監督をするんだったらそう いうことができたら理想でしょうね駒の ように選手が扱えたらまあだけどそれをね あの選手があの納得してやるっていうんで あればやっぱりその 監督に対してのなんて言うんですか信頼 うんそういうものが選手たちになかったら まず無理でょねねだからそういうことをま やれたっていう監督もすごいなと思います までも時代もちょっとある時代も恐怖政治 的なものが通用したんでし今はもう無理 でしょうけど今ちょっと今はちょっと 難しいですね今は無理だけどでも2軍だっ たらねああいう野球をちょっと1回経験し とくってのはありだなと思ううん多分監督 のコマンドに選手が動けいわゆる兵隊な わけですからはいはい理想的だと思います けどねだからそそこまで教育するのは大変 でしょねそう選手をそうですそで細かい とこを教えてくれるしね うんなのかとかねああもう全部ねやるん ですよあの盗のサインが出たらピュって バットをキャッチャー方向に向けて返すと かこのタイミングの練習とかね高校野球の 高校野球の時やってましこうやってたら ダメなんでうんこうやってヒっと出して ペッと戻すねこのタイミングの練習したり とかねへえうんほでやっぱ13塁と1塁 ランナーはさ絶対2塁側でアウトになれで タッチされる寸前にガイア方向に倒れろ ああそうすとねもうタッチしようとする野 はタッチしにくるとそのタイミングで サード走るんだっこの練習は何回もやらさ れるんですよ転べって言われましたね転 転ぶ練習言われました外野側にはいその 練習をねそのタイミング転ぶタイミング そこでサラナ走るタイミングタイミング これをねずっとやるだこういうあのプレっ てね年間そうないんだけどこういう細かい ことをやってくといろんなものに共通する じゃないですかはいはいこうなったらどう しようこうなったらどうしようって自分が 考え出すんですよ選手がうんうんうんうん それがすごく大きいと思うああうん僕も1 回転んだことあるな1ランダーで出てそう いうサインが出て転べて言われて阪神戦 ですよあの好戦球場であ牽制の時の僕は1 ランナー13塁で牽制でわざとよおびき なさいでランナーを返す時に最後転べて 言われたファーストオマリていうマリーで 転んだらバーンて踏まれてスパ穴開きまし たここ僕ええ あそうはすごい大償払ったんですけどでも 1点入りましたりも転んだからそれ ちょっと辛いねいやでも辛かったですよだ けど転べって当時言われてましたそれから 転ぶなって言われました危ないからもう 転ぶ時は手こうやって転べてあ思いっきり おりにガンて踏まれたんすよだからね外野 の方に転べって言うんですよ必ずそうあ そうするとねあの体重が外野になるんで 投げにくいなるほどねそういうところまで ねなんかすごいな今でもそういう野球って 多分分今のプラ野球ってしてないでしょう ねうんだからあのそういうのを知って るっていうのは大事だと思うんですよ知ら ないでしょ多分知らないんですよあだ知っ ててやるやらないは自由ですけどま知ら ない人が多いでしょうね知らいやでも今も その野球多分その当時の西武の野球今やっ ても多分通用するような気がしすると思い ますよだってあのあの頃25年連続A クラスです よ西武もでもあの太平洋が福岡から来た時 最初弱かったです さんが監督ネモさんていつも弱い時の監督 やるんですよでそっから作っていくんです よ自分が裏方に回ってねうんあのネモさ んっていうのもすごい人ですでも皆さん ネモさ僕あんまりあんまりってか1回も こうお会いしたことないし話したこと球団 も違ったけど皆さんあの根本さんすごいっ ていうすごいですあのねやっぱ自分で自分 のところで止めてくれるんですよへえ あいつこんなこと言ってるぞとかねそう いうこと外に言わないあなるほどだ僕 あの2年目終わった時森森さん監督で日本 一になったんですよ日本一になった時に 根本さんのとこ行ってでネモさんに根本 さんトレード出してくれませんかって僕が お願い言ったんですよそしたらなんだお前 何かあったのかって言われていやちょっと 森監督の下でちょっときついですっていう 話をしてねうんうんうんだからそんなこと 1選手が言ったおかしいでしょおかしい ですねおかしいけどそれ言っただけでよし わかったって言ってじゃあお前あのどこで もいいのかってはいどこでもいいですって 言って ねそうやってね自分のところで止めて くれるんですよああすごいそれは普通い ないんですよで本当にトレードなあで横浜 でもいいかって言われてねあ横浜になるの かなと思ってたら蓋開けたら阪神だったん ですけどうんあのま多分僕があっち出身 っていうのもあってのかもしれないねだ からそっちのがいいんじゃないかなって 思ってくれたのかもしれないですへえ誰も 悪いこと言わないですね言わないですよ やっぱりよく親分親分て言われるけどあの デーブですら悪いこと 言わあのデーブですら親父とか言ってまん デブはでも親父がちょっと多すぎますけど