3年連続最下位の低迷から巻き返しを図る中日ドラゴンズ。再建を託された井上一樹監督とは、どんな指揮官なのか。「紙一重の野球人生」と自称する歩みと、その道で出会った名将との思い出をNumberWebのインタビューに語った。特集「令和の中日ドラゴンズ」〈全3回の第1回/つづきを読む〉

「僕はね、本当に“紙一重の男”なんです。あの時こうだったらとっくに野球人生が終わっていた、という局面を何度も切り抜けてきたんです」

 そう言って豪快に笑い、井上監督は自らの歩みを振り返った。

“練習生”からのスタート

 1990年、鹿児島商高からドラフト2位で中日に入団した当初はピッチャーだった。しかし、最初は支配下登録の枠に入れず練習生のような扱いだったという。

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「今で言う育成選手ですよ。二軍の試合にも出ることができないレベルからのスタート。高校の時は少し自分に自信があって『オレが投げる球、打てるもんなら打ってみろ!』って感じでやっていたんですけど、入ってみたら全国からそういう選手が集まってきていた。カルチャーショックじゃないですけど、こんなに凄い人がいっぱいいるんだ、って。どんどん自信をなくしていきましたね」

 デビューはプロ2年目、1991年5月の広島戦。その年は一軍でリリーフとして8試合に登板したが0勝1敗、防御率7.24。13回3分の2の登板回に対して与四死球は「17」と散々な結果だった。3年目は登板1試合のみ。プロの高い壁の前にもがいた投手時代を、井上監督はこう振り返る。

「オレ、クビだよな…」

「結果が出ないなかで、ちょっと肘を痛めたり足を痛めたりということもありました。ピッチングをするにもストライクが入らない。自信喪失ですよ。この世界では無理だというレベルの差をはっきりと感じていました。何年かしたらオレ、クビだよな、この世界にいられないよな、って思っていましたね」

 一軍で登板して打たれた試合の帰りのバスの中、人目をはばからず涙したことがある。肩を震わせる若者に声をかけてきたのは大ベテランの主砲、落合博満だった。

【次ページ】 落合博満が言った「泣くんじゃねえ!」

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