巨人史上最悪の“シーズン80敗”……「ジャイアンツ大嫌い!」“助っ人”ローズが暴れ、監督と清原和博は不仲、空席が目立つスタンド。あれから20年、堀内巨人とは何だったのか? 徹底検証する。【全3回の第3回/1回目、2回目も公開中】

 トラブル続きの2005年シーズンの堀内巨人を序盤に牽引したのは、崖っぷちの清原だった。

 開幕前の激励会の席上で渡邉恒雄前オーナーから、両耳のピアスに苦言を呈される一幕もあったが、堀内監督は清原を開幕四番で起用。4月は自己最多の8本塁打をマークし、4月29日の広島戦で広島市民球場のバックスクリーンへ史上8人目の500号アーチを叩き込んだ。確執が噂された両者だったが、満身創痍の背番号5が、己の意地とプライドを懸け、なんとか堀内監督の四番起用に応えようとしたのも事実である。しかし、肉体改造で急激に体重が増えた清原の両膝は限界に近く、1打席で痛みが出て途中交代する試合もあった。さらに5月のオリックスとの交流戦では頭部に死球を受け、打撃が狂い出す。

 前半戦終了時、20本塁打を放つも、打率.217は規定打席到達者の中で最下位。チームも5位に沈み、早くもスポーツ紙では堀内監督の去就が騒がれる。そういう状況で、8月4日の広島戦を迎えるのだ。この試合で清原は七番起用を不服とし、ホームランを打った後にベンチ前で出迎える監督やナインを素通りする、ハイタッチ拒否事件を起こす。堀内監督は「いい面でも悪い面でも、他の選手たちに影響力のある男」と認める一方で、この造反行為には強く苦言を呈した。

「清原は、その3日前からヒザの痛みが出ていたんです。気楽に打てるようにと、7番にしたんですが、それに腹を立てた。清原は、あの事件後、ベンチ内に居場所がなくなってしまった。あれは団体競技ではやってはいけないことですよ」(週刊ポスト2005年10月28日号)

 結果的にこの広島市民球場で放った第22号アーチが、清原の巨人在籍時、最後のホームランとなった。

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