ね星さんも言ってたな誰の対しても親父 って言いますから誰が親父か本当わかん ないでも本当根本さんのことはレブも なんかすごい人だって言ってたからそう そうやっぱたかったなっすごい人でしたね うんうんああいう人があんまりいないん ですよね今あままさに力もあったん でしょうけどね意味のそうですねだから あの時は酒井代表っていうねこの人も人物 でねへえあ僕あの1年目契約交渉行った時 に2割6馬8輪え13本かな60打点 もっと期待されてたとこがまそこまで活躍 できなくてでもう今日今回はいくら下げ られても一発で絶対決めようもこ言われた 金額で契約しようと思ってね行ったんです よねそしたら田君お疲れさんでしたって 言ってくれてねもう環境変わる中で色々 今年は大変だったろつ言ういやいやもうご 期待にそれなくて申し訳なかったですって 言ってねお互いにねそしたらいやよく 頑張ってくれたと思うていうわけうん そんなことを中日で1回も言われたことが ないからねそれ であの夏休みのゲームで10対1で負けた ゲームがあるとうんその1はタオ君の ホームランだったんだとうんあのホーム ランはあのゲームにゲームを見に来てた 子供たちにとってはもう忘れられない 思い出になるんだとへえそんなこと言って くれたすごいすね俺もう涙でそうなってね うんでもうこの人にこの人に何ぼ下げられ ても絶対文句言わないと かそれで最後にタ君今年はあの給料をどう 思ってるいやもう今年はもう当然あの 下がると思ってますじゃあ下げてもいいの かって僕に聞くわけですうんあもうそれは もう当然そうだと思いますてじゃあ 300万下げていいかってえそんな安くて いいんかなって思うぐらいねうんうんうん ああありがとうございます下げられて ありがとうございますって言って くれへえそうなんやっぱ当たり前ですけど そういう人たちが上にいる時って強いです よチームやっぱりやる気にさせてくれる まあそうですよね普通はあの契約公開って 良くてもどっか悪いとこないかなってこう 探りなあの探しうん そうのが契約だ僕思ってたからうん当時は そうですよね当時はねそれがもう 全く自分の思ってた契約の仕方じゃなかっ たんでうんうわすごい人だなと思ってね へえやっぱ強いだけの理由がありますね織 としてありましたうん野球だけじゃなくて 環境的なものがすごいですやっぱりあいう 人がいるかいないかあこれ大きいと思い ますよ大きいですよねやっぱり人だと思い ますまま当たり前のように人がやってるん ですけどねそうやっぱり結果残しやすい 環境を作ってあげる環境やっぱ1番大 当たり前だけど番当り前ですよねだから あの自分の立場なんだかんだってさっき 考える人があの上にいたら大変ですよああ うんやっぱりもっと違うところ考えてあげ ないとねあうんそう思いますタさん オーナーになってください よそうね本当にいやだからあのお金を使っ て出ないと勝てないわけではないと思うん ですようんそうですよ多分おに使っても現 に勝ってないと多いじゃないですかでしょ そういうことでしょだ野球会なんて ちっちゃい世界なんでやっぱその中で やっぱり裏切っちゃいけないしうんあの なんて言うのかな人間的にねやっぱある 程度評価される人が上に行かないとうん うんやっぱり組織って成り立たないですよ まあそうですよねそこさえうまくいけば それなりにはなるんじゃないかなやっぱ超 ですからねトップっていうそうそう思い ます で阪神阪神ねどうでした今度西武から阪神 同じもうこれはもう真逆真逆真逆もう あんたプロでしょ自分たちでやりなさい よっっていうやり方ですあいい意味で任せ られる僕もすごいいい意味でうんだったま あの西武はまずアルコール禁止じゃない ですか夕食もまアルコールはダメうんそう いう世界で西武キャンプあ神のキャンプ 行ったらざーっともうあの差し入れの ビールからあのワインからん焼酎から全部 置いてあるわけですよあではい好きな人何 でも飲んでいってくださよっていうねそう いう世界ですよええうわまた真逆に来たな と思ってねあうんでもそれはこれがプロ だろうなってでもそっちではなんとかタ さんに会いそうな気がするいやだからある 程度あのできた人まそうです自分で やっぱり自自生しながらできる人にとって はねあのやり方はオッケーですよあでも やっぱり無茶やする高校で何年目なんて 言うとね無茶する人がいるじゃないですか うんだそういう人たにそういう環境を提供 したらちょっと怖い任しちゃいけない人 いけない人も中にはいるからねみんなが みんなそれがいいとは言えないですよああ でもそれこう分けるっていうなかなか 難しいですできないからやっぱりそのでき ない人ように合わすんでしょうねそう でしょうねそうだああタイガ5年いる5年 5年です5年いるんです5年いましただ からひろあのった吉田吉田吉夫さんにはい の時に呼ばれてで期待されていったんだ けどその年が1番悪い成績でねああええで