
阪神・淡路大震災が発生した1995年、“がんばろうKOBE”のスローガンを掲げ、戦ったプロ野球・オリックス。
あれから30年となったことし、チームに1人のルーキーが入団しました。
「誰かを勇気づけられる選手になりたい」
そう話す彼もまた、かつて震災を経験し、野球に勇気づけられた1人でした。
(大阪放送局記者 山田俊輔)
30年前のユニフォームに込めた思い

5月31日から神戸市の球場で行われた、オリックス対西武の2連戦。
選手たちは1995年当時の復刻ユニフォームを着用しました。このユニフォームは、神戸のファンにとって特別な意味を持っています。
右肩のワッペンにある「がんばろうKOBE」の文字は、チームが掲げたスローガン。

阪神・淡路大震災が発生した年、イチロー選手や田口壮選手、平井正史投手といった当時の選手たちは、被災地を勇気づけようとひたむきにプレーを続け、リーグ優勝を果たしました。

「あの震災ともう一度向き合ってほしい」
震災から30年となることし、球団は神戸で開催される試合すべてでこのユニフォームを着用することにしたのです。
震災後に生まれたルーキー
「このユニフォームを着てプレーできるのは、本当に幸せなこと」
そんな、強い思いを持って臨んだ選手がいます。今シーズン、ドラフト1位で入団した麦谷祐介選手(22)です。

麦谷選手は、震災後に生まれた世代。阪神・淡路大震災について、詳しくは知りませんでした。
しかし入団後、球団の職員から被災地と歩んだチームの歴史について教わり、心に期すものがあったといいます。

麦谷祐介選手
「当時のオリックスの選手たちは誰かのためにプレーした結果、優勝したのだと思います。震災から30年のことし入団したことに、1つの縁を感じます。僕たちもファンの皆さんに勇気や感動を与えたい。もう一度あのユニフォームを着て優勝したいです」
かつてのように 誰かを勇気づけられる選手に

仙台市出身の麦谷選手は、自身も被災の経験があります。
小学2年生の時、東日本大震災が発生。小学校の中で、たくさんの泣き声や悲鳴が聞こえたことを覚えています。自宅の壁にはひびが入り、一時、学校のグラウンドに避難して車の中に寝泊まりするなど、不安な日々を過ごしました。
そんな麦谷選手の救いになっていたのもまた、「野球」でした。

野球少年だった麦谷選手にとって、地元のチーム・楽天の選手たちの活躍する姿は輝いて見えていました。何より、ひたむきに、全力でプレーする姿に、前を向く力をもらえたといいます。
麦谷祐介選手
「みんなが落ち込んで大変だったときに、僕は野球をずっと見ていて、感動や勇気を与えてもらいました。選手たちが一生懸命プレーするところは今でもはっきり覚えています。“この人たちみたいになりたい”と思いました」

「誰かを勇気づけられる選手に」
その思いを持ち続け、プロの世界に入った麦谷選手は、1年目から1軍に抜てきされました。毎試合、出場機会があるわけではありません。思うような結果が出ないこともあります。
それでも下を向くことはありません。
ヒットを打てば大きくガッツポーズをし、走塁では果敢なヘッドスライディングを見せ、気持ちを前面に出して1つ1つのプレーに全力を尽くしてきました。
悲しみを知る選手に思いを重ね
神戸市で行われた2連戦の2日目。麦谷選手の背番号「8」のユニフォームを着たファンの姿がありました。

高校生の頃に阪神・淡路大震災で被災した小林幹志さん(47)。かつて、オリックスの選手たちに勇気をもらった1人でした。
小林幹志さん
「麦谷選手は震災を経験したことで悲しみを知っていると思いますし、私たちと同じように野球に勇気づけられてきた。そんな選手が30年の節目の年に入団してくることに運命的なものを感じます。彼もある種の使命感を感じているのではないでしょうか」
“がんばろうKOBE”をつないでいく
小林さんがスタンドから見守る中、麦谷選手は9番・センターでスタメン出場しました。プロとして初めての神戸でのプレーになります。

「このユニフォームで絶対に勝ちたい」
そう話していた麦谷選手には鬼気迫るほどの気迫が感じられました。
第1打席、強くたたきつけた打球はショートに捕球されましたが、持ち前の俊足で一塁を駆け抜け、内野安打とします。さらに、この全力疾走が相手の送球ミスを誘い、麦谷選手はヘッドスライディングで二塁に滑り込みました。がむしゃらなプレーに、スタンドからは大きな拍手が沸き起こりました。
小林さんは30年前の選手たちを思い出したと言います。
『がんばろうKOBE』を掲げ、どんなときも諦めずにプレーした選手たちを。

小林幹志さん
「希望を持っていろんなものを重ねて見てしまいます。この神戸という地で、彼の1打席に声援を送れたことはすごく良かったです。彼自身が次の世代へのつなぎ役になってくれるんじゃないのかな。『がんばろうKOBE』の心を引き継ぐ存在になってほしいです」

麦谷祐介選手
「今、僕は夢をかなえてプロ野球選手になり、夢や感動を与える立場になっています。だからこそ、結果が出ても出なくても一喜一憂しないで、常に全力でプレーしていく必要があります。“きょうの試合を見に来てよかった”と思ってもらえるような活躍をしないといけないと思っています」
被災地と向き合い、傷ついた人たちのためにプレーした、30年前の選手たち。
その思いは今、次の世代を担う選手たちの中に、確かに受け継がれています。
(6月2日 ニュースウオッチ9で放送)

大阪放送局記者
山田俊輔
2017年入局
初任地は静岡
その後岡山で行政やスポーツを取材
2024年秋からオリックス担当
休日はテニスプレーヤー
“がんばろうKOBE”から30年 心に刻まれた敗戦【解説】

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