1980~90年代にかけて巨人の中心選手として活躍し、現役引退後は一軍ヘッドコーチや編成本部アドバイザー、スカウト部長など、巨人の要職を歴任してきた岡崎郁、63歳。岡崎がいま明かす、スカウト部長時代のドラフト秘話。【全3回の1回目/2回目へ】

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「巨人はロッテより弱い」

 1989年の日本シリーズ、近鉄は巨人に3連勝。初の日本一に王手をかけた試合後、勝利投手の加藤哲郎が“暴言”を吐いたと報じられた。記者の誘導尋問に引っ掛けられた形だったが、火の付いた巨人は4連勝で日本一に輝く。

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 立役者の1人が、岡崎郁だった。4戦目に先制犠飛、5戦目に逆転二塁打、6戦目にダメ押し本塁打を放つなど6打点を挙げ、優秀選手賞を受賞。勝負強いバッティングで80年代から90年代にかけて、岡崎は巨人の中心選手として働いた。

坂本勇人を育て…編成・スカウトの道へ

 96年の引退会見では「指導者として巨人から声をかけてもらえるように外から勉強します」と将来を見据えた。野球評論家、ヤンキース傘下のマイナーリーグでのコーチ留学を経て、2006年に原辰徳監督のもとで二軍打撃コーチに就任。坂本勇人などを育て、二軍監督や一軍ヘッドコーチなど10年間に渡って、長期政権を支えた。

「巨人では、本当にいろんな経験をさせてもらいました。指導者に一区切りついた後、まさか自分が編成部員になって、トレードやドラフトに関わるとは想像もできませんでした」

 15年オフ、原監督の退任に伴い、岡崎二軍監督も辞任。高橋由伸監督に交代した直後、堤辰佳ゼネラルマネジャー(GM)から「いずれスカウト部長になってもらいたい」と口説かれ、編成本部アドバイザーとなった。

「『来年からスカウトをする気持ちでやってくれ』と言われました。そのため、プロ担当の編成、アマチュア担当のスカウトの両方を兼任する形でした」

消えた“山川穂高のトレード獲得”

 編成の仕事の1つに、トレードがある。直近3年間、二軍監督としてイースタン・リーグで戦っていた岡崎はある選手に狙いを定めた。

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