もこれはもう本当に吉田さんに悪いことし たなと思ったぐらい打てなかったんですよ あうんまその後村山さんになってそれこそ あの1年目に自分が2軍行かしてくださ いって言って以来の肉持ちを経験するん ですよへえあの1回あの見逃しの三振かな 下ので肉にけって言われてあもうこのまま 俺村山さんには一言言っちゃったからね あのっちゃました春先にねあのまあのブレ コで何でも言えっていうからあのや集めて ねうんほれでま陰生は あの監督の考えがあの分からないで新聞見 て初めてあ監督こういうことを考えてん だっていうのが分かることがあるんででき たら先にあの選手たちにも伝えてください ていうよな話もしててでタなんかない かって言われていややっぱり勝つ野勝つ ための野てもらいたいって俺言ったんです よあの選手育てるからあのファンの人 ちょっと何年か我慢してくださいっていう のをあの秋のファン感謝で村山さん言われ たのああそれは違うよとうんやっぱりあの ファンはもうその次の年優勝期待して応援 しに来てくださってんだからそれ我慢して くださいはないわとうんうん心で思ってて も言っちゃいけないそれが監督だと僕は 思ってんだねうんだからそれがあったので で若育てる育てるでなんかこうま言ったら 逃げ道作ってるように見えたんでうんうん 勝つための野球をしてもらいたいっていう 話をしたらもうそっからガーン変わりまし たブレコじゃなかったブレじゃなかった ですいやよくありますよブレーレそんなち あるからねあれはもう絶対ダメですよダメ ですよもうそれは分かってんですけどねで もでもまさにそうですよね一軍の監督は それ言っちゃだめです2軍でやったらいい よはねそうなんだから新庄も監督1年目の 時に優勝はししませんかなんか言ったあれ は言わない方がいいよねあそうですねうん うんやっぱり僕らも楽天で絶対優勝なんか 無理なんだけど100%無理だけど優勝 目指して頑張りますうん目指すのは自由だ からうんねそりはそうですよ自分の賞は やっぱりその負けることを先そうなんです そういうことはやっぱり言わないといけ ない仕事だと思ってんですよねうんうん うんうんだからそれもあったのでねそう いうこと言ったんですけどねまあそれから 厳しくなりましからねほれでちょっとあの 見逃ししたらもう2軍って言われてあもう このまま1軍にもう1回もあげないなと僕 は思ったんですようんほれで2軍でもう 絶対弱み見せないでやってやろうと思って 結果残してやろうと思って結果残してでも 残してもあげてくれないかもしれないなと 思ってたぐらいねそしたら村山さんはね そこはね野球人でしたねうん素直あの成績 良かったらあげてくれましたへえそれで そこからその年ホームラ4本打つんです けどあ4本のうち3本さよならホームラン なんですよ へえそれで次の年もさよならホームラン1 本打ったんですよだから村山監督の時だけ さよならホームラ打ってんですよ4本4本 ねさよならホームラ4本ってなかなかなく ないすかうんあの3本があの当時体記録 でしたそうでしょこれ本ともう当たり前に 1本もないんけどさなホム4本って結構 多いそれもあの日軍から上げられた年は4 本しかホームラ打ってないんだからねうん そのう 3村山買得喜んだだから村山さんはすごい 喜んでくれてうん僕もやっぱりさホムラ 打った時点でもうね吹っ飛んでるんですよ うんなんかもうくそくそとか思いながら 村山さんもう頭来るなとか思ってる時期も あったんですけどでもやっぱ村山さんの あの落としてもらってエネルギー自分にえ ま与えてくれたなっていうようなねああま ま絶対村山さんの時にはユニフォーム脱が ないぞっていうねそういう気持ちにして くれたうんそれも1つのエネルギーだから あ良かったなとそうでなかったら多分 サナルホームラあんなに出てないですそ そうですよねはいどうやって目立って やろうかってしか考えてなかったあだから 同点タイムリーなんて頭にないんですよ 必ず逆転打ってやるんだっていうねあそう いう意識になったら打て出したんですよ ああうん次のバッターに繋ごうなんて やっぱ考え方って絶対大きいですよね 大きいですやっぱり逆転打を打ってやろう と思わないと逆転打って打てないですよ なかなかああうん次に繋ごうって思った 時点でちょっと弱気が出てるなっていう気 がす ああなんかちょっと違うかもしれないけど 僕昔おさんによく言われたのがヒットの 延長がホームランとか思ってたらホーム ランが打てないおさん全部ホームラン狙っ ててうそこないがヒット止まりってまそう なんでしょうねと思ったんだけどその感覚 すごいわかホームラン狙ったことって意外 とあんまりなかったんですけどいやホーム 結果的にホームラ狙 いわゆるベストスイングをするあのフル スイングをするタイミングを持つっていう ことが大事なんだなって後にま分かってき たんですけどはいはいはいやっぱりその ちょんでいいやと思ってたらなかなか内は 