
山本昌氏
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BSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)が18日に放送され、元中日投手の山本昌氏(59)がゲスト出演。プロ入り前後について振り返った。
NPB史上最年長の50歳まで現役を続け、41歳での史上最年長ノーヒットノーランなど数々の記録を打ち立てたことで知られる。
古くは衣笠祥雄、山本浩二(以上広島)、掛布雅之、バース(以上阪神)というレジェンドたちから現在カブスで活躍する鈴木誠也(当時広島)まで対戦経験があり、大谷翔平(ドジャース)については日本ハム時代に「対戦したかしてないか覚えてないけど、相手ベンチにはいました。オープン戦なのでデータがない」といきなり32年間の長きに渡った現役生活を象徴するビッグネームの数々に触れた。
そんな山本氏。通算219勝を挙げ、2年連続を含む最多勝3度に沢村賞1度など数々の輝かしい成績を残したが、もともとは無名の存在。日大藤沢時代は横浜商(Y校)の全盛期で甲子園出場もならなかった。
だが、Y校のエースだった三浦将明が高校野球の日本選抜に選ばれたため、繰り上がりの代役として神奈川選抜入り。そこで社会人チームに投げ勝ったことから1983年ドラフト5位で中日入りした。奇しくも三浦が同年のドラフト3位指名でチームメートとなったが、三浦は未勝利のまま引退。5位指名だった山本のほうが躍進を遂げたのは有名な話だ。
そもそも日大藤沢進学を決めたのは、将来教師を目指していたため。付属校のある学校のほうが行き先も多いという判断で、ドラフト前にはすでに内部進学で日大への進学も決まっていた。
そのため、ドラフト当日も“他人事”。だが、午後になって教頭が教室に来て「山本くん、ちょっと。校長室に来てください」と呼び出された。「え?何かやらかしたかな」と警戒?してついていったところ指名を知らされた。「どういうことですか?」と半信半疑。「いや無理無理。小中補欠で神奈川ベスト8じゃ無理だって。大学行って教職取って…」というような話をしたところ「だよね」という反応で校長室を出たという。
だが、帰宅すると、父親が会社を早退して待っていた。
「うちの親父、ドラゴンズファンなんですよ、昔から。中日って聞いた時にびっくりもしたんですけど、親父うれしいだろうなぁ…っていうのが凄くまず。で、どうしよう、ですよ。他だったら多分行ってないと思うんです。父は行ってほしそうだったんですけど行けとは言わなかった」
指名後、高校の恩師・香椎瑞穂監督からは「お前ならプロでやっていける」と一言。「あれで踏ん切りがついた」とプロ入りを決めた。
「あとで聞いた話なんですけど、“俺は名刺を11枚いただいた”と。スカウトから。だけど、僕の好きだったジャイアンツからは来なかったみたいです。ジャイアンツ以外11球団」と子供のころからファンだった巨人だけスカウトが来ていなかったことを明かして苦笑い。これには熱烈な巨人ファンで知られるホスト役の徳光和夫(84)も「まずいね、これは」と一緒に苦笑いしていた。
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