アダム・ラ・マーキー・ジョーンズ(Adam La Marque Jones, 1985年8月1日 – )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在はフリーエージェント。

プロ入りとマリナーズ時代

2003年のMLBドラフト1巡目追補(全体37位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り。

投手としての期待も受けていたが、入団後は遊撃手としてプレーした。

2005年にキューバから亡命していたユニエスキー・ベタンコートが入団すると、外野手に転向した。

トッププロスペクト(英語版)(将来のスター選手候補)として2006年7月12日にメジャー初昇格し、14日のテキサス・レンジャーズ戦でメジャーデビューを果たした。

ボルチモア・オリオールズ時代
(2018年4月11日)

2008年2月8日にエリック・ベダードとのトレードで、ジョージ・シェリル、クリス・ティルマン、トニー・バトラー、キャム・ミコライオと共にボルチモア・オリオールズへ移籍した。

2009年に中堅手のレギュラーの座を掴み、オールスターにも選出された。オフには、ゴールドグラブ賞も受賞した。

2012年5月26日に6年総額8550万ドルと出来高600万ドルでオリオールズと契約を延長した[3]。この年は、オールスターに選ばれ[4]、初めて30本塁打の大台を突破した。3年ぶりのゴールドグラブ賞も受賞したが、守備防御点(DRS)が全中堅手で最低の-16を記録していたため、物議を醸した[5]。

2013年開幕前の3月に第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のアメリカ合衆国代表に選出された。シーズンでは打率.285、33本塁打、108打点、14盗塁を記録した。100打点超えは自身初である。

2014年、159試合に出場して4年連続で150試合以上に出場し、打率.281、29本塁打、96打点を記録し、通算150本塁打を達成した。走塁面では、4年ぶりに二桁盗塁に届かなかったが、成功7に対して失敗1(成功率88%)だった。四球が、規定打席に届いたシーズンとしては最少の19にとどまり出塁率が下がった。オフには、3年連続となるゴールドグラブ賞を受賞した。また、日米野球2014のMLB選抜に選出されていた[7]が、先約があり[8]11月7日に辞退した[9][10]。

2015年4月21日のトロント・ブルージェイズ戦では、ホセ・バティスタの本塁打の後にバットを投げた行為がメジャーの舞台ではふさわしくないとして攻守交代の際に口論となった[11]。同年は137試合に出場して打率.269、27本塁打(5年連続25本以上)、82打点(5年連続80打点以上)をマークした。しかし、規定打席に達したシーズンとしては盗塁と出塁率が自己ワーストに終わった。

2016年は、152試合の出場で打率.265、29本塁打、83打点という例年並みの打撃成績を記録。ただ、二塁打19本は規定打席に到達したシーズンとしては自己ワーストだった。同年、通算200本塁打を達成。オフの11月20日に第4回WBCのアメリカ合衆国代表への参加の意思を表明し[12]、12月5日に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした[13]。

2017年開幕前に選出されていた第4回WBCに参加。3月22日の決勝プエルトリコ戦に勝利し、初の優勝を果たした[14]。シーズンでは5月1日からのボストン・レッドソックス戦で相手ファンから人種差別的発言を受けたことで話題となり、問題解決後、バッターボックスに立つと観客から拍手を受ける光景があった[15]。同3日には審判にストライク判定について抗議して、自身初の退場処分を受けた。また、21日のトロント・ブルージェイズ戦でチームの本拠地、オリオール・パークでの通算124号本塁打を放ち、ラファエル・パルメイロを抜き同球場における本塁打の歴代最多記録を更新[16]。打点数の記録も保持している。さらに、31日のニューヨーク・ヤンキース戦で8回に通算1500安打を達成した[17]。8月28日には通算250本塁打に到達。最終成績は147試合の出場で打率.285、26本塁打、73打点だった。

2018年開幕戦でサヨナラホームランを放つ。最終的に145試合に出場して打率.281、15本塁打、63打点の成績を残した。守備面では、オリオールズ移籍後初めてライトやレフトの守りに就いた。10月29日にFAとなった[18]。

2019年3月11日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと1年300

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