超えないばないばないそうですだからあの その時打席立つ時ははいま相手の ピッチャーの気持ちになってこの場面だっ たらこれはないだこの球が確率高いって いうこの確率の高い球をいかに逆転にして いくかていう 負1だったらホームラつしかないそうです ねそしたらホームラしか狙わないうんだ この弾をどうやってホームラをどうかって 考えてるわけうんうんうんそれでそれを じゃあ多分外へ来るから甲子園だったら レフトボールまあまあ伸びるから合そっち へ外からのスライダーを打ちに行こうで もう決めてすりしてるわけですあでその すりでもう外すら外すら外すらて考え ながらねちょっとカトが抑えピッチャー だった外からだろうなシュートはやっぱ なかなかホ打ちづらいんでスライダー タイミング待ちでそのスライダーをレフト に放り込むそういう気持ちで立つんですよ うイメージができてるんですねそうそうだ その通りに振るんですよまたあだからその ボール自体が狙ったとこより多分ちょっと 違うんですよ後で見たらねインサイドより 来てるなっていうそれでももうあっち打っ てんのうん自分のイメージがそうそうなん ですよもうレフトに打つって決めてる感じ でねう結構タオさんてこう読むっていうか 給とかあもう絶対見て次の球絶対九州を 九州待ちですあえ2ストライクまでは やっぱりね違う球だったら見逃せうんそう いう権利を持ってるんでだから狙う休止は 決めますねタさんたちの時代って時代って 僕年齢がま10近く上なんでそんなに配給 配給って言ってない時期じゃないんですか もう言われてた時期なんですかどうな野村 さんがヤクルトの監督になってから言い 始めたような気がなんとなくするんです けどいやああなんかね細細かいことをやっ てた時もでももうあんまりそういう外から のあの色々来るデータってあんまり気にし てないんですよ自分自分の中で決めてい くっていうねそういう感じでやってました からねうんうんで引退を5年目にされる時 てもうでも年齢的にも168になる年でし たねそれはどういう風な経緯これは やっぱりあの中村勝さん監督でさんはい ほいでまみんなあんまり良くなかったん ですよでそん中でま最初にファーム行って く行ってくれっていう風になってうそれ でそん時にちょっとねあの来年のことも 考えちゃったんですようんで来年もこれ そんなにAクラスで勝負できるようには 思えないなと思った時にねあのこれ中村 さんに監督とこ行ってあの監督あのとの もう思い通りのけやってくださいよって 言ったですで僕はもう今日やめていいです からって言って言ったんですよ2行ってく れって言われたあのファ監督高知から言わ れてねでそれで監督とへ行ってもう僕今日 やめてもいいですからだ僕はそこで中村 監督がいやあのもう1回ファームであの 調整してくれとで一打席あの代打の一打席 絶対期待してるからって言ったら続けて やってましたうんけどもあの中村さんがえ まそれでいいのかって言われたんですよ うんあいいですって言ってでもう今日やめ ますってでその一言で俺も決めちゃったん ですよえでもやめたわけじゃないですよね やめたんですよあのもうその場でその日に やめたんすかその日にもう一応中中では 終わったああええほいであの高知連中の ところにも行っておさになりましたつって 何があったのかって言われてねあえ何月 ですかあれ5月か5月ぐらいじゃないです かねああ56月だったと思いますね うんうんうんあのチームもよくなくてね うんでこれ上の上のま兆しもないようなそ したらもう若い選手使うだろうなっていう ねうんうんやっぱり自分も3040近く なってでまその1年を何打席のためにやる んだろうな来年も同じようになるんじゃ ないかなうんでその1年がどう価値がある のかっていうねそういうこと考えるわけ ですよあうんだそれがAクラス争い勇者争 いっていう中の ま50打席だったらこれ価値あると思うん だけどうんうんもう最下近いところでね 争う代打ではねちょっと辛いんじゃないか なとねうんそしたらね方次の年優勝争いし ちゃったんですよね次の92年2年亀山と か出てきた時ですだからあの時にねどう いうわけかマイクなが調子良かったんです よああありましたねうんで湯船がいたりね はいはいはいはいでその辺でねあのい そういしたこれだったらもう1年代打で 追ってよかったなと思って ねそんなもんです ね高橋ヒ調子がいいですよねこれは抜群 ですねうんまあのボールの勢いがあるし あとあの普通のピッチャーよりもあの テークバックがちょっとちっちゃいですよ ねあのタイミングがちょっと違うと思うん ですよ他のピッチャーとそうですね ちょっとずれるこういう内方じゃなくてぴ ぴってくるじゃないですかうんうんうん あの間の中でいろんな吸収をこう見極め ないといけないっていうのは案外難しいの かなっていうねうんフォークもそんなに ものすごく落ちるフォークではないんだ けどやはりボールの速さこれがあるんで 難しいみたいですねあーまコントロール 良くなりましたねうん去年よりもやっぱり コントロールが良くなったんでピッチャー 有利カウントにしながらの勝負なるほど そういうものがすごく多くなってきたんで ねやっぱ不な関東になるとどうしてもこう 手まり感あそうくいくしちょっと手抜い っていうのになるしうんだそういうものが 今年はあんまりないだから球数少なくこの 前もねなんかマダックスとかってやって ました999投げて買ってましたけどそ 弾数少なく勝てるようになってきましたね うん中日はどうですかやっぱ気になり気に なりますはい2年連続再開今年もちょっと 今苦しんでますけどだからねやっぱり立波 監督の3年目なんでまあ1つ今年勝負の年 だと僕は思ってますからあのうん監督とし てもやっぱ悪くてもAクラスていう気持ち はあると思うんですようんうんでま今5位 ですけどあの十分狙えるうんゲーム差から すればねそうですねうんま春先調子良かっ たじゃない良かったですよ1もなってたし ねはいで今のセリーグの6球団って僕まな いい加減な言い方ですけど優勝もあるけど 再下位もあるみたいな結構ありますよね ありますあります今のセリありますあり ますまヤクルトはねこのキャンプずっと見 てうんあのま先週見た時にまあ今年は ちょっときついだろうなこれは思いました けどねうん中日はやっぱり中田翔を取って 中田翔の活躍次第では分からないぞって いうねだそういう意味ではねまあ今あの 使ったり使わなかったり軍化したりして ましたけどももう1回とことん使ってみ たらどうかなってああそうですよねうん もう中田も分かってますよ自分の存在位置 っていうのをねうんうんやっぱそこで結果 出せないっていうのはもう本当にあの中田 も屈辱でしょうからねうんだからそういう 点ではもう中と任したよと何番打たすか わからないにしてもうんそこで1回結果 残してくれよって言ったらやっぱやる気に なるじゃないですかうんうんまそうですね さっき言った言葉ですもんね言葉です言葉 ですまそんなので変えられるのかって言わ れた時点でちょっとこうやる気がうせる こともあるんでね特にやっぱ実績のある 選手はそうですよね力のある選手そういう 連中をねうんう監督楽しいと思うんですよ あのんでも言うこと聞く人ばっかりだ 面白くないんですよタオさんやっぱもう ちょっとこう戦力整ったチームで監督して もらいたいですねあのやっぱりその人その 人のやっぱり個性ってねやっぱあった方が 面白いし面白いですうんそれでそういう人 達てねここ1番やるんですようん頑張るん ですよだからそういうものをうまく利用 すればいいよねうんうんなんか変になんか あいずこんなこと言えってとか好き嫌い でっていうのはねもうもうそんなのもう そんなのもう向こうでやってください みたいな野ですよみたいなそうだからそう いうこと言ってたらねもうこの個性の塊り ですからそういうのを分かってやってあげ ないとねうん絶対そうですそう思いますよ 西武どうですか途中で監督変わっちゃいま 監督渡まGMの時にあの開幕2000目の 時に渡渡辺君と話してねはいうんまあ今年 まピッチャーもいいしあとだけだけどって いう話たらピッチャーが案外ねうんエース がなかなか勝てなかったしねそうですね そういうことがあってでもう気がついたら 監督交代ってえもうこの時点で帰んのかと 思ったけどうんうんま 渡辺GMとしたら他の人にお願いこっから するのはちょっときついうんとなればもう 自分がやるしかないんだけどまこれはもう 1的ですよ来年は誰かにお願いするんです けどまあ渡辺 監督も今1番大変だと思います大変ですよ ねでもね1つやっぱりうまく調整していけ ばあのピッチャー誰もそこそこね勝負に なるピッチャーいるんでうんうん僕 ピッチャーがいたら勝負になると思ってん ですよそうですよやぱ野球ピッチャーです もんねピッちゃバテちゃんとそうですあの 打つ方はねなんだかんだね動きを入れ ながらやれば23点は取れますよそうです よねだって長いペナントレス考えたら やっぱ投手力がちゃんとしなくて優勝した チームって多分あんまりないあんまりない ですねなんかでもどどんな野球やりたいか がちょっと分かりませんよねなんかあそれ はあるな守りの野球なのか起動力なのか そうねそれでもバンバン振り回すのか なんか分かりやすくないですよねやっぱり ねま渡辺監督ま元ピッチャーじゃないです かだピッチャーの監督の場合はやっぱりね あの参謀がいるんですよねうんえ細かい ところは見えてないでしょピッチャって見 てないねだそうなるとやっぱり優秀な ヘッドコーチそうですねこれがかいないか ですよねうんだそういうところをま来 シーズンに向けて考えていかないといけ ないんじゃないかなっていうねうんそこが しっかりしてればあのチームもまたすぐ いいものを見れるんじゃないかなと思い ますタイガースはどうですかタイガースは 面白いですねタイガースは去年もう僕今年 ももうぶっち切りぶっち切りではないにし ても買った鉄板だと思ったんですよセ リーグあのはいはい投資力もそうだけど バッターの方の年齢も30前後の選手の 先生あと5年ぐらいはガのいやだから皆 さんそう思ってるだから岡崎さんとのよう に岡田監督も思ったと思うあだから外国人 を変えなかったわけよあああこの戦力じゃ ダメだと思ったらまずノイジーとミセスは 変えてましたよそうですねだけど若手中堅 が来年もやるだろうもうそういう期待の方 が大きかったのであそこに新しい外国人を 呼んだらそいつは使わないといけないんで その分若かって我慢してもら そこまで考えんそのそれで残だったと思う うんけど僕はあの上昇軍団作る1つ大きな ポイントはね優勝した年にどれだけの補強 ができるかだと思ってるあ優勝すると動か ないっていうのがなんとなく定説ですもん ねそれは大間違いで必ず実力以上の数字が 出てるんですよ選手うんっていうのは相手 チームはあの後半星の中で殴るピッチャー は負けパターンのピッチャーですからうん まなるほどそうすると必ず数字は上がるん ですようんうんだから普通だったら2割7 部バッターが8分9分打てるうんそうする と周りはあいついいねってなるわけでそれ を力と思ったら思ったら間違いです なるほどうんだからそういう時に高い評価 されてる時にいいトレードをするああはだ からそれの1番チャンスなんですよね優勝 した年がうんそれは阪神は今年やって なかったやらなかったんですよだ今苦しん でるうんだみんながあの期待通り活躍して くれればねそれはそれでだったんですけど やっぱりそうはうまくいかないえことも あるからねやっぱり活性化するっていう 活性化させる1番のおまタイミングでやら なかったっていうねこれまあタイガに限っ てないですどこもそれが多いですよでも まだまだ分からないですよねまだあの オールスターこれからあげてま半分ぐらい 折れましたけどまタイガースと ジャイアンツとうんえDNAと広島あもう この4つは分からないですよどうかいだ からね僕ね僕がもし監督やりたいどういう チーム監督やりたいですすかて言ったら5 割勝てるチームの監督やりたいですよ5割 でも5割勝つの大変ですけどだから5割り 勝てるだけの戦力のいるなるほど野球 チームうんうんそしたらねどま言ったら この4チームですよ4チーム4チームの今 やってる監督はねこれ僕は楽しくてしょう がないな自分の作戦で買ったり負けたり するそうですねね去年の岡田監督の時は ドンと走っちゃったんでもうプレッシャー あんまりなかったそうですよねだからね 今年ねこれから岡田監とかどういう役やる かがねもう見てて僕は楽しいと思うんです よああこれは他のあのチームをね一緒巨人 もうんDNAもねヘルナンデス最初見た時 ねうんテイクバックがちっちゃかったん ですよこうやって売ってたんですようん それがちょっと見たらすすっと後ろける ようになった後ろ引き出したあ変わってき たなと思ってそしたら会い出しましたねう 最初の打席見た時にはうわこれはちょっと 前にやっぱりアメリカでやってて早い球 早い球っていう感じで来てるからどうして もカっていくそういう癖が最初見えたん ですよねだけどすっちょっとこう乗るよう になってきた後ろ足にそしたら打ち出し ました日本に来てこう誰かに指導されて 良くなる外国人結構いますよねいっぱいい ますよいっぱいいますよねフィルダー なんかもそうですよねセシルフィルダーね あクロマティなんかもそうだでも フィルダーはねキャンプで空振りばっかり してましたけどね基本ができてたんですよ うんすぽこのできてたんですようんだから これで打てないバッターはもう何年しても 打てないなるほどと思ってみてただから1 年目が勝負だと僕は見てましたう形ができ てて打てないバッターはもうダメなんです よなるほどだけど普通は大体形ができて ないで結果が残ってないそういう人たちが もう大半ですからねだからそういう人たち に1つま言ったらコツをうん教えてあげる と一気に良くなる合どうですか途中帰って きたけど合はもう僕は前からちょっとこの この辺の伸びがすごい気になってたんです よねだけど帰ってきたちょっとマシになっ てたんですようんだからもっともう ちょっと打つかなっていう思ってたんです よねもうちょっとなんか柔らかいイメージ あったんですけどなんか変に固くなってる 感じしますよねバてそうですねだからも 柔軟性あってそうです本当にごりのような 体の使い方だったのになんかちょっと機械 的になってる感じがちょっとやっぱり数年 うまくいかなかったんでうんちょっとこう 崩してるのかもしれないですねうんうん うんまあでも元々持ってるね力はあるんで 何か掴んだらまた変わりますからねうん ああ監督やってもらいたいなやっぱりタオ さんタオさんやっぱりやっぱりななんて 言うかなあの時の楽天の1年目の監督って もう本当にタオさんしかできなかったと 思うし仮に誰がやっても大変で大変でま 言い方は悪いですけどなんかすごい気のな とこやったなみたいな感じなんとなくいや 周りが見たらそうですよだから本当に今 言われたようにちゃんとしたこうある程度 成熟したチームでもういぺ式を取ってんの 見てみたいなってそれうんそれもやってみ たいてはやってみたいんですけどあとはね やっぱりファームのあのこれからの 選手そういう人たちに技術を教えてあげ たいなって気持ちはありますね八区の監督 ですそれはまだその後でそれ終わってから もうちょっと80歳ぐらいなっも人生 終わってますからいやいやそれも80歳 ぐらいになってから山内さんとか中西さん ぐらいになってからこう2軍の若い子に 教えたらいいですまだだって70ぐらい でしょ70ぐらいってもういい年でしょ いやいやいや昔で昔の70歳は大変今の 70歳なんても全然もう75までは元気で 元気とかユニオも切れますからうん野村 さんだて70まで野村さんの70の時と タオさんの70の時全然若さ違いますよ そうですね若々しいんで大丈夫ですだ1外 に一郎も言ってたよに年齢じゃないんじゃ ないですどういう生活をしてそう70歳 迎えたかっていうことだからはいそうです ねやっぱりそういってこう自分でやりたい ものがあるっていうのが大事ですね監督 やってくださいよほもう1回中日でも阪神 でもいいですオーナーやってください いやいやいやいやいやいやいやとんでも ないですとんでもない話ですよ本当に僕 あの今じゃああれですか野球の解説をされ ながら時々教えたりされてるんです教える のはねま僕あのYouTubeの中では はいもう気になるところはちょこちょこ 喋りますけどまあの見てくれてるみたいな んですよ選手たちもねちょっとねだから そういうものもま自分のやりがいにもなっ てるしプラ選手もYouTube見てます か見てますねてますそうなんですよだから そういう点ではねやっぱりきっちりしたあ ことを言ってあげないといけないなと思い ながらねうんえあのまあ楽しくはやって ますけどねああ良かったはいかいつまで 僕よつなんですよ原さん3か66歳若いな と思ったけどタさん見たらいやタオさん俺 さらに上だなと思ってさらに上だいや本当 若々しくてそうやましいです僕も原監督は 腹は出てな出てないですはいいやでも原 さんも若いです若いですねはいやっぱり あのゴルフでも何でもねやっぱりこう やる気があるからいいわでも一番 びっっくりしたのバさん柴さんも若いです も8時ですかねた柴さんお元気です僕 ずっとこの前ばさんとお話させてもらい ましたあそうですかはいもう僕らあの ちっちゃい頃の憧れの選手ですからそう ですよ級メンバーですもんねそうです すごいですいやいやもう本当色々もっと もっと聞きたいことたくさんありますけど 本当今日ありがとうございましありがとう ござありがとうございまし [音楽] たtil [音楽]
❤️🔥 アスリートアカデミア
チャンネル登録はこちら ⚾
https://www.youtube.com/c/asuaka/?sub_confirmation=1
これまでにご出演いただいた皆さまの映像を、迫力の一気見スペシャルとして大公開!
もしかしたら、見逃してしまっていた神回が見つかるかも!?
◆田尾安志さんプロフィール
選手歴
中日ドラゴンズ 1975 – 1984
西武ライオンズ 1985 - 1986
阪神タイガーズ 1987 - 1991
監督歴
楽天イーグルス 2005
◆アスアカ総集編★一気見SP
【アスアカ総集編 一気見SP vol.1】満塁男の超野球技術論 駒田徳広
【アスアカ総集編 一気見SP vol.2】饒舌無双のモンスター デーブ大久保
【アスアカ総集編 一気見SP vol.3】ミスターパーフェクト 槙原寛己
【アスアカ総集編 一気見SP vol.4】天下御免の若大将 原辰徳 -1-
【アスアカ総集編 一気見SP vol.5】天下御免の若大将 原辰徳 -2-
【アスアカ総集編 一気見SP vol.6】孤高の天才野手 篠塚和典
【アスアカ総集編 一気見SP vol.7】伝説のクローザー 角盈男
【アスアカ総集編 一気見SP vol.8】スコアラー列伝 三井康浩
【アスアカ総集編 一気見SP vol.9】ミスターレオの軌跡 石毛宏典
【アスアカ総集編 一気見SP vol.10】しなやかに唸る美しき黄金の左腕 阿波野秀幸
【アスアカ総集編 一気見SP vol.11】炎上必至の毒舌エモやん劇場 江本孟紀
【アスアカ総集編 一気見SP vol.12】走塁を哲学する男 鈴木尚広
【アスアカ総集編 一気見SP vol.13】熱血!ズームイン女子野球 宮本和知
【アスアカ総集編 一気見SP vol.14】天下御免の若大将 原辰徳<3>
【アスアカ総集編 一気見SP vol.15】常勝巨人軍を再建する華麗なる遊撃手のDNA 川相昌弘
【アスアカ総集編 一気見SP vol.16】明治大学OB 鉄板ネタの吟遊詩人 広澤克実
【アスアカ総集編 一気見SP vol.17】昭和怪物伝説の真相 江川卓
【アスアカ総集編 一気見SP vol.18】駆け巡る赤き疾風の追憶 高橋慶彦
【アスアカ総集編 一気見SP vol.19】岡崎チルドレン代表 原監督公認スーパーサブ 寺内崇幸
【アスアカ総集編 一気見SP vol.20】僕らのミスタータイガース 掛布雅之
【アスアカ総集編 一気見SP vol.21】愛されメジャーリーガー 川﨑宗則
【アスアカ総集編 一気見SP vol.22】赤き猛練習の鬼 正田耕三
【アスアカ総集編 一気見SP vol.23】紅蓮の長距離砲 小早川毅彦
【アスアカ総集編 一気見SP vol.24】 メジャーを制したOki-Doke 岡島秀樹
【アスアカ総集編 一気見SP vol.25】大分を舞う熱き父子鷹 内川聖一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.26】プロ野球からクリケットへ 木村昇吾
【アスアカ総集編 一気見SP vol.27】紺碧の巨人キラー 川崎憲次郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.28】トレンディエース 西崎幸広
【アスアカ総集編 一気見SP vol.29】LAから愛を込めて 高橋尚成
【アスアカ総集編 一気見SP vol.30】ポジティブキング 前田“チョコ”幸長
【アスアカ総集編 一気見SP vol.31】平成のスライディング王 亀山努
【アスアカ総集編 一気見SP vol.32】因縁の国士無双 加藤哲郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.33】天才投手のダンディズム 牛島和彦
【アスアカ総集編 一気見SP vol.34】龍が如き豪速球の咆哮 小松辰雄
【アスアカ総集編 一気見SP vol.35】紅蓮のトリプルスリー 野村謙二郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.36】怪童ギャオス襲来 内藤尚行
【アスアカ総集編 一気見SP vol.37】高速フルスインガー 清水隆行
【アスアカ総集編 一気見SP vol.38】駆け抜ける奇跡の星 緒方耕一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.39】ベネズエラ最強遺伝子 アレックス・ラミレス
【アスアカ総集編 一気見SP vol..40】行くぜ!DYNAMITE!! パンチ佐藤
【アスアカ総集編 一気見SP vol.41】不屈不撓の雑草魂 上原浩治
【アスアカ総集編 一気見SP vol.42】第6代RIZINフェザー級チャンピオン 金原正徳
【アスアカ総集編 一気見SP vol.43】再降臨!ミスターパーフェクト 槙原寛己
【アスアカ総集編 一気見SP vol.44】初代最優秀バッテリー賞 山本昌&中村武志
【アスアカ総集編 一気見SP vol.45】NPB最年長記録投手 山本昌
【アスアカ総集編 一気見SP vol.46】星野仙一に最も愛された男 中村武志
【アスアカ総集編 一気見SP vol.47】元WBAスーパーフェザー級・ライト級 二階級世界王者 畑山隆則
【アスアカ総集編 一気見SP vol.48】ミスターフルスイング 小笠原道大
【アスアカ総集編 一気見SP vol.49】ミドル級の猛虎列伝 竹原慎二
【アスアカ総集編 一気見SP vol.50】天翔ける甲子園の一番星 荒木大輔
【アスアカ総集編 一気見SP vol.51】頭脳派戦士の回顧録 仁志敏久
【アスアカ総集編 一気見SP vol.52】バルセロナオリンピック200m平泳ぎ金メダリスト 岩崎恭子
【アスアカ総集編 一気見SP vol.53】曲者Winding Road 元木大介
【アスアカ総集編 一気見SP vol.54】正捕手魂ド根性 村田真一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.55】吠える!悪太郎 堀内恒夫
【アスアカ総集編 一気見SP vol.56】魁!!スイッチヒッター 柴田勲
【アスアカ総集編 一気見SP vol.57】猛々しき野良犬の咆哮 愛甲猛
【アスアカ総集編 一気見SP vol.58】横浜高校伝説 安西健二
【アスアカ総集編 一気見SP vol.59】歌い踊る正捕手の嘶き 里崎智也
【アスアカ総集編 一気見SP vol.60】下町マコちゃん 益子直美
【アスアカ総集編 一気見SP vol.61】闘う紳士が歩んだ激動の野球人生 田尾安志
チャンネル公式Twitter
Tweets by athlete_ac
#ジャイアンツ
#プロ野球
#田尾安志
#岡崎郁
#中日ドラゴンズ

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball